ページが見つかりませんでした https://xn--w8j5cw67p9eaz0twix0fea7733f.com Wed, 14 Feb 2024 05:25:38 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=5.8.9 「よだかの星」あらすじと読書感想文の例文【大特集】 https://xn--w8j5cw67p9eaz0twix0fea7733f.com/8314 https://xn--w8j5cw67p9eaz0twix0fea7733f.com/8314#respond Mon, 12 Feb 2024 15:48:37 +0000 https://xn--w8j5cw67p9eaz0twix0fea7733f.com/?p=8314 こちらでは、読書感想文の題材としても長く利用されている 宮沢賢治の名作「よだかの星」あらすじや、参考していただけそうな解説動画読書感想文の例文【8作品】を紹介しています。

おもに小学校高学年生から中学生高校生が、1200字1600字2000字(原稿用紙3枚、4枚、5枚)の読書感想文を書く際に役立つことを目指し掲載しています。


~~目次~~~~~~~~~~~~~~~
「よだかの星」あらすじ+解説
読書感想文の例文【8作品】

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「よだかの星」あらすじ+解説

いじめられていた「よだか」が死んで星になる、悲しいお話です。しかし、ただ悲しいだけではありません。短い話の中に「食べることと生きること」「生きることと殺すこと」など、宮沢賢治の「生死観」や「食物連鎖への問題意識」が詰まっています。

よだかは、美しい蜂スズメやカワセミの兄でありながら、容姿が醜く不格好なゆえに鳥の仲間から嫌われ、鷹からも「たか」の名前を使うな「市蔵」にせよと改名を強要され、故郷を捨てる。

自分が生きるためにたくさんの虫の命を奪っていることに嫌悪して、彼はついに生きることに絶望し、太陽へ向かって飛びながら、焼け死んでもいいからあなたの所へ行かせて下さいと願う。

太陽に「お前は夜の鳥だから星に頼んでごらん」と言われて、星々にその願いを叶えてもらおうとするが、相手にされない。

居場所を失い、命をかけて夜空を飛び続けたよだかは、いつしか青白く燃え上がる「よだかの星」となり、今でも夜空で燃える存在となる。

・・・よだかの身体は灼けて星と一体となったという最後にも、宮沢賢治の自己を超えた「みんなのための光になる」という考え方の尊さを描いていたのではないでしょうか。
 
約7分で分かるあらすじ動画

「よだかの星」は著作権が切れているため、全文がネット上で公開されています。また、YouTubeで全文の朗読版もアップされています。

「よだかの星」全文

YouTube「よだかの星」全文朗読(約20分)

感想文の着眼点が分かる解説動画

 

「よだかの星」読書感想文の例文【8作品】

以下に、小学生向け5作品、中高生向け3作品の合計8作品を紹介いたします。文字数はまちまちですが「書き方」「着眼点」の参考にしていただければと思います。

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「よだかの星」を読んで(小学生むけ)①

(※学年によってはまだ習っていない漢字が含まれています。)

僕は、この本を読み終わってよだかをいじめたり、仲間はずれにしたりした鳥が、憎くてしかたなかった。
読書感想文の書き出し例(入賞21パターン)

僕も、小学校に入る前は、とても泣き虫でした。友達に泣かされて、先生に泣かされた本当の理由をいっていると、泣かした子が「えっ違うよ」と、言います。僕は、そのころ気が弱かったので、黙っていました。

帰りにまた泣かされると思ったからです。そんな時、悔しくて、その子を殺してやりたかったです。よだかも、そんな気持ちになっていたんだろうなあと思います。

僕も、いじめられたことがあるから、よだかの気持ちは、よく分かります。でも、僕よりよだかの方が、この悔しさは、大きいと思います。たかから、名前を変えろと無理なことを言われて、心が痛んだり、悔しがったりしたと思います。そんな時は、悩んだと思います。ある夜、よだかは、次のようなことを考えました。

「ああ、カブト虫や、たくさんの羽虫が、毎晩僕に殺される。そしてそのただ一つが僕が今度はたかに殺される。それがこんなにつらいのだ。ああ、つらい、つらい。僕はもう虫を食べないで飢えて死のう。いやその前にもうたかが僕を殺すだろう。いや、その前に、僕は遠くの遠くの空の向こうに行ってしまおう。」

この言葉で、僕はよだかは、顔は、醜いけど、心は優しいんだと思いました。僕だったら、小さな羽虫は、殺してしまうと思います。僕は、よだかは、小さな羽虫の命も心配する、優しい心のもち主なんだと思います。

よだかは、星に向かって、「お星さま、あなたのところへどうか私をつれてって下さい。」と叫んだけど、星も相手にしてくれません。星や鳥も、なぜこんなによだかをいじめるのか分かりませんでした。

でも、最後にとうとう星になりました。よだかは、嬉しかったと思います。僕は、先生が以前「すりむいたりしたキズは、月日がたてば治るけど、言葉でキズをつけた場合は一生なおらない。」と、言ったのを思い出しました。

僕は、なにも悪いことをしていないよだかを仲間はずれにした鳥たちは、よだかと違って、顔は、美しいけど、心はダメなんだと思いました。よだかの星、この星には、いつまでも燃え続けて輝いて欲しいです。(895文字)
 

「よだかの星」を読んで(小学生むけ)②

(※学年によってはまだ習っていない漢字が含まれています。)

よだかは宮沢賢治自身の心の投影に思えてならない。賢治が私達読者に自分の思いを訴えたくて「よだかの星」を童話にして現わしたのではないだろうか?
読書感想文の書き出し例(入賞21パターン)

今、私は夜空を眺めています。するとなぜか涙が込み上げてくるのです。そして悲しげな声が私の耳元にかすかに聞こえてくるのです。

「よだかの星」になったよだかよ。あなたは今、世界中で一番幸福ですか?私にはあまりにもあなたが惨めに思えてなりません。まるで「よだかの星」はビショビショにぬれた「涙星」です。

きたないだけで馬鹿にされ、のけ者にされ意地悪されたよだかよ。 なぜ死を選んだのですか?あなたにはかわい 弟のかわせみもいるではありませんか。死ぬ覚悟なら威張り我が者顔で振るまっているたかや意地悪な周りの者に真向 から対決してほしかった。

そんな悪者を許したりするといたずら者が増え、りこう者が無くなる。そして又、よだかの身がわりになる者が増える でしょう。私だったら正義のためなら鷹に、かみ殺されてもいい。

自分の意志を通し恐れずに立ち向かっていく。そして心ゆくまで話しあって相手を説得させたい。そして少しでも良い所を取りいれていく。

そして自分の住んでいる環境を少しでも良くしていきたい。人を憎んだり恨んだり、差別したりしない。争いのない平和な地域にしたい。よだかも、もっともっと鷹と話し合って仲良くしてほしかった。

死ぬ事はたやすい。生きる事は厳しくつらい。もっともっと生きて生き抜いて欲しかった。死んでも生命は永遠に続く のです。

「ああ、羽虫が、毎晩僕に殺される。つらい。つらい。僕はもう生を食べないで飢えて死のう。」

多くの命を助けるためにこんなに悲しい努力をしてまで自分の命を犠牲にする。なんとけがれのない美しい心でしょう。 私達人間だって平気で肉食類を食べている。

生・死の生存競争のため、付きまとう事だろう。こんな悲しい悩みにぶつかったよだかは星に生まれ変わって生きる決心が出来ました。よだかは、とうとう星になり燐の火の様な青い美しい光になって燃え続けました。

この物語を通じて教えられた事は、この地球上の生物も、人類もみんな平等で生きる権利があり、そして差別をしてはならない事を学び取ったのです。そしてがまん強く立派な心で耐えるゆとりある人間になっていきたい気持ちでいっぱいです。

「よだかの星」は世界中の平和を願っていつまでもいつまでも輝き続けてくれる事でしょう。そして「よだかの星」は私の心の中にいついつまでも生き続けています。(1029文字)
 

「よだかの星」を読んで(小学生むけ)③

(※学年によってはまだ習っていない漢字が含まれています。)

以前、六年生の送別会で行う、劇の練習があった。私たちのグループは、「よだかの星」をやることになった。私の役は、主役のよだかだ。でも、私は嬉しくなかった。 友達が「よだかだから、きたないかっこうをしなくちゃね。」と言ったからだ。みにくいよだかの役をやるより、美しいひばりやたかの役をやりたかった。でも、原作を何度も読んで いくうちに、そんな私の考え方が、恥ずかしくなった。
読書感想文の書き出し例(入賞21パターン)

書きだしの「よだかは実にみにくい鳥です。」という文でも分かるように、よだかは、その醜さのために、ずいぶん 他の島からいじめられののしられた。誰だって美しく生まれたいにきまっている。

でも醜く生まれたからといって それは、よだかの責任だろうか。自分には、何の責任もない醜さのために、みんなからいじめられるよだかが、かわいそうでもあり、じれったくも感じられた。どんなことにでも、じっとたえてきたよだかだが、

「おれの名は神様からもらった名だが、よだか、おまえの名は神様からもらっていない。おまえの名はおれの名をかりて いる。なあ、返してもらおうじゃないか。私は、いらい市蔵と申しますと、みんなの前で言え。」

とかから命令された時は、ほんとうに、ショックだっただろう。私は、この時、悔しくてたまらなかった。「どうして、文句を言われたら、言い返さないの?」と言ってやりたかった。

たかという名前が、神様がくださったのなら、よだかという名前だって同じように神様がくださったもの。たかもよだかも平等なのだから、名前をかえる必要はないのに……。

でも、よだかは、 悩みや苦しみながら空を飛びまわり、星になりたいと思った。 私は、よだかの役をやりながら、「どうしても星になりたい。」というせりふをどんなふうに言っていいのか分からなかった。

よだかの気持ちがよく理解できないからだ。星になれば、 たしかに、もうすべてのわずらわしいことから逃れることができるかもしれない。幸せになったのかもしれない。で も、私は、「よかったね。」と言いたくはない。

私は、よだかに、あくまでも鳥の世界で頑張って欲しかった。星の世界に、 逃げ出して欲しくなかった。今の世の中、よく「平等」ということばが、使われるけど、すべてがすべて平等には、なっていないと思う。あらゆるところに、不平等が存在している。 でも、私は、逃げ出さない。どんなにつらい苦しいことでも、戦っていくつもりだ。(992文字)
 

「よだかの星」を読んで(小学生むけ)④

(※学年によってはまだ習っていない漢字が含まれています。)

よだかの星を何年か前に読んだ時には、僕は、あまりよだかの気持ちが理解できなかった。でも今度はちがう。よだかの星を読み始めると、半年前の僕と、よだかが、あまりにも似ているのに驚いたからだ。
読書感想文の書き出し例(入賞21パターン)

よだかは、かわいそうな鳥だ。他の鳥からいじめられ続けて、とうとう最後には、自ら死を選び、星になってしまった。僕も以前、上級生の数人にいじめられた。僕は、何一つ悪い事をした心当たりがない。どうして僕だけこんなにいじめられるのだろうか。

学校に行きたくなかった。その上級生たちと顔を合わせるのが怖かった。よだかの気持ちが、僕には、ものすごくよく分かる。いや、よだかの方が、ほくよりも、ずっとずっとひどいことを言われて悲しかったにちがいない。

僕が、よだかだったら、すの中にじっと入ったままだったかも知れない。よだかは、みそをつけたような顔で、よぼよぼ歩く。ただそれだけの事ではないか。みにくいからといって顔や体のかこうだけで差別する他の鳥達を僕は絶対ゆるせない。

よだかは、めじろの赤ちゃんが、すから落ちた時、助けてあげた心のやさしい鳥なのだ。たかの一方的な命令にしたがわないと殺されるという時、今まで自分も小さな虫を食べていた事に気が付いたよだか。

自分が生きるためには生きているものも殺してしまわなければならない現実に苦しみ、さぞなやんだ事だろう。僕は、よだかが、思いやりのある美しい心の持ち主だからこそ命について、考え苦しんだのだと思う。

その時、僕もどきっとした。僕は上級生にいじめられたが、今まで下級生や弱い者をいじめた事がなかっただろうか。僕の頭の中も混乱してきた。よだかは、色々な苦しみから早くのがれようとして星になりたいと思った。死までは考えなかったが、僕もよだかと同じ様な事を考えた。転校したい。ただそればかり思った。

この事はだれにも言えない。言えば仕返しが来る。毎日、毎日がつらかった。でも、僕は、その後、先生や両親に分かって良い方向へ向かった。

よだかは、死を決意する前に、なやみを聞いてくれる鳥が一羽もいなかったのだろうか。すがた形だけでは、美しいか、みにくいかは分からない。心のやさしいきれいな者が本当は美しいのだ。

このことをだれにも分かってもらえず、一人ぼっちで遠くの空へ消えてしまったかわいそうなよだか。僕は、夜空を見ると、オレンジ色に輝いている一番きれいな星をさがす。きっとよだかの星だ。よだかの星よ、君の様な美しい心を持てる人間になりたい。君の分まで、僕は強く生きたい。(1059文字)
 

「よだかの星」を読んで(小学生むけ)⑤

(※学年によってはまだ習っていない漢字が含まれています。)

よだか、おまえは、ただみにくいというだけの理由で、毎日毎日他の鳥たちに悪口を言われ、そして、メジロの赤ん坊を巣へ連れて行ってやっても礼も言ってもらえなかったね。その上、タカという名を持っているからというのでたかに、「名前を返せ、名前を変えてしまえ。」と言われたのだった。さもなくば「つかみ殺すぞ。」と。どんなにかおまえは自分のみにくい姿をなげき悲しみ、きれいな姿に生まれたかったと思ったことだろう。
読書感想文の書き出し例(入賞21パターン)

しかし「生まれつきの姿なのだからどうしょうもない。」と、何度も自分に言い聞かせあきらめたことだろう。おまえは自分で命を絶とうとしたね。私はおまえにもっと自信を持ってほしかった。でも、おまえはみ!みんなにきらわれていることだけがつらくて死のうとしたのではなかった。そんな弱虫ではなかった。おまえは、毎晩カブト虫やたくさんの羽虫を殺している。そして、自分もまた、たかに殺される運命にあることがつらかったのだ。おまえはカブト虫を飲みこんだとき大声で泣いた。

だけど、それは痛かったからではない。おまえはカブト虫が、もがき苦しみながら食べられていくつらさを自分のつらさとして感じたのだ。おまえは自分がたくさんの虫たちを食べることをつらいと思っている。だけど、私はそうは思わない。それが自然だと思う。虫を食べなくては自分が死んでしまうのだから。みんなからみにくい、きたないと言われているけれども、たくさんの虫を殺してしまう自分を死にたいと思うほどなさけなく思い、弟のかわせみに、「どうしてもとらなければならない時の他は魚をとってはいけないよ。」と、教えているおまえの心は誰よりもきれいだと思う。

心にもしカガミがあったら、おまえのカガミはきっとピカピカに光っているだろう。なのにおまえは、自分が虫たちを食べないで飢えて死ぬ事で自分にも良い心があることを示そうとした。そして、自分のようなみにくい体でも焼ける時には小さな光を出すだろう。たとえどんな光でも、自分のこの姿が一瞬でも輝いてくれるなら、と願ってお日様や星たちに連れて行ってくださいと頼んだのだね。

死んだって焼けたっていいと思っているおまえを私は強いと思う。それなのに、おまえの願いを星たちは聞き入れようとしなかった。なんてはくじょうなのだろう。「わからずやめ。」と、私は言いたかった。おまえは落っこちそうになりながらも一生けん命に力をふりしぼって飛んで行ったね。

星に着いたら楽になれると苦しみをのがれ行くおまえ。何て世の中は不公平なのだろう。どの鳥より心のきれいなおまえがこんな目に会うなんて。私はむねが熱くなった。しかし、とうとうおまえは青い美しい星になった。きっと神もおまえの心にうたれたのだろう。夜空に青く輝く一つの星、それはおまえの心の輝きなのだね。(1150文字)
 

「よだかの星」を読んで⑥

 
 
 
 以下、完成しだい掲載いたします。
 
 

「よだかの星」を読んで⑦

 
 

「よだかの星」を読んで⑧

 
 



 


作品の中から作者の思いを推論する
  生きる上での矛盾とどう付き合うか

 

【最重要ページ】感想文を書くにあたっての「コツ」「構成」「話の広げ方」などの詳細は下記のページに掲載しています。(気になる審査基準も掲載!)


読書感想文の書き方のコツ
(テンプレートつき)

書き方の参考用に、過去の入賞作品の紹介ページも作りましたのでご活用ください。

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「杜子春」読書感想文の例文【大特集】 https://xn--w8j5cw67p9eaz0twix0fea7733f.com/8301 https://xn--w8j5cw67p9eaz0twix0fea7733f.com/8301#respond Mon, 12 Feb 2024 13:06:42 +0000 https://xn--w8j5cw67p9eaz0twix0fea7733f.com/?p=8301 こちらでは、読書感想文の題材としても長く利用されている 芥川龍之介の名作「杜子春」あらすじと、読書感想文の例文をご紹介いたします。

おもに小学校高学年生から中学生高校生が、1200字1600字2000字(原稿用紙3枚、4枚、5枚)の読書感想文を書く際に役立つことを目指し掲載しています。


~~目次~~~~~~~~~~~~~~~
「杜子春」あらすじ
読書感想文の書き方【例文】

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「杜子春」あらすじ

唐王朝の洛陽の都。ある春の日の日暮れ、西門の下に杜子春という若者が一人佇んでいた。彼は金持ちの息子だったが、親の遺産で遊び暮らして散財し、今は乞食同然になっていた。

そんな彼を哀れんだ片眼眇(すがめ、斜視)の不思議な老人が、「この場所を掘る様に」と杜子春に言い含める。その場所からは荷車一輌分の黄金が掘り出され、たちまち杜子春は大富豪になる。しかし財産を浪費するうちに、3年後には一文無しになってしまうが、杜子春はまた西門の下で老人に出会っては黄金を掘り出し、再び大金持ちになっても遊び暮らして蕩尽する。

3度目、西門の下に来た杜子春の心境には変化があった。金持ちの自分は周囲からちやほやされるが、一文無しになれば手を返したように冷たくあしらわれる。人間というものに愛想を尽かした杜子春は老人が仙人であることを見破り、仙術を教えてほしいと懇願する。そこで老人は自分が鉄冠子という仙人であることを明かし、自分の住むという峨眉山へ連れて行く。

峨眉山の頂上に一人残された杜子春は試練を受ける。鉄冠子が帰ってくるまで、何があっても口をきいてはならないというのだ。虎や大蛇に襲われても、彼の姿を怪しんだ神に突き殺されても、地獄に落ちて責め苦を加えられても、杜子春は一言も発しなかった。怒った閻魔大王は、畜生道に落ちた杜子春の両親を連れて来させると、彼の前で鬼たちにめった打ちにさせる。無言を貫いていた杜子春だったが、苦しみながらも杜子春を思う母親の心を知り、耐え切れずに「お母さん」と一声叫んでしまった。

叫ぶと同時に杜子春は現実に戻される。洛陽の門の下、春の日暮れ、すべては仙人が見せていた幻だった。これからは人間らしい暮らしをすると言う杜子春に、仙人は泰山の麓にある一軒の家と畑を与えて去っていった。(Wikipediaより)

■約13分で分かるあらすじ動画

また「杜子春」は著作権が切れているため、ネットで全文が公開されています。
「杜子春」全文

さらに、YouTubeで朗読版もアップされています。プロのナレーターさんによる聞きやすい全文朗読です。
「杜子春」全文朗読 約35分(おすすめ)

「杜子春」読書感想文の書き方【例文】

以下に4作品をご紹介いたします。文字数はまちまちですが「書き方」「着眼点」の参考にしていただければと思います。

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「杜子春」を読んで①

「人間らしさとはなんなのか」「人として大切なこととはなんなのか」
読書感想文の書き出し例(入賞21パターン)

この本を読み終わって、じっと目を閉じると、仙人になりたくて、どんな苦しみにも耐え、一言もしゃべらないでいた杜子春が、母の愛に勝てず、最後に一声、

「おかあさん。」

とさけぶ姿が浮かんでくる。この場面は、私が最も感動したところでもある。

「心配をおしでない。わたしたちはどうなってもおまえさえ幸せになれるのなら、それよりけっこうなことはないのだからね。大王がなんとおっしゃっても、いいたくないことはだまっておいで。」

と、息もたえだえに言う母親。杜子春は、どんな思いでこの声を聞いたのだろうか。

今まで自分の周りに集まった、物やおめあての人達とは全然ちがう、本当の人間にしか持っていない、何かあたたかいものを感じたに違いない。

人間にあいそをつかした杜子春は、自分のことをこんなにも思ってくれる母親の深い愛の心から、人間としての本当の心、本当の幸せとは何であるかを知った。人間をがらりと変えてしまう母親の愛に私は深く考えさせられてしまった。

人間にとって「愛される」ことは、人間を豊かにするものだなあと思った。私の母は、私を愛していてくれる。いつもそんなことは嬉しいとも何とも思わず生活していたけれど、この「杜子春」を読み終えた私には、母のあたたかさをなぜか強く感じていた。

ふと私は、春休みにのどの手術をした時のことを思い出した。気が遠くなるほどの、のどの痛みと、手術の時に飲みこんだ血をもどす時の苦しみは、今も忘れていない。やさしく背中をさすってくれた母のあたたかさが、苦しむ私を勇気づけてくれていたのかな、と思えた。

何の不安もなく手術がうけられたのもきっと母のやさしさがあったからだろう。安心して学校で勉強ができるのも、部活で思いっきりあせを流すことができるのも、母のやさしさがあるからだと思う。

「よし、頑張ろう!」という勇気をあたえてくれているのも母の愛情ではないかと、思われるようになった。社子春の母と同じように、私の母も、強い愛情で私達を育ててくれていることを知って、自分は幸せだなあと思った。

次に心に残ったのは、鉄冠子の杜子春に対する行動と心だ。鉄冠子は、杜子春に二度まで大金をあたえたり、地ごくに落としてあらゆる苦労をあたえたりした。もしかしたら、鉄冠子は、人間の本当の生き方を、杜子春自身から見つけ出させようとしたのではなかろうか。

杜子春が母親の深い愛の心に気づいたのも、杜子春を思う鉄冠子の心があったからではないだろうか。人間は心を持っている。

本書を読み、優しい温かい心を持っているから人間なのだと思う。真心を持って、まず人間を愛するという事が大切なことではないかとつくづく思った。
 

「杜子春」を読んで②

本当に人間らしい生き方とはどんなものなのでしょうか。杜子春がぼんやりつっ立っていた洛陽の都は、人と物とお金があふれていました。ひどい思いをしているのは自分だけだ。何て自分は不幸な人間なんだろうと思ってしまいます。
読書感想文の書き出し例(入賞21パターン)

一日のうちに洛陽一の大金持ちになってしまった杜子春をチヤホヤした人達も、彼が三年ばかりのぜいたくで全財産を失ってしまった時は、誰もそばへも近づきませんでした。物やお金にたよっていた生活がどんなにあやふやで、また物やお金に寄って来る人達がどんなにいいかげんで、またきたならしい人達か。でも杜子春はまだ目が覚めません。

仙人になろうとして地獄に落ちた杜子春に閻魔大王は次々とせめ苦をあたえました。剣の山、血の池、焦熱地獄、極寒地獄……。その苦しみは大変なものでした。わたしはこの数々の魔性の出現や、地獄の苦しみは杜子春の心の中の魔性の姿ではないのかしらと思います。私の心の中にも魔物が住んでいます。

勉強の時、どこからか「そんな眠いのをがまんしてやらなくてもいいじゃないか。サボれ。」と声がします。水泳教室で、もう少しで五十メートルという時「ガンバレ、もう少しだ。」という声と、「つらいだろう、顔を上げて、足をついてしまえば楽になる、そんなつらい思いをして泳がなくってもいいだろう、やめろ、やめろ。」という声がかわりばんこに聞こえます。

そんな時、ここでくじけたら今までのしんぼうが何にもならないと思って一生けん命がんばってみます。でも彼ほどの苦しみに出会ったら私はもうくじけていたかもしれません。馬の姿になっている父母に鉄のむちがうなる場面でも、杜子春の耳にきこえた、かすかな母の声は、「お前がしあわせになれるなら自分達はどうなってもよいから、だまっておいで。」それは今まで杜子春の周りに集まった、物やお金めあての人達とは全然ちがう、本当に心から息子を思いやるあたたかい両親の声でした。

杜子春は約束も忘れて半死の馬にすがりついて、「お母さん。」とさけんでしまいます。杜子春は仙人にはなれませんでした。でもわたしは何だかホッとしました。杜子春が本当の人間とはどういうものか教えてくれた気がするのです。

本当の人間のしあわせは、お金で買えるものではありません。お母さんが杜子春を思いやってくれたように、また杜子春がお母さんの苦しみに涙を流せた時、本当の人間としてのしあわせがはじまるのではないかと思いました。

今のように物にめぐまれた時代に生きるわたし達は、そのためにかえって見失ってしまっている大切なものがあるのではないかしらと思います。わたしは杜子春の生き方を見ながら、一歩ずつでも人間として、すばらしい生き方を目ざしていきたいと考えるようになりました。
 

「杜子春」を読んで③

「心配をおしでない。私たちはどうなってもお前さえしあわせになれるのなら、それより結構なことはないのだからね。大王がなんとおっしゃっても、言いたくないことは黙っておいで。」「いくら仙人になれたところが、私はあの地獄の森羅殿のまえに、むちを受けている父母をみては、黙っているわけにはいきません。」・・・物語の中で、この二つの言葉は、母親が子を思う愛情、子が親を思う気持ちがあらわれていて、特に印象的だった。
読書感想文の書き出し例(入賞21パターン)

杜子春は、人間の薄情さにあいそをつかせ、あらゆる責苦に耐えながら、仙人の修業をした。しかし、むちで打たれ倒れた父母のけなげな決心に、親というものは、そんなにも子供のことを思っているのかと、子を思う深い母親の愛情を強く感じた。

私は今までに、父母の胸に飛び込み、泣いたりするような経験はない。しかし、小さな出来事のたび、父母の言葉のはしはしに、「私のことを心配してくれているんだな。」ということを感じたことは、ときどきある。

例えば、外出して、時間どおりに帰ってこないときなど、父母は私の理由も聞かずに、おこることがある。その時は、「私にも、言いたいことはあるのに・・・。」と思うけれど、あとで冷静に考えてみると、そうではない、心配しすぎておこってしまったんだなと、反省する。

私がもし、杜子春と同じ立場に立ったなら、父母はやはり、私の心を思いやってくれるだろう。また、杜子春が、「おかあさん。」とひと声さけんでしまったのが、「やはり杜子春は、仙人になれない人間なんだ。」と思った。

人間だから、我慢しなく、無理しなく、自分の気持ちに直に声がでてしまったのではないだろうか。人間ならば、そうでなくてはならないと思う。この老人は、いくら貧乏でも、優しい気持ちがある人だったら、それで十分だということを悟らさせたのではないだろうか。

私は、これから多くの出来事に出会うと思うけれど、そのたびごとに、人間らしく、やさしく、正直に生きていきたいと思っている。そして、一人一人がそんな人間になったら、この世の中は明るく、もっと住みよくなるのではないだろうか。そのように感じた。
 

「杜子春」を読んで④

 

「杜子春」を読んで⑤

 


   
 


あらゆる成功は「人間らしさの存在」が前提である
 

【最重要ページ】感想文を書くにあたっての「コツ」「構成」「話の広げ方」などの詳細は下記のページに掲載しています。(気になる審査基準も掲載!)


読書感想文の書き方のコツ
(テンプレートつき)

書き方の参考用に、過去の入賞作品の紹介ページも作りましたのでご活用ください。

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「沈黙」あらすじと読書感想文の例文【大特集】 https://xn--w8j5cw67p9eaz0twix0fea7733f.com/8258 https://xn--w8j5cw67p9eaz0twix0fea7733f.com/8258#respond Fri, 09 Feb 2024 16:24:28 +0000 https://xn--w8j5cw67p9eaz0twix0fea7733f.com/?p=8258 こちらでは、読書感想文の題材としても長く利用されている 遠藤周作の名著「沈黙」あらすじや、参考していただけそうな周辺情報感想文の例文5作品を紹介いたします。

おもに中学生高校生が、1200字1600字2000字(原稿用紙3枚、4枚、5枚)の読書感想文を書く際に役立つことを目指し掲載しています。



 
~~目次~~~~~~~~~~~~~~~
「沈黙」のあらすじ
読書感想文の書き方【例文5作】

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「沈黙」は2016年にマーティン・スコセッシ監督により映画化もされています。

「沈黙」あらすじ

島原の乱が収束して間もないころ、イエズス会の司祭で高名な神学者であるクリストヴァン・フェレイラが、布教に赴いた日本での苛酷な弾圧に屈して、棄教したという報せがローマにもたらされた。フェレイラの弟子セバスチャン・ロドリゴとフランシス・ガルペは日本に潜入すべくマカオに立寄り、そこで軟弱な日本人キチジローと出会う。キチジローの案内で五島列島に潜入したロドリゴは潜伏キリシタンたちに歓迎されるが、やがて長崎奉行所に追われる身となる。幕府に処刑され、殉教する信者たちを前に、ガルペは思わず彼らの元に駆け寄って命を落とす。ロドリゴはひたすら神の奇跡と勝利を祈るが、神は「沈黙」を通すのみであった。逃亡するロドリゴはやがてキチジローの裏切りで密告され、捕らえられる。連行されるロドリゴの行列を、泣きながら必死で追いかけるキチジローの姿がそこにあった。

長崎奉行所でロドリゴは棄教した師のフェレイラと出会い、さらにかつては自身も信者であった長崎奉行の井上筑後守との対話を通じて、日本人にとって果たしてキリスト教は意味を持つのかという命題を突きつけられる。奉行所の門前ではキチジローが何度も何度も、ロドリゴに会わせて欲しいと泣き叫んでは追い返されている。ロドリゴはその彼に軽蔑しか感じない。

神の栄光に満ちた殉教を期待して牢につながれたロドリゴに夜半、フェレイラが語りかける。その説得を拒絶するロドリゴは、彼を悩ませていた遠くから響く鼾(いびき)のような音を止めてくれと叫ぶ。その言葉に驚いたフェレイラは、その声が鼾などではなく、拷問されている信者の声であること、その信者たちはすでに棄教を誓っているのに、ロドリゴが棄教しない限り許されないことを告げる。自分の信仰を守るのか、自らの棄教という犠牲によって、イエスの教えに従い苦しむ人々を救うべきなのか、究極のジレンマを突きつけられたロドリゴは、フェレイラが棄教したのも同じ理由であったことを知るに及んで、ついに踏絵を踏むことを受け入れる。

夜明けに、ロドリゴは奉行所の中庭で踏絵を踏むことになる。すり減った銅板に刻まれた「神」の顔に近づけた彼の足を襲う激しい痛み。そのとき、踏絵のなかのイエスが「踏むがいい。お前の足の痛さをこの私が一番よく知っている。踏むがいい。私はお前たちに踏まれるため、この世に生まれ、お前たちの痛さを分つため十字架を背負ったのだ。」と語りかける。

こうして踏絵を踏み、敗北に打ちひしがれたロドリゴを、裏切ったキチジローが許しを求めて訪ねる。イエスは再び、今度はキチジローの顔を通してロドリゴに語りかける。「私は沈黙していたのではない。お前たちと共に苦しんでいたのだ」「弱いものが強いものよりも苦しまなかったと、誰が言えるのか?」

踏絵を踏むことで初めて自分の信じる神の教えの意味を理解したロドリゴは、自分が今でもこの国で最後に残ったキリシタン司祭であることを自覚する。(Wikipediaより)

 
約10分で分かるあらすじ動画
映画の要点をまとめたものですが、小説の要点でもあります。

詳細な解説動画


 

「沈黙」読書感想文の書き方【例文】

以下に4作品をご紹介いたします。文字数はまちまちですが「書き方」「着眼点」の参考にしていただければと思います。

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「沈黙」を読んで①

「沈黙」を読み終わり、今、再び神とはなにかと考えてみる。神、その言葉はいったい何を意味するものなのか。
読書感想文の書き出し例(入賞21パターン)

江戸時代のキリスト教信者への弾圧、その時代の信者たちのことは知っていた。しかし、こんなに残酷なものとは思ってもみなかった。それに殉教した人々の気もち。だれだって死ぬのはこわいと思う。それがあの一枚の絵を踏むのを拒み死んでいったのだ。信教徒だけでない。キリストを教えた宣教師も……。が、宣教師の中には棄教した人もいたのである。その棄教した宣教師を描いたのがこの小説である。

主人公の司祭ロドリゴは日本に渡り布教する。が、信者たちは次々と捕えられ殺される。司祭も最後には捕えられ棄教するのである。だが、この棄教には大きな意味が含まれているのである。ただの心の弱さではない。私たちが考えも及ばないような大きな意味が含まれていたのだ。

現実から考えて、神などというものは存在するわけはない。昔からの伝説や神話などを読んでもありもしないことばかり書いてある。でも、なにかそう思う気はしない。神とかそういうものを信じることによって人間らしさというものを感じるのである。宗教も、そういった人の心から発したものだろう。それが何人もの人の心を結びつけ、どんなにひどい拷問にも耐えさせたのである。

神の存在。それは人の心に存在する、それは人の良心である、などとよく言う。それだけに司祭は苦しい立場にある。信者たちが目の前で殺されていくのを見ても神は何も言わない。何度も疑惑を感じつつ、ただあきらめに近い気もちで祈るだけだったのである。ただ信じているしかなかったのである。

文中に「おまえは信者より自分が大事なんだろう。おまえが転ぶと言えば彼らは救われる。それなのにおまえは転ぼうとせぬ。教会を彼らのために裏切るのがおそろしいんだ。」と先に教したフィレイラは言う。そして司祭が踏絵に足をかけるとき、「さあ、今までしなかった一番つらい愛の行為をするのだ。」とも言う、という文章があった。

私はここを読むと、いったい人の心を救うのは何か、と思う。拷問をうけていた人は司祭が転んだことによって救われた。神は人の心を理解し助けるという。それだから、神は司祭の心を察しているのだろうか。私には信仰するものがないからわからない。わかるのは、踏絵を踏んでも神の心までも踏んでないということだけである。

殉教することが正しいのか、苦しんでいる人を救うために棄教するのがいいのか。司祭が教したのは、けっして自分が助かりたいからではなく、信者たちを救うためだったのである。

本には、踏むとき司祭が感じた足の痛みは、主の心がのしかかって形だけで踏むことだけではなかった、と書いてある。私はこの司祭の気もちの奥底をさぐりだしたいと思う。自分が今まで信じ続けてきたものを踏む痛み、たとえ形の上でのことであってもそれがどんなに苦しいものか、そしてその痛みを、主イエスはわかってくれるのだろうか。限りない苦しみあと、司祭に与えられたものは日本人の名前と妻だった。

私ならどうしただろうか。その場に立たされないとわからないが、たいてい死のおそろしさには負けてしまったと思う。棄教も、人のことを考えてやるのではなく、自分のことだけを考えるみにくい心をさらけだしてしまうだろう。よく殉教した人に対してあの強い心はどこから生まれたのか、などと言う。それも神を信じているからだろうか。

でも司祭のように棄教した者を弱い心といってしまうことはできない。その教には、大きな意味、殉教した人より以上苦しみ悩んだ、ということが歴史の中では消されてしまっているからである。

沈黙。事実、神は何も言わなかった。そしてそのことには、だれもがふれようとはしなかった。人間は本来、弱いものである。信仰の強さは人間の隠された強さをひきだしたのかもしれない。人間の持ってい理屈では割りだせない何かが、神というものにも表われていると思う。生きていくことのむずかしさに、何かにすがりたくなる。そう思うことが、心の中で神が存在すると信じているからではないだろうか。

沈黙の結論はまだでていない。最後に私に強く残っている文章、「そしてあの人は沈黙していたのではなかった。たとえあの人は沈黙していたとしても、私の今日までの人生があの人について語っていた。」その意味を考え続ける。
 

「沈黙」を読んで②

私がこの本を読んだ動機は「沈黙とは何の沈黙だろう・・・」と、そんないいかげんなものだった。しかし、読み始めた瞬間にそんないいかげんな気持ちで、読んでいられなくなった。というのは、いつも私が疑問に思っている事が書かれていたからだ。
読書感想文の書き出し例(入賞21パターン)

私にはキリスト教の親せきがおり、学校には、沢山のシスターがいて、一週間に一度倫理の授業があるそうだ。その倫理の授業では神についてその存在や、色々の事を習う。それによると神は私達が困った時は、奇跡を起こし助けて下さる、ということだった。

私は、その話を素直に信じたかった。でも信じられなかった。私の知っている限りそんな事は起こらない。毎日何十件と起こ交通事故。それによって親兄弟を失い一人ぼっちになった赤ちゃんは、これからどうなるんだろう。生まれた時から寝たっきりの人は、一生土の上を歩く事ができないのだろうか。本当に神が存在するのなら、それらはあまりにも残酷すぎる。神が奇跡を行なうには、小さな事だと言うのか、それともキリスト教の信者でない者には奇跡は起こらないのか。

この小説の主人公、ポルトガル人司祭ドリゴは、キリスト教迫害の最中に日本に渡った。勿論、そんな時代だからロドリゴ信者である百姓達に密かにかくまわれていた。その後山を放浪中、キチジャーという男によって役人に売られ、最後には棄教してしまう。彼はその間に、多くの信者の殉教を見た。それは、いつも想像していたような華々しいものではなく、惨めで辛いものだった。

彼は、そんな時、神の何かを待った。しかし、いつも神は沈黙を守った。そんな部分は、私の、神の存在を否定する気持ちを裏付けしているようで悲しく、そしてじれったかった。本当に神が存在するのなら、どうして自分の為に死んでいく者を黙って見ているのか。私の単純な頭ではわからない。

ロドリゴさえ、時々神の存在を疑っているじゃないか。けれど聖職者でありながら疑った彼を責めることはできないと思う。聖職者であろうとなかろうと、人間というものは弱い生き物だ。そんな人間の姿をキチジローは表わしている。キチジャーは信者であるが、追い詰められると直ぐに棄教してしまう。彼は決して悪人ではない。

役人に嚇されてロドリゴを売ったのも彼の人間としての弱さからだった。自分で自分の弱さを知っているがどうにもならないのである。そんな彼を嘲笑うことはできない。一体、私はどれだけ彼より強いと言えるだろう。神の沈黙がいつまで守られても、人間はどこまでも神を信じていられるだろうか。もしできるとしたら、私にはその人は人間よりむしろ、神に近いほど強い人のように思える。

ロドリゴも処刑や拷問が怖くて棄教したのではない。信者への拷問に対する神の沈黙が、彼の最も愛し尊敬するキリストを踏ませたのだ。信者は拷問に苦しみ、ロドリゴが教しない限り彼等を救うことはできなかった。そんな時、どうすべきか。私は、神は愛だと習った。今、苦しんでいる信者への愛とは何なのだろう。この沈黙し続けることだろうか。

狭い考えだと言われるかもしれないが、私は信者を苦しみから救う事が、彼等への愛だと思う。だからこの時、ロドリゴが踏絵に足をかけた事を当然だという気がした。ロドリゴや他の迫害された人々の立場に立たない人は、神の沈黙を人間に与えられた試練と言い、真実の愛だと言うかもしれない。で実際それに直面したら、そんな事は甘っちょろい理想論じゃないだろうか。

このような私の考え方は狭くて、ひねくれたところがあるかもしれない。でもどうして神は、最後まで沈黙を破らなかったのか。ロドリゴは最後に、自分が今のように、もっと違った形で神を愛するようになる為には、今までのすべてが必要だった。そして、神は沈黙していたのではなかった。

沈黙していたとしても、今までの人生が神について語っていた、と言った。私の狭い心ではそこまで悟った彼を立派だと感じたが、その考えまでは受けとめることができない。しかし、一度は神の沈黙に押し潰されてしまったような彼が、今は神を心から理解し、愛している。

私は、そこに強い人間の姿を見たような気がした。神の沈黙は、それを求めていたのだろうか。けれど、残念ながら私は、まだ本当に神の沈黙を理解できない弱い人間のままで、この本を閉じなければならなかった。
 

「沈黙」を読んで③
  
「沈黙」は江戸時代のキリシタン迫害史を背景に、一人の司祭を通して、「神」と「人間」が語られる非常に重厚な小説であった。私は、この小説の主人公であるセバスチャン・ロドリゴ司祭の苦悩する姿の中に、真の人間を見出したような気がした。
読書感想文の書き出し例(入賞21パターン)

その彼の苦悩とは、神につかえ、神にひたすら祈り続ける司祭としてのものではなく、一人の人間として、神―キリストと、自己への強い疑問であった。”殉教”という名のもとでの農民たちの死。それは、神と幸福の存在しうるパライソへ行くのにしては、あまりにも悲しく、陰惨なものである。

“参ろうや、参ろうや
パライソの寺に参ろうや
パライソの寺とは申すれど‥‥‥
広い寺とは申すれど”

という悲哀を帯びたこの唄を口ずさみ、死への恐怖を、否定しようとする。しかし、最後には、暗い呻き声でしかなくなってしまう。

こんなにみじめで辛い彼らの死を、司祭は、どうすることもできない。自らの命を絶つ事を、厳しく禁じているはずのキリストでさえ、彼らを救いは、しない。どれだけ多くの民が死のうと神は、深い沈黙を破りは、しない。

司祭はその事に、憤り焦燥感を感じる。そして、今まであれほ夢み、又ある時は、永遠の理想像として愛し、信じていた神―キリストの愛」さえ疑うのである。自分を裏切り、役人に売ったキチジローを、自分がどうしても許せないのと同じように、あの人(キリスト)もユダを愛しはしなかったのだと。

私は、彼この思いが、司祭としては、非模範的なものであるとわかるが、彼のような境遇にった者としては、最も自然な考えではないかと思う。私が彼と同じ立場にあったなら、私は神の存在さえ否定してしまったであろう。

彼は、こうして神に疑問を抱きながら、長崎の町を惨めな姿で、役人に引かれていく。何の為に、キリスト教という苗を、日本に持って来たのか、石や侮蔑の言葉を投げつけられる中で、この間をかみしめる時、司祭の胸には、どれだけ大きな絶望と虚無とが去来したことか。

生の苦しさ、難しさを改めて考えさせられた。彼は牢獄の中で考える。最も敬愛した思師フェレイラの教会を裏切り、自分たちを裏切った彼のことを。主は、ユダ見放したのと同じように、フェレイラも、見離された群の中に入れたのだと。そして、そういう事を考えている間にも、捕われたキリシタンたちを虐待する役人の声と、キリシタンの苦しい悲鳴が聞こえてくる。

その声を聞く司祭の心の中には、怒り悲しみの風が吹きすさんでいたことだろう。神は、なぜあれほどまでに、キリシタンたちに、苦しい道を歩かせるのか。なぜ黙っているのか。なぜ救おうとしないのか。司祭がこの疑問を、心の中で強く神に訴えている中で、フェレイラと役人は棄教をすすめに来る。「転べ、転べ」と。

司祭は、初めは、フェレイラのこの態度に怒りと、さげすみで接していたが、最後には、踏絵を踏む。あの人―キリストの顔を、汗と血と泥で汚れた足で。しかし、この司祭の行動は、本当に神を裏切る行為であったのだろうか。彼が転んだ為に多くの農民の命は助かった。神さえできなかった、キリシタンの命を助けるという事を彼は、行なったのだ。自分が永遠に教会から追放され、教会の汚点として残るという、自分にとっては、不名誉な事を代償として。

もちろん彼は、農民たちの生命を救うためだけに転んだのではないだろう。死にたくないという人間の本能ともいうべき、この気持ちが働いた事は、打ち消せない事実であろう。しかし結果的には、最大の愛の行為を行なったのである。人間としてもっとも痛く辛い精神的苦痛を味わって。彼は思う。「自分は、教会を裏切りはしても、決してあの人を裏切ってはいないのだ。」と。

私もこの彼の言葉を真実として素直にうけ入れることができた。キリストが彼の立場であっても、彼と同じようにしたと思えるからだ。主も、きっと民を救う為に教したと思う。自分の精神が傷つき、自国の司祭にどれだけ軽蔑されようとも、踏絵に足をかけたであろう。

最大の「愛」を示す為に。セバスチャン・ロドリゴは、日本人の姓名と家と、妻をもらい「転びのポウロ」と呼ばれながら、長崎でくらした。それは確かに、哀しいことであったろう。しかし彼は、あの人を日本人として今までとはもっとちがった形で愛したのである。それは、どんな事にもくずれない強く深い愛であった。
 

「沈黙」を読んで④

真夜中に、この本を閉じてじっと目を瞑る。初めて映画を見、本を読んだ時の衝撃が甦る。あの時私に投げかけられた疑問、それが今も私の心から離れない。十字架に縛りつけられ、或いは簀巻にされて海に沈んでいった農民達。彼らは棄教すれば自由の身になれると知りながら神を信じて自らの命を捨てた。それほどの勇気を与えたのは何なのだろう。彼らの信じていた神というのはどんなものなのか。
読書感想文の書き出し例(入賞21パターン)

椅子のきしむ音が穴吊りにされた殉教者たちの呻き声に感じられる。どんな迫害を受けても神への信仰を捨てない・・・・・・なんという強さか。人間誰しも生に対する強い執着があるはずなのに。彼らの信仰心は「生きたい」という欲望よりも強いのか。私は信仰を持っていない。無論、神の存在も信じない。だから彼らの信仰とその強さが理解できない。

「生きたい」という欲望、それは人類が地上に姿を現わした時か今日まで不変のものであり、侵すことのできない大前提だと私は思う。それに対して、信仰は人間が考え出したものに過ぎないのではないか。神はいない。私はまさにそう思う。

何よりの証拠に、司祭がどんなに苦しんでも、求めても、神は何の救いも与えなかった。転びバテレンのフェレイラもそう主張した。それは神を信ずる者にとっては、背教者が神を冒した言葉に過ぎないかもしれない。が、実は最も宗教の盲点をつき、その矛盾を真に悟ったものに思われる。こう考えると、ただ一心に神を信じて尊い命を捨てていった者たち、いや井上筑後守の巧妙、卑劣な手管によって惨殺され、或いはじりじりと教を迫られた者たちは、本当に哀れであった。

その悲惨な姿に、私はどうにもがまんがならないのだ。信仰が原始の昔から、またどんな民族の中にもあるのは、人間が弱くそして不完全なものであり、力の及び得ないものに対しては、信仰に頼らずにはいられないからだろう。自然の驚異から原罪に至るまで、そこから人間を守り、救い、許しそして幸せを与えるもの、それが信仰ではなかろうか。

生きる喜び。そうだ、信仰は人間に生きることの尊さを教え、喜びを与えるものであるはずだと私は思う。そうした信仰の中でも、とりわけキリスト教は博愛と平等を説いたすばらしいものだった。しかしそれも、時代の変遷や教会勢力が巨大化するにつれて、世俗的、政治的権力をも掌握してしまった。そうした中から不当な迫害も生みだされる結果となったのであろう。

そして日本でも、国家統一のためには、キリスト教は邪魔なものと考える幕府と、植民地獲得のために、キリスト教を利用しようとするヨーロッパ諸国との間に衝突が起こった。その時日本は、キリスト教を根絶することによってその目的を遂げようとした。信仰が人間の世俗的な浅ましい欲望に支配された時、信ずるが故に死ななければならないという、本来の意味を全く失ったものになってしまったのは、実に恐るべきことだと思う。

そうした中にあって、農民たちは神のためにと死んでいった。神を信じていたからそれを恐れなかった。しかし実は権力者が信者を抹殺しようと謀っていたと考えると、一層がまんがならない。領主の搾取に喘いでいた彼ら貧農にとって、生きることがどれほどの喜びに価するかは疑問である。だからこそ彼らは、天国に行けば苦しみから救われると、単に天国を極楽浄土のように考えていたのかもしれない。

彼らから生きる喜びと、生きる権利さえも剥奪した幕府の弾圧は、何とむごいものであろう。宗教の対立以前に、それは人道的に決して許されない行為だと思う。そんな迫害の極限の中で、必死に「神の沈黙」に対する答えを模索するロドリゴを見る時、私は結局、司祭である彼にとっても、神は真に自己を委ねるものになり得ないのだとつくづく悟った。それに気づくまで彼はどんなに苦しんだことか。

それまで迫害の苦しみに、彼が耐えられたのは、神の救いに対する絶対的確信だった。それは苦しみの中で祈りに化した。しかしそれでも救いを見い出せず、フェレイラの言葉にすっかりその信念を打ち砕かれてしまった時、頼るべきものを失った彼の足はキリストの顔の上にあった。しかしそれを幕府に対する、彼とキリスト教の敗北とは思いたくない。

宗教は人間が考え出したものである限り、完全であろうはずがない。その盲点であった「神の沈黙」、そのつくられた概念を脱し、人間の真の感情に目ざめたのだと私は思いたい。たとえどんなに世の中が進歩しても、この不完全なる人間が存在する限り、また宗教も心の支えとして生き続けるであろう。

しかしそれが一たび世俗的欲望と結びついた時、どんなに恐ろしい結果を招くか、また人間がいかに残酷になり得るか、それを私は心の奥まで知らされた気がする。農民たちもまた司祭たちも、その恐るべき時代にあって、ただひたすらに自己の道を求める以外に、生きる道を見いだせなかった犠牲者であったと思う。
 

「沈黙」を読んで⑤

この本を一気に読み終えた時、私の中には新鮮な感動と共に、割りきれない何かが残った。そして今、感想文を書く段になって、この物語のもつ問題点の多さに、改めて驚いている。

これは、宣教師ロドリゴを巡る背教の書である。罪もない切支丹たちが残酷な拷問の末に、次々と殺されていく。

けれども、神は沈黙し続ける―.神は存在するのか、という問題は、私にとって以前からの疑問だった。私は今まで一度も神を信じたことはないけれど、熱烈信者を見ると一種の羨望のようなものを感じるのは、やはり、何かを信じていたい、縫っていたいという人間の本能だろうか。

かつて、日本のキリスト教信者は、殆ど農民であった。自分が汗を流して作った米も年貢として絞り取られ、貧窮していた彼らにとって、生きること自体が、苦しみの連続であったのだろう。だから、今は苦しいけれど死ねばきっと天国へ行ける、そう信じることだけが、彼らの唯一の生き甲となり救いとなったに違いない。けれど、キリスト教を貫いて死んだ百姓たちは、死の間際まで神を信じ続けたのだろうか。

拷問に耐え得る意志の最後の最後にはやはり、ふっと神の沈黙について疑問を持ったのではないだろうか。切支丹の中には拷問に耐えかねて転んだ者もいたのである。彼らは拷問を恐れた一方、いくら拷問されても、何の奇蹟も行なおうとはしない神に失望して、信を捨てたのではないだろうか。信仰とは、精神的に救われたいという本能であると同時に、人間の弱さだとは言えないだろうか。この物語の中には何度も何度も転びながらも、キリスト教から離れられずにロドリゴに付き纏うキチジローという日本人が登場する。

私は彼の狡猾さを嫌悪したけれど、その狡猾さこそ、理性を捨てた本来の人間の姿、人間の弱さそのものなのだということに気づいた。そして彼は、その弱さ故に、キリスト教を完全に捨てることが出来なかったのではないだろうか。「何の為、こげん責苦ばデウス様は与えられるとか、わしらは何も悪いことばしとらんのに。キチジャーの悲痛な叫びは、転んだ者の叫びのようにも聞こえた。

確かにキチジローは、役人に脅かされれば、踏絵に唾をかけ、聖母を罵るような臆病者だけれど、彼も彼なりに苦しんでいた筈だと私は思う。私はその時、聖書の中のユダを思い出した。キチジローの人間臭さはイエスを敵に売ったユダにも通じる。イエスを裏切った時、ユダもきっと苦しんだに違いない。その苦しみを知りながら、神はどうして彼らを許そうとはしなかったのだろうか。どうして沈黙しているのだろうか。

しかし、百姓たちの生命と引き替えに、ついに踏絵に足をかけようとする“ドビゴの耳に、初めてあの人の声が聞こえるのである。「踏むがいい。私はお前たちの痛さをつため十字架を背負ったのだ。」今まで沈黙し続けていた神が、背教の瞬間にその沈黙を破る。私にはなぜか、このロドリゴの背教のシーンが恰も殉教のそれのように思えて、ひどく鮮烈な印象を覚えた。本国の教会から追求されるのを承知の上で、百姓たちの生命を救うため、彼は自己を犠牲にしたのである。これも殉教とは言えないのだろうか。

ロドリゴが今まで耐えて来られたのは、イエスもまた自分と同じように迫害されて茨の道を歩んだのだと、自分を慰め、無意識のうちにひそかな自負心を抱いていたからではないのだろうか。けれど、私は彼が背を決心した時の苦しみこそ、真のイエスの苦しみではなかったのかと思う。だからこそ、イエスは沈黙を破ったのだろう。それならば、私はロドリゴに、背教の後、もっと安らかな生き方をして貰いたかった。

岡田三右衛門という名を与えられた彼は、どうして自嘲的にしか自己を見つめられなかったのだろうか。神の声に導かれて背したのなら、もっと胸を張って生きても良い筈ではないか。本来のロドリゴはやはり殉教して、後に残ったのは抜け殻の彼であったのだろう。

この物語を通して私は神というものについて随分と考えさせられた。奇蹟一つ起こせずに、ただ共に苦しむことしかできぬイエス。聖書の中の栄光に満ちた姿とは何という違いだろう。しかし、私はそれが神の本来の姿なのだと思う。自分が苦しんでいる時、ああ、神も今、苦しみを共にしてくれているのだと信じることは、その人の心を慰め、励ましてくれるだろう。そんなものはただのごまかしに過ぎないという人もいるだろうが、私はこれが信仰というものなのだと思う。そして、共に苦しんでくれる神というものは、すでに存在しているものではなく、人間自身の中にあり、そこから生まれ出てくるものだと信じたい。
 



 


「自灯明」・・・天はみずから助けるものを助く
 

【最重要ページ】感想文を書くにあたっての「コツ」「構成」「話の広げ方」などの詳細は下記のページに掲載しています。(気になる審査基準も掲載!)


読書感想文の書き方のコツ
(テンプレートつき)

書き方の参考用に、過去の入賞作品の紹介ページも作りましたのでご活用ください。

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「銀河鉄道の夜」読書感想文の例文【中学生・高校生】 https://xn--w8j5cw67p9eaz0twix0fea7733f.com/6262 https://xn--w8j5cw67p9eaz0twix0fea7733f.com/6262#respond Fri, 09 Feb 2024 11:33:23 +0000 https://xn--w8j5cw67p9eaz0twix0fea7733f.com/?p=6262 こちらでは、宮沢賢治の名作「銀河鉄道の夜」あらすじや、読書感想文を書く際に参考していただけそうな着眼点(切り口)の例読書感想文の例文を紹介しています。

おもに中学生や高校生が、1200字、1600字、2000字(原稿用紙3枚、4枚、5枚)の読書感想文を書く際に役立つことを目指し掲載しています。

~~目次~~~~~~~~~~~~~~~
「銀河鉄道の夜」早わかり
あらすじ+(全文と全文朗読)
感想文のポイント
読書感想文の例文【5作品】
書きやすい読書感想文の構成の例

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 

「銀河鉄道の夜」早わかり・・・

10分で分かるあらすじ動画

オリラジ中田さんによる深堀り解説

「銀河鉄道の夜」あらすじ+(全文と全文朗読)

学校の午後の授業で、先生が銀河の話をした。町は今夜は星祭り(ケンタウルス祭)だ。青いあかりをつけたカラスウリを川に流すならわしだ。

下校後、ジョバンニの友だちのカムパネルラたちは、星祭の相談をしているが、ジョバンニは印刷所で働いているため、相談に加われない。ジョバンニは印刷所で仕事をすませ、銀貨をもらい家に帰った。

ジョバンニの家では、お母さんが病気で寝ている。お父さんは、北の海へ漁に出て帰ってこない。

ジョバンニは、母親の飲む牛乳をもらいに牛乳屋へ行くが、店の人がいないので、あとで行くことにした。帰る途中、ジョバンニはカラスウリのあかりをもって川へ行く、カムパネルラやゼナリたちに会い、からかわれた。ジョバンニは逃げるように丘の上にのぼった。ジョバンニは丘の草原でいつか眠ってしまった。

ジョバンニは銀河ステーションから、銀河鉄道の列車に乗っていた。前の席にカムパネルラがいた。カムパネルラの顔は少し青ざめていた。

二人は、それから美しい景色の海岸や白鳥駅を通り、南十字へ行った。列車の中であった、かわいい姉弟も、サウザンクロスでおりた。ここには美しい十字架がかがやいていた。どこまでもいっしょに行こうとジョバンニがカムパネルラにいったとき、カムパネルラの姿はなく、ジョバンニは夢からさめた。涙を流していた。

ジョバンニが急いで町におりると、カムパネルラが、ザネリを助けようとして川に落ちたことを聞いた。カムパネルラのお父さんが、心配して川のそばにいた。ジョバンニは、カムパネルラはもう、あの銀河のはずれにしかいないと思った。(新潮文庫より)
 

「銀河鉄道の夜」本の章立て

午后の授業
銀河系の仕組みについての授業。天の川について先生に質問されたジョバンニは、答えを知りつつ気もそぞろに答えることができない。次に指されたカムパネルラも、答えない。

活版所
放課後、ジョバンニは活版所で活字拾いのアルバイトをする。仕事を終えたジョバンニは、パンと角砂糖を買って家へ急ぐ。


家に帰ると牛乳が未だ配達されていない。
病気の母親と、北方へ漁に出たきり帰ってこない父のことやカムパネルラのことなどを話す。ジョバンニは、銀河のお祭り(烏瓜のあかりを川へ流す)を見に行く、と言って家を出る。

ケンタウル祭の夜
牛乳屋(牧場)に行くが、出てきた老婆は要領を得ず、牛乳をもらえない。途中で、同級生のザネリたちに会い、からかわれる。一緒にいたカムパネルラは気の毒そうに黙って少し笑っている。銀河のお祭りを楽しむザネリたちと別れて、ジョバンニは一人町外れの丘へ向かう。

天気輪の柱
天気輪の柱の丘でジョバンニは一人寂しく孤独を噛み締め、星空へ思いを馳せる。

銀河ステーション
突然、耳に「銀河ステーション」というアナウンスが響き、目の前が強い光に包まれ、気がつくと銀河鉄道に乗っている。見るとカムパネルラも乗っていた。

北十字とプリオシン海岸
北十字の前を通った後、白鳥の停車場で20分停車する。二人はその間にプリオシン海岸へ行き、クルミの化石を拾う。大学士が牛の祖先の化石を発掘している現場を見る。

鳥を捕る人
気のいい鳥捕りが乗車してくる。彼は、鳥を捕まえて売る商売をしている。ジョバンニとカムパネルラは鳥捕りに雁を分けてもらい食べるが、お菓子としか思えない。突然鳥捕りが車内から消え、川原でさぎを捕り、また車内に戻ってくる。

ジョバンニの切符
アルビレオの観測所の近くで検札があり、ジョバンニは自分の切符だけが天上でもどこまででも行ける特別の切符であると知る。鷲の停車場のあたりで、鳥捕りが消え、青年と姉弟が現れる。彼らは、乗っていた客船が氷山に衝突して沈み、気がつくとここへ来ていたのだという。かおる子(姉の少女)とは長い会話を交わす。

蠍(さそり)の火を眺めながら、かおる子は「やけて死んださそりの火」のエピソードを話しはじめ、ジョバンニたちは、黙ってそれを聞く。その後列車はケンタウルの村を通過する。少女たちと別れ際に、「たった一人の本当の神様について」宗教的な議論が交わされる。

天上と言われるサウザンクロス(南十字)で、大半の乗客たちは降りてゆき、ジョバンニとカムパネルラが残される。二人は「ほんとうのみんなのさいわい」のために共に歩もうと誓いを交わす。その直後、車窓に現れた石炭袋を見たふたりは、非常な恐怖に襲われる。ジョバンニはカムパネルラをはげますが、カムパネルラは気の乗らない返事をしたのち、「あすこにいるのぼくのお母さんだよ」といい残し、いつの間にかいなくなってしまう。

一人丘の上で目覚めたジョバンニは町へ向かう。今度は牧場で牛乳をもらい、川の方へ向かうと「こどもが水へ落ちた」と知る。同級生から、カムパネルラは川に落ちたザネリを救った後、溺れて行方不明になったと聞かされる。カムパネルラの父(博士)は既にあきらめていた。博士は、ジョバンニの父から手紙が来た、もう着く頃だとジョバンニに告げる。ジョバンニは胸がいっぱいになって、牛乳と父の知らせを持って母の元に帰る・・・。

————————————————–

「銀河鉄道の夜」は著作権が切れているため、ネット上で無料で読むこともできます。

宮沢賢治「銀河鉄道の夜」全文(青空文庫)

プロのナレーターによる全文朗読版もYouTubeにあります。読み上げ速度は1.5倍速ぐらいがちょうどいいでしょう。

感想文のポイント

     
    以下のような着眼点を参考に自身の考え方を述べてみるのはいかがでしょうか?

    作者の宮沢賢治はこの作品を通してどのようなメッセージや教訓を読者に与えようとしたのでしょうか?自分の考えを、そのように感じた部分を引き合いに出し述べてみましょう。

    人間にとっての「幸せ」「幸福」とはどのようなものだと考えさせられたか?

    カムパネルラは、ゼナリを助けようとして川で溺れ死んでしまいましたが、この点を取り上げ「自己犠牲」を中心に自分の考えを述べる感想文もよいでしょう。

    この作品は、大人でも読み方や解釈に違いが出る作品ですが、作品中で発せられる登場人物の言葉を紹介しつつ、その言葉についてどのような解釈をしたかを発表する感想文もよいでしょう。

    登場人物の価値観や判断の迷いについて取り上げ、その部分について自分はどのように感じたかを中心に述べる感想文もよいでしょう。

    この作品が長く読み継がれている理由はどんなところにあるでしょうか?その点について自分の意見を述べるのもよいでしょう。

    「もしこの物語の続きを考えるなら」という切り口で、この作品についての自分なりの続きを発表する感想文もよいでしょう。

    「この本の話を父に話すと、父は・・・」というように、家族の話してくれた言葉を紹介しつつ、その言葉について考えさせられたことを感想文の中心にする書き方もよいでしょう。自分だけでは思いつかない「意外な展開の感想文」にすることができます。
     

    ・・・これら中からいくつかを引き合いに出し「自分の考え」や「過去の思い出」などとからめて解説してみましょう。

 
学校などの教育機関が与える課題は「教育的成果」を期待してのものです。そのため、教育機関からの課題としての読書感想文を書くにあたっては「どのような学びを得ることができたか」を感じ取れる感想文にすることが大切です。

つまり、教育機関からの課題としての感想文は・・

感想文を書きなさい=どのような学びが得られたかを書きなさい

 
・・の意味だからです。そのような方向性(どのようなことが勉強になったか)を意識して、伝える内容や構成を考えてみましょう。
 

「銀河鉄道の夜」読書感想文の例文【5作品】

以下に5作品をご紹介いたします。文字数はまちまちですが「書き方」「着眼点」の参考にしていただければと思います。

「銀河鉄道の夜」を読んで①

私はこの夏、小さな勉強部屋の中で、大きな感動を得ることができました。この物語は、とても幻想的で不思議な物語でした。そして、透き通っている物語でした。
読書感想文の書き出し例(入賞21パターン)

私ははじめ、銀河鉄道とは、乗っている人々が幸せを求めるために乗る鉄道と思い読み始めました。しかし、読み進めていくと、現実の世界で死んでしまった人々の「魂」が乗る鉄道ではないかと思えてきます。

貧しい家庭のジョバンニという少年が、親友のカムパネルラと一緒に星々をめぐる銀河鉄道の旅に出ます。夢の中の出来事のような、それでいて、いろいろなことが起こり、たくさんの人々と出会い、不思議な話をするのだから、なかなか混乱する物語でもありました。

「死」のイメージは、悲しくてつらくて恐しいことなのに、この乗客の人々は、静かで美しく、楽しそうとさえ思えます。どこか「ひんやりとした透明な感じ」がするのは、銀河という宇宙空間を旅するからでしょうか?また、窓から見える景色や、いくつかのできごとも透き通っています。

突然、りんどうの花が咲き始めたり、とうもろこし畑に変わったり、不思議なできごとの連続ですが、一度はこんな世界に行ってみたい、こんな鉄道に乗ってみたい、とワしてきます。でも乗り続けると、どこに行ってしまうのか?地上に帰れなくなるのか?と少し恐ろしくなります。

「幸せ」を求める物語です。とくにさそりの話は印象的でした。自分を犠牲にしてイタチを生きのびさせなかったことを後悔して、「まことのみんなの幸せのために私の体をお使いください」とさそりが願ったところ、真っ赤な美しい火になって夜の闇を照らすようになった話です。

ジョバンニは、「僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸せのためなら僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない」といい、カムパネルラは涙をうかべて「うん、僕だってそうだ」といいます。

でも、本当の幸いとはなんなのでしょう?平和や自由、そういったお金では買えないものなのか、友情や愛情といった人との良い関りのことなのか。それともみんなが幸せになるには一つの幸せでは足りないのでしょうか?とても難しく、私には詳しく分かりません。

カムパネルラは川で溺れているザネリを助けますが、自分は行方不明になってしまいます。自分を犠牲にしてまで人を助けようという気持ちは、とても尊いものです。私なら、自分の幸せを第一に考えてしまい、他人のことはその次になってしまうと思います。

内気でおとなしいジョバンニが、そこまで他人の幸せのために決心していることは、すごいと思いました。

友情と愛情の物語です。ジョバンニとカムパネルラは親友ですが、仲の良いことを言葉で伝えあえない「もどかしさ」があります。銀河鉄道に乗っているときは、これ以上の親友はいないだろうなと思うほどの気持ちの通じ合いがあります。

なぜ地上の世界でもっと助け合っていけないのか、少し疑問です。このような経験は私にもあって、本当の気持ちを言葉で伝えるのは難しく、とても共感できました。

二人ともかなりの母親思いで、カムパネルラは死んでしまった母親の幸せまで思い続け、「おっかさんは、ぼくをゆるして下さるだろうか」と問い続けます。ジョバンニは病気の母親のために、牛乳を買いに走ります。

私には大切な親友はいるのですが、母親とはかなり激しいロゲンカをしていて、なかなか素直になれません。こんなに母親思いの男の子がいるなんて少し不思議です。

科学と謎の物語です。星座の名前と正確な知識や銀河の星々の書き方、鉱石の名前と種類のこと、タイタニック号の遭難事件から暗黒星雲まで、私の知らないこともたくさん書いてありました。そして宇宙はどうなっているのだろう。神様のようなものはいるのだろうか?十字架や二本の電信柱は何なのだろう、なぜ二人は別れるのだろう、と、いくつもの謎が残ります。なにしろ「幻想第四次の銀河鉄道」なのですから。

ずっと乗っていたい「どこまでも行ける切符」を持っているのに、カムパネルラは別の世界へ、ジョバンニは地上へ戻りました。最後は少し元気に、たくましく、優しいけれど強くなっているような、そんな足どりで走っていきました。

今日、実社会では、テロや戦争など、悲しいできごとがまだ続いている国があります。宮沢賢治のように平和のこと、一人一人の幸せのことを考え、少しでも理解していれば、これから作りだしてしまう他人の不幸を減らせると思います。私は将来、幸福に満ちあふれた銀河を旅したく思います。
 

「銀河鉄道の夜」を読んで②

夏の星空をわけもなく見上げてみる。すると、そこには星の世界があった。無数の小さな星たちが白く煙ったように見える。あれが天の川か。その中にはこと座のベガやさそ座のアンタレスなどの夏の星が明るく輝き揺れている。

なんという広い世界だろう。この広い世界に比べたら自分の存在はどんなに小さいことか。毎日の生活の中で卑屈になっていた自分は非常におろかだったのではないだろうか。そんとりとめのない想いが、頭の中を駆け巡る。

かつてジョバンニも、こうやって夜空を見上げていたことだろう。僕がこの「銀河鉄道の夜」を初めて読んだのは、小学生の頃だった。ただ何気なく手にとった一冊の文庫本の中の短編小説だ。父が、アニメの「銀河鉄道999」のファンであり、DVDを何度も一緒に見た経験も、タイトルが似ているこの本を手に取らせた理由の一つかもしれない。

しかし、読み進むにつれその純粋な、そして大きな世界は、僕の心をしっかりと捕らえてしまった。この物語の主人公ジョバンニは、決して幸福な人物だとはいえない。父は遠洋漁業に行って家におらず、母は病弱でほとんど寝たきりの生活をしている。学校でも内気なため目立たず、それが原因で友達から馬鹿にされている。そんな性格の生徒は必ず学級に一人はいるものだ。周囲に自分の心を開くことができず、一人寂しく教室の隅に座っている姿はものがなしい。

しかし…

そんな彼も一人だけ心を開ける友人を持っていた。その友、カムパネルラは彼とは対照的で裕福な家庭に育ち、活発で頭もよい。その差が生むわだかまりをなくすため、ジョバンニになるべく気をつかって接していた。その姿はこの物語の作者、宮沢賢治の姿によく似ている。賢治自身も裕福な商家の出身で、貧しい農家の級友の姿を見るたびに、心を痛めていたという。賢治はそん過去の記憶のため、カムパネルラを自分の分身として登場させたのかもしれない。

ジョバンニがある夜、草の上に寝ころんで星空を見上げていると、突然天気輪の柱が銀河ステーションに変わり、いつのまにか列車に乗っていた。その列車にはカムパネルラも同乗していた。しかしよく考えてみれば銀河を走る列車などありうるはずがない。この列車はジョバンこの夢の中を走っているのだ。彼は草の上に寝ころんでいるときも、孤独や寂しさについて考えこんでいた。このようなつらい現実の世界から、何の悲しみもな夢の大空へと飛びたとうとするジョバンニの心、それがあの列車だったのだと思う。

僕らだって一度は現実世界のからをやぶり、はばたいてみたいと思ったことがあるはずだ。そんな夢の空をとぶ彼らの列車の旅は、現実世界のわずらわしさが全くなかった。人間関係の気まずさもなく、隣には大好きな親友がいる。その旅の途中でさまざまな乗客たちとの出会いに人間関係の温かさを感じ、孤独ということを忘れ、別れの中に寂しさを感じて、人に対する愛を悟る。

ジョバンニは夢の中に人間とのふれあいを求めていたのだろう。ジョバンニがこの旅の幻想から覚めると、やはり草の上で眠っていた。また現実の世界へ戻らねばならない。ジョバンニが街の方へ戻ると、大きな悲報がもたらされた。カムパネルラが川におぼれた友人を助けようとして死んでしまったのだ。今見た夢の中で共に旅してきた友はもういない。ジョバンニは悲しみを感じるよりも、むしろそんな不可解な気持ちのほうが強かったにちがいない。考えてみると、ジョバンニとカムパネルラの銀河鉄道の旅は、カムパネルラの死の世界への旅だったのかもしれない。

ジョバンニもカムパネルラも、「ほんとうさいわいをさがしにいく」といっていた。どこまでも一緒に行くつもりだったのだ。しかし天上に行く前に二人はわかれてしまった。生きている者と死に行く者との訣別を意味しているようだ。

ジョバンニは泣きながらこう思ったのだろう。本当の幸福があの天上にないとすれば、いったいどこにあるのだろうか、と。本当の幸福とは、現実の世界で生活していく中から自分がつかみとるものなのだ。苦しさや寂しさがあるからこそ幸福だって存在するのだ。

孤独な現実から逃避していたジョバンニに、カムパネルラは教えてくれたのかもしれない。本当の幸せをつかむことができるのは、生きている自分自身だけだと。

僕だって時には、夢の中へ逃げたいと思うことがある。けれども僕らは夢の世界には生きられない。やはり本当の幸福というのはあの宇宙の星にあるのではなく、人生の不幸や危機の中にあるものなのだ。

そんな苦しみの中からほのかな幸福を見つけていく。それはすばらしいことだと思う。僕らの人生はまだ長く続くだろう。その途中で思いがけない苦しみや悲しみに出会うかもしれない。しかしそんな時にも屈せずに、つねに幸福を求めて精一杯生きていくように努力したい。この本は、僕にそう思わせてくれた一冊であった。
 

「銀河鉄道の夜」を読んで③

この物語は、貧しく孤独な少年ジョバンニと、その友人カムパネルラが銀河鉄道の旅をするというものです。何よりもこの物語を素晴らしく見せるのは、二人のギャップです。ジョバンニは家が貧しく、父が密猟をして捕まったとうわさを流されからかわれる一方、カムパネルラの家庭は裕福で、人気のある人でした。

私は、こんなにも差のある二人が、決して仲良くなる訳がない、と思っていました。母が病気な上、父は行方不明、生活費を稼ぐために自らが働かなければならず、クラスメイトからは冷遇されるジョバンニはなんて不幸なのでしょう。きっと生きる希望さえもなかったと思います。

鉄道から降りるまでは。事実、鉄道に乗るまでは、「黒い」「冷たい」などと、いかにも死を連想させる表現があるのに対し、降りた後は「白い」「生まれ立て」などと、生きることの希望を連想させるまでになっているのです。「それでは、どのようにして列車の旅は始まったのでしょうか。

アルバイトから帰り、ジョバンニは次のアルバイトへ向かおうとします。しかし途中でクラスメイトに冷やかされ、一人、星空を眺めていました。するとその瞬間頭の中に「銀河ステーション、銀河ステーション」という声がよぎり、気がついたら鉄道に乗っていたのです。

宮沢賢治は多くの作品で神秘的な表現を用いますが、この物語ではそれが特に強調されています。「天気輪の柱」「ころんころんと水の湧く音」「億万の蛍烏賊の火を一ぺんに化石にさせて」などと、独自の表現も多彩に扱われていました。

この後ジョバンニはカムパネルラに会い、一緒に鉄道の旅を続けることになります。途中でジョバンニ達は様々な人たちに出会い、生きる希望を取り戻します。しかし、不思議なことに出会った人たちはみんな消えてしまうのです。そして、しまいにはカムパネルラまでも消えてしまいます。

ジョバンニが鉄道から降りると、カムパネルラはクラスメイトを助けたかわりに溺れてしまって行方不明になっていたのです。ジョバンニが嘆いていると、伝言が来ます。

ジョバンニの父が見つかったのです。私は二人が最高の友達だったと思います。ジョバンニの父が見つかったのもカムパネルラからの「最後の贈り物」だったのかもしれません。

さて、ここで一つの疑問が湧きました。この「銀河鉄道」は一体何だったのでしょうか。人は生まれた時から死へ向かって走っている、それを伝えたかったのかもしれません。あの鉄道に乗っていた人もみな死んでいたのだと思います。電車の中でカムパネルラはこう言っていました。

「だれだって本当にいいことをしたら、いちばん幸せなんだねえ」と。彼本人も、人のために尽くす命を終えて、くいはなかっただろうと思います。他の人から見れば「バカげている」と感じるかもしれないですが、よくよく考えてみると、「カムパネルラのした行動は正しかった」と思えてくはずです。

人が人のために行動することがいかに大切か、よく分かりました。小さなことでも、もう少しこうすれば良かったのにな…と思うことがあります。半年ほど前、電車で私の隣に座っていた人が降車しました。

ふと見ると、その人が座っていた席に折りたたみ傘が…。「声をかけないと」とは思ったものの勇気が出ず、電車はその駅を後にしてしまいました。案の定、しばらくして雨が降り出してしまいました。「あの人は大丈夫かな」とその時はとても心配しました。それと共に、「たった一声さえかければ…」と後悔もしました。確かに、周りから見ればたわいもないことです。しかし、私は後悔したのです。「その人が気付くのを待つ」のではなく、「自ら声をかけ」れば良かったのです。

「しようしよう」と思っていても、それを行動にうつすのは容易ではありません。だから私は、カムパネルラの行為が果敢に思えました。「賢治の作品は、アンハッピーエンドなものが多いです。「人生はそう甘くない」と訴えているのだと思います。反面、困難に出会ったからといって現実逃避してはいけない、また、生きることはすばらしい、必死に生きようとすればやがては報われる、そうも言っているのです。

この本を読んで、私は「人の役に立つ」という生き方を改めて考え、また自分と他人が共生できる生き方をするために、自分中心の考えを捨てて変わっていきたいと思いました。この本は、それを私に感じさせてくれた素晴らしいものだと思っています。
 

「銀河鉄道の夜」を読んで④

「生と死について」・・この作品を読んで強く感じた事である。人間は常に幸福を求め生きている。しかし実際のところ、何が本当の幸福なのかは誰にも分からないものである。この「銀河鉄道の夜」を読むことでその答えが明確に導き出されるわけではないのだが、宮沢賢治の中にあった「生と死について」の想いが私に本当の幸福とは何かを深く考える切っ掛けをくれることになったことは確かだ。
読書感想文の書き出し例(入賞21パターン)

まず、私が注目したのは作品の舞台の中が「宇宙」という点である。ジョバンニは丘の上で寝てしまうわけだが、その夢の中でカムパネルラと共に死への旅を経験する。ここで考えるのが、「夢」「死」「宇宙」ということである。これらは未だに解明されていない不思議なものであり、誰もが追及し続け止まないものである。

宮沢賢治がこの無限の可能性が秘められている宇宙を舞台にし、「夢」「死への旅」とを重ねたところは、とてもスムーズな手法であったように感じた。言い換えれば「死への旅」「夢」という現実離れした世界を宇宙という実際に存在する世界に置き換えているのは、巧な方法であると思えたのだ。

さて、この「夢」の中でジョバンニは列車に乗りカムパネルラと遭遇するわけだが、ここでみんなの話を聞く。「みんなはね、ずいぶん走ったけれども遅れてしまったよ。ザネリもね、ずいぶん走ったけれども追いつかなかった。」という台詞があるが、このとき既にカムパネルラは死んでいたのだ。

「ぬれたようにまっ黒な上着を着たせいの高い子供が、」という部分もあるが、この文章から溺死ということを感じ取ることが出来る。みんなが遅れたというのは、助けようとしたけれども助けられなかったことや、ザネリも死の世界には行かなかったこと、つまり生きて助かったことを意味している。

これは物語を最後まで読み続けていると意味が分かるのだが、このような言い回しが非常に面白い。まるでみんなが列車に乗る事をを目的としていたような、まるでカムパネルラだけが自分から「死」を選んだように感じられる。たしかに人間は死への旅を送っている。

この世に生を受けてから死への旅は始まっているのである。誰もが順番待ちで、列車の到着を待っているのかもしれない。「競争」という言葉で表現するのは不適切かもしれないが、物語中で使われている「走ったけれども追いつかなかった」という言い回しは、案外その通りなのかもしれないと思った。

しばらく列車が進むと、カムパネルラは母のことを想い「ぼくをゆるしてくださるだろうか」と心配に思う。母の幸せのためなら何でもする、本当に良いことをしたら母は自分のことを許してくれるだろう、と言う。ここで「幸福」について考えるわけだが、カムパネルラが友人のザネリを助けるために死んでしまった事に注目する。

後にさそりの話が出てくるが、さそりは何の役にも立たないくらいなら、いたちの餌になってやればよかったと後悔する。家庭教師と小さい姉弟は、他人を押しのけてまで生きようとは思わず死んでいった。この物語の中には、こういった「誰かのためならば死ぬことができる」という強い想いが表現してある。この想いこそが、宮沢賢治の言う「幸福」ではないだろうか。

そもそも幸福とは、他人が判断して決めることではない。家庭、名声、地位、お金、愛などのどれにもっとも人生の充実を感じるかで、その人の幸せが変わってくる。故に、人の幸せは決して自分の物差しでは量れない。一種の自己満足だと思う。

物語の中でジョバンニが鳥捕りの事をかわいそうに思い、この人の幸せのためならば河原に立って百年鳥を捕り続けてもかまわない、といった部分を読んだとき疑問を感じた。なぜジョバンニが人の幸せを心配する必要があるのだろうか。

価値を見出し、やりがいのある仕事に就き充実した生活を送っていれば、それはその人にとっての幸福と認めてよいのではないか。するとジョバンニの回想に「ほんとうにあなたのほしいものは一体何ですか、と聞こうとして」という一文があった。ジョバンニは単にその人の仕事が好きになれず、鳥捕りをかわいそうに思ったのではない。生き物を捕まえてはせいせいしたと言ったり、人の切符を横目で見ては褒めだしたりといった、そのような滑稽な態度をとっている彼が気の毒に思えたのだ。

彼が満足している今の生活に疑問を感じ、今は気付いていないかもしれないがもっと他の幸福があるのではないか、と訴えかけようとしている場面なのだと思った。他人には人の幸福をとやかく言う資格などはないが、真実が見えていない人にそれに気づくきっかけを与えることは可能なのだ。

幸福というものは、日常のあらゆる場面に存在する。ただ、それに気付くことができるかできないかで、生活の充実感も変わってくる。宮沢賢治はこの「銀河鉄道の夜」という作品を通して、「相手の幸福を願う事は、自分も幸福になれる」ということが言いたかったのだと思う。そして、本当の幸福を見つけることは、「生きる意味」「死ぬ意味」を発見すことに繋がるのだというメッセージが込めた作品のように感じさせられた。
 

「銀河鉄道の夜」を読んで⑤
 
宮沢賢治の作品はどれも心に優しい。彼の作品は、生きているものの美しさや艶やかさを独自の文章で書きあげる。おそらく彼は、命があるもの全てを愛していたのだろう。使っている言葉の一つ一つが美しい生命を含み、私の心に柔らかく脈打つように響いてくる。そういった彼の作品の中でも特にこの物語には、私を惹きつける特別な何かがあったようだ。

主人公はジョバンニ。彼は気が弱くて同級生にからかわれがちだ。母は病気で寝たきり、父は漁へ行ったきりで帰ってこない。しかし、貧しさや言いようのない孤独感の中で、毎日を懸命に、そして、ひたむきに生きている。

親友のカムパネルラは裕福な家庭でありながら、ジョバンニの心の痛みを感じてくれる。そんな二人を乗せた汽車は、いつの間にか銀河の中を走り続けていた。停車場や星の地図、それに天上へ行ける切符など、必要なものは全て用意されている。

銀河の美しい不思議な世界は、時々現実の自分の姿さえ忘れさせた。天の川の水は、ガラスよりも水素よりも透き通っていて、ちらちらと紫色の細やかな波を立てて光り、声もなくどんどん流れてゆく。また、河原の砂の中では、水晶が小さな火となって燃えている。

物語は全く夢のような話の内容なのに、なぜかこの風景は私の脳裏に鮮明に描きだされる。知らない間にこの世界に引き込まれている。自分もジョバンニやカムパネルラと一緒に、銀河の中を旅している気にさえなっていた。

どこからともなく車中に現れ、いつの間にかいなくなってしまう優しくて、暖かくて、でもどこかで深く悲しんでいるような不思議な人々との出会い。彼らの印象深い言動と、彼らの幸せを想うジョバンニの優しさに、私は何度も涙が溢れそうになる。

人間は優しさに触れる度、何かしら泣きたくなるものなのかもしれない。川の向こう岸では蠍座が、音もなく明燃えて夜空の道しるべとなっている。この蠍は昔、バルドラの野原で小さな虫を殺して食べていたそうだ。

それがある日、いたちに命を奪われそうになったり、慌てて逃げ、井戸の中に落ちてしまった。そして溺れ始めたその瞬間、初めてたくさんの命を犠牲にした自分の罪の大きさに深く苦しみ、今度は「まことのみんなの幸」の為に自分の体を使うよう祈ったという。

ジョバンニは言う。「僕はもう、あさそりのように、ほんとうにみんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない。」自分の体をみんなの幸の為に投げだしたが、そしてみんなの幸の為に生きようとするジョバンニが、私は羨ましくてたまらない。他人の痛みを感じとれる繊細さ。他人の幸を願って涙を流す純粋さ。どれも私にはないものばかりだから。

この物語は、私に度々「ほんとうの幸福」とは何かと問いかけてくる。今まで私は、「幸福」の意味を特別深く考えたこともなくまたそんな風に考えるきっかけもなかった。私の感覚では、何かの欲求が満たされた時、よく使う言葉。しかし、そう思っていてもちょっと考えさせられてしまう、この言葉の重み。

いつの間にか現れた博士が言う。あらゆる人の一番の幸せを探す為には一心に勉強しなければいけない、と。一瞬、いろいろなことが頭の中を駆け巡った。博士の言っていることは本当なのかどうかわからない。でも、不意に胸が締めつけられる。苦手なものをつい敬遠してしまう自分の臆病さが、たまらなくもどかしい。

地球上の一人一人が、別々に違う幸せを願っている。私だってその中の一人だ。でも、きっと「幸せ」とは、私達が容易に言葉として言語化できるほど単純ではなく、想像以上に曖昧で不可解なものなのだろう。ジョバンニは「みんなのほんとうの幸」の価値をはっきり捕らえることができないまま現実へ戻って行く。

もちろん、この私もまだ充分に理解できたわけではない。しかし、ただ無意識に感じたことは、みんなの幸せが一人一人の幸せを創りだすということだ。生きる為に人間が求めていくべきもそれが二人の言う「みんなのほんとうの幸」であるということ。だから、私はジョバンニと一緒に「僕はきっとまっすぐに進みます。きっとほんとうの幸福を求めます。」と誓わずにはいられないのだ。

今、透明で純粋な何かが、私の心に確実に浸透してきている。銀河鉄道は私達の夢の鉄道であり、忘れ難い心の鉄道だ。この作品のお陰でこれからの私は、今までと違った想いで星空を仰ぐようになるだろう。そして、今までとは違った想いで幸せを追い求めることができるだろう。そんな気にさせてくれた一冊であった。
 

書きやすい感想文の構成の例(書き方の順序)

書きやすくまとめやすい標準的な読書感想文の構成例をご紹介いたします。

感想文は「順序だてて説明するもの」だと思えば比較的楽に書けるものです。

①なぜこの本を選んだのかの説明
 ⇒ 読書感想文の書き出し入賞21パターン 
②大まかな内容を手短かに説明
③特に気になった箇所やフレーズを紹介(1)
 なぜ気になったのか最近の出来事や自身の思い出とからませて説明
④特に気になった箇所やフレーズを紹介(2)
 なぜ気になったのか最近の出来事や自身の思い出とからませて説明
⑤特に気になった箇所やフレーズを紹介(3)
 なぜ気になったのか最近の出来事や自身の思い出とからませて説明
⑥著者がこの本を通じ伝えたかったことを想像し考えを書く
(伝記の場合はその人のどの点が立派だったのか)
⑦この本を読む前と読んだ後とでどのような考え方の変化があったか
 この本によって発見したことや反省させられた点など「本からの学び」を説明
 

順序だてて説明すればよい


    読む前の説明→ 「この本を選んだ理由」「読む前の私」「本の概要」などの説明
    読書中の説明→ 読んでいる最中に「感じたこと」「思い出したこと」などの説明
    読書後の説明→ 「学んだこと」「反省したこと」「読んだ後の私」などの説明
【最重要ページ】感想文を書くにあたっての「コツ」「構成」「話の広げ方」などの詳細は下記のページに掲載しています。(気になる審査基準も掲載!)


読書感想文の書き方のコツ
(テンプレートつき)

書き方の参考用に、過去の入賞作品の紹介ページも作りましたのでご活用ください。

 

物語には人を動かす力がある

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https://xn--w8j5cw67p9eaz0twix0fea7733f.com/6262/feed 0
「告白」あらすじと読書感想文の例文【大特集】 https://xn--w8j5cw67p9eaz0twix0fea7733f.com/8173 https://xn--w8j5cw67p9eaz0twix0fea7733f.com/8173#respond Wed, 17 Jan 2024 13:43:20 +0000 https://xn--w8j5cw67p9eaz0twix0fea7733f.com/?p=8173 こちらでは、湊かなえさんのデビュー作にして最大のヒット作である「告白」あらすじと、読書感想文の例文【5作品】紹介しています。

おもに中学生高校生が、1200字1600字2000字(原稿用紙3枚、4枚、5枚)の読書感想文を書く際に役立つことを目指し掲載しています。

~~目次~~~~~~~~~~~~~~~
「告白」あらすじ
「告白」読書感想文【例文5作品】

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 

「告白」あらすじ

あらすじと読みどころ

終業式を迎えたある日、教師を辞める決意をしたシングルマザーの教師、森口が、生徒たちに、娘の愛美の死と、その原因が事故ではなく、このクラスの生徒によって殺害されたものであることを告げます。

愛美は、森口とHIV感染者である父・桜宮の間に生まれた子で、桜宮は愛美が社会の偏見に苦しむことを避けるため、結婚を拒否していました。森口は一人で愛美を育てることを決心し、保育所と隣人の竹中の助けを借りながら教師の仕事を続けます。しかし、竹中の入院により、愛美は学校での待機時間が増え、ある日プールで死体として発見さたのでした。

彼女は、未成年者に対する法の不備を指摘し、自らの経験を通して訴えます。森口は愛美の遺品から、愛美が生徒によって殺された可能性があることを突き止めます。

愛美は感電装置を仕込んだポシェットを受け取り、それによって感電し気絶します。犯人は、森口の生徒であるAとBでした。Aが感電装置の開発し愛美を感電させ気絶にいたらせ、Bは気絶とは気づかず愛美をプールに投げ込み、事件を偽装しようとし、それにより愛美は結果として溺死してしまったのでした。

森口は事件の真相を警察に伝えず、AとBに対する復讐を計画します。彼女は桜宮のHIV感染した血液をAとBの牛乳に混入したことをクラスのみんなの前で発表します。しかし‥‥。

章の中盤では、ABがそのような行為に及んだ背景としての、歪んだ考えの「親」の様子が描かれています。結果として彼らの母親は我が子によって殺されてしまうという結末を迎えます。

物語は、各章ごと特定の登場人物によるモノローグにより構成されています。

第一章 聖職者
第二章 殉教者
第三章 慈愛者
第四章 求道者
第五章 信奉者
第六章 伝道者

復讐心、親子関係、教育論、家庭と社会、偏見、いじめ、未成年犯罪への法的対応など、複雑な要素が絡み合っている本作は「物語を捉える着眼」によって作品の与える内容が異なるはずです。

作者の抱く「本当の怒りの対象」は何だったのか?‥‥この切り口で自分の考えを述べる感想文もよいでしょう。

以下の約6分の動画は「復讐劇をベースにした教育論」だという着眼を語っている優秀な動画です。(同感)


 

「告白」読書感想文【例文5作品】

以下に感想文の例文をご紹介いたします。文字数はまちまちですが「書き方」「着眼点」の参考にしていただければと思います。

便利な文字数カウンター

「告白」を読んで①

「犯罪や不適切な行為には、自己を客観視できない主観的な考えがある」本書を読み終え私が得た教訓がこれであった。
読書感想文の書き出し例(入賞21パターン)

「愛美は死にました。しかし、事故ではありません。このクラスの生徒に殺されたのです。」と、愛娘を亡くした教師の信じられない告白からこの物語は始まった。

物語は全編モノローグで構成されており、語り手が一編ごとに「クラスメイト」「加害者」「加害者の母」などへと次第に変化していく。それぞれの登場人物の視点が交錯していく中で事件の真実が次第に浮き彫りになってゆく。

一体、殺人事件の真相は何なのか。誰が何を思うのか。読者は息つく暇もなく衝撃のラストへと誘われる。

決して爽快な読了感とはいえない考えさせられる結末は、この小説の読者に強烈に焼きつけられるに違いない。

タイトルの「告白」の辞書的な意味は「心の中に思っていたことや隠していたことを打ち明けること。また、そのことば。」であるが、この小説にはこの定義に当てはまるような完全な告白は存在していない。

多くの登場人物はそれぞれの信じる真実を読者に投げかけてくる。教師の愛娘の死というたった一つの事実があるにも関わらず、三者三様の解釈が存在する。そこには絶対的な善も存在しなければ、絶対的な悪も存在しない。あるのは心の奥深くの闇だけである。

その中に、一般的にいわれるような正義や倫理観の押し付けは一切ない。逆を言えば、どこまでも素直で人間的といえる。だからこそ読者は強い衝撃を覚える。

なぜなら、読者は知らぬ間に加害者、被害者を含めその他大勢の登場人物の告白に不思議と共感を抱いてしまうからである。彼らの行動や発言は形は違えども個との戦いである。そこには決して頭で考えるような理想のシナリオはない。

教師の告白を受け、正義感に突き動かされるクラスメイト。犯人の生徒に対するその行いは客観的に考えれば単なる陰湿ないじめだ。そもそも正義というにはあまりにも稚拙な行いである。

だが、彼らの行動に正義という大義名分が加わることでそれは一気に正当化される。誰も疑問を抱かなくなる。それはある意味において計り知れないほどの人間味であふれているといえるかもしれない。

ここではクラスメイトという物語の登場人物をとりあげたがその他の人物も同様である。人間は誰しも善だけで構成されている潔白な存在ではない。嫉妬、憎悪。人間の心というものはロジカルに構成されるものとはいえない。

本来喜ぶべきことが喜べなかったり、悲しむべきことを悲しまなかったり。すでにあるべき論で感情を語ろうとしている時点で固定観念に縛られているといわれればそれまでだが人間はある程度理性や倫理観で感情をコントロールしている。

だが、この小説の登場人物はある意味においてはその枠組みを越えてどこまでも正直だ。自己の充足感を得るためには手段を選ばない。善悪を除いて、それは自己顕示であったり、責任転嫁であったりする。

この小説のような事件は実際に起こらないとは言い切れない。もし、自分の身内が殺されたら、その現場に居合わせたら、そう考えながら本書は読むべきだと思う。この小説は決してこの世の中に存在する既存の倫理観を押しつける道徳書ではない。むしろ実際に起こりえる内容を書いた危機管理書ともいうべき内容の本なのだ。

これを契機に人間の不条理さ、恐ろしさを単に他人ごととしてとらえるのではなく、自分の内にも存在する闇であることを認識することが必要なのではないだろうか。

「犯罪や不適切な行為には、自己を客観視できない主観的な考えがある」というのが、私が読了後に感じた教訓であると冒頭で述べたが、さまざまな悪しき結果を阻止するためには、その原因や結果が発生する前に「心を客観視するすべ」について学んでおくことが大切だと思う。

その意味において、本書のような教訓に満ちた本を読みこむことは、自己の心が発する「告白」を正しい方向につなげる一助になるに違いない。
 

「告白」を読んで②

この本の感想を一言でいえば「これまで私の読んだ小説の中で最も“胸糞わるい小説”」である。

「愛美は死にました。しかし、事故ではありません。このクラスの生徒に殺されたのです。」冒頭、愛娘を亡くした教師の信じられない告白からこの物語は始まる。

物語は各編ごと、登場人物たちの語り口調で構成されており、語り手が次第に変化していくのだが、それぞれの登場人物の視点が交錯していく中で事件の真実が次第に浮き彫りになってゆくことになる。

一体、事件の真相は何なのか?・・・誰が何を思うのか。読者は息つく暇もなく衝撃のラストへと誘われてゆく。決してハッピーエンドとはいえない、その「胸糞わるい読了感」は、この小説を読了した読者の心に強烈に焼きつけられるに違いない。

『告白』の辞書的な意味は「心の中に思っていたことや隠していたことを打ち明けること。また、そのことば。」だが、この小説にはこの定義に当てはまるような完全な告白は存在していない。

多くの登場人物は「それぞれの信じる真実」を読者に投げかけてくる。教師の愛娘の死というたった一つの事実があるにも関わらず、三者三様の解釈が存在する。そこには絶対的な善も存在しなければ、絶対的な悪も存在しない。あるのは心の奥深くの闇だけである。

一般的にいわれるような正義や倫理観の押し付けは一切ない。どこまでも素直で人間的といえるのだ。だからこそ読者はそこに強い葛藤や言語化できない「何か」を覚える。なぜなら、読者は知らぬ間に加害者、被害者を含め、その他大勢の登場人物の告白に不思議と共感する部分を発見してしまうからである。

彼らの行動や発言は形は違えども「己との戦い」であり「つじつま合わせ」である。そこには決して頭で考えるような理想のシナリオはない。教師の告白を受け、正義感に突き動かされるクラスメイト。犯人の生徒に対するその行いは客観的に考えれば単なる「いじめ」である。

彼らの行動に正義という大義名分が加わることで、その「いじめ」は一気に「正当化」される。そして、誰も疑問を抱かなくなる。それはある意味において人間らしいとも思えるものだ。

ここではクラスメイトという物語の登場人物をとりあげたが、その他の人物も同様である。人間は誰しも善だけで構成されている潔白な存在ではない。

嫉妬、憎悪。人間の心というものは論理に基づき構成されるものとはいえない。本来喜ぶべきことが喜べなかったり、悲しむべきことを悲しまなかったり。すでにあるべき論で感情を語ろうとしている時点で固定観念に縛られているといわれればそれまでだが、人間はある程度理性や倫理観で感情をコントロールしている。

だが、この小説の登場人物はある意味において自分に正直だ。自己の充足感を得るためには手段を選ばない。それは自己顕示であったり、責任転嫁が原因なのだろう。これは多感な時期である思春期の特徴といえるかもしれないが決してそれだけで語りつくすことはできない。

生活の上で感じる空虚さ、飢餓感。そうした感情を自己完結させることができない結果といえるかもしれない。

読者が読後に感じるこの感情を文字を通して伝えることは難しい。特定の登場人物に同情を抱くかも知れないし、反対に嫌悪感を抱くかも知れない。だが、この小説のような事件は実際に起こらないとは言い切れない。

毎日のニュースでも、殺人事件の多くは「なぜそんなことで」と思える些細な理由ばかりではないか。大きく捉えれば、ロシアとウクライナの戦争も、自分に都合の良い考えの押し付けでしかないように思えるはずだ。そうした社会の現状を考えれば、自分自身の生活と置き換えて考えることも容易であるに違いない。

この小説は決して世の中に存在する既存の倫理観を押しつける道徳書ではない。この「胸糞わるい読了感」を心に印象付け、人間の不条理さ、恐ろしさを単に他人ごととしてとらえるのではなく、自分の内にも存在する闇であることを認識するための小説ではなかろうか。この小説を通して自分の心に巣くうもう一人の自分の告白に耳を傾けてみることが必要なのだと思う。
 

「告白」を読んで③

この『告白』という小説は、自身の子供を校内で亡くした女性教師の森口悠子が「愛美は事故で死んだのではなく、このクラスの生徒に殺されたからである。」という終業式のホームルームでの告白から物語が進んでいく。

各章では、犯人である2人の生徒や熱血が正義であると思っている先生、過保護な犯人の母親などの登場人物それぞれのズレが心情表現や行動などで表現されており、それが何とも言えない「気持ち悪さ」を醸し出している。また、この小説の登場人物はだれ一人として事件後救われた描写はなく、幸せとは程遠い凄惨な結末を迎えているため、とても後味の悪い「ストレスがたまる内容」となっている。

しかし、その中でも森口の犯人に対するラストの復讐は、私の負の感情が喜んでしまうものでした。犯人の一人であるAは、DVされていたにも関わらずとても頭が良かった実母を世界で唯一尊敬していた。しかし、そのDVが原因で両親が離婚し、実母と会えなくなってしまう。そして実母が別れ際に言った「修ちゃんに何か起これば、ママは約束を破ってでも駆けつけるからね。」を信じ、実母が自分のことに気付き、来てくれるように殺人を犯そうとする。

しかし、その計画は失敗に終わり、実母は再婚し妊娠までしていることが発覚し、母親に捨てられたと思ったAは実母への復讐のため学校に爆弾を仕掛ける。しかし、学校は爆破されない。これは、森口が爆弾を解除したためである。そして森口は爆弾を解除しただけでなく、Aの実母がいる研究室に爆弾を設置しなおしていた。

Aは実母以外の人間を見下しながら生きていた。また森口の娘を殺してしまったことに対しても一切の謝罪の感情はなかった。だから、Aが唯一縋る対象であった実母をAの手で殺してしまうというラストは正直言って「それでよし」と感じてしまった。しかし読んだ後、この小説のなかで森口の夫であった桜宮が最期のときに森口に言った「憎しみを憎しみで返してはいけない」「我が子を殺されても復讐をしてはならない、罪を犯した子供たちは更生することができる」という言葉が思い浮かびました。

果たして、森口のやった復讐は彼女自身を本当に救うことができたのでしょうか。また、もし森口がただ爆弾を解除しただけだったら、Aはその後本当に更生することができるのでしょうか。私はYouTubeで日本の死刑制度について学んだことがあり、現在の日本では死刑制度に賛同している人の方が多数派だと知りました。しかし、世界では死刑制度が無い国が多く、また死刑制度を倫理的観点から廃止した国もあることもしりました。

私は、死刑制度とこの小説のラストは似ていると感じました。死刑制度も加害者への一種の復讐であると考えます。また、もし死刑制度をなくしたとしても、本当に加害者が反省し更生できるのかは分かりません。私はこの小説が現代の日本で施行されている死刑制度に対し、間接的に疑念を投げかけているように感じました。

この『告白』を読んみ、犯人の2人の持っていた思春期特有の感情には共感できるところもあり、それがフィクションでありながら不思議と現実感を生んでいて興味深く感じました。ただ嫌な気分になるだけでなく、現代の死刑制度について考えさせられたり、自分の都合の良い解釈しかしない人間の持つ闇の側面についても考えさせられたりしました。

ここで考えさせられることは簡単に結論がでるようなものではないと思います。同時に向き合っていかなければいけない問題でもあると思います。私はせめて自身が持つ闇について受け入れ、物事に対し自身の都合の悪いことに目をそらさず、向き合っていこうと思いました。
 

「告白」を読んで④

私は本書を読み、なぜか「オタク文化の広がり」が殺人事件やいじめの問題の絶対数を減らすのではないかと考えるようになった。

物語は、元教師、森口悠子は自分の受け持つクラスの生徒二人によって愛娘を殺された。そのためその生徒に復讐を果たすというものだ。

犯人の一人、渡辺修哉は母親を深く尊敬していた。母親が研究している電子工学の話を聞くのが好きだった。しかし、子育てに追われ入学の研究所へ戻ることのできない母親に虐待をくり返された末に親は離婚。父親に引き取られる。

一年後再婚した継母との仲は悪くなかったが、妊娠と同時に距離ができる。この頃から別れた本当の母親への気持ちか強くなり、母親に教わった技術を使い「発明品」を発表するサイトを作る。しかし、母親からのコメントはない。

そこで発明品を全国中高生科学工作展に出品し、注目を集めようとする。特別賞を受賞し喜ぶが、同じ日に中学生による毒殺事件か起こり、メディアは連日この事件を伝え、報道が過熱するにつれ、渡辺修哉は次のように思った。

「立派なことで新聞に名を載せても母親は気づいてくれない。もしも、自分か犯罪者になれば、母親は駆けつけてくれるだろうか・・・」これが事件の動機だ。

この物語を読み進めていく中で、私は約10年前に佐世保市で起こった殺人事件を思い出した、その事件での容疑者の動機は「人を解剖してみたかった」というものだった。おそらくこれが率直な動機なのだろう。しかし、どちらの事件も人の命を奪うには、あまりにも割に合わない動機のはずだ。

ことの大小の違い和あるが、殺人といじめは似ているように思える。どちらも加害者と被害者が存在し、どちらも被害者か傷つけられる点では同じだ。

ところが、いじめの場合、不思議なことに責任を問われるのは学校の場合が多いのだ。小、中学校までは、いじめが発覚したとき、事実上罰を受けるのは学校であり、校長であり、教師なのだ。加害者本人が厳しい罰を受けることは少ない。また、いじめの場合、特定の個人を特定するのも難しいのだろう。

「予防に勝る対策なし」という言葉があるが、その通りだと思う。殺人事件やいじめの問題があると「命の大切さ」について語られることが多い。しかし私はこの考え方は違うと思う。それらは命の問題ではなく「他人を尊重する気持ちの欠落」が根底にあると思うのだ。

他人を尊重し「距離を置いた関係の尊ぶこと」「異質な相手に理解を示すこと」それこそが人間関係の中で最も大切な心構えであり、それらの考え方を大人がもっと強く指導すべきなのだと思う。

そのように考えれば、日本の「オタク文化」は、殺人やいじめをなくす最良の文化ではないかと思えてならないのだ。なぜなら、オタク文化は個人の趣味嗜好を認め「そっとしておく文化」だからだ。いわば「多様性の価値を認める文化」だといえるものだ。

そもそも「オタク」とは、日本語における「二人称」の1つであり「あなた様」「そちら様」「お宅様」といった使われかたがされる二人称であり、「お宅」は「あなた」より、やや相手との距離をおいた「遠慮がちに相手を呼ぶ際の二人称」だ。

いわゆる「オタクの人」同士が相手を呼び合う際「お宅」という表現が多様されていたため、そういう人たちを「オタク」と呼ぶようになった歴史がある。

オタク文化とは「あなたはあなた」「わたしはわたし」というように「相手の趣味嗜好を否定することなく認め合い、お互いをそっとしておく文化」なのだ。

この考え方が広がれば、ネット掲示板での誹謗中傷や、いじめの問題、さらには些細な理由からの殺人事件にいたるまで、多くの犯罪や社会問題は縮小すると私は考えたのだ。森口先生の娘の命を奪った犯人に、多少なりとも「他人を敬う心」があったなら、この事件も発生しなかったはずだ。

私は、他人は「他人」ではなく「他人様」であり「お宅様」だと考えるべきだと思う。「敬意」や「尊重」の意識を抱かせることが、命の大切さを意識させる以上に実益に適った教育だと思うのだ。

私は本書を読み、推論ではあるが「オタク文化の広がり」と「社会問題の絶対数を減らすこと」の関連性を発見できたことは、私にとっての一種の進歩だったと思う。
 

「告白」を読んで⑤

仮に、自分の家族が、少年法によって守られた十三才の少年に殺されたら、何を思い、どうするのだろうか。未熟でも発展途上の、幼い少年の更生を願うべきか、それとも、大切な人の命を奪った殺人鬼を、法律に委ねることなく、自らの手で裁くのか。

映画化もされ映画の評判が良かったので読んだ一冊、「告白」。初めて読んだのは、もう半年も前になるが、あ少年犯罪をテーマに登場人物の独白形式で進められる物語にぐいぐいと引き込まれ、読み終えた後、あまりの「後味の悪さ」に、しばらく言葉が出なかったのを覚えている。

改めて読み返すと「命とは何だろう」そんな疑問が湧いてくる。人間の命は尊い。文中では何度も反復され、強調された言葉だ。しかし、命の尊さの本質を知る者は、この世にいるのだろうか。そもそも、本質など存在するのだろうか。

例えば、食べる、眠る、考える、などの何気ない動作は、この世に命を授かった者にしか出来ない行為である。つまり、命があることが、全ての前提である、と言える。そう考えると、一つ一つの命が個性をもち、一度失うと二度と戻らない。私は、それが命の尊さであると解釈した。

では、なぜこの世には殺人が存在するのだろうか。少年Aは「殺人が犯罪であることは理解できる。しかし、悪であることは理解できない。」と言った。大抵の人間は、物心がついた頃から、人間の命は皆平等に重いと教えられ、殺人が悪であることは本能的に知っている。だから、Aの言葉に共感する人はほとんどいないのではないかと思う。

私は、の人間性を疑ってしまった。彼には血が通っていないのだろうか、と。しかし、彼は普通の男の子だった。血の通わない殺人鬼が、アイトからのいじめに耐え、毎日学校に来るだろうか。「この先、僕はどうすれば「いんだろう。」と泣くだろうか。私には、彼が少年Aではなく、渡辺修哉としての感情をもっていると思えてならないのだ。しかし、彼は罪を犯した。何が、彼の理性を失わせ、人間性の一部を欠落させたのだろうか。

ところで、私は、愛は人生において最も大切なことだと思っている。例えば、幼少期に家族から受けた愛情は、自分の人格形成につながり、思春期に経験する初恋は、新しい自分を知る良い機会となる。そうして大人になり、恋愛をして他人から愛されることによって、自分に自信がもてる。つまり、愛を知ることで、自分自身が大きく成長するのである。

私は、この物語の登場人物は、愛に苦悩しているのではないかと思う。修哉は、幼少期に母親から児童虐待を受けていた。彼は、自分を捨てて家を出て行った母親に対し、異常なまでの執着心を抱いていた。だから、母親に気付いてほしくて、担任教師の娘を、自分の発明品で殺そろうとした。自分のことを「マザコン」と罵り、母親を侮辱した同級生を絞殺した。母親へ復讐するために、爆弾を使って大量殺人を行おうとした。

私は彼の「立派なことで名を載せても、母親は気付いてくれない。」という言葉に、深く同情するしかなかった。少年Bの下村直樹はどうだろうか。直樹は、優秀であることを求める母親の期待を裏切っている、という劣等感をもっていた。しかし、彼は、自宅が自分の唯一の居場所だと思っており、自分を守ってくれる両親のことを愛していた。

だから、自分がHIVに感染したと知ると、彼は家族に感染しないように、と潔癖症になった。そうして、精神的に追い詰められ、母親を殺してしまった。私は彼の母親に迷惑をかけたくない、楽をさせたい、という思いが、この結果をまねいてしまったのだと思う。

「僕も一緒に連れてって。」彼の言葉が、私の胸に突き刺さった。

命とは何だろう。悪とは何だろう。そして、愛とは何だろう。私は、それらの本質は価値観や基準によって決められ、人それぞれ違うのだと思う。ただ、一つだけ共通して言えるのは、それらは強く結びついている、ということだ。

例えば、修哉の強い自己顕示欲と優越感。直樹に付きまとって離れない劣等感。物語では、二人は対照的な人物として描かれているが、彼らには共通している部分がある。それは、母親への愛、あるいは母親からの愛が原因で罪を犯したことだ。

一概には言えないが、私は命、悪、そして愛が環をなしていると思えて仕方がないのだ。私は、この物語の主題は「愛」であると思う。

孤独を感じながら生きてきた修哉も、同級生の女の子から愛された。誰にも愛されない人間などいない。それが、作者の伝えたいことではないかと思う。私は、人を愛し、人から愛されることを大切に思いながら、これからの長い人生を歩みたい。
 


 


社会問題の多くは家庭の問題に起因する。
社会の平和の基礎は家庭の平和である。

この「告白」のように、時代を超えて愛されるロングセラー本の「あらすじ」や「読書感想文の例文」をお探しなら、こちらにまとめてあります。
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「カラフル」あらすじと読書感想文の例文【大特集】 https://xn--w8j5cw67p9eaz0twix0fea7733f.com/8161 https://xn--w8j5cw67p9eaz0twix0fea7733f.com/8161#respond Tue, 16 Jan 2024 14:17:33 +0000 https://xn--w8j5cw67p9eaz0twix0fea7733f.com/?p=8161 こちらでは、森絵都さんの代表作『カラフル』を題材に読書感想文を書く人のために、この本のあらすじや、参考していただけそうな感想文の例文ご紹介しています。

おもに中学生高校生が、1200字1600字2000字(原稿用紙3枚、4枚、5枚)の読書感想文を書く際に役立つことを目指し掲載しています。

~~目次~~~~~~~~~~~~~~~
「カラフル」あらすじ
読書感想文の書き方【例文4作品】

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「カラフル」あらすじ

約7分で分かるあらすじ動画

『カラフル』は、罪を犯して死んだ魂が、再生と救済の機会を得る物語です。主人公の魂は特別な抽選に当たり、人生をやり直すチャンスを得ます。彼は一時的に、自殺をはかった中学生・小林真の体に宿り「ホームステイ」をし、真としての人生を歩み始めます。この「ホームステイ」とは、本来二度と与えられない機会で、魂が下界で他者の体を借りて修行し、再挑戦する過程を指します。

新たな人生の中で、主人公は厳しい家庭環境に直面します。仕事に没頭する父、不倫をしていた母、そして自己中心的な兄弟との関係に苦しむ中で、真は家族と向き合い、受験という挑戦にも立ち向かいます。

物語のクライマックスでは、衝撃的な真実が明らかになります。実は、「ぼく」自身が真であり、自らの命を奪ったことが彼の犯した罪だったのです。真の天使ガイドからの助言を受け、彼は自分自身と向き合い、人生を前向きに捉え直す決意をします。

『カラフル』は人間が持つ無限の可能性と、他者を理解しようとする姿勢の重要性を示します。主人公は他者の様々な面を見て、自分自身の多様な可能性を発見し、成長していきます。また、人間関係における誤解や偏見に対する洞察も重要な教訓として描かれています。

この物語は、人生の困難な時期を乗り越え、自己反省と自己受容を通じて自分自身の多面性を受け入れることの大切さを教えます。主人公の魂が過去の過ちを乗り越えて真の再生と成長を遂げる過程は、読者に深い共感と考察を促す。

『カラフル』は、人生のさまざまな色を受け入れ、自分自身の多様な「色」を理解する旅を描いた、心に響く物語です。

「カラフル」読書感想文の書き方【例文】

以下に4作品をご紹介いたします。文字数はまちまちですが「書き方」「着眼点」の参考にしていただければと思います。

便利な文字数カウンター

「カラフル」を読んで①

この作品は、前世で過ちを犯し命を落とした魂を持つ主人公が、新たな人生をスタートするための修業を受ける物語です。魂は一定期間、地上で他人の身体を借りて過ごし、前世での過ちを思い出すことで修業を完了し、新しい生を受けることができます。ある日、主人公は自殺したばかりの少年小林真の体に宿ります。
読書感想文の書き出し例(入賞21パターン)

小林家は、自己中心的な父親、不倫を経験した母親という複雑な家庭環境にあり、主人公は徐々に家族との距離を置くようになります。しかし、ある日、彼は真の両親が抱える本当の姿と感情を知ることになります。彼はこの新たな発見を「単一の色だと思っていたものが、多様な色彩を秘めていた」と形容し、人間の多面性に気づきます。

この物語を読み進める中で、私自身も過去の体験を思い返しました。長年の友人との関係が些細なことから壊れてしまった経験があります。その時、私は彼女の多様な面を理解していたつもりでしたが、実際には彼女が持つ豊かな色合いを全て見ようとはしていませんでした。今振り返ると、彼女の個性は非常に鮮やかな色彩であったと感じます。しかし、その関係性は再び築くことはできません。

物語の中で主人公が感じた「世界の多彩さ」についての考察は、人間が持つ様々な可能性を象徴しています。私たち自身も、未発見の「色」、つまり可能性を探究し、このカラフルな世界をより深く楽しむことができるはずです。

この物語は、人間が持つ長所も短所も含めた多様性、そして見えない内面を理解することの大切さを教えてくれます。主人公が体験した小林真の生活、その中での変化や成長は、自分自身を見つめ直すきっかけを与えてくれました。人は一つの色に限定されず、さまざまな側面を持ち合わせていることを、この物語は巧みに描き出しています。

特に印象深かったのは、主人公が自殺した真自身の魂であったという、オチというか事実の発覚です。真が死を通して、人間関係の欠点や美点、家族や友情の大切さを実感するプロセスは、私たちにも多くのことを考えさせられるものでした。死と再生を通じて、真は自分自身を再発見し、新たな視点で周囲を見ることができるようになります。

この物語は、人間が抱える可能性の広がりを示しています。私たちは自分の知っていることが全てではなく、人の内面には知られざる多様性があるという教訓を与えてくれます。私自身、この物語から得た教訓は、今後の人生を歩む上での指針となります。時には見落としがちな大事なことを、物語は「色」というメタファーを通じて表現しています。

生きることの意味と可能性を探求するこの物語は、読者に対し、自身の人生をより豊かにするための洞察を提供します。私も忘れそうになった時、再びこの本を手に取ることで、自分自身の多彩な人生をより深く理解し、充実させていこうと思います。
 

「カラフル」を読んで②
 
この本を読んだことで、私は自分自身と向き合い、人生について深く考える機会を得ました。物語の中心人物「ぼく」は前世で何らかの過ちを犯し、死後、再び生を受けるチャンスを得る。彼は自殺した中学生・真の体に宿り、彼としての人生を歩み始めます。この「ホームステイ」は、通常二度と与えられない機会であり、魂が下界で他者の体を借り、修行する過程を指します。

真としての生活は容易なものではありませんでした。彼の家庭環境は厳しく、彼はさまざまな困難に直面します。これを読んで、もし自分が真の立場だったら、その苦しみをどう耐え抜いたかと想像すると、心が痛む思いでした。

しかし「ぼく」は現実から目を背けませんでした。彼は家族と向き合い、受験にも立ち向かいました。物語の終盤で真実が明らかになる場面は、特に印象深く残ります。実は「ぼく」自身が小林真であり、自らの命を奪った罪を犯していたのです。この事実に直面し、真は自信を失います。しかし、彼のガイド役を務める天使の言葉は心に響きました。「少し長めのホームステイと考えればいい」、という言葉は、私にも大きな安堵を与えました。

この本に出会ったのは、人生において大きな転換点でした。友人と離れ、孤独を感じ、コミュニケーションに苦しんだ時期でした。家でも情緒不安定になり、一人で部屋に閉じこもることが増え、生きる意味を見失いかけていました。しかし、この物語を通じて、私は自分の内面を見つめ直しました。

私は、これまでの後悔や悲しみに囚われ、自分の人生を見失っていました。しかし、生きるということは、苦しみだけではなく、楽しさや喜びも含む複雑なものだと気づかされました。立ち止まっていては、人生の豊かな側面を見逃してしまいます。そこで、自分自身に挑戦し、色とりどりの人生を歩む決意をしました。不器用であっても、自分なりに生きることの価値を見出し、充実した人生を送るために努力していこうと思います。

この本は、人間の持つ無限の可能性と、他者を理解しようとする姿勢の重要性を教えてくれました。私たちが知っていることがその人の全てではないという事実を、作家は「色」というメタフォーを用いて巧みに表現しています。人間関係における誤解や偏見に対する洞察は、日常生活においても重要な教訓です。

この物語から得た教訓は、今後の人生において大切な指針となるでしょう。日々の生活で忘れがちな、しかし重要なことを思い出させてくれるこの本に出会えたことに感謝しています。人生の困難な時期に再び迷うことがあれば、この本を開いて、自分の人生を豊かに彩るためのヒントを再発見することでしょう。
 

「カラフル」を読んで③
  
死んだはずの「ぼく」に天使は言った。「おめでとうございます、抽選に当たりました!」。これは生きている間に何らかの罪を犯してしまった「ぼく」が、下界にいき誰かの身体を借りて、前世で犯した悪事を思い出さなくてはいけない抽選会であった。

あなたなら「カラフル」と聞いて、どんなことを思い浮かべるか?絵の具や虹など、色とりどりのものを思い浮かべるでしょうか。また色彩ゆたかな南国の鳥を思い出すでしょうか?

私がこの本のタイトルを見たとき頭に浮かんだのは、カメレオンであった。カメレオンは周囲の景色に同調して体色を変える。これは自分に降りかかる危険から身を守るための進化の結果のカラフルとでもいえるだろう。

主人公の「ぼく」も、カメレオンのように保護色をまとって人生を再スタートする。彼は前世で家族に絶望し、受験という困難な壁にぶつかるなど、大変悩んだ結果、自らの命を絶つことを選択した。そんな彼が、「復活」し、かつ今度は前向きに生きていくためには、どうしても自分の身を守る何かが必要だったのだと私は思う。

私はこの主人公から、私たちがこの世界で生きていくための「コツ」のようなものを学んだ。物語の終盤、主人公は前世の記憶を取り戻す。

それは、赤の他人だと思っていたこの身体が本当は自分のものであることを意味する。しかも、苦痛に堪え兼ねて自殺をしてしまったことまで、鮮明に思い出す。つまり、冴えなくて地味ないじめられっ子だった彼と、ひょうひょうと自由な振る舞いを見せる主人公は、実は同一の魂を持つ者だったというのが本書のオチというかストーリーの中心だったのだ。

にもかかわらず、彼が自分であることを忘れていた主人公は、いかにも堂々とやりたいことをやり、言いたいことを言い、生前の彼にはいなかった親友をもち、好きな女の子と交流をし、家族と和解し、彼が自殺を図ったことを早まったことだと感じるほど、充実した数か月を過ごすことができた。

本当は同一人物であったのに!それこそ、物語の中で主人公本人もつぶやいていた「だってあれは他人事だったから」というスタンスが重要だったのだと思う。

私はこの物語を読むまで、自分のことをとても臆病者だと思っていた。「ぼく」のように、人に嫌われることを怖れ、言いたいことをはっきり言えなかったり、少しの失敗を極度に悔やんだり、今までの自分はまさに生前の彼のようだった。だからこそ、この物語の主人公が他人事として彼の人生を過ごす態度を大変魅力的に感じた。しかもそれが、元々は私のような臆病者の行動であったことを知ると、私は勇気をもらった。

もし私が主人公と同じ立場で、記憶を全てなくし、自分を他人だと思って人生を再スタートするとしたら、私も主人公と同じことを思い、同じ行動をとるだろう。前世の自分を早く知りたくて、かつ他人を助けてあげたいからだ。だから主人公もそんな行動をとったのだと私は考える。

最初に、この本を読むとき、なぜ「カラフル」という題名なのだろうと疑問に思った。しかし、読んでみて、私はこう考えた。「ぼく」のように、平凡な日常に慣れると、些細なことでも大きなストレスになる。例えば、朝寝坊していつもと違う電車に乗るとか、家に忘れ物をして学校から家に戻るとか、どうでもいいことですら気になる。彼にとってふりかかったささいなことも、彼にとっては受け入れがたいものだったとしても無理はないと思う。人によって受け入れ方はさまざまだ。

だからこそ、「ぼく」の視点でみた彼の日常は、変わりばえしない、「モノクロ」な毎日などではなく、すごく「カラフル」に見えたのだ。自分の世界を「モノクロ」にするか「カラフル」にするかは、自分次第であると感じた。しかし、人間はこうしたことをすぐに忘れてしまうものだ。極彩色だと気づいた日常も、慣れてしまえばまた「モノクロ」に戻ってしまう。だからこそ、「カラフル」であることを忘れてしまうのだと思う。

この本から学んだ最も重要な教訓は、自分を客観的に見つめ、行動することの大切さである。人生が上手くいかないと、周囲が見えなくなることがある。彼も自殺に追い詰められたが、新たな生を受けることで、彼がどんな人生を歩んできたのかを理解し、周りの人々とのつながりを再認識し、再び生きることを決意した。中高生は皆、内に秘めた悩みを抱えている。だからこそ、自己評価を客観的に見つめ、この「カラフル」な世界で新たにスタートしようとする姿勢に感銘を受けた。

「カラフル」を読んで④

日常生活は、理不尽なこと、不平等なこと。そしてつらいこと悲しいことであふれています。そのように思えるようなことが度重なると、物事を悪い方へと考えてしまうのが私の悪い部分で、そこから溜まったストレスを、ふとした時に家族にぶつけてしまうことも少なくありません。
読書感想文の書き出し例(入賞21パターン)

頭ではいけないことだとわかっていても、「自分のせいではない」と言い訳をして自分を正当化してしまうのが今までの私のほとんどでした。

この物語は、一度罪を犯して死んだ主人公の魂が天使の抽選当たるところから始まります。抽選に当たった主人公は、世の輪のサイクルに戻れるよう、別の人間の身体を借りて人間世界で修業(生活)することになります。

主人公が借りたのは、自殺して空になった「小林真」の身体。その他「真」の家族、周りの人々、そして主人公の業をガイドする天使「ブラブラ」が主な登場人物です。

「他人の身体」という、一風変わった視点から広げられる、人の心理について考えさせられる物語でした。

「カラフル」という題名。それは、さまざまに変化する人間の感情を表しているのではないかと思います。に当たるとを取り戻し変化する人の感情を表現して

生前は、あまり人と話さず自分の世界を作っていたという「真」が、唯心を開いたのは絵を描いている時でした。

未完成だった「真」の青い絵つづきを描き始めた主人公は不思議と絵の世界に入り込んでいきます。

その場面がとても鮮やかで、読んでいた私も自然とその青々とした絵の中に吸い込まれるような感覚になりました。その「青」には、暗い心境だった「真」の明るい一面と、絵に対する情熱が描かれていたように感じました。

また、人は、本気で何かに打ちこんだ時に初めて本当の心を引き出されるのではないかと思いました。そして、受験生である「真」の身体になった主人公が、進路について悩む場面があります。

「好きなことをめざしてほしい」

「真」が家族にかけられた言葉。その時初めて主人公は家族の思いやりに触れます。「真」の自殺の原因には家族への憎しみも含まれていました。

そこから、自分の殻の中に閉じこもっていても、家族の思いを知ることはできないということを学び、また、それは同様に私にも言えることだと思いました。家族への態度や言葉を考え直さなければならないと思いました。そして、盤の主人公の言葉。

「ぼくはぼくを殺したんだ」

この部分を読んだ時、私は大きな衝撃を受けました。主人公の前世の罪は自分を殺したこと、つまり主人公は自殺した「真」の魂だったのです。

「真」として修業してきた主人公は、周りの人々との繋がりを感じていました。私は、主人公が自分の本心と向き合い、理解したからこそ、自分が「真」であることに気づいたのだと思います。

そんな主人公に比べて、自分の心に嘘をついてしまう自分は、以前の主人公と「真」と同じで身体と心が別々のまま生きているのではないかと思いました。

自分自身と向き合う心、人との関わり合い、そして物の見方によって一八〇度変わる人の心情今、生きているとういうことの大切さを同じ年代の主人公を通して、あふれる程に感じさせられた物語でした。

天使ブラブラがガイドを終え、あの世に戻るとき、主人公は本当の「真」として生きていくことに不安を感じます。

自分自身だと思うと周りからの見た目を気にしてしまうのは、私にもよくわかりました。

「下界でまた気もちがちぢこまりそうになったら、再挑戦の四ヶ月を思い出してください。自分で自分をしばらず、自由に動いていたあの感覚をそして、あなたをささえてくれた人たちのことを」

このブラブラの言葉に、今まで人と接する時に働いていた変な力が抜かれたような気がしました。

しかしそれは決して、自分を自分と思わずに生きるという意味ではありません。自分の心と人の間に壁を作らず、素直に感情を受け入れることが大切なのだと私は思いました。

これから先、上手くいかないことがたくさんあると思います。しかし、そんな時に自分を支えてくれる存在を忘れないように、自分の本当の気もちを見失わないように、生きていきたい、そう私に感じさせた素晴らしい物語でした。 
 


 


人の持つ才能や性質は本来カラフルなもの。
  一つの側面でのみ判断し悲観的になってはいないだろうか?

 
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読書感想文の書き方のコツ
(テンプレートつき)

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「夏の庭」あらすじと読書感想文の例文【大特集】 https://xn--w8j5cw67p9eaz0twix0fea7733f.com/8132 https://xn--w8j5cw67p9eaz0twix0fea7733f.com/8132#respond Thu, 11 Jan 2024 08:21:35 +0000 https://xn--w8j5cw67p9eaz0twix0fea7733f.com/?p=8132 こちらでは、湯本香樹実さんの名作「夏の庭―The Friends」の読書感想文を書く人のために、この本のあらすじや、参考していただけそうな感想文の例文ご紹介しています。

おもに中学生高校生が、1200字1600字2000字(原稿用紙3枚、4枚、5枚)の読書感想文を書く際に役立つことを目指し掲載しています。


~~目次~~~~~~~~~~~~~~~
「夏の庭」あらすじ
読書感想文の書き方【例文】

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「夏の庭」あらすじ

「夏の庭」の考察動画

『夏の庭』は、小学6年生の木山が、友達の山下と河辺と共に、町外れに暮らす老人の最期を見守る心温まる物語です。物語の始まりは、山下が祖母の葬式で学校を休んだことから。この出来事がきっかけで、3人は「死んだ人はどうなるのか」という疑問を持ちます。

ある日、河辺が耳にした噂話から、彼らは一人で暮らす老人の家を訪れることに。老人の家は荒れ放題で、外壁は半分剥がれかけ、窓ガラスは新聞紙で補強されていました。その家の周囲には、使われなくなった漬物桶や新聞紙の束、ゴミ袋が山積みになっていました。

3人は、老人が弁当を買うために時々近所のコンビニに出かける様子を観察するようになります。ある日、彼らが老人の庭に積まれたゴミ袋を片付けようとしているところを老人に見つかります。これがきっかけで、老人への「見張り」が始まりました。

最初は互いに疑い合うような関係だったものの、次第に彼らの間には交流が生まれ、老人も元気を取り戻し始めます。3人は老人の手伝いを始め、家の修繕や外壁のペンキ塗りにも取り組みました。作業後は一緒にスイカを食べるなど、次第に親密な関係になっていきます。

庭には雑草が生い茂っていましたが、子供たちはコスモスの種をまきます。種屋のお婆さんが薦めたコスモスは、秋になると庭一面に美しく咲き誇ります。

ある日、おじいさんに戦争の経験について尋ねます。おじいさんの回答は、戦争が人々にもたらす悲惨を教えてくれました。戦争による心の傷が原因で、おじいさんは奥さんと別れ、長い間孤独に生きてきました。

本作では、終始「死」について書かれているものの、登場人物たちの家庭環境などについても描写されており、それぞれの家庭に潜む問題を浮き彫りにしている。毎日帰りの遅いお父さんと、お酒に逃げるお母さんを持つ木山。外に子供を作ったお父さんと、そのことを心底恨むお母さんを持つ河辺。魚屋を営むお父さんと、その家業を継いでほしくないと思うお母さんを持つ山下。日々の生活に追われる小学生と、戦争で心に傷を負った老人。

子供たちや登場人物のそれぞれには、それぞれの悩みがあって、それぞれの今を懸命に生きている。お互いの満たされない心の隙間を埋めるように、子供たちと老人との距離はますます縮まっていく。

しかし、別れは突然やってくる。サッカーの夏合宿から帰った3人は、おじいさんの家にお土産を持って訪れます。しかし、布団の上に横たわるおじいさんは、もうこの世にいませんでした。お膳の上には、3人と一緒に食べようと思ったのだろう「四房のぶどう」が鉢にもられて、甘い香りを漂わせていた。

1か月後、おじいさんの家が取り壊されということでコスモスをつみに来た。木山はおじいさんが見えた気がした。

おじいさんとの突然の別れは、3人の心に深い印象を残し、成長へのきっかけを与えたのでした。この物語は、死と向き合い、新たな絆を育む少年たちの成長を描いた、感動的な一作です。 
 

「夏の庭」読書感想文の書き方【例文】

以下に4作品をご紹介いたします。文字数はまちまちですが「書き方」「着眼点」の参考にしていただければと思います。

「夏の庭」を読んで①

私はこの夏、小さな一冊の文庫本のおかげで大きな感動を得ることができた。その本こそがここで題材とした湯本香樹実の『夏の庭』である。

読書感想文の書き出し例(入賞21パターン)

物語は、小学生、山下の祖母が亡くなったことが発端で始まる。そこから、少年たちは「死」に関心を持ち、「人が『死ぬ』瞬間を目撃しよう」と思うようになる。恐らく、山下の祖母の死が、好奇心に満ちた小学六年生の木山君と、同じクラスの河辺君にとって、初めて人の死に直面する出来事であり、深い衝撃を受けたことだろう。それから、木山君、河辺君、山下君の三人は、寿命が近いと噂されるおじいさんを監視することに決める。

しかし、始めは単なる興味本位であったおじいさんとの交流が、やがて見守る側と見守られる側の関係から、不思議な友情へと変わっていく。それは、間違いなく友情なのである。「ご近所のおじいさん」といった関係ではなく、上下関係も世話もない平等なつながりである。

少年三人にとって、大人とこれほど対等に接することは初めての経験であり、おじいさんも、自分の孫のような年齢の子どもたちとこんな関係になることは予想もしていなかったはずだ。

だが、いつの日か友情にも終わりが来る。その終わりは、「おじいさんの死」である。少年たちの好奇心から始まった関係は、最初に望んでいた「おじいさんの死」を通じて終わることになる。しかし、その時の三人の心境は、どうだったのだろうか。少なくとも、「見ず知らずのおじいさんが死ぬのをドキドキワクワクしながら見守る」という初めの気持ちではなかった。待ち受けていたのは、愛する人の死による予想しない悲しみだったのだ。

彼らは最初、おじいさんの死を受け入れることができなかった。なぜなら、それは突然すぎたからだ。「もっと話したかったのに、どうして『今』死ななければならないのか」「なぜ、明日や明後日ではだめなのか」「重傷を負いながらも生き続ける人がいるのに、なぜおじいさんはこんなに穏やかで優しい表情で死ぬのか」と。

そして、「なぜ『おじいさんが』死ななければならないのか」と、悲しみ以上に、そんな疑問が次々と、想像を絶するほど湧き上がってきたことだろう。しかし、彼らに疑問の答えを教えてくれる人はいない。いや、それは「答えのない疑問」なのだ。

「心に大きな穴が空いている」とよく言われるが、私は本書を読み、そのような穴とは「答えのない疑問」が開けるものだと思うようになった。三人の少年たちの心にも、そんな穴が開いてしまっていたのだろう。だけど、その悲しみを乗り越えて、少年たちはおじいさんとの交流を通じて多くのことを学んでいく。

洗濯ロープの張り方、草取りの方法、ペンキの溶かし方や塗り方、のこぎりの使い方、などなど。おじいさんとの関わりのおかげで、少年たちはこれまでの子どもの世界では経験できなかったことを得るのだ。

さらに、迷った時にどうすればいいか分からなくても、「もしおじいさんがいたらどう言ってくれるだろう」と視点を変えて考えるようになる。これを学んだことで、少年たちの世界はどんどん広がっていくだろう。つまり、大人に近づくことである。おじいさんの死をきっかけに、少年たちは成長し、大人への道を一歩ずつ進んでいく。

少なくとも、彼らはもう子どもではない。彼らの子ども時代は、おじいさんの夏の庭と共に消え去ってしまったのだ。そして、彼らは小学校卒業後、新たな学校や環境で、それぞれの道を歩んでいく。このおじいさんとの経験が、これから少年たちが成長する上で、困難に直面した時、彼らの背中を押してくれるものになることだろう。

本書のおかげで私は、人の死は、ただその人がこの世から去るだけでなく、周囲の人に大きな影響を与え、成長させるものだと気づくことができた。また、「人が最後にやるべきことは、子や孫に“人の死”とはどういうものかを、自らの死をもって伝えることだ。」という誰かの名言を思い出さずにはいられなかった。

これから先、私も身近な人の死を経験することがあるだろう。その時は、その人の死を悲しむと同時に、三人の少年たちが大きく成長したように、私も多くのことを感じ取り、成長していきたいと思う。死を見つめることは生き方を見つめることに他ならないのだ。
 

「夏の庭」を読んで②

死についてどう考えるか。それは冷たく暗い場所への旅立ちか、それとも暖かなゆりかごでの永遠の眠りか。多くの人が一度はこの疑問を抱くだろう。死とは、身近な人の死を経験した者にしか理解できないものなのかもしれない。

私が初めて死に直面したのは、父方の祖父の死であった。祖父の体は冷たく硬く、白く細かった。骨壷に納めるとき、より一層その実感が湧いた。実に抽象的で不確かだった「死」という概念が、急に具体的で現実的なものに変わった。真っ白な骨になった祖父を前に、みんな涙を流していた。

この物語では「死」について深く掘り下げられている。登場人物たちは「死ぬこと」に対する直接的な疑問を口にし、同時に生き生きと、活発的であるさまが描写がなされている。

物語の中の小学生3人組は、一人暮らしの老人を観察することで、死ぬ瞬間を目の当たりにしようとする。老人は彼らの観察を気づき、不快感を露わにするが、少年たちは気に留めない。当初は死ぬ瞬間を見ることが目的だったが、老人が次第に活動的になり、互いの観察が日常になっていく。

老人と少年たちの間の距離は縮まり、お互いに多くのことを学び合う。洗濯、花の名前、漢字の読み方、そして命の重さまで。物語の中で印象的な言葉がある。「生きることが、実はもっと不思議なんだ」と。

物語は、老人と少年たちの家庭の問題も描く。僕の家庭は父はいつも遅く、母は酒に逃げる。河辺の家では父が浮気し、母はそれを恨む。山下の家では父は魚屋を営むが、母はそれを望まない。彼らはそれぞれの問題を抱えながら生きている。

物語は少年たちが老人の死を忘れてしまうくらいに彼との関係を深める。そして、突然の別れが訪れる。老人の庭が夏から秋に変わる頃、彼らは別れを迎える。

作者は祖父を思いながらこの作品を書いたという。それは、彼女の心の中に祖父が生き続けていることを意味しているのかもしれない。思い出と共に刻まれた存在は、常に心の隅にあり、忘れられないものである。

私たちは生きることに対して何も感じないが、この作品は「死」に対する純粋な疑問から始まり、生きることの意味をも暗示している。生き生きとした少年たちの描写は、読者に何を投げかけているのだろうか。

死を理解しようとすることは、霧を掴もうとするようだが、心に残る「何か」を感じ取ることはできるはずだ。生きることと死ぬことの意味を考えることは「生き方」考えるのと同義の気がする。本作はその「生き方」を考えさせる「死」を題材とした名作だと思える。
 

「夏の庭」を読んで③

「オレたちも死んだ人が見たい。」河辺の言い出した一言に僕は、嫌悪感を覚えた。しかしこの物語全てを読み終え、人間の生き方、自分の心の中にある「死」に対する気持ちに対して、素直に受け入れられるようになった。そんな気がする。そして今自分の生き方を真に考えなくてはならないという事を感じている。

主人公の三人の内の一人、山下が自分のおばあさんの葬式へ行き「死んだ人」について聞かされ自分達も「死んだ人」が見たいという事から近所の死にそうなおじいさんに近付く。しかし、おじいさんは死ぬどころか、元気はつらつとしてい生きる為に必要な話をしてくれ、三人はその話に吸い込まれる様に自分の意見を言う。

三人の考えは次第に「希望」という方向に向かうようになる。死んだ人を見ようという何とも不気味な少年たちを生きる事の大切さに気付かせる事のできたおじいさんは僕にはすごく印象的だった。

僕も実際にこの様な体験がある。小さな頃僕が作ったプラモデルを見せると「うまいなあ」とニコニコしながら、そのプラモデルを自分の宝物でも見ている様に、眺めていたおじいちゃんがいた。ベッドでほとんど寝ている生活をしていたが、弱わ弱わしくもはつらつとしていたのを覚えている。しかしそのおじいちゃんが亡くなった。

お通夜に行くと、目を閉じてもう絶対に僕のプラモデルを見ても「うまいなあ」と言ってくれる様子のない悲しい姿に変わっていたの今でも僕は覚えている。僕はその時、どういうわけか怖くておじいちゃんの顔をまっすぐに見られなかった。理由は未だに分からない。でも幼いながらもこれだけは感じた。「死ぬ事は怖い。」僕が真剣に考えさせられたのは、主人公の一人が死ぬ事が怖いというのは何故だろうと言っていた事だ。

僕はこの一言に本当に何故なのだろうと興味を深くそそられた。実際に僕も死ぬのは怖い。それは、この世に僕という存在がなくなるからでもなく、大好きな事ができなくなるからでもなく……。

多分僕は自分の心がなくなり、生きるという楽しさ、思い出が薄れていくからだと思う。死んでも心はあるという意見もあると思う。でも生きている時の新鮮さにあふれる心は二度と自分のもとへは来ないはずだ。

おじいさんは、戦争で自分が生きのびる為に一人の命を、そしてその中で生きるはずだったもう一人の命を殺してしまった。そしてその出来事を忘れる為、大切なもの全てを失った。僕がもしこのおじいさんの様に、戦争で同じ目的で人を殺してしまったのなら同じように全てを失ったのだろうか。

今僕達は食物連鎖で生きている者の命を奪い生きている。それを考えると多分そうしただろうと思う。人間は何だかんだ言っても自分中心、そして弱さを背負って生きているのだから。これは俗にいう「逃げ」なのだろうか。しかし僕は思う。

この様な体験が四人を固く結ばせ、三人は命の尊さに、そしておじいさんは胸にためていた思いから解放されたのだと。僕はこんなにも苦い思い出を三人に話したおじいさんを心から尊敬する。

明らかにこの少年たちは夏休みで心身共に大きく成長したと思う。それは三人がおじいさんの死で見つけだした生き方があったからだ。おじいさんの死で少年たちもそして僕も大きなショックを受けた。そして泣いた。でも僕はショックを感じながらもおじいさんの人生に拍手を贈りたいと思った。

三人は、おじいさんからただ生きるのではなく沢山の夢と希望を持って生きるという事を学んだ。では僕はどうなのだろうか。これからについて考えているのだろうか。主人公、木山の言っていた事を思い出した。「死んでもいいと思えるほど何かを僕はできるのだろうか」と。僕もそんな何かがあるのだろうか。

思えば考えてはいるもののいまひとつそれを自分の中でまとめる事ができずにいる。しかし僕は絶対に答えを出す。目標があり生きるという事が今の僕に与えられている最大の課題であるような気がするからだ。

「死ぬ時、人は何を見るのかしら。」とドラマのセリフで言っていたのを覚えている。僕は、今までの嫌だった事、楽しかった事が鮮やかに心の中から流れるのを見る。いや見たいのだと思う。

これから何年先になるか分からないが、僕の大切な人が亡くなるだろう。しかし、ただ感情のやり場がなく、叫び泣くのはやめ、その人が自分に与えてくれた事を思い泣こうと思う。それから先の希望をみつめて。そしてその人が今まで生きて来た力をもらいうけつぐために。そして僕自身そんな力を与えられる人間に成長したい。このおじいさんのように。
 

「夏の庭」を読んで④

 
以下、完成次第、追加掲載いたします。
 
 
 


 


■ここから文字■
 

【最重要ページ】感想文を書くにあたっての「コツ」「構成」「話の広げ方」などの詳細は下記のページに掲載しています。(気になる審査基準も掲載!)


読書感想文の書き方のコツ
(テンプレートつき)

書き方の参考用に、過去の入賞作品の紹介ページも作りましたのでご活用ください。

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「モモ」読書感想文の例文【大特集】動画解説あり! https://xn--w8j5cw67p9eaz0twix0fea7733f.com/8101 https://xn--w8j5cw67p9eaz0twix0fea7733f.com/8101#respond Sun, 07 Jan 2024 15:51:41 +0000 https://xn--w8j5cw67p9eaz0twix0fea7733f.com/?p=8101 こちらでは、世界的な名作である、ミヒャエルエンデ作「モモ」を題材に、読書感想文を書く際に役立つ、この本のあらすじや、感想文の例文を紹介しています。

おもに、小学生(高学年生)から中学生高校生が、1200字1600字2000字(原稿用紙3枚、4枚、5枚)の読書感想文を書くことを前提にした内容ですが、この本は人生経験を積んだ大人こそがそのメッセージ性に感銘する本だと思います。

作者のエンデは、日本とも縁が深く、奥様は多くのエンデの本の翻訳を手掛けた佐藤真理子さんです。


~~目次~~~~~~~~~~~~~~~
「モモ」あらすじ(動画あり)
読書感想文の書き方【例文】

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「モモ」あらすじ(動画あり)

主人公のモモは、イタリア・ローマを思わせる街の円形劇場の廃墟に住み着いた女の子です。モモに話を聞いてもらうと誰もが元気や自分らしさを取り戻せるという、不思議な魅力の持ち主です。

そのため、大人も子供もモモのことが大好きです。モモの周りには沢山の人が集まるようになり、街の人達には暖かな友情が生まれはじめます。

ところがある日「時間貯蓄銀行」から来たという灰色の男たちがこの街に現れます。彼らは言葉巧みに「時間を節約するため」と称し、街の人々からかけがえのない時間を奪いはじめます。

灰色の男たちは、「無駄な時間を、時間貯蓄銀行に預ければ命が倍になる」と騙し、人々から貴重な時間を奪い始めたのです。その結果、時間を切り詰めた街の人々は、生きることの豊かさを失っていきます。

街の人たちを助けるため、モモは亀のカシオペイアの導きによって「時間の国」を訪れます。そこで出会った賢者マイスター・ホラの助けを受け、モモは灰色の男たちとの戦いを開始します。

モモをターゲットとした時間泥棒の一人は、モモの「時間泥棒も愛されている」という言葉に衝撃をうけ、時間泥棒の秘密を話してしまう。組織は、その男を裏切り者として裁判にかけ反逆罪により死刑を宣告。彼は煙のように消される。最後にモモは盗まれた時間を解放する。

■動画で早わかり!
「モモ」のあらすじ動画はYouTubeにいくつかアップされていますが、こちらの動画は約10分に上手くまとめられています。

その後、中田さんの以下の解説動画①②を見れば、理解度も格段に上がるでしょう!

作者のエンデはこの作品のなかで「時間」についって次のように語っています。

時間をはかるにはカレンダーや時計がありますが、はかってみたところであまり意味はありません。というのは、だれでも知っているとおり、その時間にどんなことがあったかによって、わずか一時間でも永遠の長さに感じられることもあれば、ほんの一瞬と思えることもあるからです。
なぜなら時間とは、生きるということ、そのものだからです。そして人のいのちは心を住みかとしているからです。

「時間とは、生きるということ、そのもの」という部分に注目すべきです。灰色の男たちによって「時間」を奪われてしまうことは、「人生」そのものを奪われてしまうことになります。自分の時間を生きられなければ、ほんとうの意味で「生きている」とは言えないということをエンデはこの作品を通じ伝えたかったのだと思います。

・・・・モモが街の人から愛される理由や、この部分の理解を中心とした感想文をまとめてみましょう。
 

「モモ」読書感想文の書き方【例文】

以下に5作品をご紹介いたします。文字数はまちまちですが「書き方」「着眼点」の参考にしていただければと思います。

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「モモ」を読んで①(小学生むけ)

僕がまだ小さかったころに比べて、今とても時間がたつのが速く感じる。しかし、なぜそう感じるのかについてはこれまで一度も深く考えたことはなかった。

モモという本を読んでハッとした。灰色の男達が、自分が生きていくために、人々から時間を盗んでいくのだが、時間をぬすまれた町の人々と、自分が同じように見えたからだ。

時間を節約しなければいけない人々は毎日いそがしく働き、時間に追われている。まるで、勉強や習い事で時間が足りない私みたいに見える。今の僕は、友達と遊ぶ時間も大切にしている。けれど、大人になる過程で、どんどん忙しくなり、友達との時間を疎かにしたらどうなるのだろう。

町の人々のように、セカセカと働きまわり、互いにイライラ押しあったり、つきとばしあったりと、相手を思いやる気持ちを失ってしまったらどうしよう。僕だけではないのだろう。僕の父は、「ワーク・ライフ・バランス」が大切だという。

仕事とそれ以外の生活との調和をとることが大切という考えだ。難しい話だか、大人もみんな悩んでいるのだと感じた。一度できたルールを覆すのは勇気がいる。

物語の中で、不安と心細さを覆し、勇気と自信を持って灰色の男に立ちむかった女の子がいる。それがモモだ。モモは、円形劇場に住み、みんなが時間をうばわれる前は、近所の人々と友情を持って暮らしていた。

モモは相手の話を聞く才能を持ち、人々はモモが大切な存在だったし、子ども達もまた、モモのそばではすてきな遊びを考え出した。

二人の親友、ベッポとジジとも楽し暮らし、モモはベッボの返事を時間をかけて待っていたり、ジジと長い時間月を眺めたり、時間に追われないのびのびとした生活を送っていると感じた。数字を習っていないので年も分からず、きっと時計も読めないだろう。

だからこそ時間に囚われることがない。小さいころの私もそうだったかもしれない。こんなに愛されていたモモを見向きもできなくなるのだから、時間が奪われるのはぞっとする。

モモが灰色の男達をたおし、人々に時間がたっぷり戻り、ベッポの心にセカセカとした気分か消え、安堵と希望か胸いっぱいに広かった時は、私の中にも時間がもどってきたようなホッとした気分になった。

「人間は自分の時間をどうするかは、自分で決めなくてはならない。だから時間を盗まれないように守ることだって、自分でやらなくてはいけない。」この言葉は、作者から僕ら現代人への忠告だと感じた。

勉強する時間ももちろん大切だけど、友達との時間も忘れてはいけない。心に優しさと勇気を持ち、自分自身を見失わないこと。自分のための時間を大切にしなければならないと。それらをモモは僕に教えてくれた。
 

「モモ」を読んで②

モモはやせっぽっちで背が低く、くしゃくしゃの巻き毛で、自分の年齢も知らない。そんな浮浪児の「モモ」が世界的ベストセラーの主人公だと知り、モモの魅力とはいったいなにかと知りたくなり、この本を読むことにした。

この本は「富や地位や名声」を求めたために、時間泥棒の罠にはまり、盗まれてしまった人間の時間を、モモという不思議な女の子が取り返す物語です。そして、「富・地位・名声」を求めていく生き方は、本当に生きるということではないと教えてくれる内容だ。

今の生活が嫌で、不満ばかりを言っているフージーさん。いつか有名になり金持ちになりたいと思っていたジジ。このような考えの人には、時間泥棒が心の隙間に入り込んでしまい、貴重な自分らしい時間が奪われてしまう。そんな人達は「時間を節約するため」という尤もらしい誘い文句で近寄ってくる時間泥棒に貴重な時間を奪われてしまう。

時間を奪われた人間は、時間が切り詰められ、日ごとに生活が冷たくなり、ギスギスした生活をすることになるのである。生活とは人間の心の反映に他ならない。だから時間を切り詰めた状態では、心が冷たくなり、生活もやせ細ってしまう。また、心が冷たくなると、怒りっぽくもなり、他人との関係もこじれてしまう。

作者がジジを登場させた理由も、夢を描くことの大切さを意識させようと思ったからに違いない。私の暮らす現代は、効率を重視するあまり、人間らしさを見失いがちな時代である。そのような現代人にとって、この「モモ」という作品は人間らしさとはなにか、また、正しい価値観とは何かについて考えさせるきっかけをくれる本だと思う。

また、浮浪児のモモが世界的ベストセラーの主人公になった理由についても、本書を読み終えた後、私なりに理解できた。これはまた、モモの魅力とイコールでもある。それは「モモは聞き上手な子である」ということだ。もちろん、時間泥棒に立ち向かってゆく勇気や意思の強さも魅力の一つではあるが、街の人がモモと話をすると、すべての人がモモに魅了されるのは、モモが人の話を聞くとき、じっと瞳を見つめ、しっかりと話を聞く女の子だったからに他ならない。

モモはジジのようにお喋りな話上手では決してない。しかし、モモの周りにはいつも人が集まってくる。それは「人が聞き上手な相手を求めている」からに他ならない。これは「目の前の相手を尊重することの大切さ」を作者が伝えようとしているのだと感じ、コミュニケーションの基本を知ることになった。

私は本書を読み「自分らしい時間を大切にすること」そして「人の話をしっかり受け止めること」。この二つの大切さを学ぶことができた。特に私の場合、相手の話が長いと、途中で話をさえぎり、私の方から言葉を出してしまう癖があることを思い出し、とても反省させられた。

ありがとうモモ。そしてこの素敵な物語を書き残してくれた著者のミヒャエル・エンデに心から感謝したい。

「モモ」を読んで③

この物語では「時間泥棒」によって、本当の意味での「生きること」を見失った人間の様子が描かれていた。

時間泥棒は、巧みな弁舌で人々を騙して時間を奪い、その奪った時間で生きているという恐ろしい「灰色の男たち」として登場します。 街全体が「灰色の男たち」という病菌に侵され始めます。結果、人々は〝時間節約〟という言葉を掲げ、せかせかと働き出しました。

また、子供達はそういう大人から遊びを奪われ、施設での勉強を強制されるのです。不満は持っていても、自分が行動す べきことなど具体的に考えることも出来ず、そのレールの上をひた走りに走ります。「よい暮らし」のため、将来のため、と信じて。

急いで食べるだけで会話のない食堂、ただほうきを動かしながら先に進むだけできれいにしない「道路掃除夫」。人々は、「灰色の男たち」に時間を盗まれてしまったために、経済的には豊かでも、心の貧しい、冷たい生活を送ることになったのです

私は、この街の様子は私達の住む現代社会そのものだと思います。「暇がない」「時間がない」と言っては自分の生活も顧みず、ただがむしゃらに働く大人。いい学校、いい会社に入るためと、学校や 塾での勉強を強いられる子供。しかし、これでいいのでしょうか。これで本当に生きていると言えるのでしょうか。

街の変貌に気付いたのはモモでした。 モモは、人の話をじっと聞くことによって、その人に自分自身を取り戻させることが出来るという、不思議な能力を持つ浮浪児です。きっと、人々に生きるということの本当の意味を悟らせるために、この世に送られてきたのでしょう。

モモは、浮浪児という、現代社会の枠の中に入っていない、自然のままの人間であり、私はモモこそ人間本来の姿であると思います。だから、現代社会の人々が持ちがちな、つきることのない欲望には縁がありませんでした。

そういう人間であるモモは、人々から奪った時間によって生きている灰色の男たちにとって、最大の敵でした。なぜな ら、灰色の男たちが奪った時間というのは、「よい暮らしをしたい」という、人々の欲望であったからです。こうして、モモの逃亡と灰色の男たちの追跡が始まったのです。

モモが“時間の国”で見たもの、それは壮大な時間の源でした。散っては咲き、また散っては咲く時間の花、音楽のように音を奏でながら差し込む光の柱。 これで、モモは初めて、時間の美しさ、尊さを知るのです。

今までの私は、「早くこの授業が終わらないかなあ。」と思ったり、また、後に楽しみがあると、それを待ち遠しく思ったりの毎日でした。私は、時間はただ過ぎ 去って行くというだけで、特別気にとめることなどなかったのです。

しかし、今は静かに、そして重々しく進み行く時を見つめ、人間一人ひとりに与えられる時間の尊さを知りました。人々の持つ時間を灰色の男たちなどに奪われてはならないのです。モモも、強くそう思ったに違いありません。だからこそ、身の危険を冒してまでも、奪われた時間を取り戻 すことが出来たのだと思います。

盗まれた時間が戻った人々、それは人間本来の姿でした。せかせかした気分が消え、安堵と希望があふれてきたのです。 忘れていた人との交流の大切さ、心の温かさをとり戻したのです。

作者は、私に時間とは生活であり、人間の心にあることを教えてくれました。 また、作者は物語の中で、「人間が時間を節約すればするほど、生活はやせ細って無くなってしまう」と言っています。これは、自分の心も顧みず、ただ時間に追われている生活では、本当の生活とは言えない、ということなのでしょう。

現代社会における時間泥棒……それは人間の心の中に存在しているのではないでしょうか。「豊かな生活をしたい」「お金を儲けたい」という欲望こそが時間泥棒であると思うのです。

私は、「豊かな生活」を送るためには、 経済面ばかりでなく、心の豊かさが必要だと思います。だから、私達の現在の生活は、本当に生きていると言えないように思えるのです。

本当の意味での生きるということは、欲望を捨て、人々が信じ合って心の交流が開けた時のことを言うのではないでしょうか。そして、そう出来たときの生活をほんとうの時間と呼べるのです。

私がモモに教えられ、初めて気が付いたこと、それは人間が人間らしく生きることの素晴らしさでした。

「モモ」を読んで④
 

「モモ」を読んで⑤
 
 



 


「モモ」の読書をきっかけに、
  人生で大切な「時間」や「自分らしい生き方」について考えてみる

 

【最重要ページ】感想文を書くにあたっての「コツ」「構成」「話の広げ方」などの詳細は下記のページに掲載しています。(気になる審査基準も掲載!)


読書感想文の書き方のコツ
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「ラブカは静かに弓を持つ」読書感想文の書き方【例文つき】 https://xn--w8j5cw67p9eaz0twix0fea7733f.com/8022 https://xn--w8j5cw67p9eaz0twix0fea7733f.com/8022#respond Fri, 04 Aug 2023 18:13:18 +0000 https://xn--w8j5cw67p9eaz0twix0fea7733f.com/?p=8022 2023年の課題図書対策!

こちらでは「第69回 青少年読書感想文全国コンクール」高校の部
『ラブカは静かに弓を持つ』の「あらすじ」や「着眼点のポイント」、そして「感想文の書き方の例文」などをご紹介いたします。

※おもに、高校生が2000字で読書感想文を書くための内容になります。


安壇美緒 著 集英社 1,760円 (税込み)
312ページ

 

~~目次~~~~~~~~~~~~~~~
「ラブカは静かに弓を持つ」あらすじ
ここがポイント!着眼点の例
読書感想文の例【例文】
他の課題図書&過去の入賞作品

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「ラブカは静かに弓を持つ」あらすじ

【2023年本屋大賞ノミネート】【第25回大藪春彦賞受賞】【第6回未来屋小説大賞第1位】【第44回吉川英治文学新人賞ノミネート】

この物語は、2017年、ヤマハらがJASRAC(日本音楽著作権協会)を相手取り、音楽教室での演奏については著作権料を徴収する権利がないとして訴訟を起こした出来事をモチーフにしている。審理中の2019年に、一般客を装って覆面ふくめん調査を行ったJASRAC職員が裁判で証言したことも話題となった。

 

(ネタばれ注意)

主人公の橘は音楽著作権連盟に務めている25歳の青年です。ある日、音楽教室で著作権が切れていない50年以内に作成された曲を練習している様子をこっそりペン型録音機に保存して裁判で有利になるように備えるというスパイ行為のミッションを与えられます。

音楽教室で演奏される曲にも著作権料金を支払うべきなので、実際に音楽教室で著作権が発生する音楽を教材として使用されていないかを確認するために、生徒として2年間の潜入調査を任命され、音楽教室へ週に一回通い始めることになったのです。

橘は5歳から13歳までチェロを習っていた経験があり、音楽教室の上級コースを受講します。そこの講師が2歳年上の浅葉桜太郎です。

橘は、中学1年生のチェロ教室の帰りに誘拐未遂にあい、チェロを辞めていた経緯があります。その時のトラウマが原因で人間不信になり、社交性に乏しい性格になっています。睡眠もなかなかできなく、病院で睡眠薬を処方してもらっている程です。

音楽教室の浅葉先生と仲良くなった橘は、飲み会に誘われます。その飲み会の参加者は、浅葉先生の生徒が先生を慕って集まっていました。橘は、同じ楽器と、同じ先生で教わっているという共通の環境にいる年齢も性別も異なる人達と打ち解けて、素直な自分を出すことできるのです。ここで、橘は芸能人に間違えられるほどのイケメンであることが分かります。

音楽教室のコミュニティを得た橘は、昔のトラウマも薄れ、精神状態もよくなります。音楽を奏でる趣味と、良い人間関係から橘の体調も改善されるのです。

橘は結局2年間のスパイ活動をやり抜きます。しかし、浅葉先生が人生を賭けた大事なコンクールに挑む時期と裁判をする時期が重なることが分かった橘は、2年間貯めた情報を会社の記録媒体の全てを消去するのです。ここはパスワードの解析などあり、スリルを感じる場面です。

しかし、橘の会社は他にもスパイを送り込んでいたため、他の人の集めた証拠から著作権を訴える裁判をされます。

バレないように教室を辞める橘は、こともあろうにお別れの挨拶の際に社章を落としてしまい、身元がバレて、今まで録音していたことも白状してしまいます。

有名チェロリストの小野瀬晃のコンサートに行った橘は、自分から絶縁した教室仲間と偶然に会い、そこで、皆が「勝手に絶縁するな」と言っていることを知ります。勇気をふり絞って、またいつも皆が集まるお店に行き浅葉先生にも謝ることが叶います。

音楽著作権連盟を辞めた橘は、また浅葉先生の教室に通うことを決める・・・。

——どんなに深くて暗い深海にあっても、希望という名のかすかな光は確かに存在している。著者は、スパイものを軸にチェロの美しい音色、トラウマを抱える青年の心理描写、信頼と希望などといったさまざまな要素を緻密に織り込み、極上のエンターテインメント作品へと昇華させた。読了後、深い感動と余韻が心に響き渡る名作!
 

「ラブカは静かに弓を持つ」着眼点の例


 
数ある本の中から、どうしてこの本を選んだのかを説明するところから書き出すのも良いでしょう。
読書感想文の書き出し例(入賞21パターン)

「信頼とはどういうものか」本書を読みこの点について考えさせられたことをまとめるのが直球的な感想文になります。橘は浅葉や生徒たちを騙している立場であり、些細なきっかけでそのことがいつバレてもおかしくはない状況にいます。橘は次第に、じわじわと罪悪感に苛まれていきます。

「正義」と「信頼」「立場」について感じたことを感想文の中心にするのもよいでしょう。

ある日、橘は他の生徒たちと、メンバーの一人が経営するレストランで小さな演奏会を行う企画に加わる。みんなで集まって演奏曲を決めている時、橘はふと、全著連への楽曲の申請が必要になると発言する。料理や飲み物を有料で提供するレストランで演奏する場合、営利目的の楽曲使用になるため、著作権管理団体への申請が必要なのだ。しかし、他の生徒たちは「この規模のイベントじゃ必要ないでしょ」「そんな申請なんてみんなやってるのかしら」などと疑問を呈する。それを聞いた橘は、なぜ楽曲の申請と著作権使用料の支払いが必要かという熱弁を奮ってしまう。・・・この場面を紹介しながら「正義」と「信頼」「立場」について考えを述べるのもよいでしょう。

本来的には、辛いはずの「スパイ行為」ですが、それを可能にしているのが「立場」といった「理由」の存在です。その点にスポットを当て「理由を与えられた人間は何でもできてしまう恐ろしい一面がある」という発見をした・・とする感想文もよいでしょう。戦争という「理由付け」があると殺人でもできてしまうのが人間です。「〇〇だから」を与えることで脳はメンタルブロックを外してしまう性質があるのです。そして「信頼」を長続きさせるためには「行動と理由とを客観視できるようにすることが大切なのではないか」と思うようになった。・・・というまとめ方もよいでしょう。

そのような橘も、過去の「トラウマ」に苦しめられています。つまり過去にとらわれ道が開かない状態の人間でもあるわけです。その点に注目し、人間のメンタルブロックを開放する「理由づけ」と、行動にメンタルブロックをかけてしまう「トラウマ」について考えたことを述べる感想文もよいでしょう。

「……よく話してくれましたね。信用してくれてありがとうございます」・・過去のトラウマから、他人を信頼できないでいた主人公でしたが、自分のことを医師に打ち明けた際、医師から返ってきたこの言葉を聞いたその瞬間「ぱっと視界が大きく開けて、目に映るすべてのものが手前にせり出してきたかのような、稀有な感覚に包まれた。それは覚えのない感覚で、世界に劇的な広がりを与えた。」・・・と心境がつづられています。この医師の言葉がトラウマから解放される切っ掛けになったといえるでしょう。この点に注目し「言葉には人を変える力があるという発見をした」とつなげる感想文もよいでしょう。また、人とのつながりを得るためには「こちらが心を開く必要がある」ことをこの場面は伝えていたのではないか、とする感想文もよいでしょう。

大人にとっての習い事とは何か、何のために学んでいるのかについての考えを中心に感想文を書くのもよいでしょう。

この点に関し著者は「大人の習い事って、私はもっと身近なものになってもいいと思ってるんです。社会人が仕事に忙殺されて、それを繰り返しているうちに人生が終わってもいいのか。それは私たち個人が悪いのではなく、社会が悪いと思うんです。人生と労働が直結されすぎているけど、もっと生活以外の大事なものに目を向けられるような社会であってほしい。全然上達しなくてもいい、やりたいからやっている、楽しいからやる、といったことだけでいい、そういうのがあるかないかで充実感とか満足度も変わってくると思うんですよね」・・と語っています。(引用元book.asahi.com

 
登場人物の立場やキャラクター設定について、感じたことやそのような設定にした理由について、自分の考えを述べる感想文もよいでしょう。また「もし、主人公の橘がトラウマを抱えていなかったら・・」など、その設定を変えた場合、物語はどうなっていたかなど「本来のキャラクターと自分の設定したキャラクターとの比較」をする感想文もユニークです。

タイトルについて触れる感想文もよいでしょう。「もし自分がこの本のタイトルをつけるなら・・」や「もしサブタイトルをつけるなら・・」など。

タイトルに使われている「ラブカ」とは、深海ザメの一種。妊娠期間が3年半という特徴を持ち、潜伏先で息を潜めて過ごすスパイのイメージに重なったという。実はこれも、担当編集者と物語の構想について電話でやりとりしているときに、手元にお菓子の「おっとっと」があり、それがたまたま期間限定「深海生物AR」シリーズで、ラブカもその中にいたという。「音楽、スパイ、ラブカなど、いろんな要素が5日以内に次々と出てきて、うまくまとまりました。たまたまいい風が吹いていたのかもしれません」・・と著者は語っています。(引用元book.asahi.com

 
「私の父はよく・・」や「本を読み終え、本の内容を父に話すと、父は・・」というように、家族の言葉を紹介する感想文にしてみるのもよいでしょう。家族の言葉を紹介する形にすることで、感想文をユニークな展開にできたり、本の内容を超えた個性的な展開にすることができます。

例)私の父はよく「本の価値はその本の内容自体より、むしろ何かを調べるためのキッカケを得られることにある」と言っているのだが、この本は私に、著作権の切れた作品を二次利用する方法を研究するキッカケをくれた。その意味で本書は、父の基準でいう「価値のある本」だったというわけだ。・・・など。

例)本を読み終え、この本の内容を父に話すと、父は「法律は小事に関与せず」という金言があることを聞かせてくれたのだが、私はその話を聞き、音楽教室の練習において著作権主張するのは行き過ぎではないかと感じた・・・など。

・・・これらの中からいくつかを取り上げ「過去の思い出」や「最近の出来事」などと絡めて感想文を書いてみましょう。
 

—–文字数を増やすために———

本書を通じ、著者はおそらく本来的には「信頼とは何か」をテーマにこの本を書いたのだと思う。しかし、どういうわけか私の場合、むしろ・・・という展開にすることで、多くの人とは異なる視点から「意外性のある感想文」にすることができます。

この本をきっかけに、私はもっと物語を読んで人生の疑似体験をしなければならないと思うようになった。・・・というまとめ方もよいでしょう。読書の大切さに気づいたとする感想は「教育的効果の表れを感じさせる感想文」であり、また どの本の感想文にも使える話の広げ方 です。

この本を読んで、物語や知識などを「伝えることの価値」「書き残すことの価値」について気づけたとする感想は どの本の感想文にも使える話の広げ方 の一例です。そして「自分も大人になったら物語や経験を本に書き残せるような大人になりたいなと思いました。」とするまとめ方も良いでしょう。
 

このようにどの本の感想文にも使える「話の広げ方」については、下記のリンク先にまとめてあります。
「文字数が足らない場合の対策」と「話の広げ方」

 

学校などの教育機関が与える課題は「教育的成果」を期待してのものです。そのため、教育機関からの課題としての読書感想文を書くにあたっては「どのような学びを得ることができたか」を感じ取れる感想文にすることが大切です。
 

「ラブカは静かに弓を持つ」読書感想文の例【例文】

以下に、読書感想文の例文をご紹介いたします。文字数はまちまちですが「書き方」「着眼点」の参考にしていただければと思います。

便利な文字数カウンター

「ラブカは静かに弓を持つ」を読んで①

※以下の感想文は動画の感想文を横書きにしたものです。

主人公の橘はスパイです。スパイ小説ですが、カーチェイスも、銃撃戦も、肉弾戦のバトルもありません。心温まる物語です。

橘は音楽著作権連盟に務めている25歳の青年です。音楽教室で演奏される曲にも著作権料金を支払うべきなので、実際に音楽教室で著作権が発生する音楽を教材として使用されていないかを確認するために、生徒として2年間の潜入調査を会社から極秘に任命され、音楽教室へ週に一回通い始めます。

橘は5歳から13歳までチェロを習っていた経験があり、音楽教室の上級コースを受講します。そこの講師が2歳年上の浅葉桜太郎です。

スパイと言えば、凶悪犯罪組織や、国家を揺るがす闇の団体などが、映画やアニメなどでは世の常だと感じていました。しかし、この本は音楽教室で、著作権が切れていない50年以内に作成された曲を練習している様子をこっそりペン型録音機に保存して裁判で有利になるように備える。というミッションです。もちろん、世界を救いません。むしろ、そこで演奏する曲に、お金を払わなければいけないということが驚きです。自転車に乗りながら熱唱している人を時々遭遇しますが、その場に橘がいたら、猛ダッシュして金払えと言って、追いかけてくるのではないかと、おののいてしまいます。

橘は、中学1年生のチェロ教室の帰りに誘拐未遂にあい、チェロを辞めていた経緯があります。その時のトラウマが原因で人間不信になり、社交性に乏しい性格になっています。睡眠もなかなかできなく、病院で睡眠薬を処方してもらっている程です。

私は、いつも眠りたがりです。特にお昼ご飯を食べた後は制御不能な程眠くなります。闇の組織が私のご飯に強力な睡眠薬を入れているのではないかと錯覚するくらい眠くなります。しかし、橘は睡眠薬を飲まなければ、寝れないとは、そんな大変な精神状態の気持ちが分かりません。眠りたくても寝れないのは凄いく辛いことなのだと感じます。私の睡魔を分けてあげたいです。

音楽教室の浅葉先生と仲良くなった橘は、飲み会に誘われます。その飲み会の参加者は、浅葉先生の生徒が先生を慕って集まっていました。橘は、同じ楽器と、同じ先生で教わっているという共通の環境にいる年齢も性別も異なる人達と打ち解けて、素直な自分を出すこともできるのです。ここで、橘は芸能人に間違えられるほどのイケメンであることが分かります。楽器が上手なイケメンとは無敵ではないか。イケメンに一つの特技を与えれば無敵の方程式が分かりました。ここではイケメン×チェロ×スパイです。その他には、イケメン×あやとり×射撃精度もありますが、この場合、イケメンを外すとのび太になります。

音楽教室のコミュニティを得た橘は、昔のトラウマも薄れ、精神状態もよくなります。音楽を奏でる趣味と、良い人間関係から橘の体調も改善されるのです。

私はスパイ活動を辞めて欲しいと願いながら読みましたが、橘はスパイをやり抜こうとします。結局2年間のスパイ活動をやり抜きます。しかし、浅葉先生が人生を賭けた大事なコンクールに挑む時期と裁判をする時期が重なることが分かった橘は、2年間貯めた情報を会社の記録媒体全てを消去するのです。ここはパスワードの解析などあり、ドキドキしました。これで、裁判になることは無く、この人間関係を保てると安心しました。

しかし、橘の会社は他にもスパイを送り込んでいて、他の人の証拠で著作権を訴える裁判をおこすのです。ただ、他の人なので橘と浅葉先生は直接関係なくなります。バレないように教室を辞める橘は、こともあろうにお別れの挨拶の際に社章を落としてしまい、身元がバレて、今まで録音していたことも白状してしまいます。ドジ過ぎます。凄くいい関係だったのに、ケンカ別れしてしまうのだからショックが大きかったです。

有名チェロリストの小野瀬晃のコンサートに行った橘は、自分から絶縁した教室仲間と偶然に会い、そこで、皆が勝手に絶縁するなと言っていることを知ります。勇気をふり絞って、またいつも皆が集まるお店に行き浅葉先生にも謝ることができるのです。

会社を辞めた橘は、また浅葉先生の教室に通うことができ、二人の絆が深くなったように感じました。

小野瀬晃の曲を聴きたくなって、小説にでる映画や、主題歌の曲を検索しましたが、架空の人だったので驚きました。本の説明だと誰もが聴いたことあるような、坂本龍一の曲のようなイメージでした。

師弟愛が分かりました。最後まで橘が浅葉先生の裁判用データを消したことを言わないところの性格もイケメンだと感じました。
 

 
 
「ラブカは静かに弓を持つ」を読んで②
 
みなさんは、物語や音楽に感動した経験はありますか?また、それらによって、自分の心がどのように揺さぶられ、コントロールされているかを考えたことはありますか?正直に言うと、私は「ラブカは静かに弓を持つ」を読むまで、そのような高度な問いが浮かんだことはありませんでした。しかし、この作品を読み、私にとっては珍しいそのような問いが頭に浮かぶこととなりました。

この物語は、25歳の男性・橘が音楽著作権連盟に所属し、音楽教室で著作権違反がないかを調査するためにスパイとして潜入するという話で、潜入先の音楽教室での先生との信頼が徐々に深まるなか、任務としてのスパイ行為をしなければならないという葛藤に苦しむ様子や、信頼していた先生への裏切りやその後の仲直りする様子などが、巧みな心理描写などとともに描かれた物語でした。

私はこの物語を読み、スパイとしての橘の心理状態の描写や、物語の展開に感動しました。しかし、それ以上に「物語」と、この作品のテーマの一つである「音楽」との共通点に気づき、さらに、そこから派生して気づいた二つの大発見が、私にとっての最大の収穫となりました。私は物語を読むことも音楽を聴くことも好きなので、たまたまこの発見ができたのかもしれません。

物語と音楽は、一見、全く異なるもののように思えますが、実は「特定の感情を作るための創作物」という点では共通しています。また、効果的に特定の感情を作り出すためには、順序立て、つまり並べ方や構成が重要なところも共通している部分です。物語は「知識の提供順序」、音楽は「音の配列」で、この構成の違いにより私たちの感情の変化も変わるわけです。

ここで注意すべきは、物語や音楽がしばしばマインドコントロールの道具として悪用されるということです。例えば、悪徳宗教団体などが「作り話」や「宗教的な音楽」を利用して信者を操ることはよく知られたことです。よって、それと同じような状態にならないように、読書や音楽に触れて「感動した」という場合も、ただ「感動した」と喜ぶだけでなく、「感動させられた」という捉え方も必要だということです。作品という「作り話」や「曲」によって、私たちは意図的に「心をコントロールされた状態」になっているからです。

この本を読み、私は感動しました。しかし、それは著者に「感動させられた」という状態でもあったのです。この発見を通じて、私はこれからは物語を読んだり音楽を聴く際は「作品によって心をコントロールされない自分」を作るトレーニングを兼ねた読書をすることを決めました。

そして、この作品から得たもう一つの発見は「人間の行動と理由の関係」についてです。橘のスパイとしての生活は、本来的には辛いはずです。しかし、彼がそれを可能にしているのは、音楽著作権連盟の職員であるという「立場」の存在、言い換えれば「理由」の存在です。つまり「理由を与えられた人間は何でもできてしまう恐ろしい一面がある」ということです。

考えてみてください。戦争という「理由付け」があると、人間は人殺しですらやれてしまうのです。「〇〇だから」という理由があれば、私たちの脳はメンタルブロックをいとも簡単に外してしまえる性質があるのです。

「手術のためだから」といって外科医は他人の体にメスを刺せるようになります。「ボクシングの練習だから」という理由があれば、人は当たり前に他人の顔をなぐれるようになります。「銭湯だから」という理由があれば日本人はその瞬間から人前で裸になれます。また、これからの日本はおそらく「食糧難だから」という理由づけで昆虫を平気で食器の上に置けるようになるでしょう。

そういう例を意識できるようになったために、私は、人間の行動とそれにゴーサインを出させる「理由づけ」を冷静に客観視することが大切だと分かったのです。

著者はおそらく、この「ラブカは静かに弓を持つ」という作品を通じ、本来的には読者に「信頼とは何か」や「法律やルールと人間関係のありかた」などをテーマにこの作品を書いたのだと思います。しかし、私にとって本作は「物語や音楽の持つ感情操作の力」や、「人間のメンタルブロックを開放する理由づけの恐ろしさ」に気づかせる切っ掛けをくれた記念すべき本という位置づけになりました。

現代に生きる私たちは、常に外からの情報にさらされ、心を動かされ、行動をコントロールされる環境にいます。しかし、それらの背後にある真実に気付き、防御できる考え方を身に着けることで、自分自身を保つようにしなければなりません。

この作品を読んだことで、私は感動とともに自分自身と他者、そして情報の溢れる現代社会での生き方を見つめ直すことができました。また「信頼」とは「コントロールされる、されない」といった心配や駆け引きのない人間関係のことではないかとも思うようになりました。このような大きな気づきを私に与えてくれた本書の著者には最大限の敬意と感謝の気持ちを送りたいと思います。
  


 

・法は小事に関与せず(格言)
・時代の変化とともに正義は変わる
・信頼は証拠不要、信用は実績による
・信頼されるに値する人であれ

 

用紙・字数のルール その他

原稿用紙を使用し、縦書きで自筆してください。原稿用紙の大きさ、字詰に規定はありません。
文字数については下記のとおりです。

小学校低学年の部(1、2年生) 本文 800字以内
小学校中学年の部(3、4年生) 本文1,200字以内
小学校高学年の部(5、6年生) 本文1,200字以内
中学校の部 本文2,000字以内
高等学校の部 本文2,000字以内

※句読点はそれぞれ1字に数えます。改行のための空白か所は字数として数えます。
※題名、学校名、氏名は字数に数えません。

応募のルールについての詳細は主催者ページで発表されます。
「青少年読書感想文全国コンクール応募要項」
 

他の課題図書&過去の入賞作品

2023年の高校生用の課題図書は次の3冊です。
クリックすると解説ページが開きます。

過去の課題図書の紹介

過去の課題図書も「自由読書」のジャンルとして感想文を提出することができます。そのため、どの本を読もうか迷っている場合「書き方のアドバイス」や「例文」が存在する過去の課題図書の中から本を探してみるのも得策です。

2022課題図書

2021課題図書

2020課題図書
 
2019課題図書

2018課題図書

2017課題図書

2016課題図書
 

また、長年読み継がれている「名作」の中から感想文を書く本を選ぶのもよいでしょう。こちらも書き方のアドバイスや例文つきです。
名作おすすめ本一覧
 
書き方の参考用に、過去の入賞作品の紹介ページも作りましたのでご活用ください。

【最重要ページ】感想文を書くにあたっての「コツ」「構成」「話の広げ方」などの詳細は下記のページに掲載しています。(気になる審査基準も掲載!)

読書感想文の書き方のコツ
(テンプレートつき)

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https://xn--w8j5cw67p9eaz0twix0fea7733f.com/8022/feed 0
『アップステージ』読書感想文の書き方【例文つき】 https://xn--w8j5cw67p9eaz0twix0fea7733f.com/7972 https://xn--w8j5cw67p9eaz0twix0fea7733f.com/7972#respond Wed, 02 Aug 2023 16:27:29 +0000 https://xn--w8j5cw67p9eaz0twix0fea7733f.com/?p=7972 2023年の課題図書対策!

こちらでは「第69回 青少年読書感想文全国コンクール」中学校の部
『アップステージ』の「あらすじ」や「着眼点のポイント」、そして「感想文の書き方の例文」などをご紹介いたします。

※おもに、中学生が2000字で読書感想文を書くための内容になります。


ダイアナ・ハーモン・アシャー 作 武富博子 訳 評論社 1,760円 (税込み)
376ページ


 

~~目次~~~~~~~~~~~~~~~
「アップステージ」あらすじ
ここがポイント!着眼点の例
読書感想文の例【例文】
他の課題図書&過去の入賞作品

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 

「アップステージ」あらすじ

シーラは恥ずかしがりやで、いつも人前では目立つことを避けていました。しかし、その彼女がハリブルック中学校で開催されるミュージカル「ザ・ミュージック・マン」に参加することになると、学校中がその話題で持ちきりに。実は、シーラは隠れた歌の才能を持っていました。

オーディションを受けることを強くすすめられ、シーラは緊張の中、自分の歌声を披露します。その結果、彼女は四人組の合唱団の一人に選ばれる。練習を重ねる中で、シーラは次第にこのミュージカルを心から愛し、自分の役に深く取り組むようになります。

しかし、練習の途中でシーラの前に立ちはだかるのは、さまざまなトラブルと恋の問題。ヒロイン役のモニカからの嫌がらせや、主役ハロルド役のポールと大道具スタッフのドルーとの三角関係の悩みなど、シーラを待ち受けていたのは困難な道のりでした。

しかし、彼女は困難を乗り越え、とうとうミュージカルの幕開けの日を迎えます。しかし、舞台の途中で予期せぬアクシデントが起こり、モニカがヒロインの役を降りることとなります。そこで主役の座に立つこととなったのは、シーラ。予期せぬ展開にもかかわらず、彼女はヒロイン・マリアン役を見事に演じきり、舞台上で輝いたのでした。

この物語は、隠れた才能を持つシャイな人々へのエールであり、自己開示の勇気を称え、絶対音感のような特殊な才能だけでなく、誰もが持つ可能性を信じることの大切さを教えてくれます。シーラは、挑戦の連続の中で成長し、輝かしいステージでその才能を開花させるのです。その過程で、シーラは友情、妬み、そして初めての恋についても学びます。

全てが彼女を形成し、最終的には自分自身を理解し、自己受容することができるようになるのです。これは一人の少女が、自分の恐怖を乗り越えて真の自分を見つけことになります。
  

「アップステージ」着眼点の例


 
数ある本の中から、どうしてこの本を選んだのかを説明するところから書き出すのも良いでしょう。
読書感想文の書き出し例(入賞21パターン)

著者がこの作品を通じ伝えたかったメッセージを考え、そのテーマに関する最近のニュースや自分の経験を紹介し「共通点」や「相違点」を伝えつつ、考えさせられた点を感想文の中に表してみましょう。

この物語は、恥ずかしがり屋のシーラがその役割を超えて大きく成長し、最終的には舞台で主役以上の輝きを放つことになりますが、この物語の核心部分を題材として話を広げる感想文もよいでしょう。

例)本書を読み終え、おそらく著者は自分の適性や潜在的な才能を知るためにも「さまざまなことを躊躇せず大胆にやってみることが大切だ」ということを伝えようと、あえて「舞台」という逃げられない環境に主人公を置いたのではないかと思いました。・・・など。

例)人間が緊張する「人前」の典型的ともいえる「舞台」において、主役以上の活躍をしたシーラの様子を通じ「逃げられない環境に身を置く」ことが人間的な成長には必要だいうことを伝えたかったのだと思いました。「人は人前に立ってこそ成長する」これこそが私がこの本から学んだ一文です。・・など。

例)格言に「背水の陣をひけ」という言葉がありますが、シーラは舞台という逃げられない環境に身を置くことで、大きく成長したわけですが、まさに背水の陣によって人生を切り開いた典型ともいえる主人公だったのだと思います。・・など。

物語を一言であらわせば「シーラがシャイな自分を克服し成長する話」となりますが、この「成長」に似た言葉に「成功」がありますが、この物語を読んで「成長と成功の違い」や、どちらを目指すべきかなど「成長」と「成功」についての自分の考えを述べる感想文もよいでしょう。「この本は私に、成長と成功の違いについて考えるきっかけをくれた。」・・とする切り口もよいでしょう。そして「成功は一瞬の出来事の場合もあるが、成長は無限だ。」などのまとめ方もいいでしょう。

「アップステージ」というタイトルについて考察してみましょう。

例)おそらく「アップステージ」というタイトルは、読者に「ステージアップ」して欲しいという願いから、ステージアップとアップステージを掛けた言葉遊びでつけたタイトルだったのではないかと感じました。・・など。

※本来「アップステージ」は、文字通りには「舞台上」という意味ですが、ここでは「主役を超える活躍をする」という意味合いも含まれています。この物語は、恥ずかしがり屋のシーラがその役割を超えて大きく成長し、最終的には舞台で主役以上の輝きを放つ物語です。

「私の父はよく・・」や「本を読み終え、本の内容を父に話すと、父は・・」というように、家族の言葉を紹介する感想文にしてみるのもよいでしょう。家族の言葉を紹介する形にすることで、感想文をユニークな展開にできたり、本の内容を超えた個性的な展開にすることができます。

例)本を読み終え、この本の内容を父に話すと、父は「他人の目なんて気にするな、人間は自分のことばかり意識しているものなんだから、他人のことなんて見てやしない。失敗したとしてもそんなことはすぐに忘れるものだ。」とアドバイスをしてくれました。・・・など。

例)本を読み終え、この本の内容を父に話すと、父は「お前が死んだら葬式に何人来てくれるか考えてみろ。その人の人生で一番の出来事である “死” に対してでさえ興味を示して足を運んでくれる人なんて一握りしかいないんだ。人間はいつも自分に関係したことばかり考えているものなんだ。だから他人の目なんて気にするな。」と言っていたことも思い出されたのですが、この本を読み、父の言っていたその言葉が、改めてまったく真理だと感心させられました。

本書のどこかの部分を読んで頭に浮かんだ「ことわざ」や「名言」「誰かの言葉」などを書き出し、その言葉の意味を本書によって、あらためて大切なものだと考えるようになった・・というような感想文もよいでしょう。

例)あるときAKB48・チームKから「緊張しないコツ」を聞かれたタモリさんは「コツなんかない」と即答。そして「緊張できることをやらせてもらっていることを、幸せだと思いなさい。」と応えたそうです。(まさに名言!)

この本を読む前と、読んだ後では自分の才能や、他人の目を気にする人間の性質に対してどのような考え方変化があったか。ひいては人生を成功させる秘訣のようなもので何か学んだことは何かを発表する感想文もよいでしょう。

この本をきっかけに、私はもっとたくさんの本を読んで人生の疑似体験をすべきだと思うようになった。物語は人生の予行練習のように役立つものだと本書を読んで発見したからだ。・・・という方向で感想文を書くのもでしょう。「読書の大切さ」に気づいたとする感想は「教育的効果の表れを感じさせる感想文」であり、また どの本の感想文にも使える感想文の広げ方 です。

この本を読んで、知識や経験などを「伝えることの価値」「書き残すことの価値」について気づけたとする感想も どの本にも使える感想文の広げ方 の一例です。そして「自分も大人になったら物語や経験を本に書き残せるような大人になりたいなと思いました。」とするまとめ方も良いでしょう。

※どんな本にも使える「感想文の広げ方」については、下記のリンク先にまとめてあります。
「文字数が足らない場合の対策」と「話の広げ方」

・・・これらの中からいくつかを取り上げ「思い出」や「最近の出来事」などと絡めて感想文を書いてみましょう。

 
学校などの教育機関が与える課題は「教育的成果」を期待してのものです。そのため、教育機関からの課題としての読書感想文を書くにあたっては「どのような学びを得ることができたか」を感じ取れる感想文にすることが大切です。
 

「アップステージ」読書感想文の例【例文】

以下に、読書感想文の例文をご紹介いたします。文字数はまちまちですが「書き方」「着眼点」の参考にしていただければと思います。

便利な文字数カウンター

「アップステージ」を読んで①

※以下の感想文はこの動画の「モデル文」を横書きにしたものです。

テレビを見ていた時だった。メジャーリーグで活躍する選手がインタビューを受けている。アナウンサーが、「あの大舞台で活躍できるって、すごいですよね。緊張しないんですか?」と尋ねた。僕は、一流選手はなれているから緊張しないと思っていた。すると、意外な答えが返ってくる。「いやいや、すごく緊張しますよ。」どうして緊張するのに、すごいパフォーマンスができるんだろう。

読んでわかったことは、シーラと僕は少し違うということだ。シーラはすごい力を持っていることに気づいて、仲間と力をあわせながら自信を付け、本番で力を発揮した。僕にはそんな力はない。というのも…

僕は中学校からバスケ部に入った。家族と一緒に見た映画をきっかけに、中学からはバスケがやりたいと思った。周りには、多くのバスケ経験者がいる。実力では及ばない。だけど、うまくなりたくて、試合に出たくて、僕は暑い中でも練習を頑張った。予想よりも早く、僕は試合に出るチャンスを掴むことができた。

と言っても、練習試合の最後に組まれた1年生同士のゲームだ。全員が出られる試合だったけれど、めちゃくちゃ緊張した。自分の体が震えているのがわかった。初めて試合に出た僕は、結局何もできないまま時間だけが過ぎていった。シーラみたいに実力があるわけでもない。僕の場合は、どうしたら緊張を乗り越えられるか、これが優先課題だ。

練習試合の日の晩ごはん、「今日の練習試合はどうだった?」と父に聞かれ、「全然ダメ。何もできなかった」と正直に伝えた。「まだデビュー戦だし、仕方ない。またチャンスは回ってくるよ」と励ましてくれたものの、僕の心は晴れなかった。「ねえ、どうしたら緊張しなくなるかな」と聞くと、父が、緊張について2つのことを教えてくれた。

1つ目は、緊張するということは、それだけ本気になっているということ。真剣に取り組みたい、いい結果を残して、チームのために貢献したいと思っているから緊張するんだって教えてもらった。確かに、これまでも緊張する場面では、失敗したくないとか、これまでの練習を無駄にしたくないとか思っていた。緊張することは悪いことじゃないということがわかった。

2つ目は、父が中学生の時に、部活の顧問の先生がしつこく言っていた言葉だ。「練習は本番のように。本番はいつものように」僕の父もバスケ部だった。「いつも先生が口酸っぱく繰り返して言ってた言葉だ。練習のための練習はするなって。練習は本番のためにするもの。だから、毎日の練習は、試合本番のつもりでやらないと意味がない。本番で特別な力が出せるのは、練習を本番のつもりでやったご褒美みたいなものだ」

—–以下のつづきは管理人の作成例です——————————

なるほどと思った、シーラは本番直前まで真剣に練習していた。僕はどうだったか。シーラほどの緊張感をもって練習に臨んでいただろうか。僕はこの本を読んで、本の内容以上に、父からのこの二つの考え方を聞けたことのほうが、正直言ってためになった。さらに、この言葉を聞き、僕は、緊張できるようなことをさせてもらっていることに感謝できるようにもなった。

「緊張する、緊張する」と焦ってばかりで、これまでの僕は緊張できるようなことをさせていただいていることに感謝の気持ちなど、まったく持っていなかった。ところがどうだろう「緊張するような重大なことを今させていただいているんだ」と思ったとたん、感謝の気持ちと前向きな姿勢が一気に湧き上がることに気づけたのだ。

本のタイトルは「アップステージ」だが、著者はおそらく、この本の読者の人生を「ステージアップ」させるためにこの本を書いたのではないだろうか。少なくとも今の僕にはそのように感じさせた、感謝すべき一冊となった。
 

「アップステージ」を読んで②

みなさんは一人で何か大きなことを達成したことはありますか? 実は私にはそのような誇れる経験は一つもありません。
読書感想文の書き出し例(入賞21パターン)

感動的な成功体験をするためには多くの要素や周囲の人との関係が大事なのだと私にもなんとなく分かります。それぞれの役割に徹し、そして裏方として活動する人々の協力が絶対不可欠です。これは、”大きな舞台”から日常の生活に至るまで共通する事実でしょう。

私はこの本「アップステージ」を読み、まるで自身の人生を客観的に見つめ直すための疑似体験ができました。私はこの本を読んで、人間は心構えや意識を変えること、また実際に一度経験してみることで未来の自分を変えることができることを発見しました。

私は、父の田舎の郷土芸能クラブで、和楽器の演奏の発表に参加した経験を思い出されました。本の中のキャラクター、モニカのように、稽古の最中に無理な要求をしてくる大人がいました。その結果、グループ全体の雰囲気が緊張してしまいました。しかし、高齢の師匠の励ましと指導の結果、私達は再び集中して練習に打ち込むことができました。

そして、最終的に発表会の直前に、師匠が「あなたたち全員が精いっぱい頑張ってきたのだから大丈夫」と励ましてくれました。それは本の中のフーバー先生が全員に声を掛けていた様子と酷似していました。一人ひとりの努力を見て、必ずや達成できると信じてくれるその言葉は、私たちにとって心からの喜びでした。

私自身、演劇の経験はありませんが、部活での経験から、何かを成し遂げるためには今の自分を超えることが必要だと感じました。そしてその時に役立つのが、「なりきる」というスキルです。その結果、困難を乗り越えることができ、自信を得ることができました。

この本を読み進める中で、その「なりきる意識」が何よりも価値のあるものであると感じました。役になりきるというのは、実は日常生活にも非常に役立つものです。自分が勇敢な戦士だと思えば、その勇気が湧き上がるようなものです。私は、シーラがマリアンの代役を引き受け、練習を通じて彼女になりきろうと努力するシーンに特に感激しました。それにより、シーラはマリアンが話しかけられたいという深層心理を見つけ出し、自身の内面を探るきっかけをつかみました。

さらに、本の最後で、シーラがシャイな性格を克服し、大勢の観客から喝采を浴びる役を演じ切ったのは、自分自身の内面を表現し、他人に影響を与える大切さを教えてくれます。

表現することの大切さは、シャイな人々にとって特に重要なのだと思います。多くの場合、気が弱くシャイな人は他人の目を極度に気にします。しかし、そういった考え方や反応をやめ、本来の自分の中身を大切に思い「評価してくれる人がいる」と信じることが重要なのだと思います。これができれば、他人に影響を与え、感動を与える存在になることができるでしょう。

シャイな主人公の設定を読み進めるうち、私は父が以前語った言葉を思い出しました。それは「他人の目なんて気にするな、人間は自分のことばかり意識しているものなんだから、他人のことなんて見てやしない。失敗したとしてもそんなことはすぐに忘れるものだ。」という言葉です。

また父は「お前が死んだら葬式に何人来てくれるか考えてみろ。その人の人生で一番の出来事である “死” に対してでさえ興味を示して足を運んでくれる人なんて一握りしかいないんだ。人間はいつも自分に関係したことばかり考えているもんなんだ。だから他人の目なんて気にするな。」と言っていたことも思い出されたのですが、この本を読み、父の言っていたそれらの言葉が、改めてまったく真理だと感心させられました。

さらに、私の家の近くにある教会の牧師さんの言葉も思い出されました。牧師さんは言います。「みなさんは神に祝福されて生まれてきたのです。神はあなたがたが成功するための段取りを考えながら、あなたが行動することを今か今かと首を伸ばしてまっているのです。だから行動しなさい。神をイライラさせてはいけません。」と。

私たち人間は「見てもいない他人」を恐怖し、行動に制限を加えているのでしょう。心理学ではこのような制限を「メンタルブロック」というのだそうですが、メンタルブロックをはずすためにも、また自分の才能に気づくためにも、まずは「やってみる」というスタンスが大切なのだと、この本を読んで理解できました。

また、本書の「アップステージ」というタイトルは、読者のステージをアップさせるための「ステージアップのための本」であることを、暗に言葉遊びのようにしてつけたタイトルだったのではないでしょうか。

つまり、シャイで臆病なために行動に移せないでいる人に向けて、著者がエールを送るような気持ちで書いた本なのではないかと感じました。

まとめれば、私はこの本を読み「自分が得意なことや好きなことを素直に表現して頑張ることの重要性」そして「まずはやってみるという姿勢の重要性」を再確認できました。
 

※書くことが思いつかない場合に「話を広げるヒント」はこちら!
「文字数が足らない場合の対策」と「話の広げ方」
 

 
以下、完成次第、追加掲載いたします。
 
 


 

緊張しない秘訣は・・
 「緊張できることをさせていただいていることに感謝すること」

 

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