【銀河鉄道の父】あらすじと読書感想文とこんな人にオススメ


「銀河鉄道の夜」や「雨ニモ負ケズ」と言えば小学校の教科書にも載っていましたが、最近は「風の又三郎」「よだかの星」なども題材になっている宮沢賢治です。
仏教(法華経)信仰と農民生活に根ざした創作を行った弱者の味方であふれる才能がありながら早世してしまった人としてその死を悼み尊敬される人・・・というのが今までの宮沢賢治のイメージでした。

それが実は対人恐怖症のコミュ症で、親に金の無心ばかりし、デカい口ばかりきき、妹へ危ないシスコン傾向や、追い詰められて父への嫌がらせで宗教に走った人と聞いたら?

世の中には「えっ?!あの偉人だった人がそんなことをっ?!」とかなりドン引きしてしまうような一面もあると知るとその功績もちょっと霞んでしまいますが、急に自分たちと変わらない身近な人に感じられるものです。

【銀河鉄道の夜】は宮沢賢治の父・政次郎から見た宮沢賢治という愚息の「子育て記」なのです。「威厳ある父であるべき」と「息子への愛情が止められない」相反する感情を持て余しながら、息子を見送った父親の回想記のような物語です。
これは、ある意味読んだ人に勇気を与える作品です。

こちらでは
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【銀河鉄道の父】あらすじとネタバレ・こんな人にオススメ
【銀河鉄道の父】読書感想文

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【銀河鉄道の父】あらすじとネタバレ・こんな人にオススメ

【登場人物】
宮沢政次郎
岩手県花巻で先代から質屋、古着屋を営む地元でも有数の商家の主人で賢治の父親。小学校では「花巻一の秀才」と呼ばれ進学を希望したが、父親喜助から「質屋に学問はいらね」と卒業後家業を継ぐことになった。厳しい家長であることを志すが、賢治を甘やかしてしまう。浄土真宗に信仰があった。

宮沢賢治
宮沢家の長男。幼いころから病弱で2度の大病で政次郎が看病する。
鉱物に興味を示し小学校では勉強もできたが、中学では金の無心はしつつ成績はガタ落ち。
商いのセンスもないので家事手伝いになったが、埒が明かないので盛岡高等農学校に進学。
卒業後「農民のために」の名目で土壌調査補助の仕事をするが文化的な生活をしたいのでやはり親に金の無心をする。
妹トシが病気となった時、童話を書くことを進められつつ、「人造宝石」作りなど雲をつかむような事業の資金を無心。
大反対されたのをきっかけに法華信仰に走りついには東京に家出する。
家出中、仕送りを断り創作活動をはじめるがトシの病気が再発し帰郷。その後、子供の心を知るために学校教師になったり、農民の苦難を知るためみずから土地を開墾したり、日の芽の当たらない創作活動をしながら再度結核になる。

宮沢トシ
賢治の上の妹。学問優秀で、中学も主席卒業、東京の女学校(今でいう女子大)に通う。頭脳明晰で、時に父親の政次郎も言い負かしてしまうが兄・賢治とは仲が良く、童話作家になることを進める。しかし結核にかかって夭折してしまう。

宮沢清六
賢治の弟。政次郎の期待以上に商才があるしっかり者に成長し、宮沢家の商売変えをし自動車部品などの販売事業を始める。兄を慕って、本の売り込みや、イベント準備など色々協力をする。

宮沢喜助
政次郎の父、賢治の祖父。現在の質屋の一代目で堅実な仕事をしてきた。「質屋に学問はいらない」と古く厳しくものを考える。

【銀河鉄道の父】あらすじ・ネタバレ

宮城県で質屋を営み、地元でも有数の商家の二代目宮沢政次郎に待望の長男「賢治」が生まれた。

政次郎は「花巻一の秀才」と呼ばれるほど秀才だったが父・喜助から「質屋に学問はいらね」と進学は許されず2代目となった。
本来、頑固さ厳しさはない政次郎だが、家長たるもの家族に生をさらさず常に威厳を保ち、笑顔を見せず嫌われ者たるをひきうけ「生活はするものではなく、つくるもの」が信条。だが賢治が赤痢にかかると自ら感染しても熱心楽しみながら看病にあたり、喜助からは「お前は、父でありすぎる」「甘やかすな」と苦言を呈された。

小学生の賢治は成績優秀の悪ガキで火事を起こしても絶対に口を割らない頑固さがあり、政次郎は『こんな小さなことで賢治の未来に傷をつけることはできない』と不問に付す親バカで鉱石集めに熱中するなどはつらつとしていたが、卒業時に店番をさせてみると全くできなかった。
喜助は進学を反対するが、中学に進ませると仕送りばかり要求し、学業成績も落ちる一方。
卒業後相変わらず家業は継げる能力はなく、ニート生活となり「農民は哀れだ」などと法華経にハマる様子が常軌を逸しているので仕方なく高校農業科に進学を許した。

高校進学後の進路を聞くと「飴工場をやりたい」(政次郎の出資で)と言ったり、卒業後バイト代程度の高校の土石調査補助をしたが、文化的生活のための生活費を無心する手紙を頻繁に書いてよこした。
軽症だが結核で仕事はやめて戻ってくることになるが、女子大進学中のトシも肺炎となり賢治と母で東京に看病に行く事した。この時トシに作家になる事を進められたが、実家に戻って今度は「人造宝石を作る」資本金を要求し飽きれた政次郎に言いくるめられた。
それから賢治は政次郎へのコンプレックスも相まみえ反抗的になり「宗教に生きる」と法華経の団体に入信し、檀家である宮沢家の浄土真宗を「嘘いつわりの宗派」と日々論争を戦わせた挙句、賢治はついに家出してしまう。

7か月後、トシの結核が再発し賢治は大きなトランクに書き溜めた童話を抱え東京から戻ってきた。やがて農学校教師の職が見つかり、童話を書くのに子供心を知れると熱心な良い教師となり、童話執筆に喜びを見出すようになり、詩や小説が岩手新聞に乗ると、政次郎は誇らしさと嬉しさでとうとう賢治は(ふつうの大人になれた)と目頭を熱くした。

次男の清六が中学を卒業し跡継ぎにすることにしたが質屋からの商売変えは任せることにした。
トシの病状は徐々に悪くなり、賢治は付きっきりになるが、トシがいよいよ臨終という時に家長として「言い残すことはあるか」と言葉を残してやろうと遺言を迫ると、それに激怒した賢治は父を脇に突き飛ばし「南無阿弥陀仏」を必死でとなえ、トシは何も言い残せないまま息絶えた。
葬式中賢治は部屋に閉じこもり、トシの遺言かのように捏造した詩を創作し、現実の妹より自分の心の世界に溺れていたことにならないか?と政次郎は賢治に憤りを感じた。

賢治は知り合いに金を借り、詩集を自費出版し2冊目は童話集を出版した。政次郎は自費出版には苦い顔をしたものの、教師生活が執筆活動に役立っていると素直に褒め、さすが質屋の息子で教職と共通点があるとして「両方弱い人間相手の商売」というと、賢治は顔色を変えその年の暮れには教師を辞め、家を出て生前の喜助の隠居部屋に越していった。
最初は「詩人としては生きる事の苦しみを書きつらねてきたのに、ちっとも農民の苦しみを知らなかったので体感したい」との事だったが政次郎は2冊出した本が売れなかった事への悔しさと執筆に専念したいからではないか?と問いただしたが曖昧な答えしかしなかった。

賢治は政次郎の支援は受けず、貧しい生活で原稿を書き音楽鑑賞会や読書会など芸術に深入りほどに心身は追い込まれた。清六からは賢治が「タバコを吸っていた」と聞き、政次郎と母イチは青ざめる。当時結核菌はニコチンに弱いという俗説が通用し、賢治のそれは結核が再発した証だった。
無理矢理病院に連れて行き、賢治は坂を下るように体調を崩していった。だが土壌や植物生理学、肥料相談など農家に対しても無料開催し、さらに東京に視察に行き結核が重症化して帰ってきた。

実家療養になり、寝たきりになると政次郎は子供時代のように看病に当たり、賢治は「2冊出しただけで才能があると勘違いした…傲慢であった、机に向かえない」と弱音を吐くと、政次郎はなおも息子を成長させたい父親の業で厳しく叱咤激励し過ぎる自分を感じながら、賢治にわらべ歌を歌い聞かせ寝かし付けるのだった。

賢治は清六に書き溜めた原稿を託し以来起きられなくなった。だがいよいよダメだろうと思われた時、賢治はすさまじい顔で法華経のお題目を唱え、政次郎が遺言を訪ねると「日本語訳の妙老法華経を千部作ってみんなに配布して欲しい」と願った。そして「あとで、また」の言葉に安心し、イチ以外全員席を離した隙に賢治は息絶えた。

政次郎には自分の死に目を見せない事は賢治が故意にした(遊び、いたずら)だったと確信していた。孫たちには「雨ニモ負ケズ」は「私はなりたいと言ったただの夢、言葉遊び」と説明した。
清六にゆだねた賢治の作品は東京の出版社から出され、にわかに注目を浴びていた。「銀河鉄道の夜」は未完なので死んだら続きを聞きに行くと政次郎は孫に言い、賢治と宗派はちがうが、遺言通り妙法蓮華経という本作りを体験したときに感じた楽しさと賢治を生前より近く感じることが出来、ようやく打ち解けたような気がして、ふと改宗しようかと思いつくのだった。(完)
 

岩手県を代表する作家、宮沢賢治ですが父・政次郎からしてみると謙遜ではなく「どうしようもない愚息」と答えるであろう賢治の人柄がうかがえます。
生まれた時から、不自由のない生活をしていると人は置かれた環境よりも自己の内面に不満を感じるようになります。
すると小難しい事を考えすぎて、人によっては心身症になってしまうものです。

政次郎の時代は己を振り返るより、義務に興じることが当たり前
賢治の時代は自己の自由と生きがいを求めるために、他の弱者を救う事で幸福を感じる生き方
そのように感じ取れました。

「銀河鉄道の父」はこんな人にオススメです
・親子関係に悩んでいる
・自分に何ができるかわからないが、理想はある
・世の中に言いたい事や怒りがある
・子供との関係が上手く行かない など

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【銀河鉄道の父】読書感想文

本文2,000字以内2190文字

偉業を成し遂げた有名人の親はおそらく人に「おたくのお子さんすごいですね」「どのような教育をされたのですか?」と聞かれるのだろう。銀河鉄道の父・政次郎誠実な人からだきっと「散々苦労かけさせられましたよ」と言ったに違いないだろう。これは宮沢政次郎の愛僧の子育て記であり、親子関係に悩んでいる人と自己嫌悪にさいなまれている人に薦めたい一冊と言える。

宮沢賢治と言えば、教科書に載る立派な作家で、その作風から弱者の味方で誰しもが尊敬に値する立派な人物と教えられてきた。ところが、本当の賢治は聖人君子とはかけ離れた人物。彼の活動を支え、彼に振り回され悩まされた家族の存在なしでは現在語り継がれる物語はありえない事を知るスキャンダラスな物語なのだ。

岩手の有数の商家、宮沢家の待望の跡継ぎとして生まれた長男賢治。
若き家長の政次郎は本心では賢治が可愛くて仕方がないものの、家父長制社会では父親が子供を溺愛するなど考えられない時代。
だがその愛情は止められず、虚弱な賢治が赤痢になれば自分が感染しても看病し、中学では言われたら渋々仕送りをし、質屋の跡継ぎとしても全く能力がなかった事へ落胆し仕方なく更に進学させても、当時の最新のビジネス「飴工場をやりたい」「人口宝石を作る」など、雲をつかむような話をして資金は当然出してもらうつもりでいたりと、あまりの世間知らずと、甘ったれた根性に政次郎は頭を抱え、読者は賢治に嫌悪感を抱くのです。

そんな賢治自身にも言い分はあり、賢治がそんな体たらくな人間になった原因は「大人が怖いから」という「恐怖心」だという。
幼いころから何一つ不自由のない生活で勉強ができたはずなのに、気づけば落ちこぼれで人見知りで親の商売どころか何もできない無職ニート。変に学歴があるためか?現実離れした大口を叩くが自力では何もできず、自分に期待していた父親は当然失望。
父の大きな功績を上回ることは出来ない。憧れの父に近づけない。それは親に見捨てられても仕方がない事で最大の恐怖。
そうなると弱者を気取る人間は時に、人が驚くような大胆な行動を取り、賢治は宗教で父に反抗し、自分に関心を向けさせることに必死になり、ついには父に捨てられる前に自分が捨てようと家出をしたのだ。

小ズルい農民にも出会ったのに、父の商売に反抗するように弱者=清貧と決めつけ農民を助ける活動をし、野菜よりも花を植え、高価なレコードや楽器を聞き、執筆活動で思いの丈を文字にしながら、質素倹約な生活で身を滅ぼしていった。賢治は中二病が治りきれないまま、大人になり「自分にもできる事」を求め、弱者に寄りそう活動で居場所を作り、自分を救いあげてもらいたかった人なのだと思える。

政次郎が一番よくわかっている事で、賢治の死後「雨ニモ負ケズ」を孫たちには「立派な人間になれという説教ではなく『私はなりたい』という賢治の夢を語った言葉遊び」だと語る。
賢治を育て見つめ続けてきた政次郎は、賢治には聖人君子の要素など何もなく、長女のトシの遺言を妨害捏造した作品を発表し、遺言で自分の思想を根付かせようと妙法蓮華経の日本語訳を一千部配れと言いつつ、死の瞬間には家族にわざと立ち会わせなかったエゴイストと見ていた。
「賢治はホントにメンドクサイ子だった」とわかりつつも父親としての愛があるから、そのヒネた根性に死後も寄り添うために宗旨替えをすることにしたのだった。

宮沢賢治はトラブルメーカーとして父・政次郎を筆頭に家族を振り回し、我儘好き放題に生きた自由人。作品を出すために農民などの弱者の感情や宗教も利用した人に思える。賢治の作品は弟の尽力で世に出る事にはなったが、賢治の生きざまをよく知る人たちは「褒められた人間じゃねぇな」とリアルに評価したであろう。が、故に賢治の作品しか知らない人々がその美辞麗句と活動だけを見て評価し大作家にしたてたのだと思う。

賢治の根底にあった怒って怒鳴り嘘をつく「大人がだめ」という恐怖心は、自己が成長する事を無意識に拒んだピーターパンシンドロームから来ていたように思える。
賢治のような大人より子供、金持ちより貧乏人、己が信じた宗教こそが真理などと決めつけすぎる固定観念のある人はやはり不器用過ぎて想像の世界こそが活躍の場なのかもしれない。言い換えると、宮沢賢治にシンパシーを感じてしまう人は現代にもたくさんいて作品が残っているのは賢治というダメ人間の存在が「弱くても良いのだ」というマイノリティへの勇気を与えるからなのだと思う。

多くの人は宮沢賢治の生き方をマネできないし、賢治のような子供は絶対欲しくないだろう。大人への嫌悪感は思春期には誰しもが持つものだが、人はいつの間にか世に流されて未熟さを克服し大人になる事を受け入れる。大人になる事を拒絶するのは事は人生をより生きづらくなることだからだ。みな懸命に大人になり独立独歩、親に迷惑も心配もかけず、たまに親孝行できる関係。それを目指して成長するのだが、いつの間にか子供は大人になり過ぎて、親は子供に返っていき子供が親を説教する関係になったりもする。
だから賢治はやはり我儘だったと思う。大人になることを止め、自分の親を子供に返してあげなかったのだから。とても尊敬はできないしマネもできないが、それほどの無責任で自由のまま終えた幼い魂の賢治は幸せ者だったと思う。

その他→他の人の感想


宮沢賢治は性的マイノリティ?

賢治は生涯をかけて愛した同い年の男性がいた。「風の又三郎」「銀河鉄道の夜」などの代表作誕生の背景に、一人の男性との深い交流が明らかになる。
賢治は生涯独身で童貞だったのではと言われるが、友人の藤原嘉藤治に「性欲の乱費は、君自殺だよ、いい仕事はできないよ。」と語り、性欲の発露を戒め、親からの見合いも受け付けなかった。

だが!盛岡高等農林学校(現・岩手大学農学部)時代に1年後輩の保坂嘉内と親しくなり、互いに「恋人」と呼び合うような親しい間柄に・・・嘉内に宛てた書簡類では、親密な感情の表出、率直な心情の吐露が認められ、手紙に記された文面は、時にあたかも恋人に宛てたような表現になった。

嘉内からは情緒的にも思想的にも強い影響を受け、「風の又三郎」やとりわけ『銀河鉄道の夜』の成立には、20代の頃に嘉内と二人で登山し共に語り合って夜を明かした体験が濃厚に反映され、登場人物の「ジョバンニ」を賢治自身とするなら、「カムパネルラ」は保阪嘉内を表していると考える研究者もいる。

もう「銀河鉄道の夜」は腐女子の愛読書に?イエイエ岩手を代表する作家の作品デス。




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