「銀河鉄道の夜」読書感想文の例文【中学生・高校生】

こちらでは、宮沢賢治の名作「銀河鉄道の夜」あらすじや、読書感想文を書く際に参考していただけそうな着眼点(切り口)の例読書感想文の例文を紹介しています。

おもに中学生や高校生が、1200字、1600字、2000字(原稿用紙3枚、4枚、5枚)の読書感想文を書く際に役立つことを目指し掲載しています。

~~目次~~~~~~~~~~~~~~~
「銀河鉄道の夜」早わかり
あらすじ+(全文と全文朗読)
感想文のポイント
読書感想文の例文【5作品】
書きやすい読書感想文の構成の例

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「銀河鉄道の夜」早わかり・・・

10分で分かるあらすじ動画

オリラジ中田さんによる深堀り解説

「銀河鉄道の夜」あらすじ+(全文と全文朗読)

学校の午後の授業で、先生が銀河の話をした。町は今夜は星祭り(ケンタウルス祭)だ。青いあかりをつけたカラスウリを川に流すならわしだ。

下校後、ジョバンニの友だちのカムパネルラたちは、星祭の相談をしているが、ジョバンニは印刷所で働いているため、相談に加われない。ジョバンニは印刷所で仕事をすませ、銀貨をもらい家に帰った。

ジョバンニの家では、お母さんが病気で寝ている。お父さんは、北の海へ漁に出て帰ってこない。

ジョバンニは、母親の飲む牛乳をもらいに牛乳屋へ行くが、店の人がいないので、あとで行くことにした。帰る途中、ジョバンニはカラスウリのあかりをもって川へ行く、カムパネルラやゼナリたちに会い、からかわれた。ジョバンニは逃げるように丘の上にのぼった。ジョバンニは丘の草原でいつか眠ってしまった。

ジョバンニは銀河ステーションから、銀河鉄道の列車に乗っていた。前の席にカムパネルラがいた。カムパネルラの顔は少し青ざめていた。

二人は、それから美しい景色の海岸や白鳥駅を通り、南十字へ行った。列車の中であった、かわいい姉弟も、サウザンクロスでおりた。ここには美しい十字架がかがやいていた。どこまでもいっしょに行こうとジョバンニがカムパネルラにいったとき、カムパネルラの姿はなく、ジョバンニは夢からさめた。涙を流していた。

ジョバンニが急いで町におりると、カムパネルラが、ザネリを助けようとして川に落ちたことを聞いた。カムパネルラのお父さんが、心配して川のそばにいた。ジョバンニは、カムパネルラはもう、あの銀河のはずれにしかいないと思った。(新潮文庫より)
 

「銀河鉄道の夜」本の章立て

午后の授業
銀河系の仕組みについての授業。天の川について先生に質問されたジョバンニは、答えを知りつつ気もそぞろに答えることができない。次に指されたカムパネルラも、答えない。

活版所
放課後、ジョバンニは活版所で活字拾いのアルバイトをする。仕事を終えたジョバンニは、パンと角砂糖を買って家へ急ぐ。


家に帰ると牛乳が未だ配達されていない。
病気の母親と、北方へ漁に出たきり帰ってこない父のことやカムパネルラのことなどを話す。ジョバンニは、銀河のお祭り(烏瓜のあかりを川へ流す)を見に行く、と言って家を出る。

ケンタウル祭の夜
牛乳屋(牧場)に行くが、出てきた老婆は要領を得ず、牛乳をもらえない。途中で、同級生のザネリたちに会い、からかわれる。一緒にいたカムパネルラは気の毒そうに黙って少し笑っている。銀河のお祭りを楽しむザネリたちと別れて、ジョバンニは一人町外れの丘へ向かう。

天気輪の柱
天気輪の柱の丘でジョバンニは一人寂しく孤独を噛み締め、星空へ思いを馳せる。

銀河ステーション
突然、耳に「銀河ステーション」というアナウンスが響き、目の前が強い光に包まれ、気がつくと銀河鉄道に乗っている。見るとカムパネルラも乗っていた。

北十字とプリオシン海岸
北十字の前を通った後、白鳥の停車場で20分停車する。二人はその間にプリオシン海岸へ行き、クルミの化石を拾う。大学士が牛の祖先の化石を発掘している現場を見る。

鳥を捕る人
気のいい鳥捕りが乗車してくる。彼は、鳥を捕まえて売る商売をしている。ジョバンニとカムパネルラは鳥捕りに雁を分けてもらい食べるが、お菓子としか思えない。突然鳥捕りが車内から消え、川原でさぎを捕り、また車内に戻ってくる。

ジョバンニの切符
アルビレオの観測所の近くで検札があり、ジョバンニは自分の切符だけが天上でもどこまででも行ける特別の切符であると知る。鷲の停車場のあたりで、鳥捕りが消え、青年と姉弟が現れる。彼らは、乗っていた客船が氷山に衝突して沈み、気がつくとここへ来ていたのだという。かおる子(姉の少女)とは長い会話を交わす。

蠍(さそり)の火を眺めながら、かおる子は「やけて死んださそりの火」のエピソードを話しはじめ、ジョバンニたちは、黙ってそれを聞く。その後列車はケンタウルの村を通過する。少女たちと別れ際に、「たった一人の本当の神様について」宗教的な議論が交わされる。

天上と言われるサウザンクロス(南十字)で、大半の乗客たちは降りてゆき、ジョバンニとカムパネルラが残される。二人は「ほんとうのみんなのさいわい」のために共に歩もうと誓いを交わす。その直後、車窓に現れた石炭袋を見たふたりは、非常な恐怖に襲われる。ジョバンニはカムパネルラをはげますが、カムパネルラは気の乗らない返事をしたのち、「あすこにいるのぼくのお母さんだよ」といい残し、いつの間にかいなくなってしまう。

一人丘の上で目覚めたジョバンニは町へ向かう。今度は牧場で牛乳をもらい、川の方へ向かうと「こどもが水へ落ちた」と知る。同級生から、カムパネルラは川に落ちたザネリを救った後、溺れて行方不明になったと聞かされる。カムパネルラの父(博士)は既にあきらめていた。博士は、ジョバンニの父から手紙が来た、もう着く頃だとジョバンニに告げる。ジョバンニは胸がいっぱいになって、牛乳と父の知らせを持って母の元に帰る・・・。

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「銀河鉄道の夜」は著作権が切れているため、ネット上で無料で読むこともできます。

宮沢賢治「銀河鉄道の夜」全文(青空文庫)

プロのナレーターによる全文朗読版もYouTubeにあります。読み上げ速度は1.5倍速ぐらいがちょうどいいでしょう。

感想文のポイント

     
    以下のような着眼点を参考に自身の考え方を述べてみるのはいかがでしょうか?

    作者の宮沢賢治はこの作品を通してどのようなメッセージや教訓を読者に与えようとしたのでしょうか?自分の考えを、そのように感じた部分を引き合いに出し述べてみましょう。

    人間にとっての「幸せ」「幸福」とはどのようなものだと考えさせられたか?

    カムパネルラは、ゼナリを助けようとして川で溺れ死んでしまいましたが、この点を取り上げ「自己犠牲」を中心に自分の考えを述べる感想文もよいでしょう。

    この作品は、大人でも読み方や解釈に違いが出る作品ですが、作品中で発せられる登場人物の言葉を紹介しつつ、その言葉についてどのような解釈をしたかを発表する感想文もよいでしょう。

    登場人物の価値観や判断の迷いについて取り上げ、その部分について自分はどのように感じたかを中心に述べる感想文もよいでしょう。

    この作品が長く読み継がれている理由はどんなところにあるでしょうか?その点について自分の意見を述べるのもよいでしょう。

    「もしこの物語の続きを考えるなら」という切り口で、この作品についての自分なりの続きを発表する感想文もよいでしょう。

    「この本の話を父に話すと、父は・・・」というように、家族の話してくれた言葉を紹介しつつ、その言葉について考えさせられたことを感想文の中心にする書き方もよいでしょう。自分だけでは思いつかない「意外な展開の感想文」にすることができます。
     

    ・・・これら中からいくつかを引き合いに出し「自分の考え」や「過去の思い出」などとからめて解説してみましょう。

 
学校などの教育機関が与える課題は「教育的成果」を期待してのものです。そのため、教育機関からの課題としての読書感想文を書くにあたっては「どのような学びを得ることができたか」を感じ取れる感想文にすることが大切です。

つまり、教育機関からの課題としての感想文は・・

感想文を書きなさい=どのような学びが得られたかを書きなさい

 
・・の意味だからです。そのような方向性(どのようなことが勉強になったか)を意識して、伝える内容や構成を考えてみましょう。
 

「銀河鉄道の夜」読書感想文の例文【5作品】

以下に5作品をご紹介いたします。文字数はまちまちですが「書き方」「着眼点」の参考にしていただければと思います。

「銀河鉄道の夜」を読んで①

私はこの夏、小さな勉強部屋の中で、大きな感動を得ることができました。この物語は、とても幻想的で不思議な物語でした。そして、透き通っている物語でした。
読書感想文の書き出し例(入賞21パターン)

私ははじめ、銀河鉄道とは、乗っている人々が幸せを求めるために乗る鉄道と思い読み始めました。しかし、読み進めていくと、現実の世界で死んでしまった人々の「魂」が乗る鉄道ではないかと思えてきます。

貧しい家庭のジョバンニという少年が、親友のカムパネルラと一緒に星々をめぐる銀河鉄道の旅に出ます。夢の中の出来事のような、それでいて、いろいろなことが起こり、たくさんの人々と出会い、不思議な話をするのだから、なかなか混乱する物語でもありました。

「死」のイメージは、悲しくてつらくて恐しいことなのに、この乗客の人々は、静かで美しく、楽しそうとさえ思えます。どこか「ひんやりとした透明な感じ」がするのは、銀河という宇宙空間を旅するからでしょうか?また、窓から見える景色や、いくつかのできごとも透き通っています。

突然、りんどうの花が咲き始めたり、とうもろこし畑に変わったり、不思議なできごとの連続ですが、一度はこんな世界に行ってみたい、こんな鉄道に乗ってみたい、とワしてきます。でも乗り続けると、どこに行ってしまうのか?地上に帰れなくなるのか?と少し恐ろしくなります。

「幸せ」を求める物語です。とくにさそりの話は印象的でした。自分を犠牲にしてイタチを生きのびさせなかったことを後悔して、「まことのみんなの幸せのために私の体をお使いください」とさそりが願ったところ、真っ赤な美しい火になって夜の闇を照らすようになった話です。

ジョバンニは、「僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸せのためなら僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない」といい、カムパネルラは涙をうかべて「うん、僕だってそうだ」といいます。

でも、本当の幸いとはなんなのでしょう?平和や自由、そういったお金では買えないものなのか、友情や愛情といった人との良い関りのことなのか。それともみんなが幸せになるには一つの幸せでは足りないのでしょうか?とても難しく、私には詳しく分かりません。

カムパネルラは川で溺れているザネリを助けますが、自分は行方不明になってしまいます。自分を犠牲にしてまで人を助けようという気持ちは、とても尊いものです。私なら、自分の幸せを第一に考えてしまい、他人のことはその次になってしまうと思います。

内気でおとなしいジョバンニが、そこまで他人の幸せのために決心していることは、すごいと思いました。

友情と愛情の物語です。ジョバンニとカムパネルラは親友ですが、仲の良いことを言葉で伝えあえない「もどかしさ」があります。銀河鉄道に乗っているときは、これ以上の親友はいないだろうなと思うほどの気持ちの通じ合いがあります。

なぜ地上の世界でもっと助け合っていけないのか、少し疑問です。このような経験は私にもあって、本当の気持ちを言葉で伝えるのは難しく、とても共感できました。

二人ともかなりの母親思いで、カムパネルラは死んでしまった母親の幸せまで思い続け、「おっかさんは、ぼくをゆるして下さるだろうか」と問い続けます。ジョバンニは病気の母親のために、牛乳を買いに走ります。

私には大切な親友はいるのですが、母親とはかなり激しいロゲンカをしていて、なかなか素直になれません。こんなに母親思いの男の子がいるなんて少し不思議です。

科学と謎の物語です。星座の名前と正確な知識や銀河の星々の書き方、鉱石の名前と種類のこと、タイタニック号の遭難事件から暗黒星雲まで、私の知らないこともたくさん書いてありました。そして宇宙はどうなっているのだろう。神様のようなものはいるのだろうか?十字架や二本の電信柱は何なのだろう、なぜ二人は別れるのだろう、と、いくつもの謎が残ります。なにしろ「幻想第四次の銀河鉄道」なのですから。

ずっと乗っていたい「どこまでも行ける切符」を持っているのに、カムパネルラは別の世界へ、ジョバンニは地上へ戻りました。最後は少し元気に、たくましく、優しいけれど強くなっているような、そんな足どりで走っていきました。

今日、実社会では、テロや戦争など、悲しいできごとがまだ続いている国があります。宮沢賢治のように平和のこと、一人一人の幸せのことを考え、少しでも理解していれば、これから作りだしてしまう他人の不幸を減らせると思います。私は将来、幸福に満ちあふれた銀河を旅したく思います。
 

「銀河鉄道の夜」を読んで②

夏の星空をわけもなく見上げてみる。すると、そこには星の世界があった。無数の小さな星たちが白く煙ったように見える。あれが天の川か。その中にはこと座のベガやさそ座のアンタレスなどの夏の星が明るく輝き揺れている。

なんという広い世界だろう。この広い世界に比べたら自分の存在はどんなに小さいことか。毎日の生活の中で卑屈になっていた自分は非常におろかだったのではないだろうか。そんとりとめのない想いが、頭の中を駆け巡る。

かつてジョバンニも、こうやって夜空を見上げていたことだろう。僕がこの「銀河鉄道の夜」を初めて読んだのは、小学生の頃だった。ただ何気なく手にとった一冊の文庫本の中の短編小説だ。父が、アニメの「銀河鉄道999」のファンであり、DVDを何度も一緒に見た経験も、タイトルが似ているこの本を手に取らせた理由の一つかもしれない。

しかし、読み進むにつれその純粋な、そして大きな世界は、僕の心をしっかりと捕らえてしまった。この物語の主人公ジョバンニは、決して幸福な人物だとはいえない。父は遠洋漁業に行って家におらず、母は病弱でほとんど寝たきりの生活をしている。学校でも内気なため目立たず、それが原因で友達から馬鹿にされている。そんな性格の生徒は必ず学級に一人はいるものだ。周囲に自分の心を開くことができず、一人寂しく教室の隅に座っている姿はものがなしい。

しかし…

そんな彼も一人だけ心を開ける友人を持っていた。その友、カムパネルラは彼とは対照的で裕福な家庭に育ち、活発で頭もよい。その差が生むわだかまりをなくすため、ジョバンニになるべく気をつかって接していた。その姿はこの物語の作者、宮沢賢治の姿によく似ている。賢治自身も裕福な商家の出身で、貧しい農家の級友の姿を見るたびに、心を痛めていたという。賢治はそん過去の記憶のため、カムパネルラを自分の分身として登場させたのかもしれない。

ジョバンニがある夜、草の上に寝ころんで星空を見上げていると、突然天気輪の柱が銀河ステーションに変わり、いつのまにか列車に乗っていた。その列車にはカムパネルラも同乗していた。しかしよく考えてみれば銀河を走る列車などありうるはずがない。この列車はジョバンこの夢の中を走っているのだ。彼は草の上に寝ころんでいるときも、孤独や寂しさについて考えこんでいた。このようなつらい現実の世界から、何の悲しみもな夢の大空へと飛びたとうとするジョバンニの心、それがあの列車だったのだと思う。

僕らだって一度は現実世界のからをやぶり、はばたいてみたいと思ったことがあるはずだ。そんな夢の空をとぶ彼らの列車の旅は、現実世界のわずらわしさが全くなかった。人間関係の気まずさもなく、隣には大好きな親友がいる。その旅の途中でさまざまな乗客たちとの出会いに人間関係の温かさを感じ、孤独ということを忘れ、別れの中に寂しさを感じて、人に対する愛を悟る。

ジョバンニは夢の中に人間とのふれあいを求めていたのだろう。ジョバンニがこの旅の幻想から覚めると、やはり草の上で眠っていた。また現実の世界へ戻らねばならない。ジョバンニが街の方へ戻ると、大きな悲報がもたらされた。カムパネルラが川におぼれた友人を助けようとして死んでしまったのだ。今見た夢の中で共に旅してきた友はもういない。ジョバンニは悲しみを感じるよりも、むしろそんな不可解な気持ちのほうが強かったにちがいない。考えてみると、ジョバンニとカムパネルラの銀河鉄道の旅は、カムパネルラの死の世界への旅だったのかもしれない。

ジョバンニもカムパネルラも、「ほんとうさいわいをさがしにいく」といっていた。どこまでも一緒に行くつもりだったのだ。しかし天上に行く前に二人はわかれてしまった。生きている者と死に行く者との訣別を意味しているようだ。

ジョバンニは泣きながらこう思ったのだろう。本当の幸福があの天上にないとすれば、いったいどこにあるのだろうか、と。本当の幸福とは、現実の世界で生活していく中から自分がつかみとるものなのだ。苦しさや寂しさがあるからこそ幸福だって存在するのだ。

孤独な現実から逃避していたジョバンニに、カムパネルラは教えてくれたのかもしれない。本当の幸せをつかむことができるのは、生きている自分自身だけだと。

僕だって時には、夢の中へ逃げたいと思うことがある。けれども僕らは夢の世界には生きられない。やはり本当の幸福というのはあの宇宙の星にあるのではなく、人生の不幸や危機の中にあるものなのだ。

そんな苦しみの中からほのかな幸福を見つけていく。それはすばらしいことだと思う。僕らの人生はまだ長く続くだろう。その途中で思いがけない苦しみや悲しみに出会うかもしれない。しかしそんな時にも屈せずに、つねに幸福を求めて精一杯生きていくように努力したい。この本は、僕にそう思わせてくれた一冊であった。
 

「銀河鉄道の夜」を読んで③

この物語は、貧しく孤独な少年ジョバンニと、その友人カムパネルラが銀河鉄道の旅をするというものです。何よりもこの物語を素晴らしく見せるのは、二人のギャップです。ジョバンニは家が貧しく、父が密猟をして捕まったとうわさを流されからかわれる一方、カムパネルラの家庭は裕福で、人気のある人でした。

私は、こんなにも差のある二人が、決して仲良くなる訳がない、と思っていました。母が病気な上、父は行方不明、生活費を稼ぐために自らが働かなければならず、クラスメイトからは冷遇されるジョバンニはなんて不幸なのでしょう。きっと生きる希望さえもなかったと思います。

鉄道から降りるまでは。事実、鉄道に乗るまでは、「黒い」「冷たい」などと、いかにも死を連想させる表現があるのに対し、降りた後は「白い」「生まれ立て」などと、生きることの希望を連想させるまでになっているのです。「それでは、どのようにして列車の旅は始まったのでしょうか。

アルバイトから帰り、ジョバンニは次のアルバイトへ向かおうとします。しかし途中でクラスメイトに冷やかされ、一人、星空を眺めていました。するとその瞬間頭の中に「銀河ステーション、銀河ステーション」という声がよぎり、気がついたら鉄道に乗っていたのです。

宮沢賢治は多くの作品で神秘的な表現を用いますが、この物語ではそれが特に強調されています。「天気輪の柱」「ころんころんと水の湧く音」「億万の蛍烏賊の火を一ぺんに化石にさせて」などと、独自の表現も多彩に扱われていました。

この後ジョバンニはカムパネルラに会い、一緒に鉄道の旅を続けることになります。途中でジョバンニ達は様々な人たちに出会い、生きる希望を取り戻します。しかし、不思議なことに出会った人たちはみんな消えてしまうのです。そして、しまいにはカムパネルラまでも消えてしまいます。

ジョバンニが鉄道から降りると、カムパネルラはクラスメイトを助けたかわりに溺れてしまって行方不明になっていたのです。ジョバンニが嘆いていると、伝言が来ます。

ジョバンニの父が見つかったのです。私は二人が最高の友達だったと思います。ジョバンニの父が見つかったのもカムパネルラからの「最後の贈り物」だったのかもしれません。

さて、ここで一つの疑問が湧きました。この「銀河鉄道」は一体何だったのでしょうか。人は生まれた時から死へ向かって走っている、それを伝えたかったのかもしれません。あの鉄道に乗っていた人もみな死んでいたのだと思います。電車の中でカムパネルラはこう言っていました。

「だれだって本当にいいことをしたら、いちばん幸せなんだねえ」と。彼本人も、人のために尽くす命を終えて、くいはなかっただろうと思います。他の人から見れば「バカげている」と感じるかもしれないですが、よくよく考えてみると、「カムパネルラのした行動は正しかった」と思えてくはずです。

人が人のために行動することがいかに大切か、よく分かりました。小さなことでも、もう少しこうすれば良かったのにな…と思うことがあります。半年ほど前、電車で私の隣に座っていた人が降車しました。

ふと見ると、その人が座っていた席に折りたたみ傘が…。「声をかけないと」とは思ったものの勇気が出ず、電車はその駅を後にしてしまいました。案の定、しばらくして雨が降り出してしまいました。「あの人は大丈夫かな」とその時はとても心配しました。それと共に、「たった一声さえかければ…」と後悔もしました。確かに、周りから見ればたわいもないことです。しかし、私は後悔したのです。「その人が気付くのを待つ」のではなく、「自ら声をかけ」れば良かったのです。

「しようしよう」と思っていても、それを行動にうつすのは容易ではありません。だから私は、カムパネルラの行為が果敢に思えました。「賢治の作品は、アンハッピーエンドなものが多いです。「人生はそう甘くない」と訴えているのだと思います。反面、困難に出会ったからといって現実逃避してはいけない、また、生きることはすばらしい、必死に生きようとすればやがては報われる、そうも言っているのです。

この本を読んで、私は「人の役に立つ」という生き方を改めて考え、また自分と他人が共生できる生き方をするために、自分中心の考えを捨てて変わっていきたいと思いました。この本は、それを私に感じさせてくれた素晴らしいものだと思っています。
 

「銀河鉄道の夜」を読んで④

「生と死について」・・この作品を読んで強く感じた事である。人間は常に幸福を求め生きている。しかし実際のところ、何が本当の幸福なのかは誰にも分からないものである。この「銀河鉄道の夜」を読むことでその答えが明確に導き出されるわけではないのだが、宮沢賢治の中にあった「生と死について」の想いが私に本当の幸福とは何かを深く考える切っ掛けをくれることになったことは確かだ。
読書感想文の書き出し例(入賞21パターン)

まず、私が注目したのは作品の舞台の中が「宇宙」という点である。ジョバンニは丘の上で寝てしまうわけだが、その夢の中でカムパネルラと共に死への旅を経験する。ここで考えるのが、「夢」「死」「宇宙」ということである。これらは未だに解明されていない不思議なものであり、誰もが追及し続け止まないものである。

宮沢賢治がこの無限の可能性が秘められている宇宙を舞台にし、「夢」「死への旅」とを重ねたところは、とてもスムーズな手法であったように感じた。言い換えれば「死への旅」「夢」という現実離れした世界を宇宙という実際に存在する世界に置き換えているのは、巧な方法であると思えたのだ。

さて、この「夢」の中でジョバンニは列車に乗りカムパネルラと遭遇するわけだが、ここでみんなの話を聞く。「みんなはね、ずいぶん走ったけれども遅れてしまったよ。ザネリもね、ずいぶん走ったけれども追いつかなかった。」という台詞があるが、このとき既にカムパネルラは死んでいたのだ。

「ぬれたようにまっ黒な上着を着たせいの高い子供が、」という部分もあるが、この文章から溺死ということを感じ取ることが出来る。みんなが遅れたというのは、助けようとしたけれども助けられなかったことや、ザネリも死の世界には行かなかったこと、つまり生きて助かったことを意味している。

これは物語を最後まで読み続けていると意味が分かるのだが、このような言い回しが非常に面白い。まるでみんなが列車に乗る事をを目的としていたような、まるでカムパネルラだけが自分から「死」を選んだように感じられる。たしかに人間は死への旅を送っている。

この世に生を受けてから死への旅は始まっているのである。誰もが順番待ちで、列車の到着を待っているのかもしれない。「競争」という言葉で表現するのは不適切かもしれないが、物語中で使われている「走ったけれども追いつかなかった」という言い回しは、案外その通りなのかもしれないと思った。

しばらく列車が進むと、カムパネルラは母のことを想い「ぼくをゆるしてくださるだろうか」と心配に思う。母の幸せのためなら何でもする、本当に良いことをしたら母は自分のことを許してくれるだろう、と言う。ここで「幸福」について考えるわけだが、カムパネルラが友人のザネリを助けるために死んでしまった事に注目する。

後にさそりの話が出てくるが、さそりは何の役にも立たないくらいなら、いたちの餌になってやればよかったと後悔する。家庭教師と小さい姉弟は、他人を押しのけてまで生きようとは思わず死んでいった。この物語の中には、こういった「誰かのためならば死ぬことができる」という強い想いが表現してある。この想いこそが、宮沢賢治の言う「幸福」ではないだろうか。

そもそも幸福とは、他人が判断して決めることではない。家庭、名声、地位、お金、愛などのどれにもっとも人生の充実を感じるかで、その人の幸せが変わってくる。故に、人の幸せは決して自分の物差しでは量れない。一種の自己満足だと思う。

物語の中でジョバンニが鳥捕りの事をかわいそうに思い、この人の幸せのためならば河原に立って百年鳥を捕り続けてもかまわない、といった部分を読んだとき疑問を感じた。なぜジョバンニが人の幸せを心配する必要があるのだろうか。

価値を見出し、やりがいのある仕事に就き充実した生活を送っていれば、それはその人にとっての幸福と認めてよいのではないか。するとジョバンニの回想に「ほんとうにあなたのほしいものは一体何ですか、と聞こうとして」という一文があった。ジョバンニは単にその人の仕事が好きになれず、鳥捕りをかわいそうに思ったのではない。生き物を捕まえてはせいせいしたと言ったり、人の切符を横目で見ては褒めだしたりといった、そのような滑稽な態度をとっている彼が気の毒に思えたのだ。

彼が満足している今の生活に疑問を感じ、今は気付いていないかもしれないがもっと他の幸福があるのではないか、と訴えかけようとしている場面なのだと思った。他人には人の幸福をとやかく言う資格などはないが、真実が見えていない人にそれに気づくきっかけを与えることは可能なのだ。

幸福というものは、日常のあらゆる場面に存在する。ただ、それに気付くことができるかできないかで、生活の充実感も変わってくる。宮沢賢治はこの「銀河鉄道の夜」という作品を通して、「相手の幸福を願う事は、自分も幸福になれる」ということが言いたかったのだと思う。そして、本当の幸福を見つけることは、「生きる意味」「死ぬ意味」を発見すことに繋がるのだというメッセージが込めた作品のように感じさせられた。
 

「銀河鉄道の夜」を読んで⑤
 
宮沢賢治の作品はどれも心に優しい。彼の作品は、生きているものの美しさや艶やかさを独自の文章で書きあげる。おそらく彼は、命があるもの全てを愛していたのだろう。使っている言葉の一つ一つが美しい生命を含み、私の心に柔らかく脈打つように響いてくる。そういった彼の作品の中でも特にこの物語には、私を惹きつける特別な何かがあったようだ。

主人公はジョバンニ。彼は気が弱くて同級生にからかわれがちだ。母は病気で寝たきり、父は漁へ行ったきりで帰ってこない。しかし、貧しさや言いようのない孤独感の中で、毎日を懸命に、そして、ひたむきに生きている。

親友のカムパネルラは裕福な家庭でありながら、ジョバンニの心の痛みを感じてくれる。そんな二人を乗せた汽車は、いつの間にか銀河の中を走り続けていた。停車場や星の地図、それに天上へ行ける切符など、必要なものは全て用意されている。

銀河の美しい不思議な世界は、時々現実の自分の姿さえ忘れさせた。天の川の水は、ガラスよりも水素よりも透き通っていて、ちらちらと紫色の細やかな波を立てて光り、声もなくどんどん流れてゆく。また、河原の砂の中では、水晶が小さな火となって燃えている。

物語は全く夢のような話の内容なのに、なぜかこの風景は私の脳裏に鮮明に描きだされる。知らない間にこの世界に引き込まれている。自分もジョバンニやカムパネルラと一緒に、銀河の中を旅している気にさえなっていた。

どこからともなく車中に現れ、いつの間にかいなくなってしまう優しくて、暖かくて、でもどこかで深く悲しんでいるような不思議な人々との出会い。彼らの印象深い言動と、彼らの幸せを想うジョバンニの優しさに、私は何度も涙が溢れそうになる。

人間は優しさに触れる度、何かしら泣きたくなるものなのかもしれない。川の向こう岸では蠍座が、音もなく明燃えて夜空の道しるべとなっている。この蠍は昔、バルドラの野原で小さな虫を殺して食べていたそうだ。

それがある日、いたちに命を奪われそうになったり、慌てて逃げ、井戸の中に落ちてしまった。そして溺れ始めたその瞬間、初めてたくさんの命を犠牲にした自分の罪の大きさに深く苦しみ、今度は「まことのみんなの幸」の為に自分の体を使うよう祈ったという。

ジョバンニは言う。「僕はもう、あさそりのように、ほんとうにみんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない。」自分の体をみんなの幸の為に投げだしたが、そしてみんなの幸の為に生きようとするジョバンニが、私は羨ましくてたまらない。他人の痛みを感じとれる繊細さ。他人の幸を願って涙を流す純粋さ。どれも私にはないものばかりだから。

この物語は、私に度々「ほんとうの幸福」とは何かと問いかけてくる。今まで私は、「幸福」の意味を特別深く考えたこともなくまたそんな風に考えるきっかけもなかった。私の感覚では、何かの欲求が満たされた時、よく使う言葉。しかし、そう思っていてもちょっと考えさせられてしまう、この言葉の重み。

いつの間にか現れた博士が言う。あらゆる人の一番の幸せを探す為には一心に勉強しなければいけない、と。一瞬、いろいろなことが頭の中を駆け巡った。博士の言っていることは本当なのかどうかわからない。でも、不意に胸が締めつけられる。苦手なものをつい敬遠してしまう自分の臆病さが、たまらなくもどかしい。

地球上の一人一人が、別々に違う幸せを願っている。私だってその中の一人だ。でも、きっと「幸せ」とは、私達が容易に言葉として言語化できるほど単純ではなく、想像以上に曖昧で不可解なものなのだろう。ジョバンニは「みんなのほんとうの幸」の価値をはっきり捕らえることができないまま現実へ戻って行く。

もちろん、この私もまだ充分に理解できたわけではない。しかし、ただ無意識に感じたことは、みんなの幸せが一人一人の幸せを創りだすということだ。生きる為に人間が求めていくべきもそれが二人の言う「みんなのほんとうの幸」であるということ。だから、私はジョバンニと一緒に「僕はきっとまっすぐに進みます。きっとほんとうの幸福を求めます。」と誓わずにはいられないのだ。

今、透明で純粋な何かが、私の心に確実に浸透してきている。銀河鉄道は私達の夢の鉄道であり、忘れ難い心の鉄道だ。この作品のお陰でこれからの私は、今までと違った想いで星空を仰ぐようになるだろう。そして、今までとは違った想いで幸せを追い求めることができるだろう。そんな気にさせてくれた一冊であった。
 

書きやすい感想文の構成の例(書き方の順序)

書きやすくまとめやすい標準的な読書感想文の構成例をご紹介いたします。

感想文は「順序だてて説明するもの」だと思えば比較的楽に書けるものです。

①なぜこの本を選んだのかの説明
 ⇒ 読書感想文の書き出し入賞21パターン 
②大まかな内容を手短かに説明
③特に気になった箇所やフレーズを紹介(1)
 なぜ気になったのか最近の出来事や自身の思い出とからませて説明
④特に気になった箇所やフレーズを紹介(2)
 なぜ気になったのか最近の出来事や自身の思い出とからませて説明
⑤特に気になった箇所やフレーズを紹介(3)
 なぜ気になったのか最近の出来事や自身の思い出とからませて説明
⑥著者がこの本を通じ伝えたかったことを想像し考えを書く
(伝記の場合はその人のどの点が立派だったのか)
⑦この本を読む前と読んだ後とでどのような考え方の変化があったか
 この本によって発見したことや反省させられた点など「本からの学び」を説明
 

順序だてて説明すればよい


    読む前の説明→ 「この本を選んだ理由」「読む前の私」「本の概要」などの説明
    読書中の説明→ 読んでいる最中に「感じたこと」「思い出したこと」などの説明
    読書後の説明→ 「学んだこと」「反省したこと」「読んだ後の私」などの説明
【最重要ページ】感想文を書くにあたっての「コツ」「構成」「話の広げ方」などの詳細は下記のページに掲載しています。(気になる審査基準も掲載!)


読書感想文の書き方のコツ
(テンプレートつき)

書き方の参考用に、過去の入賞作品の紹介ページも作りましたのでご活用ください。

 

物語には人を動かす力がある

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