「杜子春」読書感想文の例文【大特集】

こちらでは、読書感想文の題材としても長く利用されている 芥川龍之介の名作「杜子春」あらすじと、読書感想文の例文をご紹介いたします。

おもに小学校高学年生から中学生高校生が、1200字1600字2000字(原稿用紙3枚、4枚、5枚)の読書感想文を書く際に役立つことを目指し掲載しています。


~~目次~~~~~~~~~~~~~~~
「杜子春」あらすじ
読書感想文の書き方【例文】

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「杜子春」あらすじ

唐王朝の洛陽の都。ある春の日の日暮れ、西門の下に杜子春という若者が一人佇んでいた。彼は金持ちの息子だったが、親の遺産で遊び暮らして散財し、今は乞食同然になっていた。

そんな彼を哀れんだ片眼眇(すがめ、斜視)の不思議な老人が、「この場所を掘る様に」と杜子春に言い含める。その場所からは荷車一輌分の黄金が掘り出され、たちまち杜子春は大富豪になる。しかし財産を浪費するうちに、3年後には一文無しになってしまうが、杜子春はまた西門の下で老人に出会っては黄金を掘り出し、再び大金持ちになっても遊び暮らして蕩尽する。

3度目、西門の下に来た杜子春の心境には変化があった。金持ちの自分は周囲からちやほやされるが、一文無しになれば手を返したように冷たくあしらわれる。人間というものに愛想を尽かした杜子春は老人が仙人であることを見破り、仙術を教えてほしいと懇願する。そこで老人は自分が鉄冠子という仙人であることを明かし、自分の住むという峨眉山へ連れて行く。

峨眉山の頂上に一人残された杜子春は試練を受ける。鉄冠子が帰ってくるまで、何があっても口をきいてはならないというのだ。虎や大蛇に襲われても、彼の姿を怪しんだ神に突き殺されても、地獄に落ちて責め苦を加えられても、杜子春は一言も発しなかった。怒った閻魔大王は、畜生道に落ちた杜子春の両親を連れて来させると、彼の前で鬼たちにめった打ちにさせる。無言を貫いていた杜子春だったが、苦しみながらも杜子春を思う母親の心を知り、耐え切れずに「お母さん」と一声叫んでしまった。

叫ぶと同時に杜子春は現実に戻される。洛陽の門の下、春の日暮れ、すべては仙人が見せていた幻だった。これからは人間らしい暮らしをすると言う杜子春に、仙人は泰山の麓にある一軒の家と畑を与えて去っていった。(Wikipediaより)

■約13分で分かるあらすじ動画

また「杜子春」は著作権が切れているため、ネットで全文が公開されています。
「杜子春」全文

さらに、YouTubeで朗読版もアップされています。プロのナレーターさんによる聞きやすい全文朗読です。
「杜子春」全文朗読 約35分(おすすめ)

「杜子春」読書感想文の書き方【例文】

以下に4作品をご紹介いたします。文字数はまちまちですが「書き方」「着眼点」の参考にしていただければと思います。

便利な文字数カウンター

「杜子春」を読んで①

「人間らしさとはなんなのか」「人として大切なこととはなんなのか」
読書感想文の書き出し例(入賞21パターン)

この本を読み終わって、じっと目を閉じると、仙人になりたくて、どんな苦しみにも耐え、一言もしゃべらないでいた杜子春が、母の愛に勝てず、最後に一声、

「おかあさん。」

とさけぶ姿が浮かんでくる。この場面は、私が最も感動したところでもある。

「心配をおしでない。わたしたちはどうなってもおまえさえ幸せになれるのなら、それよりけっこうなことはないのだからね。大王がなんとおっしゃっても、いいたくないことはだまっておいで。」

と、息もたえだえに言う母親。杜子春は、どんな思いでこの声を聞いたのだろうか。

今まで自分の周りに集まった、物やおめあての人達とは全然ちがう、本当の人間にしか持っていない、何かあたたかいものを感じたに違いない。

人間にあいそをつかした杜子春は、自分のことをこんなにも思ってくれる母親の深い愛の心から、人間としての本当の心、本当の幸せとは何であるかを知った。人間をがらりと変えてしまう母親の愛に私は深く考えさせられてしまった。

人間にとって「愛される」ことは、人間を豊かにするものだなあと思った。私の母は、私を愛していてくれる。いつもそんなことは嬉しいとも何とも思わず生活していたけれど、この「杜子春」を読み終えた私には、母のあたたかさをなぜか強く感じていた。

ふと私は、春休みにのどの手術をした時のことを思い出した。気が遠くなるほどの、のどの痛みと、手術の時に飲みこんだ血をもどす時の苦しみは、今も忘れていない。やさしく背中をさすってくれた母のあたたかさが、苦しむ私を勇気づけてくれていたのかな、と思えた。

何の不安もなく手術がうけられたのもきっと母のやさしさがあったからだろう。安心して学校で勉強ができるのも、部活で思いっきりあせを流すことができるのも、母のやさしさがあるからだと思う。

「よし、頑張ろう!」という勇気をあたえてくれているのも母の愛情ではないかと、思われるようになった。社子春の母と同じように、私の母も、強い愛情で私達を育ててくれていることを知って、自分は幸せだなあと思った。

次に心に残ったのは、鉄冠子の杜子春に対する行動と心だ。鉄冠子は、杜子春に二度まで大金をあたえたり、地ごくに落としてあらゆる苦労をあたえたりした。もしかしたら、鉄冠子は、人間の本当の生き方を、杜子春自身から見つけ出させようとしたのではなかろうか。

杜子春が母親の深い愛の心に気づいたのも、杜子春を思う鉄冠子の心があったからではないだろうか。人間は心を持っている。

本書を読み、優しい温かい心を持っているから人間なのだと思う。真心を持って、まず人間を愛するという事が大切なことではないかとつくづく思った。
 

「杜子春」を読んで②

本当に人間らしい生き方とはどんなものなのでしょうか。杜子春がぼんやりつっ立っていた洛陽の都は、人と物とお金があふれていました。ひどい思いをしているのは自分だけだ。何て自分は不幸な人間なんだろうと思ってしまいます。
読書感想文の書き出し例(入賞21パターン)

一日のうちに洛陽一の大金持ちになってしまった杜子春をチヤホヤした人達も、彼が三年ばかりのぜいたくで全財産を失ってしまった時は、誰もそばへも近づきませんでした。物やお金にたよっていた生活がどんなにあやふやで、また物やお金に寄って来る人達がどんなにいいかげんで、またきたならしい人達か。でも杜子春はまだ目が覚めません。

仙人になろうとして地獄に落ちた杜子春に閻魔大王は次々とせめ苦をあたえました。剣の山、血の池、焦熱地獄、極寒地獄……。その苦しみは大変なものでした。わたしはこの数々の魔性の出現や、地獄の苦しみは杜子春の心の中の魔性の姿ではないのかしらと思います。私の心の中にも魔物が住んでいます。

勉強の時、どこからか「そんな眠いのをがまんしてやらなくてもいいじゃないか。サボれ。」と声がします。水泳教室で、もう少しで五十メートルという時「ガンバレ、もう少しだ。」という声と、「つらいだろう、顔を上げて、足をついてしまえば楽になる、そんなつらい思いをして泳がなくってもいいだろう、やめろ、やめろ。」という声がかわりばんこに聞こえます。

そんな時、ここでくじけたら今までのしんぼうが何にもならないと思って一生けん命がんばってみます。でも彼ほどの苦しみに出会ったら私はもうくじけていたかもしれません。馬の姿になっている父母に鉄のむちがうなる場面でも、杜子春の耳にきこえた、かすかな母の声は、「お前がしあわせになれるなら自分達はどうなってもよいから、だまっておいで。」それは今まで杜子春の周りに集まった、物やお金めあての人達とは全然ちがう、本当に心から息子を思いやるあたたかい両親の声でした。

杜子春は約束も忘れて半死の馬にすがりついて、「お母さん。」とさけんでしまいます。杜子春は仙人にはなれませんでした。でもわたしは何だかホッとしました。杜子春が本当の人間とはどういうものか教えてくれた気がするのです。

本当の人間のしあわせは、お金で買えるものではありません。お母さんが杜子春を思いやってくれたように、また杜子春がお母さんの苦しみに涙を流せた時、本当の人間としてのしあわせがはじまるのではないかと思いました。

今のように物にめぐまれた時代に生きるわたし達は、そのためにかえって見失ってしまっている大切なものがあるのではないかしらと思います。わたしは杜子春の生き方を見ながら、一歩ずつでも人間として、すばらしい生き方を目ざしていきたいと考えるようになりました。
 

「杜子春」を読んで③

「心配をおしでない。私たちはどうなってもお前さえしあわせになれるのなら、それより結構なことはないのだからね。大王がなんとおっしゃっても、言いたくないことは黙っておいで。」「いくら仙人になれたところが、私はあの地獄の森羅殿のまえに、むちを受けている父母をみては、黙っているわけにはいきません。」・・・物語の中で、この二つの言葉は、母親が子を思う愛情、子が親を思う気持ちがあらわれていて、特に印象的だった。
読書感想文の書き出し例(入賞21パターン)

杜子春は、人間の薄情さにあいそをつかせ、あらゆる責苦に耐えながら、仙人の修業をした。しかし、むちで打たれ倒れた父母のけなげな決心に、親というものは、そんなにも子供のことを思っているのかと、子を思う深い母親の愛情を強く感じた。

私は今までに、父母の胸に飛び込み、泣いたりするような経験はない。しかし、小さな出来事のたび、父母の言葉のはしはしに、「私のことを心配してくれているんだな。」ということを感じたことは、ときどきある。

例えば、外出して、時間どおりに帰ってこないときなど、父母は私の理由も聞かずに、おこることがある。その時は、「私にも、言いたいことはあるのに・・・。」と思うけれど、あとで冷静に考えてみると、そうではない、心配しすぎておこってしまったんだなと、反省する。

私がもし、杜子春と同じ立場に立ったなら、父母はやはり、私の心を思いやってくれるだろう。また、杜子春が、「おかあさん。」とひと声さけんでしまったのが、「やはり杜子春は、仙人になれない人間なんだ。」と思った。

人間だから、我慢しなく、無理しなく、自分の気持ちに直に声がでてしまったのではないだろうか。人間ならば、そうでなくてはならないと思う。この老人は、いくら貧乏でも、優しい気持ちがある人だったら、それで十分だということを悟らさせたのではないだろうか。

私は、これから多くの出来事に出会うと思うけれど、そのたびごとに、人間らしく、やさしく、正直に生きていきたいと思っている。そして、一人一人がそんな人間になったら、この世の中は明るく、もっと住みよくなるのではないだろうか。そのように感じた。
 

「杜子春」を読んで④

 

「杜子春」を読んで⑤

 


   
 


あらゆる成功は「人間らしさの存在」が前提である
 

【最重要ページ】感想文を書くにあたっての「コツ」「構成」「話の広げ方」などの詳細は下記のページに掲載しています。(気になる審査基準も掲載!)


読書感想文の書き方のコツ
(テンプレートつき)

書き方の参考用に、過去の入賞作品の紹介ページも作りましたのでご活用ください。

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