「楢山節考」読書感想文 書き方の例【5作品】

今回紹介する、深沢七郎の「楢山節考(ならやまぶしこう)」は、

実は、あまり知られていませんが、今の時代、中学生高校生から社会人まで・・

読書感想文が書きやすい本 なのです!

Σ(゚Д゚;) エッ!

「年老いた母を山に捨てに行く」・・という衝撃的な内容ですが、超高齢社会に突入した現在の日本において、この作品は、社会政策や倫理、信仰、教育、医療、介護といった、さまざまな角度から、感想文を書くことができるのです!

本書を原作とした、映画やドラマも何度も制作されています。

映画の方では、どうしようもなく暗い話に脚色されていますが、原作はそれほど暗い印象を受けません

しかも、私が読んだ小説の中でも上位に入る名作です。是非!

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この本なら、いくつかの場面と高齢化した今日の日本における社会問題とを絡めながら感想を述べるスタイルにすることで、原稿用紙5枚程度の感想文でもそれほど苦労なく書けてしまいます。

ようするに、それほど精読せずにも、エピソードをいくつか拾い上げて、それに対し自分なりの考えを加えるだけで読書感想文が書ける本なのです。

しかも、本書は、本文61ページの短編小説であり、名作ゆえ、新潮社の「新潮CD」として、朗読版も販売されており、多くの街の図書館で本もCDも借りられます!

読書が苦手な人には、小説の読書は特に厳しいものですが、CDで文章を読ませながら、本の活字を目で追う方法なら、読書に近い効果がえられます。

下記の文庫版には「楢山節考」のほか短編3作が収録されています。CD版は「楢山節考」のみの朗読版です。

文庫本

CD版もあるョ!


 
~~目次~~~~~~~~~~~~~~~
『楢山節考』あらすじ
『楢山節考』着眼点&切り口の例
関連うんちく
読書感想文の例文【5作品】

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『楢山節考』あらすじ

食糧が極めて厳しいその村では、老人は70歳になると山に捨てられる掟があった。それをこの地方では「楢山まいり」と呼んでいた・・

「おりん」69歳・・・楢山まいりを覚悟し準備も万端
「辰平(たつへい)45歳「おりん」の息子
「玉やん」45歳「辰平」の後妻

「けさ吉」16歳「辰平」の長男
「松やん」「けさ吉」の嫁

「銭屋」となりの家・・ケチ。
「又やん」銭屋の老人70歳・・・楢山まいりを嫌がる

 

信州の山々の間にある貧しい村に住むおりんは、「楢山まいり」の近づくのを知らせる歌に耳を傾けた。村の年寄りは70歳になると「楢山まいり」に行くのが習わしで、69歳のおりんはそれを待っていた。

山へ行く時の支度はずっと前から整えてあり、息子の後妻も無事見つかった。安心したおりんには、あともう一つ済ませることがあった。おりんは自分の丈夫な歯を石で砕いた。食料の乏しいこの村では老いても揃っている歯は恥かしいことだった。

~ ♪ 塩屋のおとりさん運がよい 山へ行く日にゃ雪が降る ♪ ~

と、村人が盆踊り歌を歩きながら歌っているのが聞こえ、「自分が行く時もきっと雪が降る」と、おりんはその日を待ち望む。孝行息子の辰平は、ぼんやりと元気がなく、母の「楢山まいり」に気が進まなかった。

少しでもその日を引き延ばしたい気持だったが、長男のけさ吉が近所の娘・松やんと夫婦となり、すでに妊娠5ヶ月で食料不足が深刻化してきたため、そうもいかなくなってきた。

雑巾で顔を隠し寝転んでいる辰平の雑巾をずらすと涙が光っていたので、おりんはすぐ離れ、息子の気の弱さを困ったものだと思ったが、自分の目の黒いうちにその顔をよく見ておこうと、横目で息子をじっと見た。

「楢山まいり」は来年になってからと辰平は考えていたが、おりんは家計を考え、急遽今年中に出発することを決めた。ねずみっ子(曾孫)が産まれる前に、おりんは山に行きたかった。

あと3日で正月になる冬の夜、誰にも見られてはいけないという掟の下、辰平は背板に母を背負って「楢山まいり」へ出発した。辛くてもそれが貧しい村の掟だった。途中、白骨遺体や、それを啄ばむカラスの多さに驚きながら進み、辰平は母を山に置いた。辰平は帰り道、舞い降ってくる雪を見た。

感動した辰平は、「口をきいてはいけない、道を振り返ってはいけない」という掟を破り、「おっかあ、雪が降ってきたよう~」と、おりんの運のよさを告げ、叫び終わると急いで山を降りていった。

辰平が七谷の上のところまで来たとき、隣の銭屋の倅が背板から無理矢理に70歳の父親を谷へ突き落としていた。「楢山まいり」のお供の経験者から内密に教えられた「嫌なら山まで行かんでも、七谷の所から帰ってもいい」という不可思議な言葉の意味を、辰平はそこではじめて理解した。

家に戻ると、妊婦の松やんの大きな腹には、昨日までおりんがしめていた細帯があり、長男のけさ吉はおりんの綿入れを着て、「雪がふって、あばあやんは運がいいや」と感心していた。

辰平は、もしまだ母が生きているとしたら、今ごろ雪をかぶって「綿入れの歌」(― なんぼ寒いとって綿入れを 山へ行くにゃ着せられぬ ―)を考えているだろうと思った。

引用元:Wikipedia

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『楢山節考』着眼点&使える名言

『楢山節考』で読書感想文を書くにあたり、使えそうな着眼点の例をご紹介いたします。

【取り上げるべき着眼点・切り口の例】

70歳を迎えた老人を山に捨てに行くことを「楢山まいり」という、一種の信仰とからめていた点に注目し、それについての思いを述べる。

・例えば、やむを得ず、老人を捨てに行くという掟(社会政策)を「楢山まいり」という、一種の信仰とからめることで、苦難を肯定的に受け入れてもらうようにしている「昔の人間の知恵」に、スゴイと感じた・・とするのもよいでしょう。

・現代なら「殺人罪」になるような行いですら、子供のころから、それが「常識」であるがごとく擦り込まれた人間は、それを実行できてしまうことを恐ろしく感じた・・と感想を述べるのもよいでしょう。子供が「わらべ歌」のように、子供のころから「楢山まいり」の歌を歌っている場面があるが、これも一種の「子供のころからの擦り込み」の方法であると捉えることもできますので、その点も指摘するのもよいでしょう。

・泥棒に制裁を加える際も「楢山様に謝れ」という点に人間の知恵を感じた。当人同士で何かトラブルが発生した場合は、代理人など別の人を間に入れることでスムーズに事が運ぶものです。例えば「大リーグの年俸の交渉なども、球団と選手の間に「代理人」を挟みますが、これはその方がスムーズかつ公平に事が進むからです。それと同じように、昔の人間が「神」や「掟」を間に置く事で、社会をスムーズにすることを経験の中から発見したからではないかと気づかされた・・と結ぶのもよいでしょう。
 

世間体を気にする「おりん」に対して感じたことを述べる。

・この地方では、年老いても歯が丈夫であることは「恥」とされた。なんでも食べられる状態であることは、食糧の乏しいこの地方では、恥ずかしむべき状態だった。そのため、おりんは、楢山まいりに行くまでには、歯を何とかしようと考え、誰も見ていないところで、しょっちゅう自分の歯を火打石でガツガツ叩くほどでした。しかも、おりんは歯が欠けることを「楽しみ」にしていたため、とうとう歯が欠けた日は、村のみんなに見せびらかすほどでした。・・このように「世間体」を気にするタイプだったため、世の中で「良し」とされる「楢山まいり」についても、ためらいなく臨めたのではないか・・と結論付け、一般に、おりんのように世間体を気にしやすいとされる日本人ですが、世間体を気にすることは「社会の常識を守る心の表れ」という見方もできるため、プラスに働く場合もあることに気付いた・・という感想を書くのもよいでしょう。
 

楢山まいりに行くにあたっても、いくつかの「掟」がある点に注目する。

例えば・・「楢山まいりに行く前日、過去にお供(老人を背負って連れていく人)をした経験者を集め、楢山まいりに出かける際の「掟」や「秘密のアドバイス」を伝授してもらう場面が描かれているが、その「家から出る時は、ほかの人に気付かれてはならない」「山を降りるときは決して振り返ってはいけない」「山では決して口をきいてはいけない」「嫌なら山まで行かんでも、七谷の所から帰ってもいい」などの一つ一つの教えは、過去にそのようなことをしてしまい失敗した人が何人もいたことを意味しているものだと感じた。つまり、それだけ大勢の失敗者を出すほど、何代にもわたり、この地方では、楢山まいりの風習が存在していたことを、作者は間接的に表現したかったのではないかと思ったわけです。」・・など。
 

食に対し、反省させられたことを述べる。

・ねずみっ子=曾孫(ひご・ひまご)の顔を見るほど長生きすることは、この地方では「恥」とされていた。無駄に長生きすることは「恥」だったのだ。それだけこの時代においては食糧が大切なものだったったことが分かる内容です。

・食糧難のこの村では、歳をとっても歯が丈夫であることも「恥」であったた。主人公の「おりん」は、火打石で自分の歯を折ろうと何度も試みていたが、しかも「おりん」は、歯を折ることを「楽しみ」にさえ感じていた。

・この村では、食料を盗みに入った人間がいると「裸足で駆けつける」という決まりがあり、それを守らず、履物を履いて駆け付けた場合、その人間も袋叩きにされるという「制裁」が決められていたのであった。それは、泥棒が入った場合、大急ぎで駆けつけて助けなければならないことを強要する掟であるが、それだけ食料をみんなで守らなければならないという、価値観のあらわれでもある。

・「長生きは恥」という作品中の社会的な認識に対し、現代の福祉の視点と対比し自分の考えを述べる、など。

・・・このような厳しい時代の人間と、現代に生きる自分とを対比させ、反省させられたことを述べる。
 

その地方では、70歳を迎えた老人を山捨てに行く「掟(おきて)」を定めていた点に注目し、現代の日本で暮らす自分が感じた事、例えば「死生観」について考えさせられたことや、現代ならどのような「社会政策」をとるべきか自分の考えを述べる。

・例えば・・老人の少ない昔でさえ、このような掟をつくり、社会政策的に、食糧問題の調整を図っていたわけであるが、現代は、福祉の考えのもとに「生きつづけさせることを良しとする考えかた」が柱になっているが、自分は「生き続ける」選択のほか「一定の老化状態に達した場合死を選べる」といった選択肢のある世の中にすべきだ。・・と提案するのもよいでしょう。

・具体例をあげるのもよいでしょう。例えば・・「私は、本書を読みながら、現代人の死のあり方について、一つの提案を思いつきました。それは、自分が高齢になり、自分が誰かもわからないほど意識が乏しい状態になった場合に備え、前もって尊厳死をさせていただけるよう、若いうちに申請できる制度があってもいいのではないかと考えた。つまり、ドナーカードで臓器移植の希望を叶えられるのと同じように、無意味と思えるような寿命を「臓器」と同じように捉え「残りの寿命を世の中のために提供する=死」とできる世の中が望ましいのではないか。他人に世話をしてもらうのは、他人の時間を奪うと捉えることもできるため「寿命(時間)を譲る」ことは、臓器移植と同様に、社会性のあるものだと思う・・と展開するのもよいでしょう。
 

昔の人の死や殺人に対する考え方が、実利的であったことを指摘する。

・おりんの孫である「けさ吉」と、嫁の「松やん」との会話の中で、赤ん坊が生まれたら、自分が処分しにいくという内容を語っている場面があるが、それほど重い話のようには話していない。つまり、当時は、老人を捨てに行く以上に、赤ん坊を「間引く」という選択は、頻繁だったのであろうと推測できるやり取りであり、それだけ当時は、人を生かすか死なすかの判断を「実利中心」で考えなければならない厳しい時代だったのだ・・とし、現代の福祉や医療の考え方について自分の意見を述べるのもよいでしょう。
 

作品中で使われていた演出を指摘する。

・この作品の中には「3」と「7」にまつわる数字が何度もでてきます。子供が歌っている「わらべ歌」の中にある「3」や「33」の数。おりんの歯の数をその歌になぞらえて33本もあると揶揄したりもそうだし、楢山まいりに行く道には7つの角や3つの池があるなどもそう。だいいち作者自身も深澤七郎である。・・このような「数字」を巧みに文中に挿入することで、作者は何らかの具体性や神秘性を文章にかもしだそうと演出をしたのではないか・・と結論づけるのもよいでしょう。

・作中に登場する、村人が口ずさむ歌について、小説のおわりに「楽譜」がつけられていた点も新鮮。ギターリストを本業とする作者らしい演出であり、かつ、それがあることで、文中の歌の雰囲気を正確に伝えようとした作者の配慮を感じた・・とするのもよいでしょう。
 

物語の中に存在する「対比関係」に注目し、作者は「社会性」を意識することの大切さを説いた作品だったのではないか・・と結論付ける。

・「おりん」の家族は、村の人への配慮のある人達であったが、隣に住む「又やん」の家族はケチ。主人公の「おりん」は、楢山まいりに行くことを「楽しみ」のように、3年も前から筵(むしろ)を編んで準備するほどの心構えであったが、隣に住む「又やん」は、まったくその気がなく、捨てられに行く日も暴れて逃げ出したため、翌日、縄でがんじがらめに縛られたうえ、谷底に突き落とされてしまった。その点に注目し、同じ苦難に対して、それほどの「違い」をもたらしたのは何だったのかを推論し、自分の考えを述べる。

・息子の辰平の後妻として嫁いできた「玉やん」は気がきくいい嫁であったが、孫の嫁「松やん」は、泣きやまない赤ん坊のお尻を青あざができるほどつねるような性格で、食糧難の時代にもかかわらず、遠慮なしに大飯を食らう嫁であり、実家の方でもその点をいやがり、なかば家を追い出す意味で嫁にいかせたのではないかと揶揄されていた。

・楢山の頂上付近に着いた際、周囲にころがる白骨の中に「おわん」を発見したが、辰平はその時「ここへ来るに際して、そのような心がけでいた人がいたのか」と、反省にも似た感心をする場面がある。死にゆく母に辰平も「おにぎり」を持参して来たわけであるが「おわん」まで持参してきた先人の配慮に、痛く感心させられたという場面である。このような「人への配慮」や「気配りの大切さ」を表現していた点に注目させられた・・とする。
 

【使える名言など】

「おっかあ、雪が降ってきたよう」

辰平は、楢山まいりの掟の中にある「山にいったら物を云わぬこと」「山から帰る時は必ずうしろを振り向かぬこと」という禁を破り、山を降りる途中引き返し、おりんにこの言葉を叫んだ。楢山まいりでは山に着いた後、雪が降ってくることが理想とされていたのだ。おりんは、静かに手を出し、帰れ帰れを手を振るのだった。この作品の名場面である。続けて・・

「おっかあ、雪が降って運がいいなあ」
「おっかあ、ふんとに雪がふったなァ」

と叫び終わると脱兎のように駆けて山を降った。
 

現在の日本は「超高齢社会」という段階に突入しています。

総人口に対して65歳以上の高齢者人口が占める割合を高齢化率という。世界保健機構(WHO)や国連の定義によると高齢化率が・・

・7%を超えた社会を「高齢化社会」
・14%を超えた社会を「高齢社会」
・21%を超えた社会を「超高齢社会」という。

日本は、2013年時点で、高齢化率が25.0%。つまり、すでに人口の4人に1人が高齢者の「超高齢社会」。今後はさらに高齢化率が高くなることが予想される深刻な状態。
 

 

『楢山節考』読書感想文の例

『楢山節考』読書感想文の例(その1)

以下完成したものから順に掲載していきます。

『楢山節考』読書感想文の例(その2)
『楢山節考』読書感想文の例(その3)
『楢山節考』読書感想文の例(その4)
『楢山節考』読書感想文の例(その5)

kouji

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