『人間失格』あらすじ&読書感想文の書き方の例【3作品】


今回は、読書感想文のド定番、太宰治の傑作人間失格の、あらすじと読書感想文の書き方の例をご紹介いたします。(ネタバレ注意)

~~目次~~~~~~~~~~~~~~~
「人間失格」の登場人物
「人間失格」あらすじネタバレ注意)
「人間失格」読書感想文【3作品】

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「人間失格」の登場人物

大庭葉蔵(主人公)
東北の大地主・大場議員の末息子。
人に怯え、人に嫌われない為「道化」を演じ、画家の夢を諦め進学のために上京したが、そこで出会う人々に翻弄されていく。

竹一
中学の白痴に近い同級生。葉蔵の道化を「ワザっ」と見抜き、悪魔の予言を告げる

堀木
葉蔵が密かに通う画学校の年上の学生。葉蔵にうまい事言っては金を巻き上げ酒や女遊びを教える道楽仲間となる。

ツネ子
カフェの不幸そうな女給。旦那が服役中で孤立しわびしく生きている。葉蔵の初めて好きになった女

シヅ子
夫と死別した雑誌社の母子家庭の編集者。葉蔵を囲い漫画の仕事を勧める

マダム
行きつけのバーの女主人。漢気があり転がり込んできた葉蔵を温かくむかえる。

ヨシ子
バーの向かいのタバコ屋の娘。純真な心の持ち主。葉蔵の妻となる。

ヒラメ
東京の古物商。葉蔵の父の議員時代の知り合い。身元保証人となる。
  

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「人間失格」あらすじ(ネタバレ注意)

第一の手記
「恥の多い生涯を送ってきた」
大庭葉蔵は東北の田舎にある裕福な家に生まれる。
葉蔵は子供のころから、人間の営みというものが分からず、駅の歩道橋や地下鉄は奇をてらったアトラクションだと思っていたが二十歳近くになって、やっと実用的な物と知ると一気に興が覚めたものだった。
また空腹感も理解できず、珍しいモノ豪華なモノは食べるが、それ以外の食事には興味も持てず「食べなければ死ぬから」とはまるで脅迫のように聞こえ「そのために働いてめしを食べる」とは皆「死にたくない」との理由で仕事している?幸福の概念が自分とまるで違う事に不安を感じる。
葉蔵からすると、銭湯にはバイ菌、つり革には疥癬虫、生焼けの肉にはサナダムシやらの卵が必ずいる、それは科学的統計的な事実とするヒドく神経質な自分の感覚が人と違うとことに苦しみ、家族の考えも見当つかない。
「自分一人だけが変人なのだ、それを悟られてはいけない!」と悟り、それからは誰からも攻撃されないように無邪気で一言も本音を言わない「道化」を演じることとした。そのせいで、この頃の写真は葉蔵一人だけが奇妙に顔をゆがめて笑っている物ばかりになった。
特に父を恐れ嫌な事も嫌と言えない葉蔵は、父の喜ぶ行動を取り、屋敷の女中や下男に性的犯罪をされても拒むことも両親に打ち明ける事もできず「孤独のニオイ」を背負う人間となる。そんな葉蔵は「ヒミツを守れる男」であり世の女につけ込まれるようになる。
さらに、人と人とは不振の関係を感じ、父が属する政党の有力者が故郷の町で講演をしたときは、父や党の人々、家族や下男に至るまで、表ではほめそやし、裏ではめちゃくちゃにけなしていた。葉蔵も人をだましていたが、表と裏でこうも大きく態度を切り替えながら、平気な顔をして生きている「普通の人」が理解できなかった。
 
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第二の手記
中学ではわざと勉強せず、道化で人気者となり「お茶目」な存在だと認識されていた。
ある日、鉄棒で失敗し笑いを取ると竹一という生徒だけは「ワザ、ワザ」と計算された物であると見抜いてしまう。
竹一の死ぬ事を祈るが手なづけるという方法で懐柔する策に出る。
そんな竹一は葉蔵に「お前はきっと女に惚れられるよ」と悪魔の予言をし、ゴッホの自画像をお化けと言い、モジリアニの裸婦画を地獄の馬みたいと画家たちの正体を次々と見抜く。
葉蔵はこれら画家は人間に傷めつけられその醜さを絵画で表現した自分の仲間と気が付く。
竹一に見せた葉蔵のひどく陰惨な本来の絵を見て「将来エラい絵描きになる」と断言され自分の道はこれだと決める。

だが中学卒業後、父より東京の高校、帝国大学を目指し官吏になるよう言われ逆らえず進学するも、高校の寮にもなじめず父の別荘住まいし、内緒で画塾に通うようになる。
そこで堀木に目を付けられ酒、たばこ、娼婦などの遊びを教えられる。
葉蔵は堀木の事を「この都会の与太者も自分と同じく人間の営みに戸惑いお道化として生きている。だが自分と本質的に違うところはお道化とその悲惨に全く気付いていない馬鹿であること」と軽蔑しつつ、遊び仲間として付き合うことにする。
だが父より再び下宿暮らしを強いられ、たちまち金も不足する中、堀木に質屋通いと左翼活動にも誘われ、彼らの稚拙な「非合法」との言葉の響きに心地よさを感じ、娼婦遊びも堀木から「女達者の匂いがする」と言われながら多数の女に色目を使われ、人間恐怖を紛らわす日々を過ごしていた。
カフェの女中、わびしい女ツネ子と一晩過ごし恋の心が動く自覚はあったが「傷つけられないうちに別れたい」と背を向ける。だが活動からのカンパ要求、金欠、女、高校退学勧告と重なり葉蔵は行き場をなくした中、酒をツネ子にタカる為カフェに行くと堀木が「ツネ子とキスしていいか?」と聞かれ、拒否への恐怖からツネ子の目の前でそれを承諾する。だが堀木は「貧乏クサイ女は無理」と評し拒絶する。葉蔵はその言葉により彼女に親近感を覚え、生まれて初めて本当の恋心を抱いたが、絶望したツネ子から「疲れたね…」と2人は心中を図る。だが死んだのはツネ子だけで、葉蔵は一人生き残ってしまった。
葉蔵は自殺幇助罪の容疑で収監され、ツネ子の死だけ悲しんでいた。検事局での取り調べの際、葉蔵は病弱をアピールしたが、検事はそれを見抜き、葉蔵に地獄に落ちた方がましと思わせるようなみじめさを味合わせる。起訴猶予になり、学校も退学、故郷からも絶縁され葉蔵は父の太鼓持ちだった骨董商の渋田(葉蔵は心の中でヒラメと呼んでいた)に引き取られることとなった。
 
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第三の手記
事件のせいで実家から絶縁状態になったが、葉蔵に復学更生のつもりがあるなら援助をすることも考えられていた。
ヒラメは「あなた自身はどうしたのですか?」とあまりに持って回った言い方をしたせいで、人の言葉の裏が読めない葉蔵は真意を読み取れず、貧乏なヒラメの世話になるのも心苦しく自活して画家になると話し、逃げ出してしまう。
親友もない葉蔵は堀木の家に逃げるも、冷たくあしらわれ、そこに都会人のつましい本性を垣間見て、落ちぶれた自分が悪く、彼らは内と外を区別して生きているだけだと思う。

そこで雑誌社のシズ子と知り合い、初めて男妾のような生活をしつつ、子供雑誌や粗悪な雑誌の漫画を描く仕事を得た。状況をヒラメから実家に伝えられることで完全に絶縁とされるが、葉蔵は何も言えず晴れてシズ子との同棲は公になった。
ひとまず順調な葉蔵に堀木という男は、こちらの助けには応じず淋しくさせ、漫画仕事が順調な葉蔵にもっともらしく説経や師匠のような態度をとり「世渡りの才能だけではいつかボロが出る」とさえ言う。そして「これ以上の女道楽は世間が許さない」とまで言い放つ。
葉蔵はこれまで恐れていた「世間」とは目の前の堀木であり、誰か個人が持つ価値観で世間に実態などないと確信し、これで世間を以前ほど恐れなくなった。そして自分の意志が持てるようになると我を通せるようになったが、酒量が増えつつもあった。だが自分のそれがシズ子の生活を壊すと恐れバーのマダムの家に転がり込むことにした。

マダムは「あなたは素直で気がきくいい子よ」「全部お父さんが悪い」と言う。バーの常連も好意的で「世間」は自分に何の危害も加えず「世の中はそれほど恐ろしくないかも」と思い始めた頃、卑猥な雑誌の漫画は描けても偉い絵描きになれなかった自分にくだらなさを感じるようになっていた。
しばらくして、葉蔵はタバコ屋の処女性を感じるヨシ子と知り合い内縁関係になった。彼女との生活は幸福で職も手につき、人間らしくなれる希望が感じられていた。しかしある時、堀木が金の無心に来た日、ヨシ子が出入りの商人に汚されたのを見てしまい、再び苦悩の中に叩き落されることになる。
葉蔵は酒浸りになり、睡眠薬自殺未遂、その後も酒量はさらに増え、結核のような症状が出始めたころ、偶然入った薬屋の女主人から酒を止めるためのモルヒネをもらった。だが、今度はモルヒネ中毒になりながら漫画の仕事に励み、薬代のつけが大きく膨らむことになった。

葉蔵はモルヒネ中毒に男妾を薬屋に仕掛ける地獄に故郷の父に救いを求める手紙を書く。
すると堀木とヒラメによって、優しく静養と称し病院に連れていかれた際ヨシ子からこっそり渡されたモルヒネを人生で初めて拒否をした。だが入院先は脳病院と気づき絶望し無抵抗は罪なのか?と神に問う。
自分は人間失格で、生涯「廃人」の烙印を打たれることに気が付く。

三カ月後に長兄に引き取られ、先月に父が死んだことを知らされた。葉蔵の心はまるで張り合いを失い、苦悩する能力さえ失った。
長兄は葉蔵を故郷の村はずれの荒れ屋に老いた醜い女中をつけ隠棲させた。老女の慰み物にされ、夫婦げんかのようなことをしながら、三年が過ぎた。
「廃人となった今の自分には幸福も不幸もなく、ただいっさいは過ぎて行きます」と思う葉蔵は二十七になったが、もはや四十歳のような外見になっていた。

「人間失格」読書感想文【3作品】

「人間失格」読書感想文その1・1347文字

自分たちの社会の中に、真実はどれだけあるのだろうか?
例えば日常生活で「この人口ではこう言っているが、本当はどう考えているのか?」と思ったり、時には自分が思っていないことを口にしてしまうこともある。
「人間失格」は太宰治のこんな「人間の持つ俗悪なもの」に対する挑戦だ。人間に対して不信感を抱くとき、太宰のもつ人間についての思想はひとつの足場となりえる。
 主人公「葉蔵」は人間の内に真実を求め、裏切られ、挫折し、ついには人間社会いや人間と言う生き物として失格者となる。それは太宰の人生でもある。
 葉蔵は幼少より、人間の生活を理解できず、人間に恐怖心を抱く異常な精神の持ち主であった。「自分がおかしい事がバレたら」と社会から排除されることを恐れ、道化を演じ、嫌われない疑われないように自分の心は隠して生きる。だがしかし社会に適応できずついに廃人となる。
 太宰は人間には偽善、エゴイズムなどは誰しも生まれつき持ち合わせる人間の特性を、葉蔵こそが持ち合わせていない美しく穢れを嫌う善なる存在だったと書きたかったのだと思われる。理由は物語の最後に一行「神様みたいないい子」と葉蔵は肯定されているためだ。
 葉蔵の善が故の異常に対して、堀木こそが俗悪な正常を行使する。葉蔵は堀木の事を「お道化を意識せずに行い、しかも、そのお道化の悲惨さに全く気が付いていない」と言っている。そして友人であるこの男こそが葉蔵を精神病院へ送るのだ。
葉蔵は自分の道化に苦悩し、社会の偽善に疑問や恐怖、嫌悪を感じる。堀木はそんな社会にいとも簡単に順応できモラリストを自負しているエゴイストだ。
堀木は葉蔵に「世間が、ゆるさないからな」の言葉に「世間と言うのは君じゃないか。世間じゃなくてあなたが、ゆるさないのでしょう?」と気づき堀木の「社会一般のモラリスト」としての形のない暴力に激しく怒りを感じるのだった。
 葉蔵は社会を人に敏感で観察し「互いにあざむき合って、しかもしずれも不思議に何の傷もつかず、あざむき合っている事にさえ気が付いていないみたいな、実にあざやかな、不信の例が、人間の生活に充満しているように思われます。自分には、あざむき合っていながら、清く朗らかに生きている、或いは生きる自信を持っているみたいな人間が難解なのです」
葉蔵のこの思いを知ると、なんと生きづらく恐ろしい思いを日々感じているのだろうと気の毒に思います。しかし、葉蔵に同情している自分もそうした俗悪で偽善的な面もあるのかもしれない。通常の人間はそうした善と悪の感情に揺れ動きながら、完全には悪の面からは逃れられないのが人間の性なのではないだろうか?
その考えは太宰の中にもあり、本作を書き上げた二か月後に自らの命を絶っている。きっと執筆中に頭から死が離れなくなったのだろう。きっと彼も完全なる善の存在を目指すも、俗悪なモノに抗いきれなかった社会の敗北者だったということなのだろう。
太宰のこの作品で表現した思想は正しい主張でもある。しかしそれで死につながるのは、人間の悪の面に負けたのだ。
人は社会に蔓延している悪意に負けてはならない。そして自分自身の悪意も同様だ。人は力強い生へ向かうために、弱く不完全でも人生を全うすることで人間として合格できるのではないだろうか?

「人間失格」読書感想文その2・1300文字

人に聞かれたら「人間失格」は実に読後、後味の悪い「悪書」としてしか紹介できない作品だと思っていた。なぜなら主人公葉蔵の無気力と主張できない意気地のない根性に激しくイラついたためだ。
 自分はなるべく人として悪い行いはすべきではなく、規律、規則、法律を守る正しい人間だと思っていた。だが本当は見て見ぬふりをしていた嫌な自分もちゃんと存在していた。それは悪事を働いたであろう犯罪者が罰せられる事を「自業自得」と喜ぶ自分、自分の立場から優遇される環境に「当然の権利だ」と利己的に判断していた自分。自分のそんな考えに謙虚さは皆無かもしれないが、それは普通なのでは?と思っていた。
だがよく考えてみると、犯罪者が犯罪者たる所以を深く考えた事があっただろうか?自分が得ている権利は誰しもが平等に得られている権利だろうか?と気が付いた時、自分の正義感は偽善で、自己満足にすぎないのではないか?と思えてしまった。
 自分と葉蔵は対極にある人間だと思っていたが「異常に罪に嫌悪感を感じる」ことに共通点を見てしまった。葉蔵は人とは違う人生になってしまったが、彼のその気性は自分も含めすべての人の中にあるモノではなかっただろうか?
他人に対して演技することは、他の人間もしているハズなのだ。ただ演技している自分に気が付かないか、気が付いてもそうしなければならない理由で自分をごまかしたり、そういうものだと妥協したりしていないだろうか?
葉蔵は意識して道化を演じる外面と、内側には世間を恐れ沈殿している鬱々とした性質の二面性があった。そのあまりに両極な二面性から人を信頼する事をできず、無抵抗を貫く姿勢が不幸をもたらしたと言える。
「神に問う、信頼は罪なりや」「神に問う、無抵抗は罪なりや」
結果それらは葉蔵に不幸をもたらす世間と対峙することになる。世間を代表する堀木は何度も何度も無抵抗の葉蔵を叩きのめす。まるて葉蔵の師のごとく当然のようにザクザクと葉蔵を傷つけても全く気付くこともなく勝ち誇った顔をしていた。葉蔵は堀木と互いに軽蔑し合っているとわかっていたのに断ち切ることのない理不尽な関係は、世間から己を守る道化の仮面こそが結びつけたものだった。
葉蔵が脅威した竹一は唯一、道化の仮面を見破り、人間の真実も苦悩も理解できる人間だった。本来竹一こそが葉蔵に救いを与えられる存在だったのかもしれない。竹一には立派な画家になることを誓えた、ただ一度だけ自分の陰鬱さを許せた日はいつの間にか世間によって、自分の陰鬱さで他人の幸福を壊すのを恐れるようになった。
葉蔵の苦悩は人の持つ悪意が原因だ。葉蔵にある女を引き付ける魅力は積極的に女を攻撃しない優しさにあったのではないだろうか?彼の本来持つ優しさや共存を願う思いこそ本来の世間的な人間の原点なハズなのだ。だが「世間は冷たい」「世間は意外と優しい」そのどちらにも属することが出来ずさまよっていた結果、人間から失格してしまったように思えてくる。
「人間失格」は社会の重圧、世間の重さ厳しさを感じさせる作品だ。今住む世間の中で自分自身の理想、言動、行動を洗いなおしてみようとさせるのが「人間失格」だ。
 

「人間失格」読書感想文その3・1367文字

葉蔵が現代にいたならば、もっと早く廃人になっていたのだろうか?
「人間失格」の時代の世間と、現代の世間どちらがよりいやらしく恐ろしいものなのか?イヤ時代が変わっただけで人間の本質は何も変わっていないだけなのかもしれない。
人の裏表の矛盾に悩み、排除・攻撃されず順応するために道化を演じる葉蔵は現代でいうと、クラスや友人関係から浮き上がらないための方法論としての一つかもしれない。だが葉蔵は本来、陰鬱な理解されにくい性質の人間である。陽気なキャラを演じること自体が極端で結果本人の首を絞めていたと思われる。
自分が傷つくことを恐れ、道化の手段を取る葉蔵をマダムは「とても良い子」と言う。だが悪友堀木が葉蔵からしたら馬鹿にしか見えないが、付け入られる隙を与えたのはその優しい道化の仮面が原因としか思えないのだ。堀木はホンネを言わない、拒否をしない葉蔵にからあざけりを肌で感じ取っていたのではないだろうか?上手く表現できない葉蔵の不自然な感じにフツフツと世間と言う仮面で対抗していたのではないだろうか?
人はどんな人間でも嘘をつく。悪意の有無はさておき嘘をつくほうが生きやすくなるためだ。ただ葉蔵との大きな違いは生活のための嘘であっても、それにいちいち罪悪感を感じるほどの大袈裟なものではなく、社交辞令と言って受け流し、互いに期待も怒りもしない社会が出来上がっている。嘘で身を亡ぼすほどの道化までは演じないのだ。
だが考えてもみるとそれを平然と世間ではよくある事としてしまう自分こそが穢れた世間、悪意のある人間の一人と言えるかもしれないのだ。やはり葉蔵のように世間への恐怖を懐奥深くに沈めて、怯えながら生きればどんな人間も廃人となる可能性はあるのではないだろうか?葉蔵の道化はいつの間にか自己防衛から、他者の期待に答えるモノへ進化し、堀木やヒラメからは都合の良い金づる、共産党からは利用できる駒の一つ、女たちは葉蔵に救いと癒しを求められた。葉蔵の誰かのために生きる道化は喜びや生きがいを感じるものではなく、ますます神経をすり減らすものでしかなかった。
人間は同じ人間同士であるのに「腹の内がわからない」段階では構えてしまう。疑心暗鬼になりどこか警戒心を持つものだ。葉蔵の心を本当に解き放ったのは竹一だけであった。彼は葉蔵が一番知られたくない真の姿を見抜くことができた。葉蔵のこの小さな危機が道化の仮面を完全にはぎ取っていたならば、葉蔵の正体を明け透けに告白できていたら、人生を失格することはなかっただろう。なぜなら人は人生の全てを嘘で固めないから生きていけるのだ。本音も出せるから自分を誠実であると後ろ暗い思いもなくいられるのだ。本来は隠し通せるものではない本音を、少しももらすことのなかった葉蔵の道化の仮面は、葉蔵の変態性よりも罪の深い呪われた性質だったのではないだろうか?
我々は美徳と虚構、道徳と偽善、理想と不信の相反するものに囲まれていると皆十二分に気付いている。だが世間に溢れる悪意に気づいても、正面から戦うのではなく、世間と言う無記名の仮面をつけてでしか戦わない。否その悪意よりも自分が世間になっていることを楽しむ事で、正常なつもりでいること、正しい発言をしている気になれる事こそが今も昔も変わらない社会と人間の見直すべき点じゃないだろうか?

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