「告白」読書感想文の例文【大特集】5作品

こちらでは、湊かなえさんのデビュー作にして最大のヒット作である「告白」あらすじと、読書感想文の例文【5作品】紹介しています。

おもに中学生高校生が、1200字1600字2000字(原稿用紙3枚、4枚、5枚)の読書感想文を書く際に役立つことを目指し掲載しています。

~~目次~~~~~~~~~~~~~~~
「告白」あらすじ
「告白」読書感想文【例文5作品】

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「告白」あらすじ

あらすじと読みどころ

終業式を迎えたある日、教師を辞める決意をしたシングルマザーの教師、森口が、生徒たちに、娘の愛美の死と、その原因が事故ではなく、このクラスの生徒によって殺害されたものであることを告げます。

愛美は、森口とHIV感染者である父・桜宮の間に生まれた子で、桜宮は愛美が社会の偏見に苦しむことを避けるため、結婚を拒否していました。森口は一人で愛美を育てることを決心し、保育所と隣人の竹中の助けを借りながら教師の仕事を続けます。しかし、竹中の入院により、愛美は学校での待機時間が増え、ある日プールで死体として発見さたのでした。

彼女は、未成年者に対する法の不備を指摘し、自らの経験を通して訴えます。森口は愛美の遺品から、愛美が生徒によって殺された可能性があることを突き止めます。

愛美は感電装置を仕込んだポシェットを受け取り、それによって感電し気絶します。犯人は、森口の生徒であるAとBでした。Aが感電装置の開発し愛美を感電させ気絶にいたらせ、Bは気絶とは気づかず愛美をプールに投げ込み、事件を偽装しようとし、それにより愛美は結果として溺死してしまったのでした。

森口は事件の真相を警察に伝えず、AとBに対する復讐を計画します。彼女は桜宮のHIV感染した血液をAとBの牛乳に混入したことをクラスのみんなの前で発表します。しかし‥‥。

章の中盤では、ABがそのような行為に及んだ背景としての、歪んだ考えの「親」の様子が描かれています。結果として彼らの母親は我が子によって殺されてしまうという結末を迎えます。

物語は、各章ごと特定の登場人物によるモノローグにより構成されています。

第一章 聖職者
第二章 殉教者
第三章 慈愛者
第四章 求道者
第五章 信奉者
第六章 伝道者

復讐心、親子関係、教育論、家庭と社会、偏見、いじめ、未成年犯罪への法的対応など、複雑な要素が絡み合っている本作は「物語を捉える着眼」によって作品の与える内容が異なるはずです。

作者の抱く「本当の怒りの対象」は何だったのか?‥‥この切り口で自分の考えを述べる感想文もよいでしょう。

以下の約6分の動画は「復讐劇をベースにした教育論」だという着眼を語っている優秀な動画です。(同感)


 

「告白」読書感想文【例文5作品】

以下に感想文の例文をご紹介いたします。文字数はまちまちですが「書き方」「着眼点」の参考にしていただければと思います。
 

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「告白」を読んで①

「犯罪や不適切な行為には、自己を客観視できない主観的な考えがある」本書を読み終え私が得た教訓がこれであった。
読書感想文の書き出し例(入賞21パターン)

「愛美は死にました。しかし、事故ではありません。このクラスの生徒に殺されたのです。」と、愛娘を亡くした教師の信じられない告白からこの物語は始まった。

物語は全編モノローグで構成されており、語り手が一編ごとに「クラスメイト」「加害者」「加害者の母」などへと次第に変化していく。それぞれの登場人物の視点が交錯していく中で事件の真実が次第に浮き彫りになってゆく。

一体、殺人事件の真相は何なのか。誰が何を思うのか。読者は息つく暇もなく衝撃のラストへと誘われる。

決して爽快な読了感とはいえない考えさせられる結末は、この小説の読者に強烈に焼きつけられるに違いない。

タイトルの「告白」の辞書的な意味は「心の中に思っていたことや隠していたことを打ち明けること。また、そのことば。」であるが、この小説にはこの定義に当てはまるような完全な告白は存在していない。

多くの登場人物はそれぞれの信じる真実を読者に投げかけてくる。教師の愛娘の死というたった一つの事実があるにも関わらず、三者三様の解釈が存在する。そこには絶対的な善も存在しなければ、絶対的な悪も存在しない。あるのは心の奥深くの闇だけである。

その中に、一般的にいわれるような正義や倫理観の押し付けは一切ない。逆を言えば、どこまでも素直で人間的といえる。だからこそ読者は強い衝撃を覚える。

なぜなら、読者は知らぬ間に加害者、被害者を含めその他大勢の登場人物の告白に不思議と共感を抱いてしまうからである。彼らの行動や発言は形は違えども個との戦いである。そこには決して頭で考えるような理想のシナリオはない。

教師の告白を受け、正義感に突き動かされるクラスメイト。犯人の生徒に対するその行いは客観的に考えれば単なる陰湿ないじめだ。そもそも正義というにはあまりにも稚拙な行いである。

だが、彼らの行動に正義という大義名分が加わることでそれは一気に正当化される。誰も疑問を抱かなくなる。それはある意味において計り知れないほどの人間味であふれているといえるかもしれない。

ここではクラスメイトという物語の登場人物をとりあげたがその他の人物も同様である。人間は誰しも善だけで構成されている潔白な存在ではない。嫉妬、憎悪。人間の心というものはロジカルに構成されるものとはいえない。

本来喜ぶべきことが喜べなかったり、悲しむべきことを悲しまなかったり。すでにあるべき論で感情を語ろうとしている時点で固定観念に縛られているといわれればそれまでだが人間はある程度理性や倫理観で感情をコントロールしている。

だが、この小説の登場人物はある意味においてはその枠組みを越えてどこまでも正直だ。自己の充足感を得るためには手段を選ばない。善悪を除いて、それは自己顕示であったり、責任転嫁であったりする。

この小説のような事件は実際に起こらないとは言い切れない。もし、自分の身内が殺されたら、その現場に居合わせたら、そう考えながら本書は読むべきだと思う。この小説は決してこの世の中に存在する既存の倫理観を押しつける道徳書ではない。むしろ実際に起こりえる内容を書いた危機管理書ともいうべき内容の本なのだ。

これを契機に人間の不条理さ、恐ろしさを単に他人ごととしてとらえるのではなく、自分の内にも存在する闇であることを認識することが必要なのではないだろうか。

「犯罪や不適切な行為には、自己を客観視できない主観的な考えがある」というのが、私が読了後に感じた教訓であると冒頭で述べたが、さまざまな悪しき結果を阻止するためには、その原因や結果が発生する前に「心を客観視するすべ」について学んでおくことが大切だと思う。

その意味において、本書のような教訓に満ちた本を読みこむことは、自己の心が発する「告白」を正しい方向につなげる一助になるに違いない。
 

「告白」を読んで②

この本の感想を一言でいえば「これまで私の読んだ小説の中で最も“胸糞わるい小説”」である。

「愛美は死にました。しかし、事故ではありません。このクラスの生徒に殺されたのです。」冒頭、愛娘を亡くした教師の信じられない告白からこの物語は始まる。

物語は各編ごと、登場人物たちの語り口調で構成されており、語り手が次第に変化していくのだが、それぞれの登場人物の視点が交錯していく中で事件の真実が次第に浮き彫りになってゆくことになる。

一体、事件の真相は何なのか?・・・誰が何を思うのか。読者は息つく暇もなく衝撃のラストへと誘われてゆく。決してハッピーエンドとはいえない、その「胸糞わるい読了感」は、この小説を読了した読者の心に強烈に焼きつけられるに違いない。

『告白』の辞書的な意味は「心の中に思っていたことや隠していたことを打ち明けること。また、そのことば。」だが、この小説にはこの定義に当てはまるような完全な告白は存在していない。

多くの登場人物は「それぞれの信じる真実」を読者に投げかけてくる。教師の愛娘の死というたった一つの事実があるにも関わらず、三者三様の解釈が存在する。そこには絶対的な善も存在しなければ、絶対的な悪も存在しない。あるのは心の奥深くの闇だけである。

一般的にいわれるような正義や倫理観の押し付けは一切ない。どこまでも素直で人間的といえるのだ。だからこそ読者はそこに強い葛藤や言語化できない「何か」を覚える。なぜなら、読者は知らぬ間に加害者、被害者を含め、その他大勢の登場人物の告白に不思議と共感する部分を発見してしまうからである。

彼らの行動や発言は形は違えども「己との戦い」であり「つじつま合わせ」である。そこには決して頭で考えるような理想のシナリオはない。教師の告白を受け、正義感に突き動かされるクラスメイト。犯人の生徒に対するその行いは客観的に考えれば単なる「いじめ」である。

彼らの行動に正義という大義名分が加わることで、その「いじめ」は一気に「正当化」される。そして、誰も疑問を抱かなくなる。それはある意味において人間らしいとも思えるものだ。

ここではクラスメイトという物語の登場人物をとりあげたが、その他の人物も同様である。人間は誰しも善だけで構成されている潔白な存在ではない。

嫉妬、憎悪。人間の心というものは論理に基づき構成されるものとはいえない。本来喜ぶべきことが喜べなかったり、悲しむべきことを悲しまなかったり。すでにあるべき論で感情を語ろうとしている時点で固定観念に縛られているといわれればそれまでだが、人間はある程度理性や倫理観で感情をコントロールしている。

だが、この小説の登場人物はある意味において自分に正直だ。自己の充足感を得るためには手段を選ばない。それは自己顕示であったり、責任転嫁が原因なのだろう。これは多感な時期である思春期の特徴といえるかもしれないが決してそれだけで語りつくすことはできない。

生活の上で感じる空虚さ、飢餓感。そうした感情を自己完結させることができない結果といえるかもしれない。

読者が読後に感じるこの感情を文字を通して伝えることは難しい。特定の登場人物に同情を抱くかも知れないし、反対に嫌悪感を抱くかも知れない。だが、この小説のような事件は実際に起こらないとは言い切れない。

毎日のニュースでも、殺人事件の多くは「なぜそんなことで」と思える些細な理由ばかりではないか。大きく捉えれば、ロシアとウクライナの戦争も、自分に都合の良い考えの押し付けでしかないように思えるはずだ。そうした社会の現状を考えれば、自分自身の生活と置き換えて考えることも容易であるに違いない。

この小説は決して世の中に存在する既存の倫理観を押しつける道徳書ではない。この「胸糞わるい読了感」を心に印象付け、人間の不条理さ、恐ろしさを単に他人ごととしてとらえるのではなく、自分の内にも存在する闇であることを認識するための小説ではなかろうか。この小説を通して自分の心に巣くうもう一人の自分の告白に耳を傾けてみることが必要なのだと思う。
 

「告白」を読んで③

この『告白』という小説は、自身の子供を校内で亡くした女性教師の森口悠子が「愛美は事故で死んだのではなく、このクラスの生徒に殺されたからである。」という終業式のホームルームでの告白から物語が進んでいく。

各章では、犯人である2人の生徒や熱血が正義であると思っている先生、過保護な犯人の母親などの登場人物それぞれのズレが心情表現や行動などで表現されており、それが何とも言えない「気持ち悪さ」を醸し出している。また、この小説の登場人物はだれ一人として事件後救われた描写はなく、幸せとは程遠い凄惨な結末を迎えているため、とても後味の悪い「ストレスがたまる内容」となっている。

しかし、その中でも森口の犯人に対するラストの復讐は、私の負の感情が喜んでしまうものでした。犯人の一人であるAは、DVされていたにも関わらずとても頭が良かった実母を世界で唯一尊敬していた。しかし、そのDVが原因で両親が離婚し、実母と会えなくなってしまう。そして実母が別れ際に言った「修ちゃんに何か起これば、ママは約束を破ってでも駆けつけるからね。」を信じ、実母が自分のことに気付き、来てくれるように殺人を犯そうとする。

しかし、その計画は失敗に終わり、実母は再婚し妊娠までしていることが発覚し、母親に捨てられたと思ったAは実母への復讐のため学校に爆弾を仕掛ける。しかし、学校は爆破されない。これは、森口が爆弾を解除したためである。そして森口は爆弾を解除しただけでなく、Aの実母がいる研究室に爆弾を設置しなおしていた。

Aは実母以外の人間を見下しながら生きていた。また森口の娘を殺してしまったことに対しても一切の謝罪の感情はなかった。だから、Aが唯一縋る対象であった実母をAの手で殺してしまうというラストは正直言って「それでよし」と感じてしまった。しかし読んだ後、この小説のなかで森口の夫であった桜宮が最期のときに森口に言った「憎しみを憎しみで返してはいけない」「我が子を殺されても復讐をしてはならない、罪を犯した子供たちは更生することができる」という言葉が思い浮かびました。

果たして、森口のやった復讐は彼女自身を本当に救うことができたのでしょうか。また、もし森口がただ爆弾を解除しただけだったら、Aはその後本当に更生することができるのでしょうか。私はYouTubeで日本の死刑制度について学んだことがあり、現在の日本では死刑制度に賛同している人の方が多数派だと知りました。しかし、世界では死刑制度が無い国が多く、また死刑制度を倫理的観点から廃止した国もあることもしりました。

私は、死刑制度とこの小説のラストは似ていると感じました。死刑制度も加害者への一種の復讐であると考えます。また、もし死刑制度をなくしたとしても、本当に加害者が反省し更生できるのかは分かりません。私はこの小説が現代の日本で施行されている死刑制度に対し、間接的に疑念を投げかけているように感じました。

この『告白』を読んみ、犯人の2人の持っていた思春期特有の感情には共感できるところもあり、それがフィクションでありながら不思議と現実感を生んでいて興味深く感じました。ただ嫌な気分になるだけでなく、現代の死刑制度について考えさせられたり、自分の都合の良い解釈しかしない人間の持つ闇の側面についても考えさせられたりしました。

ここで考えさせられることは簡単に結論がでるようなものではないと思います。同時に向き合っていかなければいけない問題でもあると思います。私はせめて自身が持つ闇について受け入れ、物事に対し自身の都合の悪いことに目をそらさず、向き合っていこうと思いました。
 

「告白」を読んで④

私は本書を読み、なぜか「オタク文化の広がり」が殺人事件やいじめの問題の絶対数を減らすのではないかと考えるようになった。

物語は、元教師、森口悠子は自分の受け持つクラスの生徒二人によって愛娘を殺された。そのためその生徒に復讐を果たすというものだ。

犯人の一人、渡辺修哉は母親を深く尊敬していた。母親が研究している電子工学の話を聞くのが好きだった。しかし、子育てに追われ入学の研究所へ戻ることのできない母親に虐待をくり返された末に親は離婚。父親に引き取られる。

一年後再婚した継母との仲は悪くなかったが、妊娠と同時に距離ができる。この頃から別れた本当の母親への気持ちか強くなり、母親に教わった技術を使い「発明品」を発表するサイトを作る。しかし、母親からのコメントはない。

そこで発明品を全国中高生科学工作展に出品し、注目を集めようとする。特別賞を受賞し喜ぶが、同じ日に中学生による毒殺事件か起こり、メディアは連日この事件を伝え、報道が過熱するにつれ、渡辺修哉は次のように思った。

「立派なことで新聞に名を載せても母親は気づいてくれない。もしも、自分か犯罪者になれば、母親は駆けつけてくれるだろうか・・・」これが事件の動機だ。

この物語を読み進めていく中で、私は約10年前に佐世保市で起こった殺人事件を思い出した、その事件での容疑者の動機は「人を解剖してみたかった」というものだった。おそらくこれが率直な動機なのだろう。しかし、どちらの事件も人の命を奪うには、あまりにも割に合わない動機のはずだ。

ことの大小の違い和あるが、殺人といじめは似ているように思える。どちらも加害者と被害者が存在し、どちらも被害者か傷つけられる点では同じだ。

ところが、いじめの場合、不思議なことに責任を問われるのは学校の場合が多いのだ。小、中学校までは、いじめが発覚したとき、事実上罰を受けるのは学校であり、校長であり、教師なのだ。加害者本人が厳しい罰を受けることは少ない。また、いじめの場合、特定の個人を特定するのも難しいのだろう。

「予防に勝る対策なし」という言葉があるが、その通りだと思う。殺人事件やいじめの問題があると「命の大切さ」について語られることが多い。しかし私はこの考え方は違うと思う。それらは命の問題ではなく「他人を尊重する気持ちの欠落」が根底にあると思うのだ。

他人を尊重し「距離を置いた関係の尊ぶこと」「異質な相手に理解を示すこと」それこそが人間関係の中で最も大切な心構えであり、それらの考え方を大人がもっと強く指導すべきなのだと思う。

そのように考えれば、日本の「オタク文化」は、殺人やいじめをなくす最良の文化ではないかと思えてならないのだ。なぜなら、オタク文化は個人の趣味嗜好を認め「そっとしておく文化」だからだ。いわば「多様性の価値を認める文化」だといえるものだ。

そもそも「オタク」とは、日本語における「二人称」の1つであり「あなた様」「そちら様」「お宅様」といった使われかたがされる二人称であり、「お宅」は「あなた」より、やや相手との距離をおいた「遠慮がちに相手を呼ぶ際の二人称」だ。

いわゆる「オタクの人」同士が相手を呼び合う際「お宅」という表現が多様されていたため、そういう人たちを「オタク」と呼ぶようになった歴史がある。

オタク文化とは「あなたはあなた」「わたしはわたし」というように「相手の趣味嗜好を否定することなく認め合い、お互いをそっとしておく文化」なのだ。

この考え方が広がれば、ネット掲示板での誹謗中傷や、いじめの問題、さらには些細な理由からの殺人事件にいたるまで、多くの犯罪や社会問題は縮小すると私は考えたのだ。森口先生の娘の命を奪った犯人に、多少なりとも「他人を敬う心」があったなら、この事件も発生しなかったはずだ。

私は、他人は「他人」ではなく「他人様」であり「お宅様」だと考えるべきだと思う。「敬意」や「尊重」の意識を抱かせることが、命の大切さを意識させる以上に実益に適った教育だと思うのだ。

私は本書を読み、推論ではあるが「オタク文化の広がり」と「社会問題の絶対数を減らすこと」の関連性を発見できたことは、私にとっての一種の進歩だったと思う。
 

「告白」を読んで⑤

仮に、自分の家族が、少年法によって守られた十三才の少年に殺されたら、何を思い、どうするのだろうか。未熟でも発展途上の、幼い少年の更生を願うべきか、それとも、大切な人の命を奪った殺人鬼を、法律に委ねることなく、自らの手で裁くのか。

映画化もされ映画の評判が良かったので読んだ一冊、「告白」。初めて読んだのは、もう半年も前になるが、あ少年犯罪をテーマに登場人物の独白形式で進められる物語にぐいぐいと引き込まれ、読み終えた後、あまりの「後味の悪さ」に、しばらく言葉が出なかったのを覚えている。

改めて読み返すと「命とは何だろう」そんな疑問が湧いてくる。人間の命は尊い。文中では何度も反復され、強調された言葉だ。しかし、命の尊さの本質を知る者は、この世にいるのだろうか。そもそも、本質など存在するのだろうか。

例えば、食べる、眠る、考える、などの何気ない動作は、この世に命を授かった者にしか出来ない行為である。つまり、命があることが、全ての前提である、と言える。そう考えると、一つ一つの命が個性をもち、一度失うと二度と戻らない。私は、それが命の尊さであると解釈した。

では、なぜこの世には殺人が存在するのだろうか。少年Aは「殺人が犯罪であることは理解できる。しかし、悪であることは理解できない。」と言った。大抵の人間は、物心がついた頃から、人間の命は皆平等に重いと教えられ、殺人が悪であることは本能的に知っている。だから、Aの言葉に共感する人はほとんどいないのではないかと思う。

私は、の人間性を疑ってしまった。彼には血が通っていないのだろうか、と。しかし、彼は普通の男の子だった。血の通わない殺人鬼が、アイトからのいじめに耐え、毎日学校に来るだろうか。「この先、僕はどうすれば「いんだろう。」と泣くだろうか。私には、彼が少年Aではなく、渡辺修哉としての感情をもっていると思えてならないのだ。しかし、彼は罪を犯した。何が、彼の理性を失わせ、人間性の一部を欠落させたのだろうか。

ところで、私は、愛は人生において最も大切なことだと思っている。例えば、幼少期に家族から受けた愛情は、自分の人格形成につながり、思春期に経験する初恋は、新しい自分を知る良い機会となる。そうして大人になり、恋愛をして他人から愛されることによって、自分に自信がもてる。つまり、愛を知ることで、自分自身が大きく成長するのである。

私は、この物語の登場人物は、愛に苦悩しているのではないかと思う。修哉は、幼少期に母親から児童虐待を受けていた。彼は、自分を捨てて家を出て行った母親に対し、異常なまでの執着心を抱いていた。だから、母親に気付いてほしくて、担任教師の娘を、自分の発明品で殺そろうとした。自分のことを「マザコン」と罵り、母親を侮辱した同級生を絞殺した。母親へ復讐するために、爆弾を使って大量殺人を行おうとした。

私は彼の「立派なことで名を載せても、母親は気付いてくれない。」という言葉に、深く同情するしかなかった。少年Bの下村直樹はどうだろうか。直樹は、優秀であることを求める母親の期待を裏切っている、という劣等感をもっていた。しかし、彼は、自宅が自分の唯一の居場所だと思っており、自分を守ってくれる両親のことを愛していた。

だから、自分がHIVに感染したと知ると、彼は家族に感染しないように、と潔癖症になった。そうして、精神的に追い詰められ、母親を殺してしまった。私は彼の母親に迷惑をかけたくない、楽をさせたい、という思いが、この結果をまねいてしまったのだと思う。

「僕も一緒に連れてって。」彼の言葉が、私の胸に突き刺さった。

命とは何だろう。悪とは何だろう。そして、愛とは何だろう。私は、それらの本質は価値観や基準によって決められ、人それぞれ違うのだと思う。ただ、一つだけ共通して言えるのは、それらは強く結びついている、ということだ。

例えば、修哉の強い自己顕示欲と優越感。直樹に付きまとって離れない劣等感。物語では、二人は対照的な人物として描かれているが、彼らには共通している部分がある。それは、母親への愛、あるいは母親からの愛が原因で罪を犯したことだ。

一概には言えないが、私は命、悪、そして愛が環をなしていると思えて仕方がないのだ。私は、この物語の主題は「愛」であると思う。

孤独を感じながら生きてきた修哉も、同級生の女の子から愛された。誰にも愛されない人間などいない。それが、作者の伝えたいことではないかと思う。私は、人を愛し、人から愛されることを大切に思いながら、これからの長い人生を歩みたい。
 


 


社会問題の多くは家庭の問題に起因する。
社会の平和の基礎は家庭の平和である。

この「告白」のように、時代を超えて愛されるロングセラー本の「あらすじ」や「読書感想文の例文」をお探しなら、こちらにまとめてあります。
ロングセラー本などの「おすすめ本」一覧
 

【最重要ページ】感想文を書くにあたっての「コツ」「構成」「話の広げ方」などの詳細は下記のページに掲載しています。(気になる審査基準も掲載!)


読書感想文の書き方のコツ
(テンプレートつき)

書き方の参考用に、過去の入賞作品の紹介ページも作りましたのでご活用ください。

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