『車輪の下』読書感想文の書き方・あらすじと3例【中学生・高校生~】

こちらでは、ヘルマン・ヘッセの最高傑作である『車輪の下』の読書感想文の書き方を通して・・
「感想文の文字数を増やす裏ワザ」
・・をご紹介いたします。


読書感想文の提出には、2000文字以内といった「文字数の規定」があることが多いものですが、文章を書きなれない人には、どうしても文字数が規定の量まで書けない、という人が多いものです。今回はどのジャンルの本にも対応できる文字数調整の裏技といえる書き方の紹介です。

仮に800字や1000字、1500字といった少ない文字数の読書感想文を書く場合にも「書き方の着眼」の一つとして参考になるかと思いますのでご活用いただければ幸いです。車輪の下改版 (新潮文庫)

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『車輪の下』あらすじ(ネタバレ)
『車輪の下』読書感想文の書き方「要点」部分3例【中学生・高校生~】

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『車輪の下』あらすじ(ネタバレ)

【内容情報】(「BOOK」データベースより)

ひたむきな自然児であるだけに傷つきやすい少年ハンスは、周囲の人々の期待にこたえようとひたすら勉強にうちこみ、神学校の入学試験に通った。だが、そこでの生活は少年の心を踏みにじる規則ずくめなものだった。少年らしい反抗に駆りたてられた彼は、学校を去って見習い工として出なおそうとする…。子どもの心と生活とを自らの文学のふるさととするヘッセの代表的自伝小説である。

  

ドイツ南西部のシュバルツバルトの町始まって以来の秀才ハンス。
彼は超難関のエリート養成学校である神学校に猛勉強の末、2位の成績で合格する。
靴屋のフライクだけは、受験勉強づけのハンスに「子供は遊び回らなくては」と言いますが、なぜそんな事言われるのかハンスには理解できません。ただ、時々ナゾの頭痛がある事は気になっていました。

町中の人々から将来を嘱望され希望に燃えて入学するハンスでしたが、神学校ではハイルナーという友達に影響を受けることになります。
ハイルナーは天才児で最初ハンスを「ガリ勉野郎」などとバカにするのですが、ハイルナーにファーストキスを奪われてしまい、淡いBLに似た微妙な関係の友人となります。ハンスはこれまでの勉学一筋に生きてきた自らの生き方に疑問を感じるようになり成績が落ち始めます。

一度はハイルナーと距離を置いたハンスですが、身体にも徐々に変調があらわれ、頭痛や集中力の欠如、倦怠感などがおき、もちろん成績も低下し、更に、空笑・幻覚などの症状も現れて閉じこもりがちな生活を送るようになります。
校長からは「へこたれちゃいかん。車輪の下に踏みつぶされるぞ」とハンスを励まし、医師から勧められた散歩なんかも効果はなく、ついに倒れるハンス。病名は「心の病」でした。

ハンスがハイルナーと仲直りし付き合う事を教員も周囲も心配しやめるように言いますが、ハンスは友達をやめません。結局ハイルナーは問題を起こし退学となります。
ハイルナー無き後「ハンス、きみはどうして素敵な友人のハイルナーと一緒に出ていかなかったんだね」と言われてしまいます。ハンスには友もなく学校からの信頼も成績も地に落ち誰からも心配されることなく、勉強もやる気を失い、ついに神学校を退学してしまいます。

故郷に戻ったかつての神童ハンスに町の人々は態度は冷たく、かつての教わったハンスの教師や牧師も、ハンスをかえりみようとしません。ハンスは自殺願望を強くしていきます。
町の人は、脱落者を気遣う事は時間無駄、無意味だと思っていたのです。ハンスの父親でさえ「神経病」という厄介なものを背負って帰ってきた息子に不安と恐怖の眼差しで見ます。

ハンスのウツが落ち着いた頃、フライクの果汁絞りを手伝うことになります。毎日フライクの姪エンマに誘惑されるハンス。年上のエンマは発情期か?急にハンスにキスしたり胸を触ることを日々強要します。ハンスも好きになってしまうのでしたが、エロすぎるエンマにビビりハンスは途中で逃げてしまいます。
一方、ハンスは旧友アウグストをたずね、彼と同じ製鉄工を志す事にします。
翌日、積極的だったエンマはハンスに何も言わず引っ越したと知り、初めての失恋にショックをうけるハンスでした。
製鉄工の見習いになったハンスは、自分の手で物を作る喜びを知ります。最初の内は、鍛冶屋の服を着て、牧師や教師の家の傍を通るのは恥ずかしかったのですが、ハンスは見習工として働く中で、生まれて初めて、労働の素晴らしさを認識します。そして労働した後の日曜日のありがたさを知るのです。

機械工の同僚たちに飲みに誘われます。
ハンスは父親に許可を取り、夕方の食事までには戻る約束で出かけました。仕事仲間と飲み屋に行き楽しく騒ぎ、酒の席という楽しい世界を知ります。店をはしごし飲みまくり、ハンスは泥酔し、夕食までに帰る父との約束を破り、彼は河に落ちて亡くなります。

父親は憤っています。しかしいつまで経ってもハンスは帰ってきません。ハンスはすでに冷たく静かになって、黒い川をゆっくりと谷の下流に向かって流れていたのです。
埋葬の際、みながハンスのことを囁き合います。校長、教師、牧師、父親がハンスの最期を理解できずにいました。葬儀で靴屋フライクは、こうなったのは学校の先生や周りの大人に原因がある、と言います。

そんなハンスの一生を、ヘッセは、精神障害者に優しくない、無理解な社会に対する深い絶望と怒りを込めて書いたのだと思われます。

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『車輪の下』読書感想文の書き方「要点」部分の3例【中学生・高校生~】

以下の部分を、あなたの読書感想文の「要点」として、それに加えて・・・

【前段】この本の概要や、なぜこの本を選んだのか?など
【後半】この本からの学びや気づき、自身の反省点や改善点など

・・を書くとよいでしょう。

文字数が足りなくなる場合は「なぜそのように感じたか」に対する「理由付け」や「経験談」「事例」など加えることで、文字数は増やせます。

また、学校が読書感想文を提出させる目的は、読者である生徒に「学び(成長)を与えるため」です。そのため「これまでの自分」と「この本を読んだ後の自分」とで、どのような「変化」があったかを対比させることで、その変化や学びを分かりやすく伝えることができます。

構成や文字数の増やし方についてはこちらに詳しく書いてあります。
 

感想文の要点
     
    友達関係が与える影響と成長 661文字 

 
『車輪の下』は甘酸っぱく、ほろ苦い、若々しい青春の匂いがするような物語だ。
ハンスとハイルナーはの友情はまるで初恋のような関係であった。努力家で繊細なハンスと自由奔放でつかみどころのないハイルナー。2人は互いにないものを持つ者同士であり、その正反対の相手に魅かれ合いくちびるを重ねる。
若者はどんなに優秀でも未完成だ。2人は互いが寄り添うことでハッキリと具体的なモノになれたかのようだった。
完全体の友情は、それにより自由を奪われ、利用されるとしても自分を必要としてくれる誰かがハンスには必要だった。だがハイルナーが問題を起こし、ハンスは味方に付くことをしなかった。裏切られたハイルナーの気持ちとハンスの弱さに卑怯さを感じずにいられなかった。
そんな2人の関係はヒンディガーの死により以前より強い結びつきを持たせ、友達とは真に理解してくれる人がたった1人いれば十分なのだと思わせた。結果、ハイルナーの退学により2人の関係は終了してしまったのだが、ハンスとハイルナーは一心同体だからこそ、その喪失感がハンスに本当に必要なモノがなんだったのか?を顕著にした出会いだったと思う。
この物語はヘッセ自身だと言われている。だがヘッセはそんなハンスに死を与えた理由に疑問を感じた。
ハンスは現実を受け入れ、人生に明るさを見出すことができたばかりだったが、人生を語るにはまだまだ若く不自由分だ。
だからこの作品は青春の香りがする。それから続いたかもしれないハンスの車輪の下にいる人生とそうでない人生は、ハンス一人でももっと深みのある香りだったと思う。
  

感想文の要点
     
    人生の幸不幸は誰が決めるのか(ハンス)は本当に不幸だったのか?825文字 

 
自分の将来を見すえるのは、幾つから始めるのが良いのだろうか?人生における幸福とは何であって、目指す将来への努力と同時に何をすれば幸せになれるのであろうか?
 自分にはハンスはそう不幸だったように思えない理由がある。
ハンスは大人たちの名誉のために犠牲になった気の毒な少年のように描かれている。
ハンスは釣り好きの少年であったが、勉強で成果を出すことにも喜びは感じていた。それは彼の才能を生かすことであり、彼も自分の意思で神学校を選んだが、たまたま大人の敷いたレールと同じだったというだけのことである。
だが、ハンスが神学校でハイルナーと出会わなければ、挫折しなかったかもしれない。そんな出会わなかったと仮定した世界の方がハンスにとって幸福とは言えないのである。
なぜならハンスは神学校での出来事は後悔していなかったからである。
 ハンスは地元民から羨望の眼差しが憐れみと蔑みに変わる。絶望を抱えて戻った地はもはや優しいものではなくなったが、そんな中でも自らの意思で働き始める事を選び、人生の幸福を見つける事も出来た。なぜならばハンスの人生は決して凡庸ではない分、むしろ強運で力強く高い能力を持ち合わるが故に、非凡な経験を歩んできたと言える。一度の挫折はあってもハンスは人生を取り戻し、失敗を人生に生かす機会はあったハズだからだ。
 ハンス自身は自分の事で精一杯だったが、彼への憧れや期待を抱いた周囲の人々の方が彼よりも彼をよく知っていたのかもしれない。だから彼の人生の幸不幸を客観的に決めたのはむしろ周囲の人間だったのだと思い、ハンスに問いだ出したら「自分の人生や自分の気持ちを決めつけないでくれ」と思っていたのかもしれない。結果この物語がハンスの不幸話に見えるのは、彼が早く死んだために、その理由を人生の挫折と結び付けたからだ。
ハンスの死の真相は分からず終いです。
だが本当は不慮の事故なのだとしたら、ハンスにとっての人生の失敗はそこだけだったのではないだろうか。
 

感想文の要点
     
    将来仕事や人生で幸福感を得るには? 1244文字 

 
「車輪の下」とはドイツ語で「落ちこぼれ」の意味だと言います。
日本ではよく「社会の歯車」などと言い、落ちこぼれでないにしても、会社のために過剰に働くこと、仕事人間、社畜のような意味合いがあると思われる。だが落ちこぼれである「車輪の下」も「社会の歯車」もこの世には必要な社会の一員なのです。
「どうせなら車輪の上もしくは車輪を操作する側になってもらいたい。」それは現代でもそもそも親が子に思う愛情からの思いでしょう。
優秀で素直であったハンスは天才ではなく、努力とガリ勉の結果の秀才でした。
周囲の期待を一身に背負いエリート養成所であった神学校に進学。ですが同じような優秀な頭脳が集まるのですからさらに厳しい競争と規則に追い込まれます。ハンスは田舎の神童の人生初の挫折です。
ここまでは現実には、あって当たり前な話なのです。挫折して初めて自分の立ち位置を知り、そこからが本当に自分の道を探すのが人生と言えるかもしれません。
 勉強という努力を怠った者は落ちぶれて、車輪の下の人間になると信じる教師や恩師、村人たちは車輪の下の人間は不幸でみじめであるとの価値観をハンスに植え付けます。それはまるで大人が教訓を込めて語る童話のようなもので、教師たち自身も幸福感を得られるほかの世界を知らなかったにすぎないと思われるのです。
ハンスは車輪の下へ落ちて行きながらも、初めて自分の意思で友情を育み、初恋をし、仕事で感じる喜び、心の開放が許される酒の世界、それら小さな幸福を見つける事ができます。もちろん裕福なエリートとなり金と権力を手にすることも幸福ですが、人生とはそれだけでははかれないのです。
ハンスを𠮟咤激励する大人たちの教育力に不足していたものは「学ぶ事とは楽しい未来を作れることだ」とハンスに夢を見させる言葉だったのではないでしょうか?
学校での成績という手段が目的になってしまい、誰しも視野狭窄している神学校を出たエリートはひたすら勉強へ的を絞った子供時代を過ごします。ですが大半の大人には少なからず「もっと学生の時に○○しておけばよかった」とやり残したことを振り返る事もあるものです。
ハンスの死は自殺か事故か定かではなく、大人たちはハンスの死を囁き合い、理解できず、フライクさんは「学校の先生や周りの大人に原因がある」と言います。
ハンスに足りない能力は自由意志を持つということでした。自由とは孤独を伴うものです。フライクさんは周囲の大人を責めますがそれも違うのと思うのは、ハンス自身が自由という孤独を無意識に避けていたからではないかと思うのです。父子家庭の絆を断つ事はハンスが大人になる通過儀礼に等しいからです。ですが、ハンスは最後、自分を縛り付ける父親との約束を自らの意思で破ったのです。ハンスの心は死の直前でやっと解放されていたのではないでしょうか?
人間の幸福とは、どれだけ心に喜びを感じる瞬間を多く持てたか?にあると思います。ハンスの生涯は短くとも「やってやった!」という幸福の絶頂にいたと思うのです。

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