『地獄変』読書感想文の書き方5例【中学生・高校生~】
『地獄変』芥川龍之介の代表作の一つであり、読書感想文の定番本と言えます。
おもに中学生や高校生が、1200字、1600字、2000字(原稿用紙3枚、4枚、5枚)の読書感想文を書くことを想定していますが、小学校高学年生から社会人の方にも、参考にしていただけるものと思います。
『地獄変』はなかなか猟奇的な「トラウマ小説」ともいわれています。しかしながらこの作品にチャレンジする事はかなり人生の幅を広げるのに役立つでしょう。
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『地獄変/芥川龍之介』あらすじ
『地獄変』読書感想文の書き方5例
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をご案内いたします。
『地獄変/芥川龍之介』あらすじ
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時は平安時代。
絵仏師の良秀は高名な天下一の腕前として都で評判だったが、その一方で猿のように醜怪な容貌を持ち、恥知らずで高慢ちきな性格であった。
そのうえ似顔絵を描かれると魂を抜かれる、彼の手による美女の絵が恨み言をこぼすなどと、怪しい噂にもこと欠かなかった。
この良秀には15になる娘がおり、親に似つかないかわいらしさとやさしい性格の持ち主で、当時権勢を誇っていた堀川の大殿に見初められ、女御として屋敷に上がった。
良秀の唯一人間らしい情愛はその娘を溺愛していたことで、事あるごとに娘を返すよう大殿に言上していた。
彼の才能を買っていた大殿も機嫌を損ねてしまう。
一方、良秀の娘も、大殿の心を受け入れない。
ある時、大殿は「地獄変」の屏風絵を描くよう良秀に命じられる。
話を受け入れた良秀だが「実際に見たものしか描けない」彼は、地獄絵図を描くために弟子を鎖で縛り上げ、フクロウにつつかせるなど、狂人さながらの行動をとる。こうして絵は8割がた出来上がったが、どうしても仕上がらない。
「燃え上がる牛車の中で焼け死ぬ女房の姿が描けない。見たものでなければ描けぬゆえ車を私の目の前で焼いて欲しい」と大殿に訴える。話を聞いた大殿は、その申し出を異様な笑みを浮かべつつ受け入れる。
当日、都から離れた荒れ屋敷に呼び出された良秀は、車に閉じ込められたわが娘の姿を見せつけられる。さるぐつわを噛み締め、鎖も切れるばかりに身悶えする娘は豪華な衣装とともに焼け焦がれていく…。
しかし彼は嘆くでも怒るでもなく、陶酔しつつ事の成り行きを厳かな表情で眺めていた。
娘の火刑を命じた殿すら、その恐ろしさ、絵師良秀の執念に圧倒され、青ざめるばかりであった。
やがて良秀は見事な地獄変の屏風を描き終える。日ごろ彼を悪く言う者たちも、絵のできばえには舌を巻くばかりだった。絵を献上した数日後、良秀は部屋で縊死する。
『地獄変』読書感想文の書き方5例
どの本でも使える読書感想文の構成の例
感想文の例を紹介するまえに、まずはオーソドックスな「読書感想文の構成例」をご紹介いたします。
①なぜこの本を選んだのか
②大まかな内容を手短かに説明
③特に気になった箇所やフレーズを抜き出す(1)
なぜ気になったのか最近の出来事や自身の思い出とからませて紹介
④特に気になった箇所やフレーズを抜き出す(2)
なぜ気になったのか最近の出来事や自身の思い出とからませて紹介
⑤著者がこの本を通じ伝えたかったことを想像し考えを書く
⑥この本を読む前と読んだ後とでどのような考え方の変化があったか
この本によって発見したことや反省させられた点など「本からの学び」を書く
※「何を」「どの順番で」書き、どうすれば「文字数が増やせるか」が分かります。
『地獄変』の読書感想文の書き方の例
下記は『地獄変』の読書感想文の「中心部分」のみ書き出した5つの事例です。上記の構成例などを参考に、「書き出し」と「最後のまとめ」などを加え完成させてください。
感想その1・・・娘の命を見殺しにした理由1
健全な精神なら、血生臭い現象や死体など嬉々として正視できるものではないと思う。だから「地獄変」を読むのは正直勇気が必要であった。
良秀は娘が燃えさかる牛車の中で悶え死んでいく娘を「美しい」と思ったのである。その光景を目に浮かべ、喜びに似た感情さえ抱いたのである。良秀は首をくくり自殺で物語は終わる。
物語であるのにあまりにショッキングであり、すごく嫌なモノを見たという思いが胸の中に黒い嫌悪感として刻まれた気がする。
生涯をかけた仕事のために、我が子をみすみす焼き殺す。そしてそれに美を感じる人間をまともとは言えない。
良秀は何かが欠けている。だが、本当にそう言い切れるのだろうか?
生きながら焼かれるむごたらしい殺され方をされた娘の命は良秀には軽々しいものではなかったはずだ。
彼の生活で娘の存在だけが唯一人間らしくいられる世界だった。娘の死は、良秀の最高傑作「出かしおった」と言わしめさせるほどの地獄絵の屏風を描かせた。
そこには溺愛する娘の生を失うという最大の悲嘆、しかもその死の原因が己が作品の為に見捨てるという気狂いじみた行為から生まれる芸術。良秀の人生で最高の一枚を生み出すべく、人の道を捨てても「娘が燃え死ぬ地獄」を突き詰めた「美」とは醜さの中にあるものなのだろう。
作者は、他の場面では醜悪そのものを暗示しているのに、圧巻のあの場面ではことさら美しさを強調している。
良秀が求め感じた美しさは理性ではなく、感情だったのではないだろうか?
美は理屈でも理性でもない。感情、感性など頭ではなく心で感じ取るものなのだ。
だが人間は理性と感情のバランスを保つ事で豊かな生活を送れると思われる。どちらかに比重が寄り過ぎると味気ないものになるか、エキセントリックなものになるかで心の均衡が保たれにくくなるだろう。
しかし美は時として、感情を味方につけ悪を肯定する魔力を持つ。芸術家は美からの誘惑に常に耐えられるかを試されているのだ。『地獄変』が描いているのは、そういった理性と感情。あるいは芸術の葛藤であると思う。
美を求める者には理性を持った人間であらねばならぬという宿命の限界が常につきまとう。だから彼らは限界に凄惨な戦いを挑み、美と芸術家の死闘は永遠に続くのである。限界を超えてしまった人間の作るものは鬼気迫る迫真力がある。しかしそれは裏返せば、二目と見られぬ醜さに逆転する可能性を持つ。
良秀は美の誘惑に負けた。この一瞬の為ならば、娘の命も人生もすべて捨て去っても良い美しさを見たい。許されざる感情が少しわかりかけてくることが恐ろしいと思った。
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感想その2・・・娘の命を見殺しにした理由2
天才絵師、良秀の人生はまさに壮絶の一言で表すことが出来るだろう。
良秀の芸術の探求は常軌を逸している。芸術家として、その自尊心、芸術への異常なまでの執着が良秀に対する驚愕や憎悪の感情が沸き起こる。
一体何が良秀をそこまでの狂気に駆り立てたのだろうか?人々を戦慄させる娘を生きたまま焼き殺す行為により彼の『地獄変』は作品としての頂点を極めることとなった。完全なる芸術の感性は同時に彼が人間であることを辞めた日であったと思われる。
良秀にしたら娘を燃やすのは芸術のための芸術で、芸術至上主義という、芸術を探求する道程において、必ず立ち迷う岐路。「犠牲」という壁だ。
だがその壁を超える事は人であることを辞めるに等しい境地であった。
良秀は人間であることを辞めた。芸術を極めたいがために、愛と人道に背き芸術にひた走ったものは自殺をいう幕引きで、惨劇の始末を終えた。
娘を焼く事を嬉々と喜んだ良秀は最初からこの結末を選んだうえで完成だったのかもしれない。
我々が芸術に感動するのは作品から作者の「人間性」を感じるためだ。あらゆる美、それらの表現から作者の感じた美と表現とのシンパシーを感じ取るから美しいと感じるのは、見る側も人間であるからだ。
良秀の作品は世にも恐ろしい、この世の狂気のような美しさがある作品なのだろう。
美しいが同時にこの世の終わりと絶望を感じさせるトラウマになるような、その芸術を我々は価値のあるものと認めてはいけない気がする。認めることで良秀の狂気と彼の自尊心をも支持するに等しくなるからだ。
恐らく良秀と娘を陥れようとした大殿は、良秀に絶望を与えたかったのだろう。だが良秀は絶望と共に狂喜する大殿の想像を上回る異常な人間であった。彼は誰の為でもない、芸術の為のみに生きているのだから、最高傑作を誰よりも望んでいたということなのだろう。
この異常な価値観を理解できない自分に安心はする。だが何かの道に一筋になるものは確かにすべてを犠牲にし、どんな形であれこの世に名を残すことが出来るのだろう。名誉のある人生とはその道筋が必ずしもまっすぐではなく、紆余曲折して得るのものなのだと思えた。
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感想その3・・・良秀の残酷な人間性のワケとは
良秀はなぜ愛娘を見殺しにしたのでしょう?
この作品を読んでそう感じるのは私だけではないと思う。世間のはみ出し者のような容姿の良秀が唯一、人間らしい心の営みを持て、愛情を感じられる娘という存在。それをみすみす牛車の中で焼き殺されようとしているのに、ナゼ止めるどころか絵を完成できると思ったのでしょう?
考えられるのは良秀の心に、娘が焼き殺されるその業火を「美しい」との感情を抱いてしまったということ。娘を助けるより、悶え苦しむ娘に見とれてしまったのではないかという事が考えられるのです。
もし牛車にいたのが別の娘なら、良秀は止めていたかもしれません。それが自分の愛娘という良秀にとってこの世でもっとも大切にしたい者だからこそ、それを失う分だけ余計に彼にはむごたらしく、美しく映り、これ以上ない地獄の世界を垣間見ることができるという欲望で娘を見殺しにしたのだと思います。
そして印象的なのがサルの良秀です。自分を可愛がってくれた良秀の娘が燃える牛車の中にいるのを見つけて、自分も火中に飛び込み娘と共に焼け死んでしまうのです。ここもまた胸に突き刺さるような場面なのです。
なぜこのような更なる残酷さを芥川龍之介は書いたのだろう?と考え想像したのは、このサルの良秀は人間の良秀の良心の分身としたかったのではないか?ということです。
人々は良秀を欲張りで恥知らずの気味の悪い爺と思っています。でも彼の人間性はそれが全てではなく娘の事を「目に入れても痛くない」想いそのままに大切にしていました。
彼の良心の全ては娘を愛でる事だけにあったと言っても過言ではありません。
ならば娘が女房に上がった時の良秀の良心はどこに行ったのでしょう?ここにきてこの物語では良秀の感情というものは表面上のモノしか表現されていないと気づきました。
彼の娘が女房に上げられた寂しさ、地獄を夢に見た恐怖、周囲の人々の中傷への傷つく心など彼は感じなかったわけではないと思います。表面上はいつも平然としていましたが、心の痛みの表現をしなかった彼を本当に変人と決めつけていいものかと思ってしまうのです。
良秀の絵の才能はあれど、人と交わる才能には乏しかったのでしょう。それはいつの間にか人々から疎外感を感じる人生を作り上げた。そして彼は天才でいるために、芸術に関すること以外に心を奪われない為に壁を作り孤立していった孤高の人だったのかもしれません。
その中でどうしても緊張を緩めてしまうのが娘の存在は良秀の生きる希望だった。誰にも感情を表現しなかった良秀が唯一気持ちを表すことを許された存在を失う事は、後の人生に彼の感情の行き場を完全に失うということです。
彼は娘が燃え盛る姿を見届けたいと感じた時から、良心をサルに渡し、人間でいるのをやめたのだと思います。良秀という悲しい生き様の人を悼みたいと思いました。
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感想その4・・・良秀の存在意義から始まったエゴイズム
人間の命と究極の芸術作品はどちらが重く、価値があるのでしょう?
まるで人柱のような「地獄絵の屏風絵」には良秀の狂った魂が込められているような気がして、恐ろしさと不気味さを感じてなりません。またそこまでした人の道を外れた良秀には憤りしか感じません。
良秀は「地獄絵を完成させるには本物を見ないと描けない」と言います。「燃える牛車の中で女が悶え苦しむ姿を見せてほしい」と。だがいざ用意された牛車の中には目に入れても痛くない愛娘。今までどうしても描けなくて狂気ともいえる地獄の責め苦に悩んでいた良秀は言いようもない輝きを、まるで恍惚とした輝きを、しわだらけの満面に浮かべながら筆を走らせるのでした。
なぜそこまでして仕事を選んだのでしょう?そして「本物を見ないと描けない」自分をなぜ諦めなかったのでしょう?
世間からは恥知らず、高慢ちきと卑しまれる良秀の人生は絵師の仕事と溺愛する娘のみの人生でした。その2つを失うという事は良秀の人生も終わるに等しかったのだと思われます。だが、娘が女房に上げられ手元から離された事は大殿に訴えはするもののこの世が終わるほどの苦しみではなかったのでしょう。
なぜならば地獄絵が描けない時のほうが良秀は苦しみが深くなり、それはこの世での存在意義をなさないほどの意味を成したからです。
「見ないと描けない」「描けない」自分を許すという事は良秀が自分に課す死刑宣告に等しかったのかもしれません。
客観的に見て、娘よりも絵師であることを優先した良秀の度を越えたエゴイズムは、そうとしか生きられなかった人間と片付けないと読み手の心も深くえぐられて終わると思います。
『如何に一芸一能に秀でようとも、人として五条を弁えねば、地獄に落ちる外はない』この言葉を読んでやっと救われた気持ちになりました。
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感想その5・・・地獄絵は良秀の世界への復讐説
良秀が知るであろう世界。そのすべてから蔑まれ、疎んじられる者が良秀であった。彼がこの世に存在していい理由は彼が最高の絵師であると自負していた事。肉体の醜さや精神の貧しさを自覚し、その生まれを憎悪し、誰からも愛されることのない良秀に唯一与えられた誇るべき守るべきものが画才であったと言えるかもしれない。
それゆえに良秀の絵は、妥協のない凄絶さを持つ持つ作品で妥協の文字は彼の中には皆無で、その才能を出し切れないのならば、彼自身を生き長らえさせる価値を持たぬに等しかった。彼にとって芸術は彼の存在を許可するたった一つの手段だったのである。
良秀をそのような人間と断言してしまうと、本当に情愛のかけらも持たないよこしまで人面獣心のくせ者であったかのように聞こえる。
だが炎につつまれた女が娘であると知った時に、ほんの束の間、怒りや悲しみ、恐れを心に抱いた彼は非常な人間だったわけではないと思うのである。彼の中には人と変わらぬ人間らしさを持っていたはずなのだ。
だが彼の表情は苦悶から歓喜への移っていった。彼の眼前の景色は描きあがった一枚の屏風絵を見ていたからか?それとも悶え苦しむのが娘と知ったその瞬間に父親である我を失い、絵師としての魂しか残らなかったのは確かであろう。芸術の前において、彼はすべての思念を奪われてしまう人間だったとしか言えない。
また彼の自己愛は我々の一般的なものとは異なる。一般的に人は自己嫌悪の時、自分の軽率な判断や行動を恥じ、嫌悪し、落ち込むが心が病まない限りは自己が存在する事を願い、望む生き方が出来る事を望むものではないだろうか?良秀は自分の産み出す芸術を愛し、その中に目をそむけたくなる人間の真実の姿を投入することが出来た。彼は自らの生まれつきから、人間の醜さ汚さを知り尽くしていたと言える。彼はそもそも生に執着する理由は見当たらないのである。
彼が地獄絵を描き終えてから自殺したのは、娘を見殺しにした罪の意識だけではないと思うのである。良秀はこの世に対して復讐したのではないだろうか?
娘を見殺しにしてでも絵を描く事しかできない男が味わった人間からの辛酸。それを世にも恐ろしい見てしまうと消すことも忘れる事もできない地獄絵でこの世は生き地獄であったと伝えるために。
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