「十五少年漂流記」読書感想文の書き方と例文【大特集】

今回は、ジュール・ヴェルヌの世界的名作『十五少年漂流記』(原題「Deux Ans de Vacances」二年間の休暇)の「あらすじ」「読書感想文の書き方の例文」「感想文の構成例(書き方の順序)」のご紹介です。


おもに、物語の本を読むのが苦手な小学生中学生が、文字数1200字1600字2000字(原稿用紙3枚4枚5枚)で読書感想文を書く際に役立つ内容であることを想定しています。

「十五少年漂流記」は、文字の大きな小学校低学年向けのものから「大人向け」のものまで、訳本はさまざま存在します。各年齢にあった本を選んでいただければよいでしょう。

「十五少年漂流記」の日本語版一覧

また、感想文を書く上で参考になりそうな「着眼のポイント」も紹介しておりますので、お役立てください。
 

「十五少年漂流記」関連動画

一八六〇年三月九日、荒れ狂う深夜の海を、一隻の小さなスクーナー(帆船の一種)がただよっていた。乗っているのは八歳から十四歳までの少年ばかりで、大人は一人もいなかった。一五人の内訳は、ニュージーランドの寄宿学校の生徒一四人と、水夫見習いの黒人少年一人(そして犬一頭)。

少年たちは、ニュージーランドのチェアマン小学校の生徒たちで、夏休みのあいだ、船で沿岸一周の旅に出る予定だったのだが、出発前夜に待ちきれなくて乗船していたところ、どうしたわけか船を繋いでいた綱が解けてしまい、航海士らの大人を一人も乗せないまま、真っ暗な海へと恐怖の船出をしてしまったのだった。

大風でマストが折れた船は、危うく沈没しかけたが、かろうじて陸に座礁という形でたどりついた。陸に漂着するが、はじめは大陸か島かは分からないでいた。

不安と絶望のどん底に陥れられた少年たちだったが、いつまでも嘆いてはいられなかった。彼らは慣れない集団生活をはじめることとなった。

船内にはニケ月分の食糧や工具、釣り道具、銃、弾薬、夜の信号に使う大砲などのほか、マッチや火打ち石、カレンダー、世界地図などがあった。少年たちは船に寝泊まりしながら、昼は島内を探検し、ペンギンやウミガメを捕らえては食糧にした。

探検する途中で見つけた洞穴の中に、人が住んでいた跡が見つかった。近くには人骨も散らばっていた。残された遺品から、五十年も前にこの島に漂着し、救助されることなく生涯を終えたフランス人であることがわかった。その人の描いた地図も発見したが、それにより周囲を海に囲まれた絶海の孤島であることがはっきりした。

少年たちはこの洞穴に「フレンチ・デン(フレンチ洞)」と名づけ住まいとした。島は学校の名前をとって「チェアマン島」と名づけられた。

気持ちが暗くなるところを、少年たちは互いに励まし合いながら、近づく冬に備えた。船を解体して得た材木で筏(いかだ)をつくり、川を利用して洞穴へと運び込んだ。

・アメリカ人の「ゴードン」
・フランス人の「ブリアン」
・イギリス人の「ドニファン」

・・この3人が15人の中心となる。

イギリス人のドニファンは成績のよいのを鼻にかけ、自分か中心でないと満足しない性格で、ことあるごとにフランス人のブリアンと対立した。その仲裁役がアメリカ人のゴードンで、常識をそなえた慎重な性格だった。

島であるからには簡単に脱出することはできない。ここで長期間暮らすことを考え、彼らは大統領を決めて生活することにした。初代大統領は、アメリカ人で思慮深いゴードンになった。

ただ、黒人だからモコには選挙権がない。現代人と違い、誰もそれに疑問を出さず、モコ自身も何の不満もなく受け入れていた・・・。(抄訳版では、この点に触れられていない本もあります)

ブリアンはフランス人らしい明るい性格だが、一緒に乗り込んだ弟のジャックが、何か心配事でもあるのか浮かない顔をしているのが気がかりだった。

毎日の生活を規則正しく、年長の少年が午前と午後の二時間ずつ、下級生の勉強を見るようにした。1年がたち、次の大統領にフランス人のブリアンが選ばれると、イギリス人のドニファンら4人はそれを不満に思い、フレンチ・デンから出て別に暮らすことにする。

ドニファンたちがいなくなってしばらくすると、フレンチ・デンの近くで気を失った女性・ケートを発見する。ケートはアメリカ人で、雇い主に従ってサンフランシスコから南米行きの船に乗ったが、数人の水夫の反乱によって船長以下ほとんどが殺害され、自分は隙を見て逃げてきたという。

島に殺人水夫がいることを知ったため、ブリアンと黒人少年モコが、ドニファンたちを呼び戻すために向かう。すると、ドニファンは森の中でジャガーに襲われていた。ジャガーから逃れきれなくなったとき、ブリアンの身を挺した働きによってドニファンは間一髪救われた。ニ人は手を握り、これからは一致団結することを誓った。

悪人水夫たちの動きが知りたい少年たちは、大凧に乗って偵察することを考える。そのとき凧に乗るのを志願したのはブリアンの弟のジャックだった。「僕はみんなに悪いことをしました」。「なぜ?」と問う一同に、ジャックは自分のいたずらを告白した。それは、船が漂流させてしまった原因についての告白だった。しかし、少年たちはジャックを許した。それだけ少年たちは心が成長したと考えるべきであろう。

きつい性格のドニファンなら、例え年下相手でも容赦しないと思わせる場面だったが、ドニファンもあっさりとジャックの罪を許した。おそらく、二年間の共同生活の中で最も人間的に成長したのはドニファンだったのではないでしょうか。

大凧からの偵察によって、キャンプの火を発見する。水夫たちがまだいることが分かったのだ。それは船の修理に必要な道具がないからに違いないことであり、このままではきっと、このフレンチ・デンに乗り込んでくる。

水夫に殺されずにすんだ、生き残りの航海士エバンスも、フレンチ・デンに逃げ込んできた。彼の力を借りて、少年たちは水夫を撃退することを考える。

そして水夫たちがついに襲撃してきた。ドニファンは刺されて重症を負うが、少年たちは死力をつくして水夫どもと戦い、何とか撃退する。最後には悪人水夫たちは皆死んだのだった。

少年たちは、エバンスやケートから新しく得た情報をもとにボートで島を脱出。通りがかりの汽船に救助され、二年ぶりに彼らは全員故郷へ帰国できたのであった。
 
 

     
    以下のような着眼点切り口を参考に自身の感想をまとめてみるのはいかがでしょうか?

    この本が基本として与える教訓は「チームワークの大切さ」です。また、困難の中からの「成長物語」といってもよいでしょう。そのため、感想としては、彼らのチームワークや成長の場面をいくつか取り上げ、その点についての感想を述べ、最後に「自分もこれからは、周囲の人間や社会を意識した生活を心がけなければならないと反省させられました」という、まとめ方にするのが基本的な感想文の書き方になります。

    15人の少年のどのような心を学んだか・・・ゴードンの「知性」、ブリアンの「思いやり」、ドニファンの「勇気」、そして15人の忍耐力。それらについて、それぞれ場面を紹介しながら解説してみるのもよいでしょう。

    「おそらくこの漂流中一番つらかったのは、ジャックだったのではないか?」という展開で、自分の罪を告白するまでの、ジャックの心境について考え、また、その告白について、他の少年たちが許してくれた理由(心の成長)などを中心に感想文を述べてみるのもよいでしょう。

    感想文には、自分の経験談や、実社会でのエピソードを取り上げながら、感想を書くことが、ポイントの1つになります。漂流した少年たちの心細さは、震災などで被災した時の心境に近いのではないか?・・・という結び付けをして、日本人が必要とする「他人を思いやる気持ち」や「チームワーク」などを学ぶための本として、すばらしい内容だった、と指摘するのもよいでしょう。

    もともと、ジュール・ヴェルヌの作り話である、本作品ですが「もし、自分ならこの場面をこのようにしたのではないか?」という自分なりの創作や脚色の例を述べ、なぜそのように変更すべきかを語るのもよいでしょう。

    一人だけいた黒人の水夫見習いの少年モコだけ、大統領選から外された点、モコ自身もそのことに疑問を持っていなかったことなどについて、時代背景や現在の社会と比べ、掘り下げてみるのもよいでしょう。

    リアリティーのなさにツッコミを入れ、そのうえで実際に漂流したらこうなるだろうという推論を語るのもよいでしょう。

    ・物語のなかでは、漂流した少年たちは、ペンギンやウミガメなどを捕獲して食料を確保していたと書かれていますが、2年間という長期間にわたって、日々の「15人分の食料」の確保は困難だろうし、味付けもまともにできない食料事情で、本当に少年たちだけで生活できたのか?

    ・食糧確保のため犬の「ファン」が狩りで大活躍するが、犬が船に乗っているなんて都合よすぎではないか?

    ・ドニファンが豹に襲われていた時、ブリアンが助けた場面も「ありえない」のではないか?

    ・凧に乗って悪者の水夫の行動を偵察する、といった内容は技術的にはまったく無理。現実離れしています。

    ・後から悪者の水夫が漂流してこなかったら、少年たちは帰れなかったことになる。

    このように、挙げればきりがないほど、現実離れしたエピソードがあります。そのような点について「作り話感」を感じてしまった。という冷静なツッコミを入れたうえで、本当に15人の少年が漂流したなら、もっと悲惨になる、と自分なりの推論を展開する感想文にするのもよいでしょう。

    そのうえで・・・「自分がこの本を読むのは少し遅かったのかもしれない・・」として「もう少し子供のころだったら、少年たちの行動に素直に感動できたかもしれない」というように、素直に感動できなかった自分であることを説明する感想文も悪くはありません。(冒険物のや、SF作品に対する感想文を書く際の王道の1つです)

    無事生還できた少年たちでしたが、そのことは世界中のニュースになりました。帰ってから、ドニファンは何度も講演に招かれるようになり、バクスターは「フレンチ・デン日記」という本を出版しました。

    この点について触れ「伝え残すこと」の大切さについて発見した、という感想を述べるのもよいでしょう。遺伝以外の方法で、何かを伝え残せるのは人間だけです。また「十五少年漂流記」自体も本です。そのようなことを絡めながら、人間の「伝え残すことの価値や偉大さ」について述べるのもよいでしょう。

    「十五少年漂流記」の原題は「二年間の休暇」です。このタイトル変更についてどう思うか。また、日本語のタイトルをつける際に、なぜこのような変更をしたのかを考え、その点を述べるのもよいでしょう。また、この本に、自分なりのタイトルやサブタイトルを付けるとすれば、どんなタイトル案がでるでしょうか?

    ・・・これらの中からいくつか利用し「自分の考え」や「自分の過去の思い出」などとからめて解説してみましょう。

 
学校などの教育機関が与える課題は「教育的成果」を期待してのものです。そのため、読書感想文を書くにあたっては「どのような学びを得ることができたか」を感じ取れる感想文にすることが大切です。

つまり、教育機関からの課題としての感想文は・・

感想文を書きなさい = どのような学びが得られたかを書きなさい

 
・・の意味だからです。そのような方向性(どのようなことが勉強になったか)を意識して、伝える内容や構成を考えてみましょう。
 

「十五少年漂流記」読書感想文の書き方の例

文字数はまちまちですが、感想文を書く際の着眼点などの参考になればと思います。

「十五少年漂流記」を読んで①
(1088文字)

「どうしよう、こんな所で死にたくない。」という不安の言葉を、無人島に流れついたらまっ先に僕は言うだろう。しかし、この本に出てくる少年達は、初めこそ、こんらんしたが、島での生活、きまり、計画などを積極的に考えていっている。

こんな立場に出合ったら、腕力も学校の成績も関係はなく、どんなふうに物事をとらえ、考えていくかが大切なのだ。これが生きるか死ぬかの運命を分けることになるのだと思う。教えたり、助けたりしてくれる大人のいない中で、二年間も戦いぬいた少年達。時にはなぐり合いのけんかもあったが、恐ろしい猛獣や、人殺しをなんとも思わない大人達との戦いを通して、一人一人がどんどん成長していった。

そんな十五人の少年達が、とてもすごいと思うとともに、僕は、この少年達と比べて、はるかに劣っていることを自覚した。そして学んだことが二つあった。

一つは、協力することの本当の良さをわかっていなかったことだ。学校や僕が入団している少年野球でも協力とか、チームワークという言葉を使うし、僕も使ってきた。しかし、それは口先だけで、真の意味での協力ではなかったような気がする。自分が成長し、一人一人の友達の良さがわかった時に、協力は本当のかがやきを持つことになるのだと思う。

そして、二つ目は、判断力の大切さだ。危険な目にあった時の冷静な判断力、とっさの判断力だ。そそっかしい僕には、正しい判断力を身につけることはとても難しく、失敗することの方が多い。その二つを持っているブリアンは、十五人の少年達の中でも一番好きだ。年下の仲間にみせるやさしさと、物事をけんかで決めようとしないで冷静に判断するブリアンが僕のあこがれだ。

逆に、ドニファンはあまり好きではない。けんかっぱやく、わがままで、いつも自分が中心でいないと気がすまないドニファン。僕は、どっちかというと、わがままな所など、ドニファンに近い性格だ。そんなドニファンも物語の後半になると、小さい子を助けようと必死になったり、他の人のことを考えられるように変わっていく。僕には、ドニファンの変化がとても嬉しかったし、ほっとした。僕も、努力しだいでは、ドニファンの性格からぬけられるかもしれないのだ。

「十五少年漂流記』は、僕にとって、とても大切な本になった。理想とする人、プリアンをみつけたこと、そして、プリアンになる道を教えてくれた本だからだ。学年が上がり下級生が増えれば、学校でも少年野球でも、ブリアンのような行動をしなければならないと思う。その日まで、僕は、ブリアンに少しでも近づけるように毎日の行動を反省しながら、少しずつ努力をしていこうと思う。
 

「十五少年漂流記」を読んで②
(1381文字)

ぼくは、しんせきのいる長野県の自然の中で、河原にテントを張り野外活動をした経験が何度かある。しかし、この本のように無人島での生活などあるはずがない。そんなぼくであったが、なぜか、この本に出てくる少年たちの体験は、あたかも自分自身の体験であるかのように錯覚してしまうほど夢中にさせられてしまった。

また、この本は、ぼくに夢とワクワク感を与えてくれただけでなく「人間にとって最も大切なことはなにか」と深く考えさせてくれる機会を与えてくれた。

休みを利用した心ゆくまで楽しむはずの船の旅に、こんなにも苦難な運命が待っているとは。だれ一人としてそんな予感を抱いて船に乗ったわけではないだろう。

それが突然、死の恐怖におそいかかられる。ぼくの頭の中に、風はふきまわり、大波が押しよせる荒海の中で、木の葉のようにゆれ沈みかけた船と、津波でやられた東日本大震災の報道が重なってしまう。人間は弱い。死を目の前にした時、だれでも冷静ではいられないだろう。他の人はどうでも、自分だけは何とか助かりたいと思ってしまうのではないか。

泣きだし、絶望し、そしてそれでもどうにもならないとわかると、初めて、連帯感のようなものが生まれてくるのではないだろうか。お互いに励まし合い、荒波を切り抜けた時の喜びは言葉ではいい尽くせないものだろう。

しかし、その喜びが大きければ大きいほど、無人島とわかった時の絶望感も大きかっただろう。しかしながら一度心を合わせ、死の恐怖とたたかった仲間たちの中に再び連帯感がわき出てくるのは、造作もないはずだ。

「生きよう希望を捨てず頑張ろう!」一人一人がこの言葉を心にちかい、無人島での厳しい生活を乗り越えてゆく。もし、この中にぼくがいたらどうだろう。初めのうち、「何とかなるんじゃないか」とあまくみていたが、次第に不安と疑問でいっぱいになった。最後には全く自信がなく「無理」となった。

自然の厳しさが、頭の中を「無理」でいっぱいにさせ、ぼくの軽率な初めの考えを押しつぶしてしまったのだ。ぼくは打ちのめされながらも、この少年たちの頑張りに心からの拍手を送った。

十五人の少年。ぼくは自分のクラスの友達の顔を思い浮かべ、もしこのクラスのみんなと漂流したらと考えてみた。当然、仲間割れや争いがおこるだろう。いつどうなるかわからない険しい生活に面したならなおさらだろう。いいかげんは許されない。いやいいかげんではなかったからこそ、少年たちは仲間割れを乗り越え、全員が心を一つにし、心から励まし、いたわり合うことができたのだろう。

力の弱い、経験の少ない、知恵や判断力にとぼしい子どもと自分をみても、漂流した場合、そんなことは言っていられない。本当にサバイバルの状況なのだ。本の中に出てきたように、味付けなどできない環境で、ペンギンやカメを食べながら生きる生活になったなら、どんなに辛いことだろう。

だれもがそのような辛い思いをしながら生きていることが分かる場合、大切なのは周囲の人間をいたわる優しさだと思う。また、希望を捨てず最後まであきらめず頑張る心がなければ、困難に立ち向かうことはできない。この本はこれらのことをぼくに気づかせてくれた。ぼくは、この「他人をいたわる心」と「希望を持つこと」の大切さを心にとどめ、平和な今の日本で、一日一日をありがたく生きていこうと考えるようになった。
 

「十五少年漂流記」を読んで③
(1894文字) 

十五人の少年達と生の自然とのふれ合いは冒険そのものであり、平凡な生活からは想像もできない一つのすばらしい”経験”であったといえます。あの、危険窮地に陥ったとき、知恵の限りをつくし立ち向かう集団の姿は、大人・子どもに関わらずこの上ない人間の良さを見せてくれました。

コロンブスやマゼランが、なぜあの限りなく大き海へ乗り出して行ったか分かったような気がします。彼らをあんなにも激しくかたてていった情熱。それは、自己の限界に挑む不屈の精神と、それに裏づけされた“ロマン”といえるのではないでしょうか。すべて冒険には、そして、それに挑む人間には、大きな夢・すばらしいロマンが必要なのです。

作者ジュール=ヴェルヌの人生に対するロマン、それがこの作品の精神だと思います。それにしても、十五少年達の思いがけな無人島での生活は全くすばらしいものでした。ほら穴を利用して家をつくったり、島内探検をして地図を作ったり、銃による狩りあざらしの肉を煮たてての油とり、野生のビクーニャやグッナコを飼いならして家畜に、大統領中心の子どもだけの国家この、創意に満ちた技術、考えや勇気ある行動が、はたしてその立場に立ったとき私にできるでしょうか。

一生無人島で終わるかも知れない。二度とあのなつかしいオークランドの土を踏めないかも知れないのにこんなにもムダなく、てきぱきと働けるものなのでしょうか。物語の世界だから可能なのかも知れません。しかし、私はそんな風に思いたくないのです。彼らと私達の間にある壁をとり除いて、可能な限り、私もまた彼らのように生きたいのです。

彼らと私達の違い―それはまず、この物語が書かれたのは今から百年前、当時の日本でいえばやっと鉄道が敷かれ、議会政治への道を踏み出したばかりの頃だったということです。たとえ西洋の進んだ国々でも、現在の私達の生活と比べたら格段の差があったに違いありません。だから、ふだん機械にばかりたよっている私達が、何もない自給自足の生活に放り出されるよりこの少年達は衝撃が少なかっただろうと思います。

すぐれた生活の知恵を、ふだんの生活から身につけていたのです。と言っても、今の日本の中にも、すばらしい生活の知恵を持っている子ども達はいます。漁師町へ行けば小学生でも漁ができ、農村へ行けば高度の農業知識をもっている子どもだっているのです。そう、生活環境に応じた生活の知恵は、いくらでも持てるはずです。しかし今は、家の手伝いなんかより勉強という考え方が一般化してしまい、生活環境に応じ特色が薄れかかっている現状なのです。

それから少年達がこの事故にあう前、子ども十五人とおとな一人の六週間にわたる航海が許されていたことです。子どもでも社会的に認められ、生徒の自主性が尊重されていたチェスマン学園の生徒だからこそ許されたことではないでしょうか。そして、多分、チェスマン学園の生徒会は、生徒が本当に中心となっていたものだったと思います。

無人島に置かれたときも、大統領中心の自治組織をつくり上げた彼らは、ふだん、生徒会から自治組織の必要性を学んでいたのです。それに比べて、今の私達は、生徒会が自分達のものだという自覚、それに積極的に参加しようという意欲がありません。集団生活に何よりも必要な自治活動が、半ば義務的に行なわれているところに問題があるのです。

窮地に追いこまれたとき、沈着冷静に、秩序と熱意と勇気を持って行動できるかできないかは、こうしたふだんの生活態度にかかわってくるものなのでしょう。無人島でたった一人、二十年以上も生き続けたロビンソン=クルーソーには、孤独との戦いが一番厳しいものだったと思います。

しかし、そこに何人かの人間が加われば、当然意見や感情や利害の対立と争いが起こります。ヴェルヌが十五人の少年達を主人公にした意図はそこにあるのでしょう。年齢も性格も違う、そして、それぞれ弱さと欠点を持った人間が、いかにして偏見や反目を乗り越え、かしこく生きていくか、これこそ現代に生きる私達の課題でもあるのです。

国籍や人種や思想の違いから起こる様々な対立が、今、世界をおおっています。いかに対処して、真にゆるぎない平和な道を見い出していくかを、私はこの作品で学んだように思うのです。

今は学校という小さな団体のひとりですが、いずれは私も、社会という大きく厳しい団体の一員となります。その時、私もブリアンやゴードンのように、人のためにしみなく働くことをモットーとする、そん生き方をしたいと思います。そして、強い愛と信頼で結ばれた、そんな社会の建設に、若い情をぶつけたいと思うのです。
 

入賞作品(PDF形式 4ページ目に掲載)
 

標準的な読書感想文の構成(書き方の順序)の例

最後に、書きやすくまとめやすい標準的な読書感想文の構成例をご紹介いたします。感想文は構成を考え、順序だてて「説明するもの」だと思えば比較的楽に書けるものです。

「なぜこの本を選んだのかの説明」「なぜ、そう感じたのかの説明」「この本を読んで自分の考えにどのような変化があったのかの説明」・・・このように、各パートごとに理由やエピソードをまじえて「説明していくもの」と考えれば、それほど抵抗なく原稿が書けるはずです。

①なぜこの本を選んだのかの説明
②大まかな内容を手短かに説明
③特に気になった箇所やフレーズを紹介(1)
 なぜ気になったのか最近の出来事や自身の思い出とからませて説明
④特に気になった箇所やフレーズを紹介(2)
 なぜ気になったのか最近の出来事や自身の思い出とからませて説明
⑤著者がこの本を通じ伝えたかったことを想像し説明
(伝記の場合はその人のどの点が立派だったのか)
⑥この本を読む前と読んだ後とでどのような考え方の変化があったか
 この本によって発見したことや反省させられた点など「本からの学び」を説明

【最重要ページ】感想文を書くにあたっての「コツ」「構成」「話の広げ方」などの詳細は下記のページに掲載しています。中高生向けですが、小学生に書き方を教えるご家族にも参考になる内容ですので、ぜひ一読ください。(気になる審査基準も掲載!)


読書感想文の書き方のコツ
(テンプレートつき)

書き方の参考用に、過去の入賞作品の紹介ページも作りましたのでご活用ください。

 


「十五少年漂流記」からチームワークの大切さを学ぶ

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