『真珠夫人/菊池寛』読書感想文の書き方と例
こちらでは、菊池寛の最高傑作である『真珠夫人』の読書感想文の書き方を通して・・
「感想文の文字数を増やす裏ワザ」
・・をご紹介いたします。
『真珠夫人』は菊池寛の初の本格的な通俗小説でその人気は新聞の読者層を変え、のちの婦人雑誌ブームに影響を与えたほどです。というのも当時としてはドラマチックな話の展開で殺傷沙汰アリ、陰謀アリ、極端な設定に半ばあきれたり、驚いたり、と長い小説ですが、理路整然としていて、ドラマ仕立てで人物の状況や心情が今呼んでもわかりやすくはまってしまうからです。
主人公瑠璃子の時に男をもてあそぶ妖婦でありながら、義理の娘を妹のように愛する優しさを持つ当時の道徳観に染まらない「新しい女」としては設定も魅力の一つで、やはり何度もドラマ化や映画化されているのもうなずけます。
読書感想文としても感想を持ちやすい作品です。
こちらでは読書感想文提出には、2000文字以内といった「文字数の規定」があることが多いものですが、文章を書きなれない人には、どうしても文字数が規定の量まで書けない、という方向けに文字数調整の裏技といえる書き方の紹介です。
仮に800字や1000字、1500字といった少ない文字数の読書感想文を書く場合にも「書き方の着眼」の一つとして参考になるかと思いますのでご活用いただければ幸いです。
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『真珠夫人/菊池寛』登場人物
『真珠夫人/菊池寛』あらすじ(ねたばれ)
『真珠夫人/菊池寛』読書感想文の書き方と例
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『真珠夫人/菊池寛』登場人物
登場人物
壮田瑠璃子(旧姓・唐沢)
華族の唐沢男爵の娘。恋人・杉野直也とは壮田の策略で引き裂かれ結婚する。
壮田亡きあと財力と美貌で妖婦としてサロンをひらき女王のようにふるまっている。
壮田勝平
貿易商として成功した成金。直也と瑠璃子を憎み、唐沢家をはめて瑠璃子と結婚する。
思い通りにならない瑠璃子に振り回される。
杉野直也
華族の杉野子爵の息子で瑠璃子の元恋人。壮田の成金を軽蔑し園遊会で口論。瑠璃子との仲を引き裂かれる。
唐沢光徳
華族で貴族院議員を務め藩閥政治と戦っているが、負債だらけ。壮田の策略で金策に追われ自殺をはかるが、瑠璃子に止められる。
唐沢光一
瑠璃子の兄。画家を目指していたが光徳に反対され勘当される。
壮田勝彦
壮田の長男。白痴であるが瑠璃子を「姉さん」と慕い、荘田から瑠璃子の貞操を守る。
壮田美奈子
壮田の娘で勝彦の妹。瑠璃子を姉のように慕う。
青木淳
大学生。瑠璃子に弄ばれ、自殺場所を求めていたところ渥美信一郎と知り合い、自動車事故で死ぬ。
青木稔
淳の弟。瑠璃子を慕っていたが求婚するも断られ、兄も同じ目にあっていたと知り激怒。
渥美信一郎
この物語の狂言回し。偶然瑠璃子を知り、魅かれ同調しながらもその行いを止めようとする事で悲劇を生む。
『真珠夫人/菊池寛』あらすじ(ねたばれ)
新婚の渥美信一郎は、出張帰りのタクシーで青木淳という青年と乗り合わせる。このタクシーが交通事故を起こし、便乗した青木は「瑠璃子に腕時計を返してくれ」と言い残し絶命してしまう。
信一郎は、青木の葬式に現れた美しい未亡人・荘田瑠璃子(二十歳すぎくらい)こそその人だと判断する。瑠璃子の夫・勝平はすでに死去し、勝平の長男(連れ子)は白痴の為、瑠璃子は勝平の長女の美奈子と二人暮らし。
信一郎は瑠璃子に腕時計を渡すのだが、瑠璃子はちっとも心を動かされない。瑠璃子は信一郎に音楽会の入場券を「お近づきのしるし」と言って渡す。
青木の残したノートによれば、瑠璃子は青木に愛の印だと言って例の腕時計をプレゼントしたので、青木は自分こそ瑠璃子に愛されていると思っていたが、同じ時計をある大尉がしているのを見て、自分が瑠璃子に翻弄され、辱められていたことを知り、自殺を決意したことが書かれていた。
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数年前、瑠璃子はもともと貧乏華族の令嬢で同じく華族の青年・杉野直也と交際していた。
ある日、成金の荘田勝平の邸宅でのパーティーで直也はさんざん成金だと悪口をいう。勝平は直也に対する怒りと復讐心そして瑠璃子の美しさに惚れ込み、陥れてやることを誓う。
瑠璃子の父は、貴族院の清廉な議員だが常に政治資金に困っていた。そこで唐沢光徳男爵の債権を全て買い取りさらに横領で告訴するなど弱みを握り、瑠璃子に結婚を迫る。父は自殺をはかるが未遂に終わり、瑠璃子は荘田への復讐のために妻になることを決心。直也には復讐のための結婚でも貞操を守るという手紙を出す。
怒った直也は拳銃を持って荘田家に乗り込むが誤って荘田の長女・美奈子を撃ってしまう。美奈子は命をとりとめ、直也のことは内密にしてくれと強く頼む。直也は許される。
荘田の妻になったが、瑠璃子は操を断乎守る。
荘田の白痴の長男・勝彦は瑠璃子を崇拝するようになり、なかなか瑠璃子に手を出せない。
荘田は瑠璃子を葉山の別荘に連れ出し「本当の妻」になってくれと瑠璃子に襲いかかったときに、勝彦が登場。卒倒した荘田は我が子の将来を瑠璃子に託し息をひきとる。こうして瑠璃子は処女のまま未亡人になる。
・・・
壮田の死後、瑠璃子はその美貌と知性で妖婦への姿を変えていった。
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渥美信一郎は瑠璃子と音楽会に出席。瑠璃子の美貌と知性に、従順なばかりの新妻が霞んで見え、瑠璃子にもその思想にも惹かれていった。
次の日曜、壮田邸に誘われそこが才気ある若い男性たちが居並ぶ瑠璃子のサロンだった。
「信一郎は特別」みたいなことをしゃあしゃあと言う瑠璃子は妖婦であることに気づき「純真な青年たちを誘惑するのはやめろ」と諭す。しかし、瑠璃子は「御忠告なら御免蒙る」と峻拒。信一郎は、瑠璃子に良心の欠片もないことに呆れ、せめて、青木の弟の青木稔を誘惑するのだけはやめろと青木淳のノートを突き出すがそれすらも拒否。
瑠璃子は死んだ青木にまったく同情するどこか青木は自惚れが強くてワガママである、と言い放つ。
瑠璃子は、女性が男性をもてあそぶと妖婦だとか悪名をつけるが、女性が男性を弄んでもそれは男の浮動しやすい心をもてあそぶにすぎない、しかし、男性が女性をもてあそぶときには心も肉体も名誉も節操も蹂躙し尽くすではないかと男性本位の道徳がおかしいと反論。瑠璃子のすさまじい復讐心を知って信一郎は何も言えなくなる。
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壮田の死後も荘田の娘・美奈子と瑠璃子は姉妹のような関係で、美奈子を品性方向な娘にすべく瑠璃子のサロンでの行いを見せないようにしていた。
ある日美奈子は墓参りで見かけた青木稔に一目ぼれしたが青木が瑠璃子のサロンに通っていると知り動揺。
瑠璃子は信一郎への対抗心から青木稔と美奈子の3人で箱根旅行する(瑠璃子は美奈子の気持ちを知らない)2人の関係を知らない美奈子は内心ときめくものの、後日、稔が瑠璃子に求婚を迫っているしているところを見てしまう。
瑠璃子は美奈子が青木を愛していることを知り、後日、美奈子の前で明後日返事すると約束。
瑠璃子は、信一郎への意地から青木を箱根に連れてきたのだが、それがかえって美奈子を傷つけたことを知って大いに反省した。
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約束の日、瑠璃子は美奈子の前で稔の求婚を断ると、自分が特別に想われていると信じていた稔は逆上して瑠璃子を罵りその場を去る。瑠璃子は美奈子の初恋を傷つけたと謝り、美奈子は瑠璃子の心遣いに感動し抱き合う。
たまたま箱根で居合わせた信一郎は青木を見つけると、瑠璃子に近づくなと忠告。信一郎から兄・青木淳のノートを見せられ兄弟そろって弄ばれたことを知り激怒する。
瑠璃子をナイフで刺し逃走し、入水自殺する。
瑠璃子は死ぬ前に直也に会いたいという。
帰国していた直也がホテルにかけつけると、瑠璃子は彼に美奈子を託し息を引き取る。
美奈子は瑠璃子の肌襦袢に縫い付けられた直也の写真を発見。瑠璃子は男を弄びながらも初恋を真珠のように守り続けていたと知る。
「真珠夫人」と題された美しい肖像画が二科展で絶賛される。それは瑠璃子の兄の光一による妹への手向けの絵であった。
『真珠夫人/菊池寛』読書感想文の書き方と例
読書感想文の例(文字数を増やす裏ワザつき)
・物語と登場人物のそれぞれの人間像などをストレートに理解した場合の例
・主人公瑠璃子を通した女性の尊厳について
・瑠璃子の言う「女が快楽を求めること」は幸せなのか?
・文字数を増やすために、本の内容への感想の他に、作者の感性を伝える作戦を利用した例。
・瑠璃子と美奈子の対比「女性の真の成熟」とはなにか
・瑠璃子の男運の悪さ「世の全ての男に復讐したかった」のでは
amazonレビュー引用
この作品が魅力的なのは登場人物がそれぞれ強烈な情念に突き動かされ、美貌の瑠璃子に翻弄される様が読んでいて飽きることがないためであろう。
落魄貴族出身で、借金を取り立てにきた家に嫁入りする瑠璃子。それは落ちぶれた父の恨みを晴らすための復讐劇でもあった。しかし、その末に人をもてあそぶかのような行動が度が過ぎ、復讐対象の夫(のちに死亡)のみならず周囲の人間を愚弄するかのような態度に発展してゆく。そしてそれはそのまま自身に跳ね返ってきて身を滅ぼすことになるという悲劇でもある。「運命」には逆らえぬ、悪は貫徹しえないということなのだろうか。ここにも強く、「運命」が流れている。大正期の女性の自我を描いた作品でもある。また、大正の人々が虚飾に走り、金におぼれ、地位におぼれ、知性を遊戯にした空疎さも伝えている。
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当時の小説家のほとんどが男性でそこに描かれる女性の不憫さややるせなさ、諦めに似た悟りなど耐える存在としてのみ価値をおかれて居た中で、この真珠夫人の主人公は飽くまで敢然と、女性の尊厳を守るべく戦い続けた。潔く美しい姿が同性として非常に気持ちが良かった。時代背景や設定もあり、多少ドラマチックが過ぎる場面も有るが、全体的に修飾は華美ではなく場面展開の絶妙さも手伝い、最後まで飽きる事なく読める。
読後感としては主人公の生き方に清々しさを感じつつも、何十年と時が経った現代を生きて居ても、社会における女性の見方は変化していない、もしくは更に悪化しているのではなかろうか、と重々しく思った。菊池寛と言う人の女性観に少々驚いた。こんな風に女性を見てくれる男性が増えれば、女性もよりたおやかにしなやかさを失わず、さらに強くなれるのでは無いだろうか。
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恋人の放言が原因で富豪の怒りを買い、父も陥れられその復讐に恋人と別れ富豪のもとに嫁ぐことを決意した美貌の令嬢瑠璃子。しかし復讐は富豪の死によってあっけなく終わるが、彼女は世の男に対して復讐のように若く純情な男を誘惑し弄び挙句の果てには自殺者まで出す。が自業自得でその報いは瑠璃子に返って来て悲劇が起きる。
美貌の令嬢が若い相思相愛の恋人を捨て、成金富豪のもとに嫁ぐというストーリーと聞いて明治時代の有名小説「金色夜叉」を思い浮かべる人も多いでしょう。本作品もおそらく金色夜叉を意識して書かれているようで作中にも登場します。
金色夜叉では、明治時代の女性らしくちょっとした虚栄と親の勧めで嫁ぎ、そのことを後悔し結婚生活も鬱々とした日々を送り、夫にも見捨てられるという受動的な女性であったのに対し、瑠璃子は自らの意思で家への復讐、拝金主義への怒りという意思をもって嫁ぎ、結婚後も自らの操を守るために知恵を働かせ、未亡人となってからも教養と美貌を最大限に生かし、男顔負けの議論を展開し、その行動をたしなめる意見にも「男は芸者や妾を囲っても非難されないのに女が同じことをすると非難をされるのはおかしいではないか」としっかりと反論を展開する。その意志ある堂々とした振る舞いは大正デモクラシー時代の「新しい女」の姿そのものであったことでしょうし、その振る舞いに喝采をした人も少なくなかったことでしょう。
しかしながら瑠璃子の生涯から透けて見えるのは、「新しい女」になることが本当に女にとっての幸せなのか?という疑問です。
瑠璃子と同じ時代に生きた女性は、デモクラシーの風潮の中で教養や知識、現代的な服飾によって飾り立て、男を支配し、男と議論を交わして時には恋のジェスチャーを楽しむ自由を得られるようになりました。しかし、そうした自由や楽しさは一時的な刺激にはなっても刹那的であり、学校で身に着けた教養も男を惑わすための手段としてしか使わない。また「男と同じことをするのだ」と大きなことを言い男を誘惑しながら、貞操だけはしっかり守り純潔であるとうそぶくような打算的なずるさ。
見せかけのデモクラシーによって一見華やかで自由な新しい時代のインテリ女性を演じたとしても、結局は幼い欲求や虚栄心にとりつかれ、その刹那的な快楽のために美しい純粋な心や愛情を軽んじ汚すことに何の恐れも感じないような存在でしかなくいつまでたっても幸福で自由な女性、大人の女性とは程遠い精神的に未熟な存在になるだけではないのだろうか?そう思わざるをえません。
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家の借金のために恋人と引き裂かれ、親子ほども年の違う成金と結婚した華族のお嬢さんは、清らかな身を守り、決して夫に心を許さないことで、世の中には金では買えないものがあるということを思い知らせ、父の受けた屈辱を倍にして返す。さらに、世の男が女を弄び物とすることが何の非難も受けないのに、女が複数の男に笑みを見せれば男の心を弄ぶ妖婦の毒婦のと罵られる。彼女はあえてたくさんのボーイフレンドを侍らせることで世の中というものに、敢然と立ち向かう。自分に恋焦がれるあまり自滅する純情な男がいても眉一つ動かさない。男の方って、本当に勝手ですわね、どれほどの女が同じように踏みにじられているとお思いでいらっしゃるのかしら、と・・・。
美しく聡明で、しかも結婚によって裕福でもある彼女は妖婦という名の鎧をまとい、その手には手勝手な男の価値観への鋭い剣が握られている。そしてもう片方の手には実ることのなかった初恋という、何者にも汚されることのない宝物が・・・
これは、本当に大正9年に男性である菊池寛が 書いた話なのだろうか??と 思うほど、瑠璃子は男をものともせず、毅然とそして妖艶な魅力と鋭さで 打ちのめしていく…「男性のエゴに対する復讐がテーマ」の物語。
権力、財力を信じずにいるくせに ”大金持ちの未亡人”としてのふわふわした生活を堪能している瑠璃子。ふわふわしながらも、心の奥底にかなわぬ恋の恨みや未練”お嬢様”としてのつつしみ、女性らしいやさしい心が 伝わってくるのは 菊池寛だから??なのでしょうか??
男性がすれば許されるのに女性がしたら許されないことに敢然と挑戦し、強い意思と知性と美貌を武器(しかし、肉体は決して許さない)に立ち向かっていく姿には、気品と潔ささえ漂い、物語の中で彼女を非難する人達の方が何となく下品に思えてくるほどでした。そして、あの時代に男性でありながら、女性の立場から冒頭のような矛盾を小説のテーマとしようとした菊池寛の発想の自由さと大胆さにとても驚かされました。あと、男性の立場ならではというか、瑠璃子に恋していく男性達の描写が素晴らしかったです(特に勝平)。
だが瑠璃子は「妖艶」とされながらも初恋の相手、直也を思い続ける。恋に迷いがなく貞操を守り通す瑠璃子を一概に妖婦と言えなくなるのである。
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誰もが幸せと不幸せの矛盾の中で、日々を生き抜いているかと思いますが、瑠璃子もまたそのようであったと思います。
瑠璃子は男性優位な社会に犠牲になった女性たちの怒り・悲しみの化身であります。守りたいものがある者が、そこを突かれたとき、いかに脆く切なく、しかしあまりにも強い最期を遂げるのが必見です。彼女の人生の救いは、父と継子、また兄に愛されていたことでしょうか。だからこそ直也への愛も継子への愛も途切れることはなかったのだと思います。
彼女とは対照的に、義理の娘の美奈子は、世間から成金とさげすまれながらも、わがまま放題ができる環境で育ちながら、白痴の兄や父母への愛情を忘れず、瑠璃子の恋人の直也に誤ってピストルで撃たれるアクシデントにも彼の心情を察して黙っているやさしさ、初恋の人を瑠璃子が弄ぶ様子を見て嫉妬を覚えてもそれを情けないと思う控えめな女性として書かれていますが、彼女こそ本当の意味での成熟した女性であり、新しい混迷の時代を生き抜く強さと高貴な美しい魂をもった真珠夫人といえるのではないでしょうか。
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瑠璃子の運命が大きく変わったのは、恋人直也の存在がそもそもの原因だと思われる。
直也が不用意に荘田を成金と罵らなかったら、2人が荘田のパーティーに行かなければ、2人が恋人でなければ瑠璃子は妖婦の道を歩まなかったのではないだろうか?
瑠璃子の周囲の男はイイ男は一人もいないと断言できる。
恋人直也は瑠璃子に良い所見せたかったのか?成金・資産家へのコンプレックスからか?荘田をバカにして見せるのは明らかに、余裕のなさを隠蔽すべく取る自分を取り繕う態度である。
荘田は嫌な男だが悪質さが不足している。瑠璃子にわざわざわかる恨みの買い方をして手に入れるやり方はお人好しとしか言えない。悪事をスマートに隠せる非道さがこの場合魅力として映った可能性もある。計算が立たないのである。
瑠璃子の父にしても信念の為の政治活動も家族以外の信用できるブレーンもなく、戦意喪失自殺未遂などするようではそもそも国民を代表する政治家としての適性不足とも言える。
サロンにあつまる男たち、特に青木兄弟が瑠璃子に求めているのは、その表面上の美しさに魅入られているだけでそれぞれ「自分が一番愛されていた」と思い込む姿勢がまず瑠璃子の気持ちよりも、恋している自分に夢中なのだとしか言えない。
渥美信一郎は理解のある顔をしながら、物語の中でもっとも最悪な男であるのは、意図せずとも死を運んでくる疫病神のような存在だった。
瑠璃子を翻弄してきた男達の中に、誰が瑠璃子の幸せを祈っていたのだろう?蝶よ花よと愛される存在ではあるが、瑠璃子の尊厳を守り愛してくれた男は父も含め誰一人いなかったように感じる。
当の瑠璃子は直也への操を立てるという名目で、荘田には決して体を許さない処女のまま未亡人となったわけだが、これは直也への愛からではなく、直也への恨みから荘田の死後もサロンを開きながらも、誰にも心許す来なく男たちを翻弄し弄ぶ一筋縄でいかない妖婦になった事こそが直也とこの世の男に対する瑠璃子の復讐なのではないか?と思える。
誰が見て間違っている瑠璃子の生き方。瑠璃子を手に入れられない男から恨まれ、世間からは性で男を翻弄する最も同性から嫌われる女として生きる。それは「誰からにも愛されない生き方」を瑠璃子はわざわざ選んだようにすら思えるのです。
死の淵に直也を呼びよせ、愛してることを伝えての絶命は「あなたを愛している女はこんな惨めな死に方をしたのだ…それはそもそもオマエのせいだ」と直也が生涯贖罪せざるを得ない記憶を植え付けたとも考えられるのです。
瑠璃子にとって最初からこの世の全ての男の価値観は間違っていた訳だが、もしかしたらそれは「特に瑠璃子に限って」との見解も持てるのである。瑠璃子がその時代の女の生き方を当然と受け入れられる女であったら荘田との結婚も意外と幸福だったかもしれない。瑠璃子が良しとしない男たちだから、彼女にとって生きづらい人生になったとも言える。そうなると直也が荘田とのトラブルも起こさず瑠璃子と結婚していても2人は本当に幸せになれたかも不透明になるのだ。
自分の人生を歩むうえで、何か違和感を感じるのは非常に苦しいものだ。それを無視できないほどの苦しさを抱えるとどうしても人とは違う生き方を選ばざるを得ない。
瑠璃子の不幸はこの時代だからという訳でなく、瑠璃子が瑠璃子に生まれたからではなないだろうか?
『真珠夫人』のモデルは一説によると歌人の柳原白蓮とされています。
白蓮の父は華族であった柳原前光伯爵。「大正三大美人」とうたわれた白蓮は20歳のときに最初の離婚。その後、九州の炭鉱王伊藤伝右衛門と再婚。福岡社交界の華として活躍しました。白蓮の政略結婚や文化サロン生活を参考に本作を書いたと言われています。