「アンネの日記」読書感想文の書き方と例文【大特集】

この本は、第二次世界大戦中、ナチスドイツのユダヤ人狩りからのがれるため、ユダヤ人の少女アンネ・フランクが2年間暮した「隠れ家」の中で綴った日記をまとめた作品です。戦争や差別について深く考えさせられる世界的ベストセラーです。

こちらでは、おもに中学生高校生が、1200字1600字2000字(原稿用紙3枚、4枚、5枚)の読書感想文を書く際に、参考にしていただけそうな書き方、考え方の例をご紹介しております。


 
日記を編集した「アンネの日記」のほか、伝記としてまとめられた「アンネ・フランク」もたくさんの出版されています。

14歳の少女の書いた日記をまとめた本のため、感性の近い中高生にも読みやすい内容です。また、小学生向けに書かれた、伝記の「アンネ・フランク」は、低学年向けのものから、高学年向けのものまで種類が豊富です。

ただ、「アンネの日記」は、完全版では約600ページにもなる本のため、読書が苦手な人には伝記「アンネ・フランク」の方が読みやすいでしょう。

書籍「アンネの日記」「アンネ・フランク伝記」一覧

~~目次~~~~~~~~~~~~~~~
アンネの日記「あらすじ(概要)」
感想文の切り口(着眼点)の例
読書感想文の書き方の例【4作品】
アンネ・フランクは生きていた!?

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■本アイコンアンネの日記あらすじ(概要)

著者のアンネ・フランクは、裕福な家庭で育ったユダヤ人の少女です。

1942年のオランダは、ヒトラー率いるナチス・ドイツの侵攻を受け、アンネ一家は、ナチスのユダヤ人狩りから逃れるために、密かに隠れ家に身を隠すことになりました。アンネの日記は、2年間に及ぶその隠れ家での出来事や思いを綴った彼女の日記です。

隠れ家ではフランク一家のほか、他の家族や中年男性も一緒に生活していました。最低限の厳しい生活を強いられることになった辛さや、共同生活からくるギクシャクした人間関係などについて、年頃の女の子の率直で厳しい言葉で描かれています。

そのような辛い環境の中においてもなお、一緒に暮らす少年に恋をした気持ちなどについても綴られています。また、その恋がうまくいかなかったことに対しても、冷静に分析する内容には、彼女の強さや聡明さをうかがい知ることができます。

アンネは、この日記帳に「キティー」と名付け、毎回、日記の冒頭は「親愛なるキティー」で始まります。お友達や両親に言えないこと、言いたくないことについては架空の友達あてに書くという表現を使っています。

この日記の最後から数日後に、隠れ家の人達は全員みつかってしまいます。アンネは捕らえられた後、アウシュヴィッツ収容所を経由し、ベルゲン・ベルゼン強制収容所に送られ、そこで発疹チフスにより生涯を終えました。

「アンネの日記」は彼女の死後、父親により編集され出版された作品です。

 

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感想文の切り口(着眼点)の例・・

わずか14歳という、みなさんと年齢の近い少女が書いた文章とは思えないほど、大人びた鋭い感性で書かれている点を、下の動画で紹介する「名言」などを引き合いに出して紹介する。

アンネの言葉を幾つか紹介しながら、それにコメントを加える形式にすれば、必要な分量の原稿はすぐに書けるでしょう!動画の名言は、日記の中に書かれていた言葉ですので活用しましょう。

空腹の中、窓も開けられず、日中は物音もたてられず、着替えもなく、シャワーもなくといった、過酷な隠れ家生活の中でも、元の生活に戻った時のために、勉強もしていたしっかり者だった点を指摘する。

日記の内容から、アンネはとてもたくましく、また、繊細で賢い少女であることが分かります。そのため、そのような素晴らしい少女ですら死に追いやる戦争の愚かさや悲惨さを指摘する。

戦争の悲惨さを現実的なものとして感じさせる意義ある作品だったという内容にする。

アンネは誰にもお別れを言えずに、また飼っていた猫をも手放すことになりましたが、その「ペットとの別れ」の部分にスポットを当てるのもよいでしょう。このような「些細な部分」に着目し、掘り下げることで「読み込んでいる感」を印象付けることができます。

例えば・・「作品のなかで、飼い猫をやむなく手放したことが書かれていましたが、その部分を読んでいる時、私は思わずハッとさせられました。震災の際、親戚もまったく同じ体験をし、ペットの猫を手放していたからです。家をなくしたこと以上に辛かったという叔母の話を思いだし、改めてこの「アンネの日記」をリアルなのものとして考えることができました。」

・・このような自分自身の身近なエピソードと絡めることで、この読書を「感情移入できるほど心を打つ作品だった」ことを「理由」つきで訴えることができます。

読書感想文のできは、どれだけうまく自身の思い出と絡めて解説できるかにかかっているといってもよいほどです。

アンネは、当時、戦争で同じように辛い思いをした「大勢の人の中の一人にすぎない」ことを指摘し、読んでいる途中で、戦争はアンネのような悲惨な子供達を大勢生む事実に気づき、思わず「ゾッとした」というような内容にする。そして、アンネのような不幸な少女が生まれない世の中にしなければならないと、つくづく考えさせられた。・・・・という感想にする。

同居していたペーターと恋仲になる様子も、14歳の少女の感性でみずみずしく描かれていますが、恋する気持ちは、現代人とまったく同じであるこが伝わってくる文章です。つまり「70年前の出来事といえども、同じ感性をもつ人間が経験したものだと分かる内容であり、戦争の悲惨さが伝わる作品だった」という感想にする。

アンネが、経験を文章として残すことに、とことんこだわった点を指摘する。

アンネは、亡くなる1年前の日記に、次のような言葉を書き残しています。

「私の望みは死んでからもなお生き続けること!自分の中にあるすべてを文章で書き、表現できるだけの才能を与えてくれたことに感謝しています。」

「人が本当に死ぬときは、人に忘れられたときである」そうであるならば、先のアンネの望みは完全に叶えられたといっていいでしょう。こうして今もなお「アンネの日記」が読み継がれているからです。

戦争で多くの人が悲惨な経験をしましたが、アンネはなぜ有名な人物になったのかを考えてみれば、それは間違いなく「日記を書き残した」からだと分かります。遺伝以外の方法で、情報を伝え残せるのは人間だけです。つまり「思いを書き残すこと」とは、人間らしく生きた証でもあります。そこに気づいたアンネは偉い!・・というオチにして、「自分もこれからは伝え残すことを意識するようにしたい」と文章を結ぶのもよいでしょう。

 

「アンネの日記」や「伝記アンネ・フランク」読書感想文【例文4作】

「アンネの日記」を読んで①

アンネ=フランクを知ったのは去年の冬でした。同年齢の少女が戦争の渦中でどう生きたのか、この好奇心を持ちながら読み進めました。
読書感想文の書き出し例(入賞21パターン)

時代背景は第二次世界大戦、ヒトラーによるユダヤ人弾圧が激化している中でした。アンネたちフランク家は、ファン・ダーン家、そしてデュッセルという歯科医と共に、隠れ家で生活を余儀なくされました。その時代が彼らを隠れ家へと追いやったのです。

私はアンネを「あなた」と呼ぶことにします。真実の友としてあなたを受け入れたいのです。しかし、アンネからすれば、この呼び方が迷惑かもしれません。アンネはユダヤ人として生まれ、若くして亡くなりました。生きていれば、小説家として文壇に名を馳せていたでしょう。そして、あなたの著書が私の本棚に並んでいたはずです。このことを考えると、戦争が憎らしくなります。

亡くなった人々の中には、将来有望な人たちもいたはずです。しかし、人を殺すことほど悪いことはありません。許されるべきではないでしょう。アンネ、あなたの前でこんな話はやめましょう。私たち二人とも、戦争を憎んでいますから。

アンネへの第一印象は、情熱的な人でした。そして少し自信過剰な面もありました。アンネと共に過ごした大人たちにも、非はあったかもしれません。しかし、彼らは人生経験が豊富です。少しは尊敬しても良いと思います。

アンネが日記に「自分は孤独だ」と記していたことを見て、13歳で本当に孤独を感じるのか疑問に思いました。家族がいて、穏やかな家庭で育ったのに。この疑問は、いくら読んでも解決できませんでした。一時期、「戦争が彼女を…」「いや、父母が15歳の少女を軽視して、彼女は理解されず…」などと考えましたが、結論は出ませんでした。

隠れ家での自由から切り離された生活は、アンネから笑顔を奪いました。日々増す食糧難、大人たちの争いの中で、アンネは辛く残酷な生活を続けました。初めに「紙は人間より辛抱強い」と書いたアンネ。紙はどんなに辛いことを書かれても文句を言いませんが、慰めてはくれません。心の中の不満を吐き出しても、慰めにはなりませんでした。

アンネは寂しかったでしょう。人を殺すことを目的とする戦争が、アンネの明るさを奪ったのです。でも、そんな中でも彼女は生き抜けていました。誰にも理解されず、孤独の中で生きていたのです。

周りの大人たちは、アンネをよく知っているようでしたが、誰も彼女の内面に隠された真のアンネを見つけ出すことはできませんでした。1944年8月1日の日記を記した3日後、アンネたちはナチに発見されてしまいます。冷たい目で彼らを見つめるナチの手には銃が握られていました。

そしてアンネは、立派なユダヤ人として亡くなりました。ヒトラーと戦争に対して、言葉では表せないほどの怒りを感じました。ユダヤ民族であるがゆえに殺されて良いという理由が、どうしてあるのでしょうか。ナチスの残酷な行為を思えば思うほど、怒りが湧いてきます。

戦争は、尊い命を奪い去ります。情けなく、許しがたい行為です。私たちは平和な世界に生まれましたが、今でも世界のどこかで戦争が行われています。日々、多くの命が奪われています。私たちは、平和な世界に生まれたという使命から、このような戦争をなくさなければなりません。

私たち一人一人がしっかりと大地に足をつけ、未来に向かって進まなければなりません。第二、第三のアンネを生み出さないために、互いに心を結びつけて努力しなければなりません。そして、互いに心を結びつけることは、身近な家庭や学友から始めたいと思います。

今日も、太陽が私たちに平和の光を投げかけています。昔から私たちの地球を照らしてきた太陽が、今は平和な光を送っています。「もう戦争はするな」と叫びながら。
 

「アンネの日記」を読んで②

この本を読んで、「アンネは私たちの心の中にもいる」と深く感じました。アンネは、日記で「私は、男の子でも女の子でも、真実の友だちでなければ、この日記を誰にも見せない。だから、私が何を書いても、気にする人はいないでしょう」と述べています。

彼女が自分の心を隠さずに書いたことが、私を惹きつける理由です。アンネは、理想の親友として日記を選び、「紙は人間よりも辛抱強い」ということわざ通り、どんなに長い話でも聞いてくれる日記帳に、心の奥底にある思いを綴りました。アンネが孤独だったことは明らかです。

彼女は、「母は私に母親らしくない。私は自分で自分の母親にならなければならない。家族から孤立している。自分が自分の運命を決める船長のようだ」と述べています。このような母親への批判は、彼女がどれほど寂しかったかを物語っています。

では、なぜ「アンネは私たちの心の中にもいる」と感じたのか、その理由を挙げます。第一に、アンネ自身の体験、両親への不満、大人への批判、将来への希望、成人の問題など、私たちに共通する問題が書かれています。第二に、「アンネの日記」を読むことで、私自身の心にあったものがはっきりしました。

私たちの年齢なら、こういう問題について考えるのが普通です。ただ、話す相手や機会がなく、その青春が終わってしまうかもしれません。アンネは、私たちの代表として、恐れずに「キティー」に真実を語っています。彼女は模範的な人物です。だから、彼女が書いたこと、考えたことは、私たちの年齢の少女や子供たちの意見です。「自分を理解するのは、自分だけ」と彼女は言っています。

しかし、今、約80年後の私は彼女の気持ちを理解できます。もし同じ時代、場所、環境で生まれていたら、彼女を慰め、親友になれたと思います。

以前、「真実を語れる友」を見つけたことがありますが、結局うまくいきませんでした。身近にいても、冗談を言い合うだけの友達にすぎなかったからです。だから、私も現在、アンネのような女性の親友を求めています。80年前にこの本が出版されなかったら、大人も私たちも、一人の少女がこれほど多くのことを考えているとは気づかなかったでしょう。

読者がこの本を読んだ時、それぞれの心を動かすものがあったはずです。たとえ大人であっても、幼い頃に彼女と同じ感覚を覚えたことを思い出すでしょう。この本の偉大さと価値があるのです。この本を読んで、私には多くのことが思い当たりました。両親への不満は、私がちょうど小学生の時に最も激しかったです。大人への批判もたくさんしました。

しかし、彼女が異常な状況の中でこれらを考えたので、当然私たちとは違った見方があります。考える方向が異なりますが、違いはそれだけです。この本は戦争についても多く触れています。戦争はこんなにも全てを変えてしまうのでしょうか。前日まで何の不自由もなく、楽しく過ごしていたアンネが、急に食糧不足に苦しむ生活に追い込まれるとは!アンネを通して、戦争が人類に与える影響を考えさせられました。

しかし、彼女はアウシュビッツの収容所でも、最後まで勇気と精神力であらゆる苦しみに耐えました。これは、私たちの心を打つ最大のものであり、アンネの戦争への明確な勝利とも言えるでしょう。現在起こっている争いが早く終わり、二度と戦争が起こらないように、この本を若い人たちに読んでもらいたいと思います。
 
 
「アンネの日記」を読んで③

「あなたは何のために、今生きていますか?」と聞かれても、どれだけの人がはっきりした回答ができるでしょうか。すべての人が今生きています。それはあたりまえのことなのに、なぜ生きているのかと聞かれるとすぐには答えられない。考えてみるとずいぶんおかしなことです。わたしもそう聞かれると返答に困ります。「ただ、なんとなく。死ぬのが恐いし、生きていれば何かいいことがあるだろうから。」とでも答えましょうか。

人が生きていく間には、かならず悲しいことや楽しいことに出合います。アンネもそうです。アンネは日記の中で悲しいことについて書いていました。「おかあさんは、悲しくなった時には、自分よりももっと苦しんでいる人のことを考えなさいというが、では、その苦しんでいる人達―世界で一番不幸な人はいったいだれのことを考えればいいのだろう。

わたしだったら自然に触れ、それを見つめ、自分のことを考えてみる。」と。わたしもアンネの意見のほうに賛成です。しかしこの本を読んでいて、あることに気が付きました。

人はだれでも精いっぱい生きているのです。だから「自分はこの世の中で一番不幸だ。」とは考えないでしょうし、また考えるひまもないのです。それに、ありがたいことに世界はあまりにも広すぎます。世界中の人間をみんな知っている人などひとりもいません。ですから、「この世の中で一番」とは考えられません。つまりアンネのいうような「世界で一番不幸な人はいないわけです。

わたしは、また幸せについても考えさせられました。幸せとはどんなものでしょうか。アンネの考えた幸せ、それは戦争後の世界でした。世界に平和の再びもどる日。それがアンネの夢であり、希望でした。彼女はその日のために精いっぱい生きました。収容所に入れられてからも彼女はたえず笑顔を忘れませんでした。

わずかな食べ物もわけ合い、時には自分の分をも、おしげもなく人に分け与えました。わたし達と同じくらいの少女のどこにそんな勇気がひそんでいたのでしょう。それはきっと彼女の夢がそうさせたのでしょう。

アンネは戦争のない世界のくることを信じきっていました。アンネには、「その日まで生きるんだ。その日を自分の目でみる「んだ」という願いがありました。その日のために、ひたすら生きていくアンネ。それ彼女をあんなにも強い人間にしたので自分の目的、夢のために、ひたすら、精いっぱい生きている姿。それはなんと美しく、そして、なんと強いんでしょう。

死の収容所での生活、そしてあんなむご死にかたをしたアンネ。わたしはあなたに対して同情、いえそれ以上の気持ちでいっぱいです。しかし、わたしはあなたが不幸だったとは思いません。あんなに強く、りっぱに生きた少女がどうして不幸なんでしょう。

わたしは幸せについて考えてみたのですが、幸せとは、自分の目的が達せられた時をいうのではなく、それを実現させようと努力している時、その時をいうのではないでしょうか。だからアンネ、あなたは不幸ではなかった。戦争の終わった世界を見ることができなかったけれど、あなたは不幸じゃなかった。そうですね、アンネ。アンネの夢だった戦争後の世界に生きているわたし達、でも今の世の中は、アンネの考えた、アンネの夢だった世界じゃありません。

確かに、第二次世界大戦は終わりました。しかし、今も戦争をやっている国はあります。戦争をやってはいなくても、戦争以上の苦しみが、わたし達におそいかかっています。世界はいつからこんなにあわただしくなったのでしょう。交通事故や公害をつくったのは自然のせいでも、誰のせいでもありません。

わたし達、人間なのです。アンネ達のように戦争のために犠牲になった多くの人々の死は、無駄だったのでしょうか。いいえ、無駄ではありません。無駄にしてはいけないのです。これからの世界を背負って立つわたし達は約束します。きっとこれからの世の中を平和なすばらしいものにしてみせると。それはあなた達に対する、わたし達からの最高のプレゼントになると思うからです。
 

「アンネの日記」を読んで④

この本を読み終えた時、何か偉大なことを成し遂げたような気がしました。体中が洗われるような清々しさを感じました。同時に、アンネが恐れることなく、計り知れないほど大きな戦争やナチスに立ち向かった姿勢を、自分も少しは見習わなくてはと思いました。一面では、アンネを羨ましく思いました。

戦争中の世界が、平和な現在よりも羨ましいなんて変な話ですよね。でも、羨ましいと感じたのは、戦争がもたらす苦しみではありません。アンネが孤独と戦い、戦争を憎む強い意志や、平和を取り戻したいという強い願望を持っていたことです。そんな彼女が羨ましいです。

小さな部屋、ナチスに見つかるかもしれない不安、世界から隔離された寂しさを感じながら読むと、アンネがみんなを笑わせ、心を和ませようとしたことが伝わってきます。アンネは周りの人を観察し、批判し、時には憎みながらも、一生懸命に生活している様子が伝わってきます。そんな彼女の姿を見ていると、自分の毎日がただのルーチンに見えてきます。本当にこれでいいのか、と疑問が湧いてきます。

アンネは日記で、以前の生活を夢のようだと振り返っています。戦争が人の心に平和の大切さを教えてくれるのでしょうか。普通の日々に不満を感じることもありますが、それが幸福に繋がるのかもしれません。狭い隠れ家にいても、アンネは青春を精一杯生きました。そんな彼女と比べると、平和な世の中で生きる私たちの青春は、どれほど大きな可能性を秘めているでしょう。

キャベツが腐り、それを食べることを心配するような質素な生活も、好き放題に生きる私たちを戒めてくれるようです。アンネは、戦争の中で、叫びたいことや悲しみを、この日記に打ち明けました。戦争に抑圧された少女としての絶叫が、日記に刻まれています。

隠れ家の大人たちを嫌っていました。戦争の最中にも関わらず、けんかを始めたりして、アンネを苦しめました。でも、それも全部、憎むべき戦争のせいでしょう。最初はみんな良い人だったのに、隠れ家生活が長引くにつれて、争いも増えてきました。戦争は、自然や家だけでなく、夢多き青春や人の心まで壊してしまう恐ろしいものです。

アンネが強制収容所でも、死にたくない、生きたい、平和がほしいと叫び続けたことでしょう。隠れ家での限られた青春さえ奪ってしまった戦争。戦争の罪は一体誰にあるのでしょうか。アンネの日記を目の前にしたら、戦争を引き起こし、ユダヤ人たちを収容所へ送り、アンネたちを悲しみのどん底へ突き落とした原因に、アンネの叫びをぶつけたい気持ちでいっぱいです。

この日記を読むことで、私の毎日も少しは変わるでしょう。親への不満、大人への批判をたくさんしてきました。でもアンネが異常な状況の中でこれらを考えたので、私たちとは見方が異なります。しかし、異なるといってもそれは一点だけです。この本は戦争についても触れています。戦争は、人々の生活や心をどれほど変えてしまうのでしょう。アンネが戦争を通して人類に与える影響を考えさせられました。

しかし、彼女は収容所で、そして行進中にも、最後まで勇気と精神力で、あらゆる苦しみに耐えました。これは、私たちに感銘を与える最大の点であり、アンネの戦争への明確な勝利とも言えるでしょう。現在起こっている争いが早く終わるように、そして二度と戦争が起こらないように、この本を若い人たちに読んでもらいたいと思います。
 

アンネ・フランクの日記は嘘?

当時まだなかったボールペンで書かれているのはなぜ??
本人の筆跡とは明らかに違う??
姉のマルゴットも日記を書いていたのに、なぜアンネだけ??
ドイツから賠償金を多く得るためユダヤ組織が仕組んだ作品だった??

実は「アンネの日記」には、不可解な部分が多くあるらしいのですが、極めつけは「その後もアンネは生きていた」という噂まであるのです。

信じるか信じないかは、あなたしだい・・・

【最重要ページ】感想文を書くにあたっての「コツ」「構成」「話の広げ方」などの詳細は下記のページに掲載しています。中高生向けですが、小学生に書き方を教えるご家族にも参考になる内容ですので、ぜひ一読ください。(気になる審査基準も掲載!)


読書感想文の書き方のコツ
(テンプレートつき)

書き方の参考用に、過去の入賞作品の紹介ページも作りましたのでご活用ください。

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