『坊ちゃん』読書感想文書き方5作品・あらすじ(ネタバレ)


夏目漱石の最高傑作である『坊ちゃん』の読書感想文の書き方を通して・・「感想文の文字数を増やす裏ワザ」
・・をご紹介いたします。

読書感想文の提出には、2000文字以内といった「文字数の規定」があることが多いものですが、文章を書きなれない人には、どうしても文字数が規定の量まで書けない、という人が多いものです。今回はどのジャンルの本にも対応できる文字数調整の裏技といえる書き方の紹介です。

仮に800字や1000字、1500字といった少ない文字数の読書感想文を書く場合にも「書き方の着眼」の一つとして参考になるかと思いますのでご活用いただければ幸いです。
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『坊ちゃん』夏目漱石の登場人物
『坊ちゃん』夏目漱石の3分で読めるあらすじ(ネタバレ)
『坊ちゃん』夏目漱石/読書感想文(5例)

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『坊ちゃん』夏目漱石の登場人物

登場人物

坊っちゃん
本編の主人公。語り手で1人称は「おれ」無鉄砲なのは親譲り。そのせいで子供の頃から損ばかりしている性格。両親からは冷たく扱われ、兄とは不仲である。四国の中学校で数学教師になる。「坊っちゃん」とは唯一慕ってくれる下女の清が呼ぶ呼び名。


坊っちゃんの家の下女。家族に疎まれる坊っちゃんを庇い、可愛がっており、何かにつけて「あなたはまっすぐで良いご気性だ。」と褒める。

山嵐
数学の主任教師。正義感が強く誠実。生徒に人望がありぼっちゃんと通じ合う。

赤シャツ
教頭。帝大卒の文学士でエリート風。通年ネルの赤いシャツを着用するので赤シャツ。陰湿な性格で、坊っちゃんと山嵐から毛嫌いされる。
マドンナを手なずけて婚約者のうらなりから横取りする

野ダイコ
画学教師。東京出身。赤シャツの腰巾着。名字は吉川。江戸っ子で、芸人ふうに「…でげす」

うらなり
英語教師。名字は古賀。お人よしで消極的な性格。坊っちゃんの理解者の一人。青白い顔色なのにふくれている彼の顔を見て、清が言ってた「うらなり」と名づけた。マドンナの元婚約者だが赤シャツの陰謀で左遷される

マドンナ
うらなりの婚約者だった美しい令嬢。赤シャツと交際している。坊っちゃん曰く「色の白い、ハイカラ頭の、背の高い美人」マドンナは坊っちゃんのことを全く知らない。


校長。事なかれ主義の優柔不断な人物。

生徒たち
坊っちゃんの学校の教え子。新米教師である坊っちゃんの私生活を尾行してからかったり、手の込んだイタズラを行う。

いか銀
坊っちゃんが山嵐に勧められて最初に下宿した骨董屋。骨董品を売りつけようとするが、坊っちゃんが取り合わないため、無実の罪を着せて坊っちゃんを追い出す。

萩野夫妻
鍛治屋町に住む老夫婦。いか銀の次の下宿先。坊っちゃん曰く「士族だけあって上品だが、惜しいことに食い物がまずい」夫人は情報通でうななりとマドンナと赤シャツの三角関係にも精通している。
  

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『坊ちゃん』夏目漱石の3分で読めるあらすじ(ネタバレ)

 

親譲りの無鉄砲で喧嘩っ早く、子供の頃から損ばかりしている坊っちゃん。家族からも疎まれるものの下女の清だけは坊ちゃんの曲がったことが大嫌いな性格を気に入り、可愛がっていました。

父が亡くなり遺産で東京の物理学校(大学)進学。卒業後、校長から「四国の旧制中学校に数学教師(月給40円)」の誘いに即決、赴任します。
ところが江戸っ子の坊ちゃんに四国は見るもの聞くもの会う人間全てが田舎臭すぎて気に入りません。
清に手紙で「つまらん所だ」と書き、学校の教師たちにあだ名をつけ、教頭=赤シャツ、美術教師=野ダイコ、数学主任=山嵐、英語教師=うらなりなどと教えます。
同僚の山嵐は親切で下宿する宿を教えてくれたり、氷水をおごってくれ悪い男ではないらしいと感じます。だが毎日下宿の主人が骨董品を売りつけようとするのでウンザリするぼっちゃん。

坊ちゃんはどうも生徒とうまくいきません。
温泉の浴槽で泳いだ事や蕎麦屋で天麩羅4杯、団子を2皿食べるところを見られ「天婦羅先生」のあだ名をつけられ笑われ、毎日毎日ぼっちゃんの行動は筒抜けでからわわれる日々。下宿の主人の骨董攻めに四国が狭苦しく感じるのです。
初宿直の夜、間が持たないので宿直前に風呂屋に行って帰ると宿直の布団の中に大量のイナゴを入れられ大パニックに。生徒は説経してもシラを切り通し、再度夜中に騒音を出すなど嫌がらせ止めず、ぼっちゃんは学校に厳しい処罰を要求します。
赤シャツ、野ダイコと釣りに誘われた際聞いた話では生徒の嫌がらせをそそのかした教師(山嵐)がいるらしい噂を聞かされ、真に受け誤解したぼっちゃんは山嵐に氷水の代金を突き返します。山嵐からも「下宿の主人が坊ちゃんが乱暴で困る」と聞いたので宿をすぐに出る様に言ってきます。2人はケンカしてぼっちゃんはすぐに下宿を引き払いましたが、うらなりが新たな下宿先を紹介してくれます。
職員会議で宿直のイタズラ処分は赤シャツ筆頭に教員達は「寛大な処分」とうやむやにしようとしますが唯一、ケンカ中の山嵐だけは「厳罰に処する」ことを主張し、宿直前に温泉に行ったのもチクったものの生徒たちはぼっしゃんに謝罪しました。

ぼっちゃんはうらなりに「赤シャツもマドンナという芸者に入れ込んでいるらしい」と話すと貧血を起こすうらなり。
下宿先の萩野夫人はマドンナは元うらなりの婚約者で、うらなり父が死去してから騙されて暮らし向きが傾き結婚が延期。そこへ赤シャツに横恋慕されマドンナも手なずけられてしまい奪われたと聞きます。赤シャツとマドンナのデートを見たぼっちゃんは複雑な気持ちになります。

翌日、ぼっちゃんは山嵐から氷水代を取り戻し「やっぱりおごってもらう」と言うと山嵐も宿の主人のウソだったと坊ちゃんに謝罪し2人は仲直りします。山嵐からうらなりが赤シャツの陰謀で左遷させられることを聞かされ、赤シャツをどうにかするために奴の悪事を現行犯で見つけ殴るしかないと話し合います。
うらなりの送別会で赤シャツは白々しく褒めるスピーチをしますが、山嵐は「早く行った方が良い。赴任先は風俗も純朴で心にもないお世辞や美しい顔で君主を陥れるハイカラ野郎はいない」とスピーチして、山嵐と赤シャツの仲は決定的に断裂します。

ぼっちゃんと山嵐は、赤シャツは教職のクセに芸者遊びをしているらしい件を話していると、中学生徒と師範学校生にケンカが勃発。坊ちゃんと山嵐が止めに入るも止められずに終わり、地元の新聞にぼっちゃんの事を「ケンカをあおった」「近頃東京から来た生意気な坊」と書かれ憤慨するぼっちゃん。
新聞に訂正を求めたいぼっちゃんは赤シャツから「新聞社ってところは変にへそを曲げると訂正すべき記事でも訂正しなくなります」から任せろと言います。実は新聞は赤シャツの差し金でしかもケンカの責任として山嵐が辞職という結果になります。しかもぼっちゃんに責任追及しない理不尽さにさらに怒るぼっちゃん。

ぼっちゃんと山嵐は赤シャツの悪事を暴くために監視を始め、ついに芸者遊び帰りの赤シャツと野ダイコを取り押さえ「教頭職にある者が芸者と泊まり込んだとは何事だ」と詰問し彼らに卵をぶつけたりボッコボコに殴り天誅を加えました。グッタりした2人に「逃げも隠れもしない、用があるなら17時までに巡査を連れて港に来い」と告げますが来ませんでした。
即刻辞職したぼっちゃんは下宿を引き払い、港で18時まで待つも誰も来ないので山嵐と2人四国を去り、ぼっちゃんは東京に帰郷します。
清を下女として再び雇い、街鉄の技手(月給25円)となりました。
清はまもなく肺炎で亡くなりますが「清が死んだらぼっちゃんのお寺に埋めて下さい。ぼっちゃんが来るのを待っています」と言いました。
坊っちゃんの教師生活は、1か月間ほどにすぎませんでした。
  

『坊ちゃん』夏目漱石/読書感想文(5例)

 

坊ちゃん読書感想文その1・688文字

「坊ちゃん」という作品をストレートに理解した場合の例

坊ちゃんという百年前の小説が現代でも愛されているのは、まず読みやすさにあるだろう。すんなり目に入り一気に読む進められる軽快さは文章が簡潔で、きびきびした速さ明るさがある。まるで坊ちゃんそのものが語っているかのような作品だからだ。
坊ちゃんたち登場人物はどれも個性的であり良くも悪くも興味を引き付けられる人物像だ。
坊ちゃんのまっすぐで短気で気持を隠さない実直さには清々しさを感じる。相棒の山嵐、憎まれ役の赤シャツや野ダイコ、気弱なうならりなど彼らに興味や人物像への違和感を感じないのは、きっと現実世界での誰かに似ていいるからかもしれない。
 漱石は東大卒業後、英語教師となり事実四国松山で教職をとった経験がある。本作では坊ちゃんは十分に出世コースに乗れる立ち位置なのだが、権力や金で人を揺り動かす事への嫌悪感が強く描かれ、それに屈しない坊ちゃんという人を描いている。
 現実世界では坊ちゃんのように世に理不尽さを感じても、憎い相手に暴行するなど決して許されない行為だ。だからこそ報復感しか得るモノがなくとも悪者をやっつけた坊ちゃんに、どこかにある自分の願望を重ね、読後感がすっきりしてしまうのであろう。
 人間関係はいつの時代も人々の最大の悩みなのかもしれない。そこに組織、権力、金、男女関係などトラブルとなる元はごまんとある。漱石はそうした一般の人々に共通した悩みを表現しているから現代でも受け継がれているのだろう。 坊ちゃんの母とも言える下女の清の存在は、坊ちゃんが帰る場所を表している。揺らぐことのない清の愛情があるからこそ後ろ盾のない坊ちゃんは暴れまくる事が出来たのかもしれない。
  

坊ちゃん読書感想文その2・1746文字

人との和や協調性を保ちながら正義感を持ち続けるには

坊ちゃんというキャラクターは現代では稀な存在に感じます。
本作は発行が明治39年。100年以上前の日本人の感性を知る事の出来る物語です。
とくに人の善悪の基準について感じ取る事ができ、現代ではぼっちゃんそして山嵐のようなまっすぐな正義感は清々しくも珍しいタイプで、現代では赤シャツや野ダイコ、うらなり、マドンナのような人の方が普通の感覚の人とされているように思えます。
主人公坊ちゃんの正直さ短気さは当時も損を呼び寄せる性格で親兄妹にも見切られる孤独な人でもあります。唯一、下女の清や山嵐とは心を通じる事もできますが、理解者は少ない人です。

江戸っ子の坊ちゃんにしたら四国はど田舎なのに加え、教師、生徒、下宿のおやじまでもが根性がひね曲がっていて過干渉で「つまらんところだ」と感じたのです。そんな坊ちゃんの心を感じ取ったからか?生徒たちは執拗にいたずらを繰り返し坊ちゃんを悩ませます。
赤シャツは仕事も恋愛も遊びもバリバリで要領が良く、裏から手を回す嫌なヤツではありますが、着実に目的をクリアしていきます。生徒たちの度の過ぎたいたずらも「穏便に」とか「ヤラれる教師にも原因が?」などPTAや社外対応を意識した現代的な考え方に思えます。赤シャツの「穏便に」はある意味、的を得ている面もあります。
もしかしたら坊ちゃんが最初から持っていた部外者意識が中学生たちや骨董屋のおやじ、赤シャツら同僚教師からの攻撃を引き寄せていたのかもしれません。なぜならば当時月給40円ももらえる中学教師は確かにエリートです。地方都市で東京からわざわざ新任教師を呼び寄せるというのは、学校側としては当初は坊ちゃんに期待をはせていたハズです。坊ちゃんは正義感ではありますが、自分目線な部分が強く周囲の状況を読む解く力は薄かったかもしれません。

またマドンナも、 甲斐性無しのうらなりよりも知性も地位も高く情熱的にアピールしてくる赤シャツに乗り換え、逆に結婚をせかします。うらなりは「イイ人過ぎるから騙される」と言われますが、お人好しでも貧しくても良いとマドンナが思えるほどうらなりへの愛情があれば、赤シャツに目移りはしなかったのでは?と思います。山嵐の言う通り「赴任先は風俗も純朴で心にもないお世辞や美しい顔で君主を陥れるハイカラ野郎はいない」そんな損得勘定をしない優しい世界の方がうらなりには確かに合っているのでしょう。

現代で坊ちゃんのような性格の人が、赤シャツを卑怯者と叫んでもマドンナの心変わりを罵っても「自然の流れで意図的ではない」と言われるのがオチでしょう。まして山嵐と坊ちゃんが腹いせで赤シャツと野ダイコに復習するために、何日も張り込みボコボコにする暴行事件は執拗に計画的でなかなかの重罪と思われます。
ぼっちゃんは初めての社会人生活で自分の居場所を作る事が出来ませんでした。「朱に交われば赤くなる」と言いますが良くも悪くも染まれなかった坊ちゃんと山嵐。主張しない事で朱に交われど塗りつぶされたうらなり。この物語は若者の就職失敗物語なのです。

人にはそれぞれの正義があり、赤シャツもマドンナも恐らく反省することもないでしょう。坊ちゃんは晴れて東京に戻り愛しの清と暮らし始めますが、四国の仕事を紹介してくれた大学校長のメンツを潰し、月給も下がり、清も高齢か?亡くなりほぼ天涯孤独となってしまいます。
己の正義を貫いて、相手を打ちのめした時は爽快なのでしょうが人の倫理観などそう変わるものではありません。赤シャツにしたら暴行されても「被害者である」の一言で何の問題も生じることなく、目障りな坊ちゃん、山嵐、うらなりもいなくなり、マドンナと結婚後も芸者遊びは続けられる環境になりました。痛い思いはしても失うモノはなかったという事です。
もし現代で坊ちゃんから教訓を得るとしたら、己の正義を他人にも認知させるなら、ストレートは避けて、闘志を静かに熱く燃やし続け、好機を待つ方が得となるのかもしれません。
夏目漱石の作人は時代を超え、日本の古典小説として読み継がれるものばかりです。坊ちゃんの竹を割ったような性格は悪人ではないとわかるものの現代で本作から教訓を得るとしたら否定から入らず協調性を持てということかもしれません。

坊ちゃん読書感想文その3・734文字

正しい「正義」とは何か?

あまりにも損得計算のできない坊ちゃんは歪んだ根性の人間が大嫌いだ。
正し「坊ちゃんから見た歪んだ根性」であり、坊ちゃんの正義が世の中にまかり通るものだったのだろうか?という疑問を感じた。
坊ちゃんは、まがった事が大嫌いな正義感でどうも人を白黒ハッキリ分けすぎてしまう傾向があるように思える。つまり人見知りなのだ。赤シャツやうらなりの婚約者マドンナを奪った事、野ダイコの坊ちゃんへの悪口それらへの報復は少しやり過ぎではないかと思えるのです。
確かに2人とも良い奴の要素はなく、計算高く気に入らない奴を貶めるために裏から手を回す赤シャツや、教頭職の権力のある赤シャツにこびへつらう事で人をからかう野ダイコは、人として嫌煙されても仕方がない人物だ。
だが坊ちゃんと山荒も、対立して最終的に力で報復させようとする姿勢はとても大卒の知性のある人間とは思えず、赤シャツや野ダイコの野暮な人間性を笑えないのではないか?と思えてくるのです。
坊ちゃんは良くも悪くも単純で自分目線なのです。
下宿の骨董屋のおやじが毎日骨董品を売りつけようと、しつこくしてくる理由はなぜだ?
うらなりの父が亡くなり、実家が貧しくなったのはうらなりの何に問題があるからか?
マドンナがうらなりを見切り、赤シャツに乗り換えたのはどんな気持ちがあったからか?
強欲さの理由、貧しさの理由、男を見捨てる理由。一言では語れない事情を想像できるほどに坊ちゃんは大人じゃなかったのだなと思える。
正義はいつも心の中の軸として持ち合わせるべきだろう。だが現実はなかなか複雑なのだと理解できなければ、坊ちゃんはお坊ちゃんのままなのかもしれない。
坊ちゃんは教師の武勇伝を書いたものですが「正義を貫けば身を滅ぼす」と言う教訓があるのかもしれない。

坊ちゃん読書感想文その4・746文字

「坊ちゃん」は夏目漱石自身の経験談であるとの説

夏目漱石の代表作の一つ『坊ちゃん』を読むのは何度目だろう?この作品は読むたびに自分の感想が変わる不思議な作品でもある。
この作品の疑問点として坊ちゃんの本名がなぜか明かされないということだ。始終「おれ」で通され、同僚からも名前を呼ばれたことはない。それは夏目漱石自身が教団に立っていたこともあるので、彼の創造物の坊ちゃんというより理想像だったのだろうか?と感じられた。
なぜならば、坊ちゃんの敵である赤シャツや野ダイコのような嫌な奴は現実世界でもいるような奴らだ。聞くところによると漱石はかなり神経質で胃を壊すほどの人物。日常や現実世界でも気に入らない事や気に入らないやつは山ほどいたのではないだろうか?そして坊ちゃんのように後先考えず制裁を食わせられるような行動に憧れていたのではないだろうか?とも思えたからだ。
そして下女の清の存在は作中でも坊ちゃんにとって重要人物だ。遠く東京で坊ちゃんを心配している清の存在は唯一無二の愛情をくれる人だ。一説によると清のモデルは実際の漱石の妻、鏡子と言われている。
親にも呆れられる坊ちゃんが清だけは認めてくれるのは清が慈悲深い人だからか?清自身も坊ちゃんに共感できる思いがあったためか?わからないが信じてくれる存在を信じられるのは羨ましく思った。
だが、赤シャツや野ダイコをやっつけてからも坊ちゃんの人生は続く。清は死にその思い出を胸に街鉄技師となり、四国の赤シャツや野ダイコも教師を続けマドンナも赤シャツと結婚するだろう。
つまり一見正義が勝ったように見える結末も永遠に続くわけではない。世の中は悪がなくなることはなく、生一本の正義感でも世の中は一筋縄にはいかない。そんな世の中の経験談、つまり漱石の教員生活の失敗談だから一人称は「おれ」のみなのかもしれない。

坊ちゃん読書感想文その5・1516文字

「坊ちゃん」は妻・境子へのラブレター説

一説によると『坊ちゃん』は夏目漱石の妻、境子へのラブレターだという説があります。そうなると『坊ちゃん』は新任教師の痛快物語ではなく今までとは全く違ったものとなるのです。
「坊ちゃん」は、正直で短気という性格が故に親兄妹からも距離をとられる家族運の薄い人物です。が、唯一その性質を気に入り可愛がってくれるのが下女の清でした。この清=境子という説は昔から言われていたのですが、そう感じ取らせる理由がいくつもあります。
 漱石は恥かきっ子との理由で「産まれていない子」として生後すぐ養子に出されます。赤ん坊時代からザルに入れられたままほおって置かれ連れ戻されたり、次の養父母は離婚するので漱石は生家に戻るも、戸籍は実父と養父の対立により21歳まで夏目家への復籍が遅れたり、社会人になると養父に金の無心をされるなど、親と言う人にはとことん恵まれず縁のないまま大人になります。
 漱石は境子と見合いの席で「口を覆うことをせず、歯並びの悪さを隠さずに笑う」裏表のない境子に魅かれ結婚します。お嬢様育ちの境子は当時としては珍しく朝寝坊なので夫の出勤を見送らなかったり、新婚生活へのストレスからヒステリーで漱石を悩ませたりなどの悪妻説もあります。
ですが英国留学後の漱石が神経症が原因で鏡子や子供たちにドメスティックバイオレンスを振るい、周囲から離婚を勧められても「今のあの人は病気だから私達に暴力を振るうのです。病気なら治る甲斐もあるのですから、別れるつもりはありません」と漱石という人を諦めませんでした。
境子のこの思いは愛なのか?執着なのか?わかりません。ですが境子自身も風変わりな面もあったので、人間関係のわずらわしさも感じ取っていたのかもしれず、漱石が抱える息苦しさやジレンマを本当に理解し許すことができたのかもしれません。
 「坊ちゃん」は四国に到着早々、その田舎臭さや学校の教師面々にあだ名をつけるなどした事を清に手紙で知らせます。
その後も生徒たちのいたずらに悩み、同僚教師からバカにされ、マドンナをめぐる三角関係に憤怒し、同僚が理不尽に解雇されるなど、坊ちゃんにとってはつまらない腹が立つ事ばかりです。学校で信頼できるのは山嵐とうらなりだけですが、彼らは今この学校という社会での繋がりです。清とは寝食を共にしなくても絶対の信頼でつながっている関係なのです。
 学校でこんなことがあった、あんなことがあったと坊ちゃんが一番聞いて欲しい人は清です。「自分は卑怯な奴は許せないたちでやっつけたいと思っている」「マドンナという女性は結局金で赤シャツを選んだよ」と世知辛い話でも自分の主観や価値観を織り交ぜて話しても、今日一日の話を聞いてもらいたい相手とは、自分を家族のような愛情で向かい入れてくれる安心できる相手だけだと思えます。そこには嘘偽り見栄も計算などない唯一の人が清であり境子なのでしょう。
 漱石は見合いで初めて出会った時から裏表なく腹を割って見せる珍しい女の境子。わがままな理屈を言う事もあるが、漱石の病気という本当の辛さを受け入れる優しさもある境子。夫婦の形で家族になった境子は漱石の実の親よりも養父母よりも、信頼でき、愚痴も言える、妻であり母でもあるような帰れる場所そのものだったのだろうと思えます。
 作中では清が死んでも同じ菩提寺に墓を建てた坊ちゃん。実際は漱石の方が早く亡くなりましたが、神経質の漱石の事ですから境子があの世に行っても一緒にいたいと言いたかったのかもしれません。そのような目線で「坊ちゃん」を読むとなんともこの夫婦関係は羨ましいような、癇癪持ちの漱石と大らかでズボラな境子の夫婦関係に味わい深さを感じてしまうのでした。 
 


坊ちゃんはエリートだった?!
坊ちゃんは四国の中学数学教師に月給40円で採用されます。
この給料の額を現在に換算すると、明治30年頃の物価と、今の物価を比べて今の物価は当時の3800倍ぐらいです。つまり明治時代の1円は、今の3800円ぐらいに相当することになります。参照:明治時代の「1円」の価値ってどれぐらい?より 
当時は、日本経済が発展しはじめたばかりで、物価に比べて賃金の水準は低く、いまよりも、職業によっての所得格差も大きかったようです。お給料が安ければ、それだけ1円の重みも違います。
ですが明治30年頃、小学校の教員やお巡りさんの初任給は月に8~9円ぐらい。一人前の大工さんや工場のベテラン技術者で月20円ぐらいだったようです。
夏目漱石も実際教職をとった経験がありますから、だいたいの給料の感覚はあったはずですが、どういう理由でこんなに高給なのかはナゾです。

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