「ライ麦畑でつかまえて」あらすじネタバレと読書感想文の例文


※本のタイトル『ライ麦畑でつかまえて』は、主人公のホールデンが、妹に別れを告げる際に「ライ麦畑に子供たちがたくさんいるんだ。僕は崖っぷちの危ないところで落ちそうになった子供たちを助ける仕事がしたいんだ。」と夢を語ったそのセリフからとったもの。

こちらでは、サリンジャーの名著「ライ麦畑でつかまえて」のあらすじや、読書感想文の例文を紹介しています。(後半では読書感想文の入賞作品も紹介しています。)

おもに中学生や高校生が、1200字、1600字、2000字(原稿用紙3枚、4枚、5枚)の読書感想文を書く際に、参考にしていただくことを想定して記事を書いています。
 

あらすじ・ネタバレ

ホールデン・コールフィールドはクリスマス直前、成績不良で名門高校の退学になった。
(学業不振で退学処分になったのは、実はこれで3校目)
ホールデンには学校の大人たちはぎまんに満ちているし生徒同士の弱肉強食で誰かを利用したり、教師に媚びたりそんな雰囲気に適応できなかったのです。
歴史のスペンサー先生に挨拶に行っても酷い内容の答案を読み上げられたり、寮のルームメイトのストラドレイターは作文の宿題の代筆を頼んできて、ホールデンの元カノとデートしたり白血病で死んだ弟のプライベートなことを作文に書いたのに内容に文句を付けられ彼女のことで喧嘩になり、殴られて鼻血を出します。
いろいろイヤになったホールデンは退学勧告通知が実家に届くまで数日あり、あわせる顔もないし寮を追い出される前い自分で出て行き、実家に帰らず少しニューヨークで遊んでやることにしました。

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とはいえ、ホールデンは寂しがり屋で人恋しく初日の夜にさっそくクラブに行ってナンパしてみるがすべてうまくいかず落ち込み、仕方なくホテルに帰ると
エレベーター係の男からすすめられ娼婦を5ドルで買ったが来たのにやる気になれず話だけして帰らせた。
するとエレベーター係が「代金は10ドルだ」とぼったくりにかかり、反抗したらまたしても殴られます。

うんざりするホールデンは世の中に対する不信感がつのります。ホールデンはウソを憎み真実を愛しているつもりですがその一方ハビースモーカーで、未成年なのに酒を飲み悪い雑誌を買いに行くのにウソもつくという幼稚な矛盾を持ち合わせ、他人にウソで見栄を張るくせに他人からの虚偽を憎むのです。

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翌朝、ホールデンはガールフレンドのサリーとデートの約束をします。朝食中、感じのいい二人の尼僧と隣り合い『ロミオとジュリエット』について話し感動したので10ドルを寄付します。その後、道で子供が歌う「ライ麦畑で誰かが誰かを捕まえたら(If a body catch a body coming through the rye.)」を聞き、利益追求の人々に辟易し生きづらさを感じ無欲に生きている人の世界の住人に自分もなりたいと、考えます。

サリーとブロードウェイでラント夫人の演劇を観てまた役者や観客のぎまん的な様子に辟易します。
ホールデンとサリーに突然「今から結婚して田舎で自給自足の生活を送ろう」とプロポーズしますがまったく相手にされないので「スカスカ女」と言うと激怒され別れました。
次に高校で指導係だったカールと会って話してまたケンカになり更に落ち込み一度、実家に帰って妹のフィービーに会うことにしました。

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家に帰ると両親は出かけており、妹のフィービーと2人きりで再会できました。
退学になったことにフィービーは「世の中のことすべてが気に入らない」のねと言う。
ホールデンはショックをうけましたが自分がなりたいのはライ麦畑で遊んでいる子どもたちが崖から落ちそうになったときに捕まえてあげる「ライ麦畑のキャッチャー」のようなものだと言います。

「とにかくね、僕にはね、広いライ麦の畑やなんかがあってさ、そこで小さな子供たちが、みんなでなんかのゲームをしているとこが目に見えるんだよ。何千っていう子供たちがいるんだ。そしてあたりには誰もいない――誰もって大人はだよ――僕のほかにはね。で、僕はあぶない崖のふちに立ってるんだ。僕のやる仕事はね、誰でも崖から転がり落ちそうになったら、その子をつかまえることなんだ――つまり、子供たちは走ってるときにどこを通ってるかなんて見やしないだろう。そんなときに僕は、どっかから、さっととび出して行って、その子をつかまえてやらなきゃならないんだ。一日じゅう、それだけをやればいいんだな。ライ麦畑のつかまえ役、そういったものに僕はなりたいんだよ。馬鹿げてることは知ってるよ。でも、ほんとになりたいものといったら、それしかないね。馬鹿げてることは知ってるけどさ」

両親が家に帰ってきたため、ホールデンは妹に金を借り見つからないように家をこっそり抜け出しました。

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夜中でしたが、かつての高校の恩師であるアントリーニ先生の家に泊めてもらおうと訪れます。
先生はホールデンを心配し助言をくれましたがホールデンは強烈に眠くなりカウチで眠りにつくとアントリーニ先生がホールデンの頭を撫でていて先生に

ホイールデンは考えます
「そもそも人間不信の原因は何であったか」
「人間が人間に働く悪事の元凶は何だろうか”。
その答えは「言葉」だと思いました。
言葉があるせいで、人は人を利用し無垢に生きることができないのだ、という結論ホールデンは、己の憧れる純粋無垢な世界で生きるために、田舎でろうあ者のふりをして暮らして行こうと決意します。

翌朝、妹に別れを告げるためにもう一度会いに行くと「ホールデンに付いていく」と泣き出します。
妹がいう事を聞かないので、険悪なまま動物園に連れていき、回転木馬に乗った妹を見ているとホールデンは強い幸福感を覚えました。
「この幸せをみすみす逃す必要があるのか?」とホールデンは自問します。そしてホールデンは家出をやめて家に帰ることにしました。


ホールデンにとって「社交辞令」など、大人の世界のルールは嫌悪の対象でしかなかった・・
 

「ライ麦畑でつかまえて」読書感想文の例文

「ライ麦畑でつかまえて」を読んで①

思春期にありがちな子供の頃の夢と大人の世界との衝突、そして、その境目に立つ若者のどちらにも入りこめない不安定さ。そんないつの時代にも、どこの世界にも存在する不可避的な葛藤を、この作品は一冊の中に凝縮させていた。

ホールデンは、自分が出会う「インチキなもの」、「いやらしいもの」に対して、嫌悪感を覚え、侮蔑さえも示す。そしてその価値基準というものは、大人と子供の中立的立場にある彼にとっては、非常に微妙なところにあったのだと思う。それはいうなれば、精神的な下劣さ不潔さといったものを、感覚的に感じとり、反射的に反発する、という極めて不安定なものだったと思う。

そのため、この作品の題名にもなっている、ホールデンが唯一なりたかった「ライ麦畑のつかまえ役」とは一体何だったのだろう。大人が一人もいなくて、子供が何千人といる、そんなライ麦畑でのつかまえ役。あぶない崖のふちに立って子供をつかまえるつかまえ役。

私が思うに、その「崖のふち」とは、子供と大人との境であって、子供たちというのは、彼の中の夢、あるいは大切にしたい価値観ではないかと思う。つまり、子供の夢がすべて大人の現実に吸収されてしまおうとするのを止める、そんな彼の大人の世界を嫌悪する思いを比喩的に表現したものだったと思うのだ。

そのような彼の純粋な心と、大人の社会の矛盾を、ホールデンという主人公の心の葛藤として描いた作品だったと思うのだが、この作品特有の口語調の語りかけや、物語の展開などがあいまって、名作と呼ばれるにふさわしい内容になっている。

常識、道徳という仮面をかぶった大人。ホールデンはその偽善的な仮面を破って彼らの偽善性をあばこうとする。しかし、ある程度は見抜けても、いわゆる”世渡り術”を十分身につけていない彼が、大人が作り出してきた世界を理解することは出来なかった。そこに彼独自の一つの世界が形成されたのだろう。

「幸運を祈るよ。」この一見何でもない、そして誰もがいいそうな言葉に、ホールデンは,僕なら誰にだって言うもんか。と抵抗を感じている。幸運というものが何であるかもわからずに、また祈りもしないのに、さも相手の事を考えているように口に出す無神経さへの怒り。

考えてみれば、本当にインチキくさい言葉だ。彼のこういう感覚に私は次第に共感を覚えていった。それがインチキな共感でないことを願いつつも…。

ホールデンは、子供に対しては、全身的共感を示している。いつだって、参って、しまうのだ。と同時に、精いっぱい大人らしくふるまおうとしたりするように、成熟・大人などに憧れる、というような一面も持っている。

そしてさっきは、「幸運を祈る」という言葉に抵抗を感じていた彼が、生きていくためには「お目にかかれてうれしい」と、うれしくもなんともない時でも、言わなければならないとあきらめている。

ここには確かに矛盾が認められるが、この矛盾こそ彼の不安定な立場を象徴していると思う。一方で大人を嫌悪し、また一方で背のびをして大人の世界に入りたがっている。ホールデンの外見的な姿―頭の半分だけが白髪で一杯ーは、彼のこの夢と現実との間で模索する彼の精神状態を、象徴的に表していると思う。

彼は美意識の人間だ。彼の批判の根底にあるものは好悪の感情だけである。時には、自分の無垢を守るために相手を傷つけてしまうことすらある。そういう彼は、自分の美意識を社会・現実からの要求よりも優先させてしまうため、周囲には、反逆者”として映る。

そのため彼の周囲には、彼の美意識を満たしてくれるもの、彼の内心の構造を理解してくれる人はなかった。ついに彼は、誰も知っている人がいない土地に行って口や耳の不自由な人のふりをしようと考える。私は、たまらなくなってしまった。普通、誰が一体そんな事を考えるだろう。

しかも、あまりにも消極的すぎる考えではないか、そんな気がした。でもわかる気がした。たぶん彼は、ばからしいインチキな会話がいやになり、自分の世界を維持しておきたかったのだろう。

子供にとっては、大人や現実の世界が、夢を否定し、それを殺そうとする力が強ければ強いほど、それに対する反発力は、大きいものとなっていくだろう。それは、大人の世界を少し垣間見た青年の場合は、更に顕著であるだろうと思う。

社会に対する、そして自分に対するいらだち、その間での葛藤。現代社会において、大学などの上級学校への進学者が圧倒的に多くなっていることは、一層この中途半端な時期を延ばしていると思う。

しかし、この時期でしかつかむことの出来ない大切なものも多いだろうと思うのだ。はっきりとは言えないが、自我を確立していく上でこの時期に自分が感じ取ったことは、そのまま自分自身に反映するのではないかと思う。

この作品は、私に十代初めのころの純粋な疑問を思い出させてくれた。それは、大人になるにつれ「そんなもんだろう」と疑問にしなくなった「純粋な頃の私」の疑問である。

大人になるとはどういうことなのか。社会、常識って何だろう。そんな事を改めて感じるようになった。ホールデンがまだつかみきっていないように、本来私も、疑問に持つべきものだったかもしれない「それ」に、正面から向き合いさえすれば、私という人間の深い部分の「思想」が確立されたかもしれない。本書はそのような「懐かしく大切な疑問」を私に思い出させるキッカケをくれた作品であった。(2210文字)
 

「ライ麦畑でつかまえて」を読んで②

       完成次第、追加掲載いたします。
 

入賞作品紹介
「ライ麦畑でつかまえて」読書感想文 入賞作品
    (PDF形式 18ページに掲載)

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