カミュ「ペスト」読書感想文の書き方と例文【動画解説つき】

新型コロナウィルスの蔓延で、現在世界中でベストセラーになっている70年前の本「ペスト」

いつ読むの?「今でしょ!」

こちらでは、アルベール・カミュの「ペスト」を題材に読書感想文を書こうとしている人のために、「ペスト」のあらすじや、参考にしていただけそうな 着眼点の例、感想文の例文などをご紹介しています。

おもに中学生高校生が、1200字1600字2000字(原稿用紙3枚4枚5枚程度)の読書感想文を書く際に、参考にしていただける内容にしていますが、大学生や社会人の方もご活用ください。


この本は、70年前に書かれたものではありますが、今、誰もが感情移入しながら「自分自身の現在の問題」として読むことができる内容でですから「社会政策の在り方」「災害時のあり方」などを考えるための本として「格好の一冊」といえます。

~~目次~~~~~~~~~~~~~~~
「ペスト」早わかりYouTube動画
「ペスト」あらすじ
ここがポイント!着眼点の例
「ペスト」読書感想文の例文【2作品】
書きやすい読書感想文の構成の例
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「ペスト」早わかりYouTube動画

中田さんの解説動画を見れば「ペスト」についての要点がスンナリ入ります。感想文を書くためのポイントもつかめます。この動画を見れば「ペストの感想文を是非まとめてみよう!」という気持になるはずです。

■板書


 
その他、YouTube上には、NHKの「100分de名著」での特集「ペスト」の動画がUPされています。お時間のある方は、そちらもご覧いただければ、感想文のネタ集めに役立つでしょう。

YouTube NHK100分de名著『ペスト』の検索結果


 

「ペスト」あらすじ・・・

こちらは、あらすじを「5分」で解説した動画になります。
(再生速度を1.5倍ぐらいにして聞くとよいでしょう)


 
以下「登場人物」を明確にしつつ「あらすじ」をまとめてみました。

一九四〇年代。アフリカ大陸の北部、アルジェリアのオランで医師ベルナール・リウーは一匹の鼠の死骸につまずく。その後日増しに死んだ鼠が街のあちらこちらで目撃されるようになる。

市民は原因の分からぬ大量の鼠の死に不安を抱き、またラジオや新聞の報道によってさらに混乱状態へと陥る。それから高熱、リンパ腺の腫れ、皮膚の黒い斑点といった症状の後、数日で死に至る「謎の流行病」が市民に襲い始めた。

市は問題に対し適切な対策がとれず非難を受ける。しかし解決に至らないのは、この問題が科学力の限度を超えた「ペスト」によるものだったからだ。

■医師 ベルナール・リウー(療養所に病気の妻がいる)

当局は、中世にヨーロッパの人口を三分の一に減少させたペストの再来の事実をなかなか認めない。衛生管理の徹底によって謎の熱病は根絶できるものと信じて疑わなかった。その中あって医師リウーは、熱病をペストといち早く確信し、ペストとの闘いを決意した。

そうこうしている間に、死者の数はみるみる増えた。ようやく当局は熱病をペストと認定し、オランの街は完全閉鎖された。閉鎖によって人々の行来は絶たれ、手紙のやり取りさえペストの媒介につながると考えられ禁止された。

■新聞記者 ランベール(妻はパリにいる)

一時的にオランに滞在していた新聞記者ランベールも妻をパリに残したまま、ペストの蔓延するオランの街に足留めされてしまう。ランベールは犯罪者コタールを介して街を脱出しようとするが失敗する。ランベールは脱走を試みる過程で、リウーと口論になる。

個人の幸福を重んじ脱走という選択肢を取ろうとするランベールと、ペストに冒された他者のため献身的に治療を行うリウー。リウーが脱走の便宜を計らうことを拒否した際「公共の福祉の前に個人の幸福があること」を信じるランベールは、リウーの考えを「抽象の世界」にいると指摘する。(ここでいう「抽象」とは一体どういう意味なのかを自分なりに考え、解釈を述べることも感想文の一つのポイントになります)

当初はリウーの姿勢に理解を示さなかったランベールも、リウーがオランの街から数百キロ離れた療養所に病気の妻を残したままであることを知り、保健隊に加わり、ほとんど休むことなく献身的に働き始めた。

※別の場面でリウーが述べることを引用すれば、リウーにとってペストとは「際限なく続く敗北」であり、人間を支配する逃れようのない死の化身であった。だが敗北にもかかわらず、それが闘いをやめる理由にならない。闘い続ける対象がペストである。

ランベールは対照的に、スペイン内戦で人民戦線側についた自身の経験を振り返り「観念」のために死ぬことに嫌気かさしていると語る(この「観念」の意味を述べることも感想文に使えます)

■密売人 コタール

ランベールは、コタールの協力を得てオランの街を抜け出そうとするが、いつも後少しのところで上手くはいかない。世の中がペストへの対処でてんてこ舞いの状態であり、自分に警察の手が回らなくなった悪人のコタールだけは、そんな世の中を喜んでいる。

■司祭 パヌルー

司祭パヌルーは、ペストを人々の驕り(おごり)に対する神による災禍と見なした。神がベストを人々にもたらし、過ちを悔い改めることを望んでいると教会で信者に対し説教する。ペストと闘うリウーに対し、パヌルーはペストを神の意向として受け入れていた。パヌルーの説教の後もペストによる死者の数は後を絶たない。

■外から来た人 タルー(死刑反対論者)

新聞記者ランベールと同じく外部からの人であるタルーは、医師のリウーに保健隊に加わりたいと志願する。もはや関係者だけでは圧倒的な数のペスト患者に対し人手が足りないからである。タルーの父は検事であり以前、被告人を死刑へと落とし込む父を見て心の葛藤に苦しむ。

■下級役人 グラン

年老いた役人のグランは、さえない風貌の下級役人という立場だったが保健隊に賛同し志願してからは、みずからの役割を淡々とこなし保険隊の中心的な立場で活躍をみせる。

■老医師 カステル(血清をつくる)

先の見えないペストとの闘いのなか、老医師カステルによって血清かつくられる。

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6月に封鎖された街は、すでに10月の下旬にさしかかっていた。カステルによって作られた血清は助かる見込みの薄い、末期状態の少年に試みられた。リウーをはじめ保健隊員一同、固唾を呑んで少年の経過を見守る、その中には司祭パヌルーの姿もある。

結局少年は余計に長く苦しんだのち、息を引き取った。この罪のない少年の死は、司祭パヌルーを大きく変える出来事となる。バヌルーも保健隊に加わり、命の危険も顧みずペストの最前線に身を置き、患者の死を看取る場面もしぱしばあった。

またパヌルーの信仰についての考えも変化する。第二回目の説教でパヌルーは、第一回目の説教で述べたことは依然として真実であるが、そこに慈悲の心が欠如していたことを自責する。そしてペストが無差別に罪のない子供でさえも苦しめるように「この世の中には神の行いについて解釈不能なものがある」と語る。だが、それに対し神を信仰する者は、解釈を試みてはならない。そこから学べることを学ぼうと努力するべきである、と考える。

神を信ずる者にとって選択肢はただ二つ、すべてを信ずるか、すべてを否定するかのみである・・・と説教の参列者に述べた。パヌルーは解釈のなしえない、ペストがもたらす死の災禍をそのまま受け入れたのであった。その後パヌルーは病疫におかされるが、治療を拒み死んでいった。(この病疫がペストであったかは「分からない」としているところが作品の深みでもある)

11月の終わり頃、あまり自分を語らなかったタルーが、リウーに初めて自分の過去の話を明かす。タルーはオランの街でペストに見舞われる以前からペストに苦しめられていたという。それはペストになぞらえた「不条理な社会」による人間の抹殺、死刑制度についてのタルーの闘いについてであった。

検事である父親が論告によって一人の犯罪者を死刑に追いやった場面に遭遇して以来、タルーは人々にはびこった死刑制度への無関心が、裁かれるものに死をもたらすと信じ、抵抗運動を続けてきたという。それはリウーのペストヘの闘いと類似していた。目の前にある悲惨な現実に眼をつぶらず、人間としての理念のために闘うタルーとリウーだった。

年が明け、一月の下旬になるとペストの猛威が下火になってゆく。次第に街は活気を取り戻し、閉鎖の解除を今か今かと待ちわぴる。そんな最中、ペストは最後にタルーの命を奪ってしまう。それに続きリウーは妻が療養所で死んだことを電報によって知ることになる。

2月のある晴れた朝、オランの街がついに開放された。ランベールは駆けつけた妻と固く抱き合う。街はお祭り騒ぎとなり、開放の喜びに酔いしれる、しかしペストによって愛する者を奪われた人々にとって、ベストはまだ終わっていなかった。

死者の思い出は生き残った者から去ろうとはしないペストか蔓延していたり中は、街の閉鎖の最中にあって人々は外界から閉ざされ追放感にさいなまれはしたが、解放後のオランでは、家族や友に去られた生存者が喪失感に心を閉ざしていた。人々の勝利とみられるペストの終息宣言も、一時的なものであることが、この物語の最後に付け加えられている。

ペスト菌は完全に死滅することなく、数十年の間ひっそりと休眠し生存し続けることができるのだ。いつかまたペストが人々の前に現れ、不幸と教訓をもたらす日が訪れるのかもしれないと・・・。
 
※『ペスト』は、第2次世界大戦時にドイツ軍に占領されたフランスの姿を暗に示した作品だといわれています。「ペスト菌が決して死ぬことも消滅することもない」というのは、ナチスが崩壊しても、それと同じようなものが再び現れることへの警鐘を鳴らす作品と考えられています。 
 

     
    以下のような着眼点を参考に自身の考え方を述べてみるのはいかがでしょうか?

    作品中の登場人物の言動と、新型コロナウィルスに侵された現在の社会での「迷惑な行動」などを照らし合わせながら、緊急時の人間にとってあるべき姿について考えを述べるのもよいでしょう。物語の中でのエピソードと現在の実社会での出来事との両方を紹介することで2000字程度の分量なら容易に埋まるでしょう。

    この本を読んで、自分の課題を「自分」の課題としてのみ考えるのではなく「社会の中にある自分」の課題として「全体を意識した判断をすることの大切さ」に気づかされたこと、つまり「社会性への目覚め」や「思考の拡大」が得られたことへの感動を伝える感想文を書くのもよいでしょう。

    ※「自分中心の判断」→「相手のことも考慮に入れた判断」→「相手のみならず社会のことも考慮に入れた判断」→「現在の社会のみならず世代を超えた未来の社会も考慮に入れた判断」・・といったように、人間的成長とは、自分から自分以外の対象に考慮する対象(考慮できる対象)を広げていく過程だからです。また、人間的成長とはこのようなことではないか?と、この本を読んで考えるようになった、という内容の感想を書くのもよいでしょう。

    『ペスト』を読んで、はじめて「社会政策」のあり方や「政治」への関心が湧いたこと、自分が思う理想的な社会政策とはどのようなものかなどを述べる感想文もよいでしょう。

    ※ペストでない事の診断書を書いて欲しいとランベールにお願いされたリウー医師でしたが、リウーに職業への「誠実さ」があったが故に、それを拒否できましたが、このような「違法行為への懇願」は現実社会でも往々にしてあり得ることです。そのような事態を発生させないための制度のようなもの(医師と患者は決して二人きりでは面談してはならないなどのルール)を自分なりに感想文の中で発表するのもよいでしょう。その場合「予防に勝る対策なし」という言葉があるが・・・など、名言を感想文の書き出しに使い文章をはじめると、その内容への導入がスムーズです。

    ペストに対する街の政治家の姿勢は、世界各国の新型コロナウィルスへの対処が遅れた原因と通ずるものがありました。またペスト発生の告知もごく小さなものでした。この点に注目し考えや対策の在り方を述べるのもよいでしょう。

    「公共の福祉の前に個人の幸福があること」を信じるランベールは、誠実な医師リウーが脱走の便宜を計らうことを拒否した際、リウーの考えを「抽象の世界」にいると批難しますが、ここでの「抽象の世界」とはどのような意味かを述べる。

    密売人のコタールは、ペストの蔓延した状態を、自分に警察の手が回らなくなることで喜んでいますが、著者のカミュは、どのような意味でこの登場人物を表したと思うか、その点を感想として利用する。ペストは人間の善悪に関係なく無差別で、見方を変えれば平等な存在という不条理の象徴と捉えることもできます。

    年老いた役人のグランは、さえない風貌の下級役人という立場でしたが、保健隊に賛同し志願してからは、みずからの役割を淡々とこなし保険隊の中心的な立場で活躍をみせました。このグランというキャラクターを、著者のカミュはなぜ置いたのでしょうか。おそらく、災害時には、この「自分が今できることを淡々とこなすこと」が、人として立派なことなのだということを感じてもらうためだったのではないか・・・という切り口で「人間の立派さとはなにか」について深堀してみるのもよいでしょう。

    タルーの父は検事であり以前、被告人を死刑へと落とし込むのを見て心の葛藤に苦しむことになりました。「心のペスト」を持つタルーですが、この点について深堀して考えを述べるのもよいでしょう。

    ペストが収まりオランの町に日常が戻ってきた矢先、リウーの妻は「結核」で亡くなってしまいます。物語の中で最大の不条理と思える場面ですが、この部分を読んでどのように感じたかを中心にする。

    医師の妻でありながら結核を患うという不条理。夫婦が離ればなれになることで、ペストの危機を回避したというのに「結核」という一般的な病で死んでしまった不条理。不条理とは責任なき不運、善悪の行いに関係なく訪れる現象、宗教観と現象との中に因果関係がないこと・・さまざまな考え方、定義づけができますが、この部分を引き合いに出しカミュの文学のテーマである「不条理」について、あなたの意味を感想文の中で語るのもよいでしょう。司祭パヌルーが「この世の中には神の行いについて解釈不能なものがある」と語ったが、それも不条理についての一つの意味の表現です。

    司祭パヌルーは、ペストと信仰心の薄れを関連付けようとしましたが、宗教と感染症の拡大については、新型コロナウィルスが韓国で広がった経緯と被るものがあります。その点に言及し、社会政策としての法と宗教への考えかを述べるのもよいでしょう。

    『ペスト』という作品は、第2次世界大戦時にドイツ軍に占領されたフランスの姿を暗に示したものだといわれています。よって、作品の最後での「ペスト菌が決して死ぬことも消滅することもない」という言葉は、ナチスが崩壊しても、それと同じようなものが再び現れることへの警鐘と考えられています。この点に触れ「感染症」と「思想」の共通点について考えを述べるのもよいでしょう。その際、思想については、現代の「マスコミ」や「SNS」などの登場を絡めると思索に広がりがでるでしょう。

    「人類と菌やウィルスとの関係」は「人類と思想との関係」と共通点があることについて、事例を通して述べる。

    話の広げ方の一覧

 
学校などの教育機関が与える課題は「教育的成果」を期待してのものです。そのため、教育機関からの課題としての読書感想文を書くにあたっては「どのような学びを得ることができたか」を感じ取れる感想文にすることが大切です。

つまり、教育機関からの課題としての感想文は・・

感想文を書きなさい=どのような学びが得られたかを書きなさい

 
・・の意味だからです。そのような方向性(どのようなことが勉強になったか)を意識して、伝える内容や構成を考えてみましょう。
 

カミュ「ペスト」読書感想文の例文【2作品】

以下に感想文の例文をご紹介いたします。文字数は中途半端ですが「書き方」「着眼点」の参考にしていただければと思います。
 

これは便利!テキスト入力を原稿用紙に変換できるサイト
原稿用紙エディター

カミュ「ペスト」を読んで①

ペストによって、突然閉鎖された町には、死に直面した極限の状態があった。死と対決し逃げ出すことすら禁じられた町の中で人々は、どのように行動したのか・・・。
読書感想文の書き出し例(入賞21パターン)

この作品は、ペストとう病が蔓延した都市において、人間がどのような考えをもち、どのような判断し、そして、その判断がどのような結果をもたらしたかを知ることを通じ、感染症の惨禍に見舞われた社会における人間の「あるべき姿」を考えさせる作品であった。

私には、この作品はあたかも、新型コロナウィルスに苦しむ現代人へのカミュからの問題集のように思えてならなかった。

作品の中では、別離を強いられた親子、友人、恋人たち。いつ果てるとも知れない死との闘いの中で、彼らは互いに信じ合ってきたきずなが、いかにもろいものだったのかを知る。

ペストに神の懲罰を見い出し、人々に罪を悔いよと説く神父の迷い。生まれたばかりの幼子にすらも、つかみかかる死。もしこれが懲罰であるならば、この幼子の死はいったい何なのだろうか。

激しく変化する人々の中で、最も強く心をひかれたのは、偶然この町に来ていた若い新聞記者、ランベールの変貌であった。彼があくまで追求せんとしたのは、個人の幸福、すなわち自分だけの幸福だった。幸福を犠牲にするほど価値のあるものはない、という信念のもとに、ペストの町からパリの恋人のもとへ脱出する為の工作を続ける。

私は初め彼の中に現代人の典型を見ていたような気がする。彼は一言、言うのだ。「僕が心ひかれることは、ただ、愛するものの為に生き、死ぬことなのだ。」しかし、愛を貫くが為に、町脱出に全力を傾けていたその間、ある意味で恋人のことを忘れていた事に気付いた時、ランベールは、真に愛するという自分の心が純粋ではありえないことを知るのだ。

人は何かを切望し、それを達成する手段に熱中するあまり、時として、その真の目的を忘れる。人は愛に純粋になりえない。その事が彼を大きく変化させる。

目的が絶対であるならばその過程において何を踏みにじっても許されるのであろうか。犠牲にしたものすべての暗い影が、その愛に永遠のかげりを落とすのではないだろうか、と気付いた彼は自ら、目の前に差し出された脱出のチャンスを放棄したのだ。

そして幸福を選ぶことを恥じる必要はないという助言に対して彼はこう答える。「自分一人が幸福になることは恥ずべきことかもしれない。」選択の問題ではない。他人を見殺しにし、踏みにじって手にする幸福とは、もはや幸福ではありえない、という最も人間的な結論をこの若き新聞記者は手にしたのだ。

それでもなお、幸福、二度と与えられないかもしれない愛の時への断ちがたい心を、このように訴えずにはいられないのだ。自分の愛するものから離れさせる値打ちのあるものはこの世にはありはしない。しかし、それでも僕はやっぱりそれから離れているのだ。なぜという理由もわからずに。

この「なぜ」には人は答えることはできない。なぜなら、この「なぜなら」を持たずに人は生まれ、そしてその理由を見つけたい、理解したいと願いつつも、人の理解を越えた出会いをかさね「なぜ」という疑問を抱きつつ、愛し、悲しみ、喜び、やがて、行きつく先の死に向かって事みつづけるからなのだ。

人間はこの必然として与えられた死を、この上もなく恐れ生き続けてきた。哲学も文学も、科学もそして宗教も、この外への恐怖を忘れ、あるいは、それと闘うために生まれたと言ってもよい。人はそれがさけがたいものであるのを知るがゆえに、できるかぎり死を忘れて現在の中に生きようとするのだ。

カミュは我々の前にペストという形ある死をつきつけた。そうなって初めて人は生を考え始める。愛、幸福、神、真理、それらは死の中にさらされて、真実の光をはなちだしたのだ。なぜ、すべての人は死なねばならないのか。この問いに、神も理性も答えてはくれない。我々にできることは、それでもなお、生きることだけなのだ。

ペストが終息し、町が解放された夜、人々は歓喜に酔う。その喜びの声の中で、終始黙々と治療を続け、ひたすら人間の生命を長らえることに全力を傾けてきた医師は、人間の中には軽蔑すべきものよりも賛美すべきもののほうが多くあるのだと言い切る。

人はなぜ生きるのか。人間は自らの存在の証明として、常にこの問いをかかげて歩んできた。人の生は有限である。そしてその限りの果てが「死」である。一人の生命。長い歴史の流れの中で、まばたきの一瞬とも等しい一人一人の生命を我々はなぜ生きるのだろう。

カミュはこの作品を通し、人間が必然の死から必然の生をしっかりと掴みとれることを我々の前に示しているのだ。それならば、我々にはその生をかみしめて行く道しか残されていない。表裏一体の歓喜と絶望、生と死、愛と苦しみを、どちらも抱きしめて行く以外、道はないのだ。

この作品はカミュから読者への鋭い警鐘であるとともに、熱い期待をこめたエールにほかならない。そのように思えてならない。(2035文字)
 

カミュ「ペスト」を読んで②

「人生が無意味なものであるとしたら?」・・・そのような仮定は、どうにも私には受け入れ難い。これまでの私は、一体何のために生きるのか、何をするために生まれてきたのかといった「人生の意味」「存在の理由」を知りたいと願っていた。

自分がこの世に存在する理由が分からないことが不安で仕方がなかった。人間は誰しも自分自身の生にその「意味」を要求するものだと思う。

「死」が個人の生を無意味なものにするなら「生きる」とはあまりにも不条理な行為である。「生きる」とは、断じて「死」によって無意味になるような行為であって欲しくはないからだ。

死が不可避であることを知りながらも、私たちが自分自身の「生」の意味を問い続けていくのは何故だろうか。それは「無意味」という不条理を認めず「生きることは価値あることだ」との確固たる意味づけを求めてやまないからではなかろうか。

ペストが蔓延したために閉鎖されたオランの街に住む医師、リウーは献身的にその治療にあたる。しかし、ペストと戦うリウーの前に患者は次々と死んでゆく。その懸命な努力にもかかわらず、彼には誰ひとりとして救えないのである。ペストという病気の前に、その治療は無意味な行為であるように見えた。しかしリウーは力強くこう言う。

「僕は自分自身で敗北者の方にずっと連帯感を感じるんだ……僕が心をひかれるのは人間であるということだ。」

その敗北を知りながらも彼が戦い続けるのは何故だろうか。リウーの協力者タルーは次のように言う。「誰でもめいめいに自分のうちにぺストをもっているんだ。何故かと言えば、誰ひとり全く誰ひとりその病毒を逃れているものはないからだ。」

「ペスト」が象徴しているのは「死」であろう。それはすべての人間が根元的な敗北と不条理の条件として与えられていると思いこんでいる対象である。だからこそ、リウーにはきっとその一見無意味な努力にこそ、どこか人間であるという実感を確かなものと感じられたのだろう。

もし神がこの世にあるならば、私たちの祈りに応えないのは何故だろうか。それは人間に自分自身の力で、その生を生ききる義務があるからではないか。だからこそリウーは神に救いを求めない。

作者カミュはどうして「ペスト」を書いたのだろうか。彼のように、どこか冷めた性格の人物ほど、きっとこの不条理な生に、人知れず煩悶しているはずである。彼が書きたかったのは、この矛盾だらけの人生に対する言いようのない虚しさや愛しさであって、単純に人生を無意味なものと定義づけるというニヒリズムではないのではないか。

それは無意味な生からの「逃避」ではなく、むしろ彼なりの「反抗」であり「生への強い肯定」だと私は考える。

私も心のどこかに「生」=「人生」に対する虚無感を抱いてきた気がする。私はそのことを認めるのが怖かった。それに気づくことが私を後ろ向きにするかもしれないことを恐れたために、ずっと栓をしてきてしまったのだ。しかし、本書を読み終えた今「人生の意味を問うこと」が大切なのではないと確信するにいたった。

人生に伴う苦しみを覚悟しつつ「いかにして人生を、未来を生きるべきか?」このように問うことこそが、自分に対する「正しい問いかけ」だと気づいたからだ。言い換えれば「意味を問うことに意味はない」あるいは「意味を問うことでは人生を肯定する結果は決して得られない」・・そのような考えに至ったのだ。(1340文字)
  
 

書きやすい感想文の構成の例(書き方の順序)

書きやすくまとめやすい標準的な読書感想文の構成例をご紹介いたします。

感想文は、自分の思いや考えを順序だてて「説明するもの」だと思えば比較的楽に書けるものです。「なぜこの本を選んだのかの説明」「なぜ、そこでそう感じたのかの説明」「この本を読んで自分の考えにどのような変化があったのかの説明」・・・このように各パートごとに理由やエピソードをまじえて「説明していくもの」と考えれば、それほど抵抗なく原稿が書けるはずです。

①なぜこの本を選んだのかの説明
②大まかな内容を手短かに説明
③特に気になった箇所やフレーズを紹介(1)
 なぜ気になったのか最近の出来事や自身の思い出とからませて説明
④特に気になった箇所やフレーズを紹介(2)
 なぜ気になったのか最近の出来事や自身の思い出とからませて説明
⑤特に気になった箇所やフレーズを紹介(3)
 なぜ気になったのか最近の出来事や自身の思い出とからませて説明
⑥著者がこの本を通じ伝えたかったことを想像し考えを書く
(伝記の場合はその人のどの点が立派だったのか)
⑦この本を読む前と読んだ後とでどのような考え方の変化があったか
 この本によって発見したことや反省させられた点など「本からの学び」を説明
 

順序だてて説明すればよい
     

    読む前の説明→ 「この本を選んだ理由」「読む前の私」「本の概要」などの説明
    読書中の説明→ 読んでいる最中に「感じたこと」「思い出したこと」などの説明
    読書後の説明→ 「学んだこと」「反省したこと」「読んだ後の私」などの説明

 

【最重要ページ】感想文を書くにあたっての「コツ」「構成」「話の広げ方」などの詳細は下記のページに掲載しています。気になる審査基準も掲載!

読書感想文の書き方のコツ
(テンプレートつき)

 

「人類と菌やウィルスとの関係」は「人類と思想との関係」と似たようなものである

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