「夏の庭」あらすじと読書感想文の例文【大特集】
こちらでは、湯本香樹実さんの名作「夏の庭―The Friends」の読書感想文を書く人のために、この本のあらすじや、参考していただけそうな感想文の例文ご紹介しています。
おもに中学生や高校生が、1200字、1600字、2000字(原稿用紙3枚、4枚、5枚)の読書感想文を書く際に役立つことを目指し掲載しています。
~~目次~~~~~~~~~~~~~~~
「夏の庭」あらすじ
読書感想文の書き方【例文】
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「夏の庭」あらすじ
「夏の庭」の考察動画
『夏の庭』は、小学6年生の木山が、友達の山下と河辺と共に、町外れに暮らす老人の最期を見守る心温まる物語です。物語の始まりは、山下が祖母の葬式で学校を休んだことから。この出来事がきっかけで、3人は「死んだ人はどうなるのか」という疑問を持ちます。
ある日、河辺が耳にした噂話から、彼らは一人で暮らす老人の家を訪れることに。老人の家は荒れ放題で、外壁は半分剥がれかけ、窓ガラスは新聞紙で補強されていました。その家の周囲には、使われなくなった漬物桶や新聞紙の束、ゴミ袋が山積みになっていました。
3人は、老人が弁当を買うために時々近所のコンビニに出かける様子を観察するようになります。ある日、彼らが老人の庭に積まれたゴミ袋を片付けようとしているところを老人に見つかります。これがきっかけで、老人への「見張り」が始まりました。
最初は互いに疑い合うような関係だったものの、次第に彼らの間には交流が生まれ、老人も元気を取り戻し始めます。3人は老人の手伝いを始め、家の修繕や外壁のペンキ塗りにも取り組みました。作業後は一緒にスイカを食べるなど、次第に親密な関係になっていきます。
庭には雑草が生い茂っていましたが、子供たちはコスモスの種をまきます。種屋のお婆さんが薦めたコスモスは、秋になると庭一面に美しく咲き誇ります。
ある日、おじいさんに戦争の経験について尋ねます。おじいさんの回答は、戦争が人々にもたらす悲惨を教えてくれました。戦争による心の傷が原因で、おじいさんは奥さんと別れ、長い間孤独に生きてきました。
本作では、終始「死」について書かれているものの、登場人物たちの家庭環境などについても描写されており、それぞれの家庭に潜む問題を浮き彫りにしている。毎日帰りの遅いお父さんと、お酒に逃げるお母さんを持つ木山。外に子供を作ったお父さんと、そのことを心底恨むお母さんを持つ河辺。魚屋を営むお父さんと、その家業を継いでほしくないと思うお母さんを持つ山下。日々の生活に追われる小学生と、戦争で心に傷を負った老人。
子供たちや登場人物のそれぞれには、それぞれの悩みがあって、それぞれの今を懸命に生きている。お互いの満たされない心の隙間を埋めるように、子供たちと老人との距離はますます縮まっていく。
しかし、別れは突然やってくる。サッカーの夏合宿から帰った3人は、おじいさんの家にお土産を持って訪れます。しかし、布団の上に横たわるおじいさんは、もうこの世にいませんでした。お膳の上には、3人と一緒に食べようと思ったのだろう「四房のぶどう」が鉢にもられて、甘い香りを漂わせていた。
1か月後、おじいさんの家が取り壊されということでコスモスをつみに来た。木山はおじいさんが見えた気がした。
おじいさんとの突然の別れは、3人の心に深い印象を残し、成長へのきっかけを与えたのでした。この物語は、死と向き合い、新たな絆を育む少年たちの成長を描いた、感動的な一作です。
「夏の庭」読書感想文の書き方【例文】
以下に4作品をご紹介いたします。文字数はまちまちですが「書き方」や「着眼点」の参考にしていただければと思います。
「夏の庭」を読んで①
私はこの夏、小さな一冊の文庫本のおかげで大きな感動を得ることができた。その本こそがここで題材とした湯本香樹実の『夏の庭』である。
物語は、小学生、山下の祖母が亡くなったことが発端で始まる。そこから、少年たちは「死」に関心を持ち、「人が『死ぬ』瞬間を目撃しよう」と思うようになる。恐らく、山下の祖母の死が、好奇心に満ちた小学六年生の木山君と、同じクラスの河辺君にとって、初めて人の死に直面する出来事であり、深い衝撃を受けたことだろう。それから、木山君、河辺君、山下君の三人は、寿命が近いと噂されるおじいさんを監視することに決める。
しかし、始めは単なる興味本位であったおじいさんとの交流が、やがて見守る側と見守られる側の関係から、不思議な友情へと変わっていく。それは、間違いなく友情なのである。「ご近所のおじいさん」といった関係ではなく、上下関係も世話もない平等なつながりである。
少年三人にとって、大人とこれほど対等に接することは初めての経験であり、おじいさんも、自分の孫のような年齢の子どもたちとこんな関係になることは予想もしていなかったはずだ。
だが、いつの日か友情にも終わりが来る。その終わりは、「おじいさんの死」である。少年たちの好奇心から始まった関係は、最初に望んでいた「おじいさんの死」を通じて終わることになる。しかし、その時の三人の心境は、どうだったのだろうか。少なくとも、「見ず知らずのおじいさんが死ぬのをドキドキワクワクしながら見守る」という初めの気持ちではなかった。待ち受けていたのは、愛する人の死による予想しない悲しみだったのだ。
彼らは最初、おじいさんの死を受け入れることができなかった。なぜなら、それは突然すぎたからだ。「もっと話したかったのに、どうして『今』死ななければならないのか」「なぜ、明日や明後日ではだめなのか」「重傷を負いながらも生き続ける人がいるのに、なぜおじいさんはこんなに穏やかで優しい表情で死ぬのか」と。
そして、「なぜ『おじいさんが』死ななければならないのか」と、悲しみ以上に、そんな疑問が次々と、想像を絶するほど湧き上がってきたことだろう。しかし、彼らに疑問の答えを教えてくれる人はいない。いや、それは「答えのない疑問」なのだ。
「心に大きな穴が空いている」とよく言われるが、私は本書を読み、そのような穴とは「答えのない疑問」が開けるものだと思うようになった。三人の少年たちの心にも、そんな穴が開いてしまっていたのだろう。だけど、その悲しみを乗り越えて、少年たちはおじいさんとの交流を通じて多くのことを学んでいく。
洗濯ロープの張り方、草取りの方法、ペンキの溶かし方や塗り方、のこぎりの使い方、などなど。おじいさんとの関わりのおかげで、少年たちはこれまでの子どもの世界では経験できなかったことを得るのだ。
さらに、迷った時にどうすればいいか分からなくても、「もしおじいさんがいたらどう言ってくれるだろう」と視点を変えて考えるようになる。これを学んだことで、少年たちの世界はどんどん広がっていくだろう。つまり、大人に近づくことである。おじいさんの死をきっかけに、少年たちは成長し、大人への道を一歩ずつ進んでいく。
少なくとも、彼らはもう子どもではない。彼らの子ども時代は、おじいさんの夏の庭と共に消え去ってしまったのだ。そして、彼らは小学校卒業後、新たな学校や環境で、それぞれの道を歩んでいく。このおじいさんとの経験が、これから少年たちが成長する上で、困難に直面した時、彼らの背中を押してくれるものになることだろう。
本書のおかげで私は、人の死は、ただその人がこの世から去るだけでなく、周囲の人に大きな影響を与え、成長させるものだと気づくことができた。また、「人が最後にやるべきことは、子や孫に“人の死”とはどういうものかを、自らの死をもって伝えることだ。」という誰かの名言を思い出さずにはいられなかった。
これから先、私も身近な人の死を経験することがあるだろう。その時は、その人の死を悲しむと同時に、三人の少年たちが大きく成長したように、私も多くのことを感じ取り、成長していきたいと思う。死を見つめることは生き方を見つめることに他ならないのだ。
「夏の庭」を読んで②
死についてどう考えるか。それは冷たく暗い場所への旅立ちか、それとも暖かなゆりかごでの永遠の眠りか。多くの人が一度はこの疑問を抱くだろう。死とは、身近な人の死を経験した者にしか理解できないものなのかもしれない。
私が初めて死に直面したのは、父方の祖父の死であった。祖父の体は冷たく硬く、白く細かった。骨壷に納めるとき、より一層その実感が湧いた。実に抽象的で不確かだった「死」という概念が、急に具体的で現実的なものに変わった。真っ白な骨になった祖父を前に、みんな涙を流していた。
この物語では「死」について深く掘り下げられている。登場人物たちは「死ぬこと」に対する直接的な疑問を口にし、同時に生き生きと、活発的であるさまが描写がなされている。
物語の中の小学生3人組は、一人暮らしの老人を観察することで、死ぬ瞬間を目の当たりにしようとする。老人は彼らの観察を気づき、不快感を露わにするが、少年たちは気に留めない。当初は死ぬ瞬間を見ることが目的だったが、老人が次第に活動的になり、互いの観察が日常になっていく。
老人と少年たちの間の距離は縮まり、お互いに多くのことを学び合う。洗濯、花の名前、漢字の読み方、そして命の重さまで。物語の中で印象的な言葉がある。「生きることが、実はもっと不思議なんだ」と。
物語は、老人と少年たちの家庭の問題も描く。僕の家庭は父はいつも遅く、母は酒に逃げる。河辺の家では父が浮気し、母はそれを恨む。山下の家では父は魚屋を営むが、母はそれを望まない。彼らはそれぞれの問題を抱えながら生きている。
物語は少年たちが老人の死を忘れてしまうくらいに彼との関係を深める。そして、突然の別れが訪れる。老人の庭が夏から秋に変わる頃、彼らは別れを迎える。
作者は祖父を思いながらこの作品を書いたという。それは、彼女の心の中に祖父が生き続けていることを意味しているのかもしれない。思い出と共に刻まれた存在は、常に心の隅にあり、忘れられないものである。
私たちは生きることに対して何も感じないが、この作品は「死」に対する純粋な疑問から始まり、生きることの意味をも暗示している。生き生きとした少年たちの描写は、読者に何を投げかけているのだろうか。
死を理解しようとすることは、霧を掴もうとするようだが、心に残る「何か」を感じ取ることはできるはずだ。生きることと死ぬことの意味を考えることは「生き方」考えるのと同義の気がする。本作はその「生き方」を考えさせる「死」を題材とした名作だと思える。
「夏の庭」を読んで③
「オレたちも死んだ人が見たい。」河辺の言い出した一言に僕は、嫌悪感を覚えた。しかしこの物語全てを読み終え、人間の生き方、自分の心の中にある「死」に対する気持ちに対して、素直に受け入れられるようになった。そんな気がする。そして今自分の生き方を真に考えなくてはならないという事を感じている。
主人公の三人の内の一人、山下が自分のおばあさんの葬式へ行き「死んだ人」について聞かされ自分達も「死んだ人」が見たいという事から近所の死にそうなおじいさんに近付く。しかし、おじいさんは死ぬどころか、元気はつらつとしてい生きる為に必要な話をしてくれ、三人はその話に吸い込まれる様に自分の意見を言う。
三人の考えは次第に「希望」という方向に向かうようになる。死んだ人を見ようという何とも不気味な少年たちを生きる事の大切さに気付かせる事のできたおじいさんは僕にはすごく印象的だった。
僕も実際にこの様な体験がある。小さな頃僕が作ったプラモデルを見せると「うまいなあ」とニコニコしながら、そのプラモデルを自分の宝物でも見ている様に、眺めていたおじいちゃんがいた。ベッドでほとんど寝ている生活をしていたが、弱わ弱わしくもはつらつとしていたのを覚えている。しかしそのおじいちゃんが亡くなった。
お通夜に行くと、目を閉じてもう絶対に僕のプラモデルを見ても「うまいなあ」と言ってくれる様子のない悲しい姿に変わっていたの今でも僕は覚えている。僕はその時、どういうわけか怖くておじいちゃんの顔をまっすぐに見られなかった。理由は未だに分からない。でも幼いながらもこれだけは感じた。「死ぬ事は怖い。」僕が真剣に考えさせられたのは、主人公の一人が死ぬ事が怖いというのは何故だろうと言っていた事だ。
僕はこの一言に本当に何故なのだろうと興味を深くそそられた。実際に僕も死ぬのは怖い。それは、この世に僕という存在がなくなるからでもなく、大好きな事ができなくなるからでもなく……。
多分僕は自分の心がなくなり、生きるという楽しさ、思い出が薄れていくからだと思う。死んでも心はあるという意見もあると思う。でも生きている時の新鮮さにあふれる心は二度と自分のもとへは来ないはずだ。
おじいさんは、戦争で自分が生きのびる為に一人の命を、そしてその中で生きるはずだったもう一人の命を殺してしまった。そしてその出来事を忘れる為、大切なもの全てを失った。僕がもしこのおじいさんの様に、戦争で同じ目的で人を殺してしまったのなら同じように全てを失ったのだろうか。
今僕達は食物連鎖で生きている者の命を奪い生きている。それを考えると多分そうしただろうと思う。人間は何だかんだ言っても自分中心、そして弱さを背負って生きているのだから。これは俗にいう「逃げ」なのだろうか。しかし僕は思う。
この様な体験が四人を固く結ばせ、三人は命の尊さに、そしておじいさんは胸にためていた思いから解放されたのだと。僕はこんなにも苦い思い出を三人に話したおじいさんを心から尊敬する。
明らかにこの少年たちは夏休みで心身共に大きく成長したと思う。それは三人がおじいさんの死で見つけだした生き方があったからだ。おじいさんの死で少年たちもそして僕も大きなショックを受けた。そして泣いた。でも僕はショックを感じながらもおじいさんの人生に拍手を贈りたいと思った。
三人は、おじいさんからただ生きるのではなく沢山の夢と希望を持って生きるという事を学んだ。では僕はどうなのだろうか。これからについて考えているのだろうか。主人公、木山の言っていた事を思い出した。「死んでもいいと思えるほど何かを僕はできるのだろうか」と。僕もそんな何かがあるのだろうか。
思えば考えてはいるもののいまひとつそれを自分の中でまとめる事ができずにいる。しかし僕は絶対に答えを出す。目標があり生きるという事が今の僕に与えられている最大の課題であるような気がするからだ。
「死ぬ時、人は何を見るのかしら。」とドラマのセリフで言っていたのを覚えている。僕は、今までの嫌だった事、楽しかった事が鮮やかに心の中から流れるのを見る。いや見たいのだと思う。
これから何年先になるか分からないが、僕の大切な人が亡くなるだろう。しかし、ただ感情のやり場がなく、叫び泣くのはやめ、その人が自分に与えてくれた事を思い泣こうと思う。それから先の希望をみつめて。そしてその人が今まで生きて来た力をもらいうけつぐために。そして僕自身そんな力を与えられる人間に成長したい。このおじいさんのように。
「夏の庭」を読んで④
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読書感想文の書き方のコツ
(テンプレートつき)
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